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日本铁道简介(日语资料)(来自日本百科事典)

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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:44 | 只看该作者
上田交通真田傍陽線 Encyclopedia

   


上田交通真田傍陽線(うえだこうつうさなだそえひせん)は長野県上田市の上田駅と真田町の傍陽駅、真田駅を結んでいた上田交通の鉄道路線。1927年に開通したが、1972年(昭和47年)に廃止された。

信越本線(現JR東日本長野新幹線・しなの鉄道線)上田駅を起点とし、市街地を時計回りの方向で進み、市街地の北東部にあった川原柳駅から国道144号線に沿う形で本原駅に達し、さらにそこから分岐して現在の長野県道35号線に沿って傍陽駅までを、さらに国道144号線を沿って真田駅を結んでいた。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線




路線データ
路線距離(営業キロ):上田~本原間 8.6km、本原~傍陽間 3.1km、本原~真田間 4.2km、合計15.8km
軌間:1067mm
駅数:9→12→15→19
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)

歴史
上田交通真田傍陽線は(株)上田温泉電気軌道(略称・温電)によって同社の北東線という形で1927年(昭和2年)に開業し1928年(昭和3年)に全通したが温電は経営難と言う事情から上田市から東北の方面に鉄道を建設することに難色を示していたという。しかし、上田市と東北5ヶ村(=神科村、殿城村(以上、現・上田市)、本原村、長村、傍陽村(以上、現・真田町))が鉄道敷設の猛運動を起こしたためそれに押される形で建設を決断したのである。デモシカで始まり、完成に至った真田傍陽線だが、建設したおかげで菅平の観光開発が進んだというから結果的には建設してよかったのである。

真田傍陽線は菅平高原や群馬県へ行くための路線として重宝がられ、さらに、上田市と真田町で取れた高原野菜、りんごなどの農産物を輸送するための路線として重宝がられたが、上田駅から直接菅平高原、群馬県へ行くバスが増発されたり、農産物の輸送がトラックに移行したため1960年代後半から赤字路線に転落。1972年(昭和47年)2月20日惜しまれつつ廃止となってしまったのである。

1923年(大正12年) 上田市と東北5ヶ村(神科村、殿城村、本原村、長村、傍陽村)が(株)上田温泉電気軌道に鉄道敷設の猛運動を起こす。
1924年(大正13年)11月 温電、上田市と東北5ヶ村の猛運動に押される形で北東線の鉄道敷設認可を申請。
1925年(大正14年)3月 鉄道省(現国土交通省)から認可される。11月 着工。
1926年(大正15年・昭和元年) 北東線真田~大日向間の路線延長認可。(着工に至らずのちに失効。)
1927年(昭和2年)11月20日 北東線上田~伊勢山間開業。
(※この年開業した駅=上田、公会堂下、北大手、上田花園、北上田、川原柳、神科、樋之沢、伊勢山)
1928年(昭和3年)1月10日 伊勢山トンネルと川久保鉄橋完成し伊勢山~本原間開通。4月2日 本原~傍陽間開通。5月1日 本原~真田間が開通し北東線全通。
(この年開業した駅=川久保、下原下、本原(以上、1月10日)、横尾、曲尾、傍陽(以上、4月2日)、北本原、石舟、長村、真田(以上、5月1日))
1939年(昭和14年)8月30日 (株)上田電鉄に社名変更。線名を上田電鉄菅平鹿沢線と改称。
1943年(昭和18年)10月21日 (株)上田電鉄と丸子鉄道(株)が合併して上田丸子電鉄(株)に。これに伴い上田丸子電鉄菅平鹿沢線となる。
1948年(昭和23年) 公会堂下、公園前と駅名変更。
1953年(昭和28年) 川久保、殿城口と駅名変更。
1955年(昭和30年)8月 電鉄上田駅舎完成。
1960年(昭和35年)4月1日 線名を上田丸子電鉄真田傍陽線と改称。
1969年(昭和44年)6月1日 上田丸子電鉄(株)、社名を上田交通(株)に変更。これに伴い上田交通真田傍陽線となる。
1970年(昭和45年)8月 上田交通、真田傍陽線の廃止を運輸省(現国土交通省)に申請。 
1972年(昭和47年)2月20日 真田傍陽線上田~本原・本原~傍陽・本原~真田間廃止。

駅一覧
上田駅 - 公園前駅 - 北大手駅 - 上田花園駅 - 北上田駅 - 川原柳駅 - 神科駅 - 樋之沢駅 - 伊勢山駅 - 殿城口駅 - 下原下駅 - 本原駅 - 北本原駅 - 石舟駅 - 長村駅 - 真田駅 (本原駅) - 横尾駅 - 曲尾駅 - 傍陽駅

※駅名は廃止時点のもの。改称された駅の開業時の名称は、公園前駅が公会堂下駅、殿城口駅が川久保駅。


接続路線
路線名等は廃止時点のもの。

上田駅:信越本線(現しなの鉄道線)、上田交通別所線
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:45 | 只看该作者
上田温泉電気軌道青木線 Encyclopedia

   


上田温泉電気軌道青木線(うえだおんせんでんききどうあおきせん)は長野県上田市と青木村を結んでいた上田交通の前身のひとつ、上田温泉電気軌道(略称・温電)の軌道路線。1938年に廃止された。

青木線は開業した当初は上田市の千曲川左岸、上田橋から少し離れた三好町(初代)を基点とし小県郡川辺村(現・上田市)の中心地にある上田原からさらに現在の国道143号線に沿って西に進み青木を結んでいたが千曲川鉄橋が開通すると起点は鉄道省線(現・JR東日本、しなの鉄道)上田駅に変更。さらに三好町~上田原間が路線変更・変則複線化されると上田~上田原間は専用軌道で、上田原~青木間は併用軌道で結ばれるようになっていた。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 備考




路線データ
路線距離(営業キロ):(開業時)三好町~青木間 10.6km (廃止直前)上田~青木間 11.4km
軌間:1067mm
駅数:13→14
複線区間:城下~上田原間(※ ただし変則的な複線)
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
上田交通の前身は上田丸子電鉄(株)。さらにさかのぼると(株)上田温泉電気軌道(のちに(株)上田電鉄)と丸子鉄道(株)となるが二社は設立目的が違っていた。後者が丸子町の製糸業者が生糸を輸送する目的で設立した産業企業というイメージが強いのに対し、前者は千曲川左岸の温泉地、別所温泉・田沢温泉・沓掛温泉を結ぶ目的で設立された観光企業というイメージが強い。当然設立された当初は上田市と温泉地を結ぶ路線を開通させるのが目標となる。従って青木線が別所線(開通当初は川西線)と共に最初の路線として開通したのは当然といえよう。

青木線は当時長野県道2号線と呼ばれていた現在の長野県道77号線→国道143号線を借用して建設された軌道線でポール集電による四輪単車が主力のいわゆるチンチン電車だが、千曲川鉄橋が開通すると上田~三好町間が専用軌道になり、さらに路線変更・変則複線化によって 上田原間にまで伸びたが経営不振の影響から終点青木まで全線専用軌道化はならなかった。そのため借用期限が切れた1938年に併用軌道分が廃止になったことにより事実上廃止となってしまった。早く開通しながら早く廃止になったのはまさに皮肉であった。

1919年(大正8年)3月 上田温泉軌道発起人会設立。6月には青木線三好町~青木間の軌道敷設認可を鉄道省(現・国土交通省)に申請。11月には認可が下りる。
1920年(大正9年)1月 (株)上田温泉軌道設立され、工事開始。11月には(株)上田温泉電気軌道に社名変更。
1921年(大正10年)6月17日 青木線三好町~青木間開業。
(※この年開業した停車場・停留場=三好町、三好町二丁目、上田原、宮島、福田、古吉町、小泉、白銀、出浦、当郷、殿戸、村松、青木)
1924年(大正13年)8月 千曲川鉄橋開通し省線(現・JR東日本、しなの鉄道)上田駅に乗入れ。(これにより川西上田駅開業。)
1927年(昭和2年)12月 三好町~上田原間が専用軌道・変則複線化。これにより三好町停留所が城下停留所に、三好町二丁目停留所が三好町停留所に名称変更。
1932年(昭和7年)9月 三好町~上田原間に赤坂上停留所設置。
1938年(昭和13年)7月25日 上田原~青木間の併用軌道が長野県からの借用期限が切れたため廃止。これにより事実上廃止。
1939年(昭和14年)8月30日 社名を(株)上田電鉄に変更。
1941年(昭和16年)【この年までに】城下~上田原間の旧青木線分の路盤が撤去され、名実ともに廃止となる。

駅一覧
上田駅 - 城下駅 - 三好町駅 - 赤坂上駅 - 上田原駅 - 宮島駅 - 福田駅 - 古吉町駅 - 小泉駅 - 白銀駅 - 出浦駅 - 当郷駅 - 殿戸駅 - 村松駅 - 青木駅

