日本国有鉄道 Categories
富内線 中安楽駅 中舞鶴線
世知原線 下小原駅 下河原線
三保駅 三国線 三文字駅
万字線 串良駅 志布志線
巴川口駅 川俣線 コンテナ
勝田線 国鉄101系電車 国鉄103系電車
国鉄105系電車 国鉄10系客車 国鉄110形蒸気機関車
国鉄113系電車 国鉄115系電車 国鉄117系電車
国鉄119系電車 国鉄121系電車 国鉄123系電車
国鉄12系客車 国鉄14系客車 国鉄150形蒸気機関車
国鉄153系電車 国鉄155系・159系電車 国鉄157系電車
国鉄165系電車 国鉄181系電車 国鉄183系電車
国鉄3900形蒸気機関車 国鉄42系電車 国鉄485系電車
国鉄489系電車 国鉄70系電車 国鉄713系電車
国鉄72系電車 国鉄80系電車 国鉄9600形蒸気機関車
国鉄キハ08系気動車 国鉄キハ10系気動車 国鉄キハ391系気動車
国鉄キハ44500形気動車 国鉄キハ55系気動車 国鉄キハ60系気動車
国鉄キハ65形気動車 国鉄動力車労働組合 国鉄分割民営化
国鉄ダイヤ改正 国鉄労働組合 国鉄戦後五大事故
国鉄B20形蒸気機関車 国鉄C10形蒸気機関車 国鉄C11形コンテナ
国鉄C35形コンテナ 国鉄C50形蒸気機関車 国鉄C51形蒸気機関車
国鉄C54形蒸気機関車 国鉄C55形蒸気機関車 国鉄C58形蒸気機関車
国鉄C59形蒸気機関車 国鉄C60形蒸気機関車 国鉄D62形蒸気機関車
国鉄DC11形ディーゼル機関車 国鉄DD11形ディーゼル機関車 国鉄DD13形ディーゼル機関車
国鉄DD14形ディーゼル機関車 国鉄DD16形ディーゼル機関車 国鉄DD17形ディーゼル機関車
国鉄DD51形ディーゼル機関車 国鉄DE10形ディーゼル機関車 国鉄EB10形電気機関車
国鉄ED25形電気機関車 国鉄ED26形電気機関車 国鉄ED75形電気機関車
国鉄ED76形電気機関車 国鉄ED79形電気機関車 国鉄EF61形電気機関車
国鉄EF62形電気機関車 国鉄EF64形電気機関車 国鉄EF65形電気機関車
国鉄EF66形電気機関車 国鉄EF67形電気機関車 国鉄EF71形電気機関車
国鉄EF81形電気機関車 国鉄EH10形電気機関車 仁堀連絡船
今町駅 宮之城線 宮原線
安楽駅 宇品線 宇高連絡船
室木線 うなづき (列車) 小松島線
小松島駅 妻線 大廻駅
大島連絡船 大隅川西駅 大隅大崎駅
大隅境駅 大隅二川駅 大隅松山駅
大隅線 大隅福山駅 大隅高山駅
大隅高須駅 大隅野里駅 大隅辺田駅
大隅麓駅 天塩駅 古江駅 (鹿児島県)
士幌線 倉吉線 幸福駅
幸袋線 佐賀線 伊崎田駅
岩川駅 岩内線 岩北駅
吾平駅 ダイヤ改正 広尾線
垂水駅 (鹿児島県) 根北線 清水埠頭駅
清水港線 清水港駅 渚滑線
新幹線1000形電車 新幹線911形ディーゼル機関車 新幹線951形電車
新城駅 (鹿児島県) 日中線 日本国有鉄道
日本国有鉄道清算事業団 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法 日本の電気式気動車
添田線 手宮線 才田駅
敷根駅 永野田駅 東串良駅
東京競馬場前駅 湧網線 漆生線
漆生駅 末吉駅 有馬線
折戸駅 柊原駅 柚木線
海潟温泉駅 浜平駅 細島線
篠山線 稚泊連絡船 直行 (列車)