※駅名(正しくは停車場・停留場)は廃止時点のもの。改称された駅の開業時の名称は城下駅が三好町駅、三好町駅が三好町二丁目駅。


接続路線
路線名は廃止時点のもの。

上田駅:信越本線(現しなの鉄道線)
上田原駅:温電川西線(現上田交通別所線)

備考戦後、青木線を上田~松本間の地方鉄道線として復活する計画があり、松本電気鉄道との共同出資で上田松本電鉄を設立。1952年(昭和27年)に運輸省(現・国土交通省)から工事敷設の認可を得たが着工に至らず幻と消えてしまった。もし実現していたら上田~松本間が今より楽に結ばれていたかもしれない。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:46 | 只看该作者
南海大浜支線 Encyclopedia

   


大浜支線(おおはましせん)は、大阪府堺市の宿院駅から同市の大浜海岸駅までを結んでいた南海電気鉄道の軌道路線。

南海合併前の阪堺電気軌道が、1903年開催の第5回内国勧業博覧会の会場の一つとして建てられた堺水族館があった大浜公園へのアクセス路線として1912年に開業したのが大浜支線である。翌年、阪堺電気軌道はさらに乗客を誘致するため、大浜公園内に海水を沸かした大浴場「大浜潮湯」を開設した。大浜公園には大浜潮湯・水族館のほか、少女演劇が行われていた大浜公会堂などがあり、行楽地として賑わっていた。

しかし、太平洋戦争が始まり、1944年に大浜潮湯や水族館は閉鎖され、翌1945年2月には一部区間が不要不急線として休止された。同年7月10日の堺大空襲で南海本線堺駅や、付近で南海本線を跨いでいた大浜支線が被害を受け運休となり、1949年に正式に休止、その後運行が再開されることなく1980年に廃止された。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線




路線データ
路線距離(営業キロ):宿院~大浜海岸間 1.4km
軌間:1435mm
駅数:6駅(起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線電化(直流600V)

歴史
1912年4月1日 阪堺電気軌道により宿院~水族館前(のちの大浜北町)が開業。
1912年8月26日 水族館前~大浜海岸間が開業。
1915年6月21日 阪堺電気軌道が南海鉄道に合併。
1944年6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
1945年2月11日 大浜北町~大浜海岸間が休止。
1945年7月10日 堺大空襲で被害を受け運休となる。
1947年6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
1949年3月3日 宿院~大浜北町間が正式に休止。
1980年11月28日 休止以来、運行が再開されることもなく廃止。
大浜支線廃止と同日、平野線も廃止され、3日後の12月1日に、南海の軌道線(阪堺線・上町線)は分社化され阪堺電気軌道となった。


駅一覧
宿院駅 - 川尻駅 - 竜神駅 - 水族館前駅 - 大浜公園駅 - 大浜海岸駅

(1940年頃のもの)


接続路線
宿院駅:南海阪堺線
竜神駅:南海本線(竜神駅:堺駅~湊駅間、1955年廃止)
竜神~水族館前間で阪堺電鉄(阪堺電気軌道とは全く別、のちの大阪市電三宝線)と交差していたが、直接乗り換え可能な電停は設けられていなかった模様。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:47 | 只看该作者
南海天王寺支線 Encyclopedia
   


今池町駅に進入する1521系
上のガードは阪堺電気軌道阪堺線
天王寺支線(てんのうじしせん)は、大阪府大阪市西成区にある南海本線の天下茶屋駅から分岐し、同市天王寺区にある天王寺駅までを結んでいた南海電気鉄道の鉄道路線である。大阪市営地下鉄堺筋線の天下茶屋駅延伸と南海電鉄の天下茶屋駅の高架化により、1993年に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 昔話
5 駅一覧
6 接続路線
7 廃線後の現状




路線データ
路線距離(営業キロ):2.4km
軌間:1067mm
駅数:4駅(起終点駅および、飛田本通駅含む)
複線区間:全線複線(天下茶屋~今池町間廃止以後は単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:

運行形態
部分廃止前は7000系などの2両編成で運行されていたが、1984年11月18日の部分廃止後は1521系の単行運転での往復運転となった。この時、天王寺支線に閉じ込められたのは1524と1526の2両で、路線廃止後現地解体されるものと思われたが奇跡的に運び出された。

1965年の時刻表によると、10~15分間隔の運転形態をとっていた。部分廃止後の1988年では15~20分間隔の運転となっている。


歴史
1900年10月26日 天下茶屋~天王寺間が開業。
1907年11月11日 天下茶屋~天王寺間が電化。
1931年8月20日 天下茶屋~天王寺間が複線化。
1933年2月16日 城東線の電化に伴い、当線列車増発。
1949年6月20日 天下茶屋~天王寺間の曳船駅、大門通駅を廃止し、今池町駅開業。
1984年11月18日 天下茶屋~今池町間1.1kmが廃止。今池町~天王寺間が単線化。南海天王寺駅移転により0.1km短縮。今池町駅と南海線(高野線)萩ノ茶屋駅間を徒歩で連絡。
1984年12月10日 今池町~天王寺間に飛田本通駅開業。元の複線線路上に開設。
1993年4月1日 今池町~天王寺間1.2kmが廃止され、全線廃止。




昔話昔、南紀方面に設定されていた急行「きのくに」が、南海天王寺駅を発し、当路線を通って天下茶屋駅で待機し、難波方面から来た車両と増結して運行していた時期があった。
線路には砂利が敷かれていなかった。理由は、この周囲の事情から投石されるなど危険であり、それをあらかじめ防ぐためといわれる。
南海が貨物を扱っていたときは、重要路線だった。

駅一覧
天下茶屋駅 - (曳舟駅) - 今池町駅 - 飛田本通駅 - 天王寺駅


接続路線
天下茶屋駅:南海本線・南海高野線
今池町駅:阪堺電気軌道阪堺線・平野線(今池駅)
天王寺駅:大阪環状線・関西本線(大和路線)・阪和線・大阪市営地下鉄御堂筋線・谷町線・近鉄南大阪線(大阪阿部野橋駅)

廃線後の現状
ほとんどの通路・道路からはバリヤーにより遮断されているが、駐車場になっている地点と、(出入り口は閉鎖されているが)花壇つきの遊歩道になっている地点と、ホームレス対策としての無料宿泊施設が建っている地点などがある。そして旧今池町駅跡には、アパートが建っている。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:50 | 只看该作者
南海北島支線 Encyclopedia

   


北島支線(きたじましせん)は、和歌山県和歌山市の北島駅から東松江駅までを結んでいた南海電気鉄道の鉄道路線である。なお、北島駅~東松江間とともに当時加太線の一部であった和歌山市駅から北島駅までの区間についても記す。

もともとは加太線の一部で、紀ノ川駅経由の現路線は松江線という貨物路線だった。 しかし、紀ノ川橋梁の倒壊が原因で和歌山市~北島間が1955年に廃止。なお、この時に松江線が加太線に編入された。盲腸線となった残る北島~東松江間は北島線と改称され、1966年に廃止された。


目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線




路線データ
路線距離(営業キロ):2.6km(和歌山市~北島間0.8km、北島~東松江間1.8km)
軌間:1067mm
駅数:4駅(和歌山市駅、東松江駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)※
閉塞方式:
※南海本線などとともに加太線の架線電圧が1500Vに昇圧されたのは、北島支線廃止後の1973年。


運行形態


歴史
1912年6月16日 加太軽便鉄道が和歌山口(のちの北島)~東松江~加太間を開業。
1914年9月25日 紀ノ川橋梁完成。和歌山口~北島間開業。南海和歌山市駅と連絡。
1930年2月 和歌山口~加太間が電化。
1931年1月6日 加太電気鉄道に社名変更。
1944年2月1日 南海鉄道に合併。加太線となる。
1944年6月1日 関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道となる。
1947年6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
1950年7月25日 松江線の旅客営業開始。加太線の運転系統を紀ノ川経由に変更。
1950年9月3日 ジェーン台風で紀ノ川橋梁が破損、和歌山市~北島間が不通に。
1953年 和歌山市~北島間が休止。
1955年2月15日 和歌山市~北島間が廃止。紀ノ川~加太間を加太線、北島~東松江間を北島線に変更。
1966年12月1日 北島線北島~東松江間が廃止。

駅一覧
和歌山市駅 - 北島駅 - 島橋駅 - 東松江駅


接続路線
和歌山市駅:南海本線・南海和歌山港線・紀勢本線
東松江駅:南海加太線
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:51 | 只看该作者
南部縦貫鉄道 Encyclopedia

   


南部縦貫鉄道(なんぶじゅうかんてつどう)は、かつて青森県上北郡の七戸町から野辺地町を結ぶ鉄道路線を運営していた鉄道会社。旧型レールバスの運行を行っていたことで、鉄道ファンなどの間では有名であったが1997年に休止、2002年に廃止されている。現在は、旧七戸駅で当時の車両が動態保存されている。

なおここでは、運営していた路線についても記す。

目次
1 歴史
2 鉄道事業
2.1 路線データ
2.2 駅一覧
2.3 接続路線
3 その他




歴史
1953年12月23日 南部縦貫鉄道設立。
1962年10月20日 千曳~七戸間開通
1968年8月 国鉄東北本線の線路付けかえに伴い、野辺地~千曳(名称を西千曳に変更)間延長。
1997年5月5日 鉄道事業休止。
2002年8月1日 鉄道事業廃止。

鉄道事業

路線データ
路線距離(営業キロ):野辺地~七戸間 20.6km
軌間:1067mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:票券閉塞式

駅一覧
野辺地駅 - 西千曳駅 - 後平駅 - 坪駅 - 坪川駅 - 道ノ上駅 - 天間林駅 - 中野駅 - 営農大学校前 - 盛田牧場前駅 - 七戸駅


接続路線
野辺地駅:東北本線

その他
最終的には七戸駅より南下し、三本木で十和田観光電鉄十和田市駅に接続、更に五戸へ延ばし、尻内(現在の八戸駅)から五戸まで運行していた南部鉄道と結ぶ予定だったといわれる。
当初は京成電鉄が出資し、経営に参加していた。南部縦貫鉄道のレールバスのカラーリングは京成の赤電と同じである。
キンカン本舗のテレビCMなどにも登場している。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:52 | 只看该作者
志布志線 Encyclopedia

   


志布志線(しぶしせん)とは、宮崎県都城市の西都城駅から鹿児島県曽於郡志布志町の志布志駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された。

目次
1 路線データ(廃止時)
2 車両
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線




路線データ
(廃止時)管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):西都城~志布志 38.6km
軌間:1067mm
駅数:10(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式

車両キハ47

歴史都城から太平洋岸の志布志に向かい、軽便鉄道法により建設された鉄道で、1923年から1925年にかけて志布志までが開業した。1932年には、国都東・西線が連絡し、現在の日豊本線ルートが完成したのにともない、都城~西都城間が日豊本線に編入されている。

現在は日南線となっている北郷~志布志間についても当初は志布志線として開業した区間で、1963年の日南線南宮崎~北郷間開業にともない、同線に編入された。こちらは大隅線とともに、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線である。

1923年1月14日 【開業】志布志線 都城~末吉(10.8km) 【駅新設】西都城、今町、末吉
1924年3月25日 【延伸開業】末吉~大隅松山(13.3km) 【駅新設】岩川、大隅松山
1925年3月30日 【延伸開業】大隅松山~志布志(17.0km) 【駅新設】縄瀬、安楽、志布志 
1932年12月6日 【所属線区変更】都城~西都城(-2.5km)(日豊本線に編入)
1934年4月1日 【駅新設】岩北
1935年4月15日 【延伸開業】志布志~榎原(28.5km) 【駅新設】大隅夏井、福島今町、福島仲町、日向北方、日向大束、榎原
1935年10月28日 古江東線(後の大隅線)開業
1936年3月1日 【延伸開業】榎原~大堂津(10.2km) 【駅新設】南郷、大堂津
1937年4月19日 【延伸開業】大堂津~油津(4.3km) 【駅新設】油津
1941年10月28日 【延伸開業・全通】油津~北郷(13.5km)、油津~元油津(1.0km。貨物支線。実態は油津線起点付近の改軌新線) 【駅新設】吾田、飫肥、内之田、北郷
1949年1月15日 【駅新設】谷之口
1949年9月15日 【仮乗降場新設】福島高松
1950年1月10日 【仮乗降場→駅】福島高松
1952年1月1日 【駅名改称】吾田→日南
1959年10月1日 【駅名改称】縄瀬→伊崎田、福島仲町→串間
1960年7月25日 【貨物支線廃止】油津~元油津(-1.0km)
1960年8月1日 【駅新設】中安楽
1963年5月8日 【所属線区変更】志布志~北郷(-56.5km)(日南線に編入) 【駅所属線区変更】大隅夏井、福島高松、福島今町、串間、日向北方、日向大束、榎原、南郷、大堂津、油津、日南、飫肥、内之田、北郷(日南線に編入)
1983年4月1日 【貨物営業廃止】全線(-38.6km)
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年3月14日 大隅線廃止
1987年3月28日 【廃止】全線(-38.6km) バス転換

駅一覧
西都城駅 - 今町駅 - 末吉駅 - 岩北駅 - 岩川駅 - 大隅松山駅 - 伊崎田駅 - 安楽駅 - 中安楽駅 - 志布志駅


接続路線
西都城駅:日豊本線
志布志駅:
日南線
大隅線 - 1987年3月14日廃止
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:54 | 只看该作者
信越本線 Encyclopedia

   


信越本線(しんえつほんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅から群馬県松井田町の横川駅までと、長野県長野市の篠ノ井駅から長野駅を経由して新潟県新潟市の新潟駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、越後石山駅~新潟貨物ターミナル駅間、上沼垂信号場~沼垂駅間、上沼垂信号場~東新潟港駅間の貨物支線を持つ。

東三条駅~新潟駅間が新潟近郊区間に含まれる。

ラインカラーは明確に定められてはいないが、駅名標など信越本線に関する各種案内サインにおいては、高崎支社管内では黄緑、新潟支社管内ではスカイブルーで案内されている。

目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 使用車両
4.1 高崎駅~横川駅間
4.2 篠ノ井駅~長野駅間
4.3 長野駅~直江津駅間
4.4 直江津駅~新潟駅間
5 歴史
5.1 官設鉄道
5.2 北越鉄道
5.3 北越鉄道国有化後
5.4 優等列車の沿革
6 駅一覧
6.1 高崎駅~横川駅
6.2 篠ノ井駅~新潟駅
6.3 貨物支線
6.4 廃止区間
6.4.1 横川駅~軽井沢駅
6.5 経営移管区間
6.5.1 軽井沢駅~篠ノ井駅(しなの鉄道)
7 接続路線
7.1 過去の接続路線
8 関連項目




路線データ
新潟付近鉄道路線図管轄・路線距離(営業キロ):全長258.3km(支線含む)
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
高崎~横川 29.7km
篠ノ井~新潟 220.6km
日本貨物鉄道
(第一種鉄道事業)
上沼垂信号場~沼垂 1.8km
上沼垂信号場~東新潟港 3.8km - 焼島~東新潟港間は休止中
(第二種鉄道事業)
高崎~安中 (10.6km)
篠ノ井~上沼垂信号場 (218.7km)
越後石山~新潟貨物ターミナル (2.4km) - 旅客鉄道会社の営業キロ設定なし
軌間:1067mm
駅数:
旅客駅:70駅(起終点駅含む)
貨物駅:5駅(起終点駅・休止駅含む、旅客併設駅除く)
複線区間:高崎~横川間、篠ノ井~北長野間、黒姫~妙高高原間、直江津~新潟間
電化区間:上沼垂信号場~東新潟港駅間を除く全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式(東新潟港支線を除く全線)、連査閉塞式(上沼垂信号場~焼島間)

概要
本来は高崎駅から長野駅を経て新潟駅までの路線であったが、1997年10月1日の北陸新幹線(長野新幹線)開業に伴い、並行在来線の横川駅~軽井沢駅間は廃止され、JRバス関東によるバス輸送となり、軽井沢駅~篠ノ井駅間は第三セクターのしなの鉄道に経営が移管された。なお、横川駅~軽井沢駅間については廃止後列車は当然走っていないが、線路は残されている。

2004年10月23日に発生した新潟県中越地震によって、柏崎~長岡間が大規模な損害を受け、この区間を通る全列車が運休していたが、2004年11月29日に全線が復旧した。


運行形態
北陸新幹線(長野新幹線)の開業により分断された形となっている信越本線だが、それ以前から全線にわたって運行している列車は存在しない。上越線、上越新幹線の存在により、東京~新潟間の最短ルートにはなりえない上、直江津駅~新潟駅間はいわゆる日本海縦貫線の一部であり、全線を一体のものとする意識は希薄であると言えよう。

東京対長野の都市間輸送はすでに長野新幹線にその役割を譲っており、高崎駅~横川駅間はほぼ群馬県内のローカル輸送に徹した形となっている。

篠ノ井駅~直江津駅間はエル特急「しなの」や臨時列車を除き優等列車は運転されておらず長野駅で運転系統がほぼ分断されている。

篠ノ井駅~長野駅間は、篠ノ井駅から第三セクターのしなの鉄道・しなの鉄道線、篠ノ井線が長野駅まで乗り入れており比較的本数は多い。優等列車は篠ノ井線からのエル特急「しなの」などの長野対名古屋方面への列車が走っている。また、「みすず」など長野駅を起終点とし、篠ノ井線松本駅方面や、しなの鉄道線上田駅、小諸駅方面など、両路線に向かう快速列車もこの区間を経由しており、長野県内の主要都市間輸送にも活用されている。普通列車は基本的には長野周辺の輸送を担っているが、特に篠ノ井線直通列車は長距離運転(中央本線方面へ向かう列車が多い)するものが多く、特急や快速列車と同じく県内の主要都市間輸送を担っている面もある。また、長野駅を通しで運転される列車や区間運転列車が存在するが、ごく僅かしか本数が設定されていないことや、この区間に運転される篠ノ井線、しなの鉄道線の全列車が長野駅を起終点としていることから、事実上はほとんどこれらの列車しか運行されておらず、この区間の列車は直通先の「篠ノ井線」「しなの鉄道線」と案内され、「信越本線」と案内されることはほとんど無い。このため、この区間においては信越本線(信越線)という名称はほぼ名目化している。尚、基本的には長野駅以北が信越本線(信越線)と案内される。