相生線 熊ノ平駅 瀬棚線
羽幌駅 美幸線 白棚線
白糠線 矢部線 鴨生駅
魚沼線 関門連絡船 関釜連絡船
青函連絡船 荒平駅 鍛冶屋原線
高砂線 論地駅 諏訪駅 (鹿児島県)
鉄道公安職員 鉄道管理局 金剛寺駅
臼ノ浦線 興浜南線 興浜北線
舞鶴港線 菱田駅 香月線
通勤五方面作戦 鹿屋駅 胆振線
銅田駅 赤谷線
日本国有鉄道 Encyclopedia
日本国有鉄道(にほんこくゆうてつどう)は、日本にかつて存在した国有鉄道を運営していた特殊法人である。略称は国鉄(こくてつ)。英名はJNR (Japanese National Railways) 。
目次1 日本国有鉄道(略称:国鉄)
2 歴代の国鉄総裁
3 広義の「国鉄」
4 国有鉄道の組織・名称の変遷
5 関連項目
6 外部リンク
日本国有鉄道(略称:国鉄)太平洋戦争後、1947年(昭和22年)1月~4月には急行列車・二等車の全廃という最悪の事態を迎えた鉄道も、同年6月の改正を境に次第に復旧し始めていた。
しかしながらこの頃、国有鉄道の財政はインフレーションと復員兵・海外引揚者の雇用をさせられた関係などで極度に悪化しており、1948年(昭和23年)7月22日にはGHQのダグラス・マッカーサーから国の専売事業や国鉄などの政府事業を一般の国家公務員から除外し、事業運営を行うための公共企業体の設置を求める書簡が出された。それを受け、11月30日には「日本国有鉄道法」が国会を通過し、1949年(昭和24年)6月1日に「公共企業体日本国有鉄道」が発足する事になったのである。
国鉄は発足後、1960年代まで国内の旅客・貨物輸送の主力を担ってきたが、1970年代以降、自動車や航空機による輸送の増加とともに不採算路線が増加、さらに、労使関係の悪化もあり、莫大な累積赤字を抱える。赤字に転落したのは1964年(昭和39年)であった。
経営の改善をはかるため、1987年(昭和62年)4月1日に鉄道事業を株式会社(JRグループ)に引き継がせ、国鉄の債務処理は日本国有鉄道清算事業団に移行した。
国鉄の長期債務のうちおよそ6割は、日本国有鉄道清算事業団が引き継ぎ、用地やJR株式の売却益によって返済を図ることになった。しかし、巨額の債務(二十数兆円)に対する金利負担は重く、債務の縮小は果たせずに寧ろ増大した。返済不能となった債務の大部分は国の会計に引き継がれ、同事業団は1998年に解散。同事業団の業務の一部は日本鉄道建設公団(現・独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)内に設けられた国鉄清算事業本部が継承している。
民営化された今でも、一定年齢以上の人はそれまでの愛着かJRのことを「国鉄」と呼ぶことがある。
歴代の国鉄総裁下山定則(S24.6~24.9・同年7月に下山事件で死亡)
加賀山之雄(S24.9~S26.8・桜木町事故で引責辞任)
長崎惣之助(S26.8~S30.5・紫雲丸事故で引責辞任)
十河信二(S30.5~S38.5・東海道新幹線建設費問題で辞任)
石田禮助(S38.5~S44.5・高齢により引退)
磯崎叡(S44.5~S48.4・上尾事件で引責辞任)
藤井松太郎(S48.4~S51.3・違法ストに対する引責辞任)
高木文雄(S51.3~S58.12・国鉄再建に関して政府の圧力を受け辞任)
仁杉巌(S58.12~S60.6・国鉄分割民営化に関する政府との対立によって辞任)
杉浦喬也(S60.6~S62.3)
広義の「国鉄」
国鉄2万km標http://japaneseencyclopedia.com/ja/upload/thumb/0/0a/JNR_20000km_1.jpg/180px-JNR_20000km_1.jpg
皮肉にも現在では廃線区間内
可部線 坪野~田之尻
工部省鉄道局が、新橋駅(旧・汐留貨物駅) - 横浜駅(現・桜木町駅)間に日本最初の鉄道を敷設し、英国から輸入した製糖産業用タンク型蒸気機関車牽引の小型の二軸客車(俗に「マッチ箱」という)を走らせたのが始まり。現在でも旧国鉄線区の鉄道用地境界杭の頭部には、工部省の「工」の字が刻まれている。歴史的には「丘蒸気」の名で知れている。
この日本最初の鉄道の開業日は1872年(明治5年)10月14日とされているが、これに先立ち6月12日に品川駅 - 横浜駅(現・桜木町駅)間で仮開業している。
その後の運営組織としては、鉄道院・鉄道省・運輸通信省を経て前述のように、日本国有鉄道となる。
当初は東海道線等の建設を行なったが、政府の黎明期であり資金が集まらず、また他の亜細亜諸国の植民地化の惨状を勘案し外資の参入を阻んだこともあり、将来直通化が可能な規格を条件に私設鉄道に建設を委ねて、鉄道網を延伸した後に1906年(明治39年)鉄道国有法を公布し買収した。日本鉄道や山陽鉄道等がそれらの代表である(→同法によって買収された鉄道の全一覧は鉄道国有法を参照のこと)。
第二次大戦中には、私鉄と共に軍用の鉄鋼需要に対応するため、レールが撤去されたり、複線だったが単線化された路線も出た(不要不急線)。その中には、戦後も復旧されず断絶したものもあった。また1937年(昭和12年)に施行された「陸上交通統制法」により、再び私鉄の買収が行われた(→この時に買収された鉄道路線は私鉄の戦時買収を参照のこと)。
国有鉄道の組織・名称の変遷1870年4月19日(明治3年3月19日) 民部大蔵省 鉄道掛
1870年8月6日(明治3年7月10日) 民部省 鉄道掛
1870年12月12日(明治3年閏10月20日) 工部省 鉄道掛
1871年9月28日(明治4年8月14日) 工部省 鉄道寮
1877年1月11日 工部省 鉄道局
1885年12月22日 内閣 鉄道局
1890年9月6日 内務省 鉄道庁
1892年7月21日 逓信省 鉄道庁
1893年11月10日 逓信省 鉄道局
1897年8月18日 逓信省 鉄道作業局
1907年4月1日 逓信省 帝国鉄道庁
1908年12月5日 内閣 鉄道院
1920年5月15日 鉄道省
1943年11月1日 運輸通信省 鉄道総局
1945年5月19日 運輸省 鉄道総局
1949年6月1日 日本国有鉄道(公社化)
1987年4月1日 分割民営化(→北海道旅客鉄道、東日本旅客鉄道、東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道、四国旅客鉄道、九州旅客鉄道、日本貨物鉄道、鉄道通信、鉄道情報システム、新幹線鉄道保有機構、財団法人 鉄道総合技術研究所、日本国有鉄道清算事業団)
1989年5月1日 鉄道通信と日本テレコムが合併
1991年10月1日 新幹線鉄道保有機構解散(保有資産をJR3社に売却)