長野駅~直江津駅間には長野新幹線開業に伴い系統が分断された特急「あさま」を補完する形で特急型車両で運転される普通列車(快速・いわゆる各駅停車)の「妙高」号があるほか、豊野駅~長野駅間は飯山線直通列車も並行して走るため運転本数が増える。また、長野駅~豊野駅または妙高高原駅、直江津駅~新井駅・妙高高原駅に区間運転列車が設定されている。

直江津駅~新潟駅間は日本海側の基幹路線となっており、「トワイライトエクスプレス」、「日本海」などの夜行列車、特急「北越」など北陸の各都市や近畿圏との都市間輸送を担う特急列車が運行される他、新潟県内の諸都市を結ぶ形で快速「くびき野」(新井駅~新潟駅)や、ローカル輸送を担う普通列車が運行されている。

新津駅~新潟駅間は、日中は20分間隔で普通列車が運行されており、磐越西線からの乗り入れ列車も含め朝・夕のピーク時にはおよそ5分間隔で運行されている。


使用車両
高崎駅~横川駅間
107系
115系
211系
185系(朝・夜の1往復)

篠ノ井駅~長野駅間
115系
169系(しなの鉄道乗り入れ)
183系・189系(松本方面からのおはようライナー)
381系(臨時急行ちくま)
383系(特急しなの)
E257系(長野-松本間の一部快速)

長野駅~直江津駅間
115系
183系・189系(妙高)
485系(快速くびき野)
キハ110系(飯山線乗り入れ)

直江津駅~新潟駅間
115系
E127系(長岡~新潟間)
485系(快速くびき野・特急北越・臨時特急ふるさと雷鳥)
183・189系(夏季多客臨時快速マリンブルーくじらなみ)
489系(急行能登・臨時特急はくたか)
581・583系(急行きたぐに)
681・683系(特急はくたか)
14系15形客車(寝台特急北陸)
24系25形客車(寝台特急トワイライトエクスプレス・寝台特急日本海)
HK100形(北越急行ほくほく線普通列車)
キハ110系(飯山線から上越線経由で長岡まで・磐越西線普通列車)

歴史
高崎~直江津間は国(国鉄)によって開業した区間である。このうち高崎~軽井沢間は東京と大阪とを結ぶ「中山道幹線」の一部として建設されたものであり、軽井沢~直江津間はその資材運搬のために建設されたものであった。

日本海沿いの直江津~新潟(旧駅)間は私鉄の北越鉄道によって開業した。北越鉄道は1907年に国有化された。


官設鉄道
1885年10月15日 【開業】高崎~横川 【駅新設】飯塚、安中、磯部、松井田、横川
1886年8月15日 【開業】直江津~関山 【駅新設】直江津、高田、新井、関山
1888年5月1日 【延伸開業】関山~長野 【駅新設】田口、柏原、牟礼、豊野、長野
1888年8月15日 【延伸開業】長野~上田 【駅新設】篠ノ井、屋代、坂城、上田
1888年12月1日 【延伸開業】上田~軽井沢 【駅新設】田中、小諸、御代田、軽井沢
1893年4月1日 【延伸開業・全通】横川~軽井沢 【停車場新設】熊ノ平(給水給炭所) 【複線化】横川~丸山(信号場)、矢ヶ崎(信号場)~軽井沢
1896年1月20日 【駅新設】大屋
1898年9月1日 【駅新設】吉田
1901年7月?日 【信号所新設】丸山、矢ヶ崎
1906年10月1日 【給水給炭所→駅】熊ノ平

北越鉄道
1897年5月13日 【開業】北越鉄道 春日新田~鉢崎 【駅新設】春日新田(現在の直江津~黒井間)、犀潟、潟町、柿崎、鉢崎
1897年8月1日 【延伸開業】鉢崎~柏崎 【駅新設】柏崎
1897年11月20日 【延伸開業】柏崎~北条 【駅新設】北条 【開業】沼垂~一ノ木戸 【駅新設】沼垂、亀田、新津、矢代田、加茂、一ノ木戸
1898年6月16日 【延伸開業】一ノ木戸~長岡 【駅新設】三条、帯織、見附、長岡
1898年12月27日 【延伸開業・全通】北条~長岡 【駅新設】塚山、来迎寺、宮内
1899年9月5日 【延伸開業】直江津~春日新田
1899年7月28日 【駅新設】青海川
1899年12月10日 【駅新設】安田
1901年9月1日 【駅新設】押切
1902年7月1日 【駅新設】(貨)黒井
1902年7月10日 【臨時停車場新設】鯨波
1902年10月1日 【臨時停車場廃止】鯨波
1903年4月15日 【仮停車場新設】鯨波
1903年4月19日 【駅新設】羽生田
1904年4月1日 【仮停車場→駅】鯨波
1904年5月3日 【延伸開業】沼垂~新潟(旧) 【駅新設】新潟(初代)
1906年8月30日 【駅廃止】春日新田
1906年9月1日 【貨物駅→一般駅】黒井

北越鉄道国有化後
1907年8月1日 北越鉄道を国有化
1909年6月25日 【仮停車場新設】追分
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称設定】信越線 高崎~新潟
1910年7月15日 【駅新設】沓掛
1910年10月25日 【支線開業】新津~馬下 【駅新設】五泉、馬下
1911年5月1日 【駅新設】二本木
1912年2月11日 【駅新設】戸倉
1912年5月11日 【電化】横川~軽井沢(直流600V・第三軌条式。日本初の幹線電化)
1912年9月2日 【支線開業】新津~新発田 【駅新設】水原、天王新田、新発田
1913年6月1日 【支線延伸開業】馬下~津川 【駅新設】五十島、白崎、津川
1913年10月1日 【信号所新設】古間
1914年6月1日 【線名改称】信越本線 高崎~新潟、新津~津川 【区間分離】村上線 新津~新発田
1914年11月1日 【区間分離】岩越線 新津~津川(郡山~新津間全通)
1915年11月1日 【駅新設】城岡
1917年9月4日 【信号場新設】荻川
1917年11月1日 【複線化】篠ノ井~川中島
1918年11月1日 【信号所新設】脇野田
1919年8月1日 【駅名改称】飯塚→北高崎
1920年6月1日 【駅新設】北塩尻
1920年8月1日 【複線化】川中島~長野
1921年8月15日 【信号所→駅】脇野田
1921年9月20日 【仮信号所新設】犀川
1921年10月10日 【信号所新設】平原
1921年12月27日 【駅新設】越後広田
1922年4月1日 【信号所→信号場】丸山、矢ヶ崎、平原、古間 【仮信号所→仮信号場】犀川
1923年6月30日 【仮信号場廃止】犀川
1923年10月1日 【駅新設】滋野、【仮停車場→駅・改称】追分→信濃追分
1924年10月15日 【駅新設】群馬八幡
1924年11月20日 【操車場新設】上沼垂
1924年12月1日 【駅新設】(貨)山之下
1926年8月15日 【駅名改称】一ノ木戸→東三条
1926年11月20日 【信号場→駅】荻川
1928年8月16日 【駅名改称】山之下→新潟臨港
1928年10月26日 【駅新設】春日山
1928年12月23日 【信号場→駅】古間
1930年4月1日 【貨物支線開業】直江津~直江津港(1.4km) 【駅新設】(貨)直江津港
1931年7月11日 【操車場新設】長岡 【複線化】宮内~長岡
1941年7月24日 【駅新設】大形
1941年9月1日 【駅新設】(貨)焼島 【駅名改称】新潟臨港→東新潟港 【駅廃止】大形
1942年4月1日 【開業】沼垂~新潟港 【駅新設】新潟港
1943年9月1日 【信号場新設】長鳥
1943年9月20日 【信号場新設】保内
1943年9月22日 【信号場新設】田上
1943年9月28日 【信号場新設】古津
1944年5月29日? 【信号場新設】東光寺
1944年9月15日 【複線化】田上~矢代田
1944年9月18日 【複線化】矢代田~古津
1944年9月22日 【複線化】加茂~羽生田
1944年9月24日 【複線化】羽生田~田上
1944年9月28日 【複線化】見附~帯織、古津~新津
1944年9月29日 【複線化】城岡~押切
1944年9月30日 【仮信号所新設】苅谷田 【複線化】苅谷田(仮信号所)~見附
1945年4月15日 【複線化】押切~苅谷田(仮信号所)
1945年4月16日 【仮信号所廃止】苅谷田
1945年6月1日 【駅新設】越後岩塚
1945年10月30日 【仮信号所新設】安茂里
1946年11月27日 【仮信号所廃止】安茂里
1947年10月1日 【電化】(石打~)宮内~長岡
1949年5月28日 【信号場→駅】田上、古津
1949年8月1日 【信号場→駅】保内
1951年3月1日? 【仮乗降場新設】上下浜、笠島
1951年4月5日 【貨物支線開業】亀田~万代 【駅新設】(貨)万代  
1951年7月20日 【駅名改称】城岡→北長岡
1952年1月10日 【信号場→駅】平原
1952年7月1日 【仮乗降場→駅】笠島
1952年7月25日 【仮乗降場→駅】上下浜
1953年7月1日 【信号場→駅】東光寺
1953年12月15日 【信号場→駅】長鳥
1955年7月15日 【駅新設】北新井
1956年4月10日 【駅名改称】沓掛→中軽井沢、北塩尻→西上田
1957年4月1日 【駅名改称】吉田→北長野
1957年10月1日 【貨物支線開業】亀田~大形(実際の分岐は石山信号場) 【信号場新設】石山 【操車場→信号場】上沼垂
1958年1月8日 【駅新設】三才
1958年4月29日 新潟付近を現在のルートに変更。現在地に新潟駅が開業。 【一般駅→貨物駅】新潟港 【複線化】上沼垂(信号場)~新潟(新)
1958年9月29日 【複線化】亀田~上沼垂(信号場)
1959年9月1日 【貨物支線廃止】直江津~直江津港【駅廃止】(貨)直江津港
1960年3月10日 【複線化】新津~亀田
1960年3月15日 【駅新設】土底浜
1960年11月1日 【信号場→駅・改称】石山→越後石山
1961年3月20日 【駅名改称】鉢崎→米山
1961年12月10日 【駅新設】南高田
1962年?月?日 【信号場新設】中宿
1962年5月20日 【電化】長岡~新潟、越後石山~新潟操車場
1962年7月15日 【電化】高崎~横川
1962年8月28日 【複線化】保内~加茂
1962年8月31日 【複線化】東三条~保内
1963年?月?日 【信号場廃止】中宿
1963年6月21日 【電化】軽井沢~長野
1963年7月15日 横川~軽井沢(直流1500V)粘着運転開始
1963年9月25日 【複線化】帯織~東光寺
1963年9月28日 【複線化】東光寺~三条
1963年9月29日 【信号場新設】茨目、前川
1963年9月30日 横川~軽井沢 アプト式廃止
1964年6月29日 【信号場新設】竹鼻
1964年8月15日 【信号場→駅】前川
1964年9月26日 【信号場新設】西塚山 【複線化】西塚山(信号場)~塚山
1964年10月1日 【電化】上沼垂信号場~沼垂
1964年12月8日 【信号場→駅】茨目
1965年4月1日 【駅新設】西松井田
1965年6月29日 【複線化】松井田~横川
1965年8月20日 【駅廃止】(貨)万代
1965年8月30日 【複線化】三条~東三条
1965年9月21日 【複線化】磯部~松井田
1965年9月27日 【複線化】安中~磯部
1966年1月10日 【駅新設】(貨)南長岡
1966年2月1日 【駅→信号場】熊ノ平
1966年7月2日 【信号場廃止】丸山、矢ヶ崎、【複線化】丸山(信号場)~矢ヶ崎(信号場)
1966年8月24日 【電化】長野~直江津
1967年4月25日 【複線化】群馬八幡~安中
1967年5月10日 【信号場→駅】(貨)上沼垂
1967年6月19日 【複線化】笠島~青海川
1967年7月18日 【複線化】軽井沢~中軽井沢
1967年8月29日 【信号場廃止】西塚山 【複線化】長鳥~西塚山(信号場)
1967年9月28日 【複線化】北高崎~群馬八幡
1968年8月6日 【複線化】黒井~犀潟
1968年8月20日 【複線化】中軽井沢~信濃追分
1968年9月5日 【複線化】高崎~北高崎
1968年9月6日 【複線化】御代田~平原
1968年9月10日 【複線化】信濃追分~御代田
1968年9月11日 【複線化】米山~笠島
1968年9月12日 【複線化】西上田~坂城
1968年9月19日 【複線化】小諸~滋野
1968年9月24日 【複線化】越後広田~長鳥
1968年9月26日 【複線化】犀潟~潟町
1968年9月28日 【複線化】塚山~越後岩塚
1968年10月1日 【駅名改称】柏原→黒姫
1969年7月17日 【複線化】鯨波~柏崎
1969年7月25日 【複線化】青海川~鯨波
1969年7月30日 【複線化】前川~宮内
1969年8月1日 【複線化】越後岩塚~来迎寺
1969年8月24日 【電化】直江津~宮内
1969年9月25日 【複線化】上田~西上田
1969年10月1日 【駅名改称】田口→妙高高原
1970年7月24日 【複線化】田中~大屋
1970年9月10日 【複線化】来迎寺~前川
1970年9月18日 【複線化】滋野~田中
1970年9月27日 【複線化】坂城~戸倉
1971年11月30日 【複線化】上下浜~柿崎
1972年5月26日 【複線化】北条~越後広田
1972年8月30日 【複線化】潟町~上下浜
1972年9月6日 【複線化】柏崎~茨目
1972年9月19日 【複線化】安田~北条
1972年9月25日 【信号場廃止】竹鼻
1972年9月30日 【複線化】大屋~上田
1973年8月28日 【複線化】茨目~安田
1973年9月18日 【複線化】直江津~黒井
1973年9月25日 【複線化】柿崎~米山
1973年9月28日 【複線化】長野~北長野
1973年10月25日 【複線化】平原~小諸
1978年9月26日 【複線化】屋代~篠ノ井
1980年9月17日 【複線化】黒姫~妙高高原
1982年6月29日 【複線化】戸倉~屋代
1985年3月5日 【操車場廃止】長岡(南長岡に併合)
1985年3月14日 【駅新設】安茂里
1986年10月20日 【廃止】沼垂~新潟港(-1.4km)【駅廃止】(貨)新潟港
1986年11月1日 【駅→信号場】上沼垂
1987年4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種)・日本貨物鉄道(第1種・第2種) 【貨物営業廃止】安中~田中(-62.0km)、上沼垂信号場~新潟(-1.8km)
1991年3月16日 【駅新設】さつき野
1997年10月1日 長野新幹線開業 【駅新設】今井 【駅の所属変更】軽井沢、上田(→北陸新幹線)・小諸(→小海線) 【路線廃止】横川~軽井沢(-11.2km) 【信号場廃止】熊ノ平 【第一種鉄道事業廃止・移管】軽井沢~篠ノ井(-65.6km)(→しなの鉄道線) 【駅廃止・移管】中軽井沢、信濃追分、御代田、平原、滋野、田中、大屋、西上田、坂城、戸倉、屋代
1998年4月1日 【休止】(貨)焼島~(貨)東新潟港

優等列車の沿革
下記各項目に分散して記述

概ね対東京方面との連絡輸送 - あさま
概ね対新潟方面との連絡輸送 - くびき野
日本海縦断列車系統 - 日本海・きたぐに・白鳥

駅一覧
高崎駅~横川駅
高崎駅 - 北高崎駅 - 群馬八幡駅 - 安中駅 - 磯部駅 - 松井田駅 - 西松井田駅 - 横川駅


篠ノ井駅~新潟駅
篠ノ井駅 - 今井駅 - 川中島駅 - 安茂里駅 - 長野駅 - 北長野駅 - 三才駅 - 豊野駅 - 牟礼駅 - 古間駅 - 黒姫駅 - 妙高高原駅 - 関山駅 - 二本木駅 - 新井駅 - 北新井駅 - 脇野田駅 - 南高田駅 - 高田駅 - 春日山駅 - 直江津駅 - 黒井駅 - 犀潟駅 - 土底浜駅 - 潟町駅 - 上下浜駅 - 柿崎駅 - 米山駅 - 笠島駅 - 青海川駅 - 鯨波駅 - 柏崎駅 - 茨目駅 - 安田駅 - 北条駅 - 越後広田駅 - 長鳥駅 - 塚山駅 - 越後岩塚駅 - 来迎寺駅 - 前川駅 - 宮内駅 - (貨)南長岡駅 - 長岡駅 - 北長岡駅 - 押切駅 - 見附駅 - 帯織駅 - 東光寺駅 - 三条駅 - 東三条駅 - 保内駅 - 加茂駅 - 羽生田駅 - 田上駅 - 矢代田駅 - 古津駅 - 新津駅 - さつき野駅 - 荻川駅 - 亀田駅 - 越後石山駅 - 上沼垂信号場 - 新潟駅