1998年10月22日 日本国有鉄道清算事業団廃止(日本鉄道建設公団国鉄清算事業本部に引継)
2003年10月1日 日本鉄道建設公団改組(独立行政法人 鉄道建設・運輸施設整備支援機構国鉄清算事業本部に引継)
関連項目鉄道の歴史 (日本)
日本国有鉄道改革法
国鉄清算事業団
国鉄分割民営化
国鉄労働組合
国鉄ダイヤ改正
国鉄戦後五大事故
国鉄スワローズ
JR
国鉄バス(JRバス)
鉄道管理局
マル生運動
通勤五方面作戦
東日本旅客鉄道 Categories
市川塩浜駅 市川大野駅 市川駅
市ケ谷駅 市城駅 一ノ関駅
上尾駅 兄畑駅 入広瀬駅
入谷駅 (神奈川県) 巖根駅 左沢駅
あつみ温泉駅 あきた白神駅 あおば通駅
いわて沼宮内駅 いわき駅 今市駅
今川駅 (新潟県) 今別駅 今井駅
今泉駅 姉ヶ崎駅 安中榛名駅
安中駅 安子ヶ島駅 安善駅
安比高原駅 安曇沓掛駅 安曇追分駅
安房勝山駅 安房小湊駅 安房天津駅
安房鴨川駅 安積永盛駅 安達駅
安食駅 安茂里駅 出雲崎駅
余目駅 伊勢崎駅 伊佐領駅
会津中川駅 会津塩沢駅 会津川口駅
会津坂下駅 会津坂本駅 会津宮下駅
会津大塩駅 会津横田駅 会津桧原駅
会津水沼駅 会津本郷駅 会津柳津駅
会津蒲生駅 会津若松駅 会津高田駅
会津越川駅 会津豊川駅 会津西方駅
伊東駅 伊豆多賀駅 岩宿駅
岩出山駅 岩切駅 岩島駅
岩ノ下駅 岩井駅 岩城みなと駅
岩原スキー場前駅 岩根橋駅 岩手上郷駅
岩手和井内駅 岩手刈屋駅 岩手大川駅
岩手二日町駅 岩手船越駅 岩手飯岡駅
岩沢駅 岩沼駅 岩泉駅
岩瀬駅 岩館駅 五十川駅
五十島駅 五日町駅 井川さくら駅
井関駅 井野駅 (群馬県) 厚木駅
昭島駅 明科駅 新屋駅 (秋田県)
新井駅 (新潟県) 新木駅 (千葉県) 旭駅 (千葉県)
板橋駅 板柳駅 板谷駅
愛子駅 愛宕駅 (宮城県) 我孫子駅 (千葉県)
池月駅 池袋駅 梓橋駅
潮来駅 油川駅 泉崎駅
泉田駅 泉駅 (福島県いわき市) 泉郷駅
有壁駅 有明駅 (長野県) 有戸駅
有畑駅 浅内駅 浅岸駅
浅草橋駅 浅野駅 浅虫温泉駅
稲尾駅 稲城長沼駅 稲毛海岸駅
稲毛駅 稲田堤駅 稲田駅
稲荷山駅 相原駅 相野々駅
秋川駅 秋田駅 秋葉原駅
網代駅 綾瀬駅 綾織駅
穴山駅 熱海駅 碇ヶ関駅
磯子駅 磯原駅 磯部駅 (群馬県)
磐城常葉駅 磐城塙駅 磐城守山駅
磐城太田駅 磐城棚倉駅 磐城浅川駅
磐城石川駅 磐城石井駅 粟生津駅
猪苗代湖畔駅 猪苗代駅 犬川駅
石巻駅 石川町駅 石川駅 (JR東日本)
石和温泉駅 石岡駅 石地駅
石橋駅 (栃木県) 石打駅 石神前駅
石越駅 石鳥谷駅 阿佐ケ谷駅
青堀駅 荒川沖駅 荒屋新町駅
青山駅 (新潟県) 青森信号場 青森駅
青沼駅 青柳駅 荒浜駅
青笹駅 荒谷前駅 軍畑駅
足利駅 足ヶ瀬駅 足滝駅
鰺ヶ沢駅 飯山駅 飯倉駅
飯岡駅 飯森駅 飯田橋駅
飯詰駅 茨目駅 芦沢駅
赤塚駅 赤川駅 赤坂田駅
赤倉温泉駅 赤岩駅 赤井駅
赤渕駅 赤湯駅 赤羽駅
JRダイヤ改正 JR東日本グループ
東日本旅客鉄道 Encyclopedia