貨物支線
越後石山駅 - (貨)新潟貨物ターミナル駅

上沼垂信号場 - (貨)沼垂駅

上沼垂信号場 - (貨)焼島駅 - (貨)東新潟港駅


廃止区間

横川駅~軽井沢駅
横川駅 - 熊ノ平信号場 - 軽井沢駅


経営移管区間

軽井沢駅~篠ノ井駅(しなの鉄道)
軽井沢駅 - 中軽井沢駅 - 信濃追分駅 - 御代田駅 - 平原駅 - 小諸駅 - 滋野駅 - 田中駅 - 大屋駅 - (信濃国分寺駅) - 上田駅 - 西上田駅 - (テクノさかき駅) - 坂城駅 - 戸倉駅 - 屋代駅 - (屋代高校前駅) - 篠ノ井駅

※駅名は移管直前のもの。()内は移管後の新設駅。この区間の現状の詳細についてはしなの鉄道線を参照。


接続路線高崎駅:上越新幹線・長野新幹線・高崎線・上越線・上信電鉄上信線
篠ノ井駅:篠ノ井線・しなの鉄道線
長野駅:長野新幹線・長野電鉄長野線
豊野駅:飯山線
直江津駅:北陸本線
犀潟駅:北越急行ほくほく線
柏崎駅:越後線
宮内駅:上越線
長岡駅:上越新幹線
東三条駅:弥彦線
新津駅:羽越本線・磐越西線
新潟駅:上越新幹線・白新線・越後線

過去の接続路線
軽井沢駅:草軽電気鉄道(新軽井沢駅) - 1960年4月25日部分廃止
小諸駅:布引電気鉄道 - 1934年6月18日休止の後1936年10月28日廃止
大屋駅:上田丸子電鉄丸子線 - 1969年4月16日廃止
上田駅:上田交通真田傍陽線 - 1972年4月20日廃止
上田駅:上田温泉電気軌道青木線 - 1938年7月25日廃止
長野駅:善光寺白馬電鉄(南長野駅)・南長野-裾花口間 - 1944年1月10日休止の後1969年7月9日廃止
黒井駅:頸城鉄道線(新黒井駅) - 1968年10月1日廃止
来迎寺駅:魚沼線 - 1984年4月1日廃止、越後交通長岡線 - 1995年3月31日全線廃止
長岡駅:越後交通栃尾線 - 1975年3月31日全線廃止
東三条駅:弥彦線・東三条~越後長沢間 - 1985年4月1日部分廃止
加茂駅:蒲原鉄道・加茂~村松間 - 1985年3月31日部分廃止

関連項目東日本旅客鉄道
しなの鉄道
長野新幹線
北越急行
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道
碓氷峠
39
 楼主| 发表于 2007-1-7 17:55 | 只看该作者
川崎市電 Encyclopedia

   


川崎市電(かわさきしでん)は、川崎市交通局が運営していた路面電車である。

目次
1 概要
2 沿革
3 車両
4 特徴のあった区間
5 車庫
6 駅一覧
7 関連項目




概要
市電川崎-塩浜間6.7km。軌間1435㎜。電化方式は直流600V。全線現在の川崎区内を走り、かつ日本鋼管前(現在のJFE前)以遠は臨港地区の工場地帯を走るため、朝夕のラッシュ時以外は閑散としたローカル線であった。太平洋戦争末期、工場労働者の足として急遽突貫工事で建設されたが、戦後は既に川崎区内に路線網を張り巡らせていた臨港バスと戦後発足した川崎市バスによる路線競争に対して取り残された存在となり、経営合理化のため廃止された。


沿革
1944年10月14日 川崎駅前-渡田五丁目間開業。川崎市運輸事務所が運営を担当
1945年4月11日 渡田五丁目-浜町三丁目間延長。
1945年12月6日 浜町三丁目-桜本間延長。東急大師線(現在の京急大師線)と連絡する。
1946年8月16日 川崎駅前-市電川崎間延長。
1947年7月8日 川崎市運輸事務所、川崎市交通部に改称。
1949年7月16日 日本鋼管前以遠を三線軌条として、夜間に国鉄の貨物列車を乗り入れて運行。
1952年1月1日 京浜急行電鉄より大師線桜本-塩浜間を買収。
1959年8月11日 川崎市交通部は川崎市交通局に昇格。
1962年 市電川崎(旧小美屋前)-川崎駅前(さいか屋前)間、川崎駅前交通緩和のため廃止。
1967年6月1日 池上新田-塩浜間廃止。浜町三丁目-池上新田間を単線化し、三線軌条を取り止め。 
1969年4月1日 川崎駅前-池上新田間廃止。

車両
700形 桜川公園に保存

特徴のあった区間
国鉄貨物線共用区間 日本鋼管前-塩浜間。もともと専用軌道で、それまで日本鋼管専用線を代用していた国鉄貨物列車を運行するために、京浜急行電鉄と共に三線軌条を設置して対応した。川崎市には国鉄から施設利用収入が入った。1967年国鉄塩浜操車場の建設に伴い、池上新田-塩浜間を撤去し、残存区間を単線化。片側軌道敷を国鉄に譲渡し、もう片側の軌道のみで運行。桜橋電停にてタブレットによる交換を行った。

車庫
渡田車庫 (成就院前)

駅一覧
市電川崎駅 - 川崎駅前駅 - 商工中金前駅 - 第一国道駅 - 渡田新町駅 - 渡田三丁目駅 - 成就院前駅 - 小田栄町駅 - 昭和電線前駅 - 東渡田三丁目駅 - 日本鋼管前駅 - 浜町三丁目駅 - 浜町四丁目駅 - 桜橋駅 - 桜本駅 - 池上新田駅 - 日本鋼管池上正門前駅 - 入江崎駅 - 汐留橋駅 - 塩浜駅

※通常、路面電車は「駅」(「停車場」)では無く「停留所」「電停」と呼ぶが、ここでは便宜上「駅」を使用する。





関連項目
京浜急行電鉄大師線 戦時下、川崎臨海部の鉄軌道建設を東急と競合。結局川崎市側は桜本までを建設することとなり、東急と競争して敷設。戦後、川崎市は大師線を買収する事による市内一周運転を企て、大東急分離後の京急と折衝。しかし、京急は不採算路線と化した末端部の桜本-塩浜間だけを譲渡するだけにとどめ、同社発祥路線の京浜川崎(現・京急川崎)-塩浜間を譲らず、遂に市電による一周運転は実現しなかった。
市電通り 幸区幸警察署前-川崎区JFE前間の道路の通称。その名の通り、1969年まで小川町からJFE前まで道路中央に市電が走っていた。廃止後かなりの年月が経った2005年現在もこの呼称が通用する。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 17:56 | 只看该作者
川俣線 Encyclopedia

   


川俣線(かわまたせん)は、福島県福島市の松川駅から福島県伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。
赤字83線廃止の取組みの一環として1972年に廃止され、国鉄バスに切り替わったが、JRバス路線も2005年3月31日で廃止され、現在は地元事業者による代替運行が行われている。



路線データ
(廃止時)管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):松川~岩代川俣 12.2km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)

歴史
1926年3月1日 【開業】松川~岩代川俣(12.2km) 【駅新設】岩代飯野、岩代川俣
1934年11月1日 【駅新設】岩代大久保
1941年8月10日 【駅廃止】岩代大久保
1943年9月1日 【休止】全線(-12.2km) 【駅休止】岩代飯野、岩代川俣
1946年4月20日 【営業再開】松川~岩代飯野(6.3km) 【駅営業再開】岩代飯野
1946年7月1日 【営業再開】岩代飯野~岩代川俣(5.9km) 【駅営業再開】岩代川俣
1972年5月13日 【廃止】全線(-12.2km)

駅一覧
松川駅 - 岩代飯野駅 - 岩代大久保駅 - 岩代川俣駅
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:00 | 只看该作者
かつて存在した路面電車路線 Categories
三重交通神都線  南海大浜支線  南海平野線
大阪市電阪堺線  伊豆箱根鉄道軌道線  名鉄岡崎市内線
名鉄岐阜市内線  名鉄揖斐線  名鉄田神線
名鉄美濃町線  名鉄鏡島線  名鉄高富線
名鉄谷汲線  名鉄豊川線  名鉄起線
北陸鉄道金沢市内軌道線  土佐電気鉄道新地線  旭川電気軌道東川線
旭川電気軌道東旭川線  桑名電軌  東武日光軌道線
東急玉川線  沖縄電気  松本電気鉄道浅間線
阪急北野線  阪神国道線  阪神北大阪線
西鉄大牟田市内線  西鉄北九州線  西鉄福岡市内線
都電杉並線  茨城交通水浜線  静岡鉄道清水市内線
静岡鉄道秋葉線  静岡鉄道静岡市内線
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:02 | 只看该作者
南海平野線 Encyclopedia

   


平野線(ひらのせん)は、大阪府大阪市西成区の今池駅から同市平野区の平野駅までを結んでいた南海電気鉄道の軌道路線。南海電気鉄道では、この平野線と、現在、阪堺電気軌道(南海電気鉄道の100%子会社)となった上町線、阪堺線を合わせた3路線を「大阪軌道線」と称していた。平野線は1980年11月27日に阿倍野~西平野間の路線に並行して大阪市営地下鉄谷町線が開通したため廃止された。

南海貴志川線交通センター前駅前に、平野線で走っていたモ217が静態保存されている。


平野線モ217
目次
1 路線データ
2 運行形態
2.1 電車の方向幕
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 大阪市営地下鉄谷町線の南海平野線の代替駅
7 エピソード
7.1 南海電気鉄道平野線の忘れ形見
7.2 文ノ里駅跡の記念碑
7.3 南海電気鉄道平野線の悲劇
7.4 最終営業日




路線データ
路線距離(営業キロ):今池~平野間 5.9km
軌間:1435mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:

運行形態
恵美須町~今池(阪堺線)~平野、天王寺駅前~阿倍野(上町線)阿倍野~平野の2系統が運行されていた。

方向幕のない車両(モ205形、モ151形)は、阪堺線直通が白地に黒文字(恵美須町・平野)、上町線直通が青地に白文字(天王寺駅前・平野)のサボを掲出していた。

阪堺線の今池駅と平野線の今池駅とは同一駅扱いで場所も同じであったが、上町線の阿倍野駅と平野線の阿倍野駅とは同一駅扱いでも、違う場所にあった(上町線の住吉駅と阪堺線の住吉駅と同じ)。


電車の方向幕
南海時代からの旧型車(モ161形、モ351形、モ501形)の古いタイプ

番号:表  示 1 :住  吉 2 :住吉公園 3 :天王寺駅前 4 :あびこ道 5 :あびこ道(赤字) 6 :浜寺駅前 7 :えびす町 8 :平  野→新しいタイプに更新されたものは、「貸  切」(赤字)になっている。 9 :東  湊 10 :天神の森 11 :臨  時(赤字) 12 :試 運 転(赤字)

歴史
平野線は1913年2月に設立された阪南電気軌道が計画した路線で、同年5月に阪堺電気軌道(旧)が阪南電気軌道を合併し、翌1914年に開業したものである。阪堺電気軌道は1915年に南海鉄道に合併し同社の平野線となった。戦前、平野からさらに八尾までの延伸を計画し、認可を受けたものの、戦争に突入し実現しなかった(この時に得た平野~八尾間の路線延伸の特許は、戦後南海電気鉄道から大阪市交通局に譲渡され、その特許で大阪市交通局は地下鉄谷町線を天王寺から八尾南まで延伸している)。

1914年4月26日 阪堺電気軌道(旧)により今池~平野間が開業。
1915年6月21日 南海鉄道に合併。
1944年6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
1947年6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
1980年11月27日 平野線「さよなら電車」を運行。平野線全線で終日無料運行が行われた。
1980年11月28日 大阪市営地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間延伸完成に伴い、廃止。
平野線廃止の3日後の12月1日に、南海電気鉄道の大阪軌道線(阪堺線・上町線)は分社化され阪堺電気軌道となった。


駅一覧
今池駅 - 飛田駅 - 阿倍野駅 - 苗代田駅 - 文ノ里駅 - 股ヶ池駅(ももがいけえき) - 田辺駅 - 駒川町駅 - 中野駅 - 西平野駅 - 平野駅


接続路線
社名は廃止当時のもの

今池駅:南海阪堺線・南海天王寺支線(今池町駅)
阿倍野駅:南海上町線

大阪市営地下鉄谷町線の南海平野線の代替駅平野線  谷町線
阿倍野駅 →阿倍野駅(上町線・阿倍野駅の真下)
文ノ里駅 →文の里駅(数百メートルほど距離はあるが、地下鉄出入り口で苗代田駅も代替?)
田辺駅 →田辺駅
駒川町駅・中野駅 →駒川中野駅(駒川町・中野両駅のほぼ中間にあり、両駅を代替)
西平野駅 →平野駅

エピソード
南海電気鉄道平野線の忘れ形見
大阪市東住吉区針中野2丁目に石の道標が立っている。刻まれている文字は、「はちみち」と「でんしゃのりば」。前者は江戸・元禄時代から今も続き、「針中野」の地名の由来ともなった「中野鍼」を指す。一方、後者の「でんしゃのりば」は、道標の建立日が大正3年4月とある事から、この月に開通した南海電気鉄道平野線の中野駅である事は明らかである(この近くを走る近畿日本鉄道南大阪線の針中野駅が開業したのは、この後の事)。奇特な建立者の名前は、「新吉」とあり、当時の町の人が建立したものではないかといわれている。


文ノ里駅跡の記念碑
現在の阪神高速道路14号松原線の高架下、そして大阪市営地下鉄谷町線文の里駅の出入り口付近にあった南海電気鉄道平野線の文ノ里駅跡の前に南海電気鉄道平野線の歴史や各駅の沿革を記した記念碑が建っている。これは、南海電気鉄道平野線の廃止後、地元の文ノ里商店連合会から南海電気鉄道に、長年親しんできた文ノ里駅の跡を偲ぶモニュメントをとの要望があったものが実現したもので、駅名板を模したものに、以下のように書かれている。

 南海平野線と文ノ里停留場
 南海平野線は南海電鉄が経営する軌道線の1つとして今池から平野までの5.9キロを昭和55年11月27日まで運転していました。
 平野線は、当初阪南電気軌道が西成郡今宮村から東成郡平野郷町までの間に軌道敷設を計画、大正2年阪堺電気軌道が同社を合併し、翌年4月26日に今池-平野間の運転を開始しました。
 その後、大正4年6月21日南海鉄道と合併して南海平野線となり、発展する沿線利用旅客の激増に対応し、昭和4年天王寺駅前-平野間直通運転を実施しました。
 文ノ里駅は大正12年に作られ、戦後の最盛時にはおよそ1万1千人の旅客が乗降し、出札駅舎も設けられていました。
 戦後は大阪市バスの路線増設をはじめ、自動車の普及と地下鉄線の新設により利用旅客は年々減少の一途をたどりました。
 昭和48年3月、地下鉄谷町線天王寺-八尾南間の延伸工事が開始され、約7年8ヶ月経った昭和55年11月27日、同線の運転開始と同時に平野線は66年間の続いた旅客営業を廃止しその歴史に幕を閉じました。
 昭和55年12月
        南海電気鉄道

南海電気鉄道平野線の悲劇
当初、大阪市営地下鉄谷町線の天王寺以南の延伸ルートは、天王寺から南海電気鉄道上町線が走るあべの筋を真っ直ぐ南へ直進し、南港通と交差する播磨町交差点で東へ折れて平野・八尾方面へ行き、あべの筋の交通渋滞が激しい区間を走る南海電気鉄道上町線の天王寺駅前~松虫間を廃止して、松虫で地下鉄連絡とする予定だったが、富裕層が多く住む大阪の芦屋と言われる帝塚山の住民が反対した為、これが白紙撤回され、阿倍野交差点で東へ折れ南海電気鉄道平野線の阿倍野~西平野間と重複する形で延伸される事になり、廃止されるはずのなかった南海電気鉄道平野線が廃止になったということである(大阪市営地下鉄の中で、広い道路も無い完全な住宅地の中を走っているのは、南海電気鉄道平野線の代替区間とも言える谷町線の阿倍野~平野間だけである)。

因みに、南海電気鉄道上町線の天王寺駅前~松虫間の地下化計画では、大阪市営地下鉄谷町線の阿倍野駅が南海電気鉄道上町線の真下に作られることになっていた。


最終営業日
何回乗っても南海電車と親しまれた南海平野線は、最終営業日に何回乗っても無料という世界一のサービスで慣れ親しんだ我道を精一杯の衣装を纏って走った。

鉄道友の会主催のお別れ会に、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門丈(先代?)や衆議院議員の中馬弘毅(父親の中馬馨が元大阪市長で、当時、南海電気鉄道平野線沿線地域の大阪市西成区・阿倍野区・東住吉区・平野区が選挙区だった)らの著名人が数多く出席したとのことである。



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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:03 | 只看该作者
大阪市電阪堺線 Encyclopedia

   


大阪市電阪堺線(おおさかしでんはんかいせん)は、かつて大阪市の芦原橋から堺市の出島までを結んでいた大阪市電の路線である。1968年に廃止となった。正式名称は阪堺線だが、当路線にある三宝車庫にちなみ三宝線(さんぼうせん)と呼ばれることが多く、阪堺電気軌道阪堺線と区別されていた。

前身は私鉄の阪堺電鉄の路線で芦原橋から堺市の浜寺までを結んでいた。阪堺電気軌道よりも、後にできたため、阪堺電鉄より新阪堺と呼ばれる事が多い。阪堺電鉄の初代の本社は、現在の大阪市西成区津守にあったという。1944年に大阪市に買収され、大阪市電の路線の一つとなった。

なお市電阪堺線(三宝線)廃止後は、2005年現在代替路線として大阪市営バス29号系統(なんば~芦原橋駅前~地下鉄住之江公園)、29A号系統(地下鉄住之江公園~三宝~出島)、29B号系統(地下鉄住之江公園~三宝)が運行されている。ルート全てではないが、西成西ループの赤バスも当路線の一部を通っている。

目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 関連項目




路線データ
路線距離(営業キロ):芦原橋~浜寺間 13.8km
軌間:1435mm
駅数:18駅(新阪堺時代は26。起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線(直流600V)

概要
社史を作る前に公営化されてしまったため、詳しいことは地元の人間でもわからなくなってしまっている。(但し、一部の決算書類などは散見されることがある)
浜寺停留所は、浜寺公園の北の端あたりにあったようだ。

運行形態新阪堺時代は、自社路線内の芦原橋~浜寺間の運行のみであった。大阪市電移管後は、始発地を移し、29系統として桜川二丁目~芦原橋~湊ノ浜(1945年からは出島)間の運行となった。1952年からは福島西通~三宝車庫前間の30系統、1957年からは上本町六丁目~三宝車庫前間の31系統が新設されている。


歴史
1923年6月2日 阪堺電鉄設立。
1927年10月1日 芦原橋~三宝車庫前間が開業。
1929年4月3日 三宝車庫前~竜神通間が開業。
1934年7月10日 竜神通~湊ノ浜間が開業。
1935年6月1日 湊ノ浜~浜寺間が開業。
1944年4月1日 全線を大阪市に売却。大阪市電阪堺線(三宝線)となる。湊ノ浜~浜寺間 を休止。
1945年3月14日 出島~湊ノ浜間を休止。
1945年8月15日 休止していた出島~浜寺間を廃止。
1968年10月1日 芦原橋~出島間廃止。




駅一覧
名称は1959年頃のもの。()内は新阪堺時代の名称(1940年頃)。*印は市電移管までに廃止。

芦原橋駅 - 栄町駅(西浜南通駅) - 十三間堀川駅* - 北津守駅(津守新道駅) - 鶴見橋通駅 - 津守神社前駅 - 宝橋通駅 - 南津守駅(天津橋通駅) - 北加賀屋町駅 - 住吉川駅 - 住の江公園前駅(住之江公園駅) - 南加賀屋町駅 - 大和川尻駅* - 松屋駅 - 浅香山通駅 - 三宝車庫前駅 - 北公園前駅 - 堅川駅* - 大浜北町駅(竜神通駅) - 大浜南町駅(大浜駅) - 出島駅 - 湊ノ浜駅 - 下石津駅* - 石津川橋駅* - 諏訪ノ浜駅* - 浜寺駅*





関連項目
大阪府道29号大阪臨海線
かつてこの道路上を電車が通っていたこともあり、廃線となってかなり経った現在でも「電車道」と呼ばれることがある。南海高野線(汐見橋線)をオーバークロスする鶴見跨線橋(架橋するときに南海と大もめにもめたという逸話が残っている)には、この路線の架線柱の痕跡が残っている。
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:04 | 只看该作者
名鉄岡崎市内線 Encyclopedia

   


岡崎市内線(おかざきしないせん)とは、愛知県岡崎市内の岡崎駅前と岡崎井田を結んでいた名古屋鉄道の路面電車。便宜的には名鉄福岡線の福岡町・岡崎駅前間および名鉄挙母線の岡崎井田・大樹寺間を含む、福岡町・大樹寺間を指す。

当初は馬車鉄道として、1898年に岡崎停車場(現在の岡崎駅)・殿橋(バス停の位置ではなく橋の南側)間が開業。順次延伸し、1924年には路面電車として岡崎駅前・大樹寺間が全通した。1951年には福岡町・岡崎駅前間を延伸したが、モータリゼーションの流れに押され、1962年に全線が廃止された。現在、新設軌道であった福岡町・岡崎駅前間の廃線跡は名鉄バスのバス専用道路に、また大樹寺駅跡は同社のバスターミナルとなっている。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
※路線廃止時点のもの。

路線距離:8.8km
福岡線:福岡町~岡崎駅前間 2.5km(地方鉄道法による鉄道線)
岡崎市内線:岡崎駅前~岡崎井田間 5.8km(軌道法による軌道線)
挙母線:岡崎井田~大樹寺間 0.5km(地方鉄道法による鉄道線)
軌間:1067mm
複線区間:岡崎駅前~康生町間(岡崎市内線)
電化区間:全線(直流600V)




歴史
1898年(明治31年)2月 国鉄岡崎駅と岡崎の市街地が離れていたのを結ぼうと馬車鉄道の敷設計画が出され、この月に「岡崎馬車鉃道」を創立。
1899年(明治32年)1月1日 岡崎停車場(後、岡崎駅前)~明大寺間開業。軌間762mmの単線軌道。
1907年(明治40年)6月22日 康生町まで延伸。
1911年(明治44年)10月 電気鉄道への脱皮を計画し、社名を「岡崎電気鉄道」と改称。
1912年(大正元年)9月1日 電気鉄道の運転開始。同時に1067mm軌間へ改軌。
1922年(大正11年) 岡崎停車場~殿橋(後、岡崎殿橋)間複線化。
1923年(大正12年)9月8日 康生町~岡崎井田間延伸。
1927年(昭和2年)4月16日 三河鉄道に合併。
1934年(昭和9年) 岡崎線(後の挙母線)上挙母から岡崎駅前まで直通ガソリンカーの運転開始。
1941年(昭和16年)6月1日 三河鉄道、名古屋鉄道に合併。同じ頃、ガソリン統制から直通ガソリンカーの運転を休止。
1945年(昭和20年)7月20日 空襲により、全電車11両の内6両を焼失。
1951年(昭和26年)12月1日 戦時中に不要不急路線として休止になっていた旧西尾線岡崎新~西尾間の内、岡崎駅前~福岡町間を岡崎市内線と直通運転する福岡線として復活。
1954年(昭和29年) 殿橋~康生町間複線化。
1962年(昭和37年)6月17日 バスに転換する形で福岡町~大樹寺間廃止。

駅一覧
大樹寺駅 - 岡崎井田駅 - 伊賀町駅 - 八幡社駅 - 神明社駅 - 能見町駅 - 本町駅 - 康生町駅 - 岡崎殿橋駅 - 東岡崎駅前駅 - 大学下駅 - 芦池橋駅 - (新田橋駅) - 車庫前駅 - (日清分工場前駅) - (戸崎駅) - 戸崎町駅 - 戸崎口駅 - (地蔵堂駅) - 北羽根駅 - 岡崎駅前駅 - 柱町駅 - 東若松駅 - 西若松駅 - 福岡町駅

括弧付けは路線廃止前に廃駅。
大樹寺駅~岡崎井田駅間は挙母線、岡崎駅前駅~福岡町駅間は福岡線であるが、岡崎市内線の電車が直通運転した。

接続路線
大樹寺駅:名鉄挙母線
東岡崎駅
前駅:名鉄名古屋本線
岡崎駅前駅:国鉄東海道本線(戦前は西尾鉄道西尾線も接続)

関連項目
廃線
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 楼主| 发表于 2007-1-7 18:06 | 只看该作者
伊豆箱根鉄道軌道線 Encyclopedia

   


軌道線(きどうせん)は、静岡県沼津市の沼津駅前から三島市の三島町駅(現、三島田町駅)の間を結んでいた伊豆箱根鉄道の軌道路線(路面電車)である。

目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目




路線データ
1961年6月時点

路線距離:5.9km
軌間:1067mm
停留所数(両端駅含む):18
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)

歴史
1896年(明治29年)5月3日 駿豆電気を軌道敷設のため設立。
1906年(明治39年)11月1日 社名を駿豆電気鉄道と変更。
1906年(明治39年)11月28日 沼津駅前~三島市六反田(現、三島広小路)間開業。
1908年(明治41年) 三島市六反田~三島町間開業。
1912年(明治45年)4月1日 現在の駿豆線を経営していた伊豆鉄道を合併。
1915年(大正4年)1月18日 旧伊豆鉄道線と重複する三島広小路~三島町間を廃止。
1919年(大正8年)5月25日 旧伊豆鉄道線三島~三島町間電化に伴い、三島町駅までの乗り入れを開始。
1949年(昭和24年)4月1日 三島町駅までの乗り入れを廃止。
1961年(昭和36年)6月28日 木瀬川にかかる橋梁が洪水で流失し、国立病院前~沼津駅前をバス代行輸送とする。
1963年(昭和38年)2月5日 全線をバス輸送に転換して廃止。

駅一覧
括弧付けは1961年6月時点で廃駅

(三島町) - (久保町) - 三島広小路 - 木町 - 千貫通 - 伏見 - 玉井寺前 - 八幡 - 長沢 - 国立病院前 - 臼井産業前 - 黄瀬川橋 - 黄瀬川 - 石田 - 麻糸前 - 山王前 - 平町 - 三枚橋 - 志多町 - 追手町(旧・大手町) - 沼津駅前


接続路線
1961年6月時点

三島広小路駅:伊豆箱根鉄道駿豆線
沼津駅:東海道本線・御殿場線

関連項目
廃線
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