JR東日本 京浜東北線 東京・有楽町付近東日本旅客鉄道株式会社(ひがしにほんりょかくてつどう、英称 East Japan Railway Company)は、1987年4月1日に、日本国有鉄道から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つ。東北地方・関東全域と・甲信越地方・静岡県の一部を営業区域とし、JRグループの中で最も企業規模が大きい。東証一部上場。略称はJR東日本(ジェイアールひがしにほん)。コーポレートカラーは緑色。代表取締役会長は松田昌士、代表取締役社長は大塚陸毅。
なお、東日本旅客鉄道の社名の「鉄」の字は“金を失う”と言う意味を避けるため、ロゴ文字では「金矢」(金偏に弓矢の矢、鉃)という字を採用しているが、正式商号は「鉄」である(四国以外のJR他社も同様)。→参考リンク(JR西日本))。
JR東日本 京浜東北線 東京・有楽町付近
目次1 概況
2 本社・支社等
2.1 自社発電設備
3 歴史
4 路線
4.1 新幹線
4.2 在来線
4.2.1 関東地方
4.2.2 東海・甲信越地方
4.2.3 東北地方
5 JR他社線との分界点
5.1 北海道旅客鉄道
5.2 東海旅客鉄道
5.3 西日本旅客鉄道
6 車両
7 社内乗車人員上位3位
8 取扱収入上位3位
9 系列会社
9.1 運送業
9.2 ホテル業・駅ビル関係
9.3 旅行・レジャー産業
9.4 飲食・販売業
9.5 広告代理業
9.6 スポーツ
9.7 その他
9.8 持分法適用関連会社
9.9 その他出資会社
10 関連項目
11 外部リンク
概況2005年現在の営業キロは計7526.8km。従業員数は約7万人。 一日の輸送人員は約1,600万人(2003年度実績)と、世界最大の鉄道事業者であるとともに、また世界有数の運輸企業でもある。最近は鉄道事業のみならず、ICカード乗車券「Suica」を媒介とした他業種との連携など、幅広い分野への進出が注目されている。
本業の鉄道事業では、首都圏におけるATS-Pの整備に代表されるように、安全システムへの積極的な投資への評価が高い。また、E231系の大量投入など、国鉄から継承した旧世代の車両を急ピッチで淘汰。省エネルギー化や快適輸送に貢献している。一方、発足後新造した近郊型車両の殆どにロングシートを採用するなど、JR他社に比べてサービス面で見劣りする感は否めない。通勤ラッシュ対策の必要な首都圏、首都圏ほどではないが朝夕のラッシュ時の混雑が激しい仙台都市圏はともかくとして、東北地方や新潟地区などでも1両当りの乗車人数を増やす為にロングシートが採用されており、地元では投入当初から不満の声が強い。こうした不満に対応するべく、クロスシートを一部に配置した車両も登場している。
本社・支社等本社
所在地:東京都渋谷区代々木2-2-2…最寄り駅は新宿駅
支社
東京(旧・東京地域本社)
所在地:東京都北区東田端2-20-68(田端駅)
横浜
所在地:神奈川県横浜市西区平沼1-40-26(横浜駅)
八王子
所在地:東京都八王子市旭町1-8(八王子駅)
大宮
所在地:埼玉県さいたま市大宮区錦町434-4(大宮駅)
高崎
所在地:群馬県高崎市栄町6-26(高崎駅)
水戸
所在地:茨城県水戸市三の丸1-4-47(水戸駅)
千葉
所在地:千葉県千葉市中央区新千葉1-3-24
仙台(旧・東北地域本社)
所在地:宮城県仙台市青葉区五橋1-1-1(仙台駅から徒歩5分)
盛岡
所在地:岩手県盛岡市盛岡駅前通1-41(盛岡駅東口)
秋田
所在地:秋田県秋田市中通7-1-1(秋田駅西口)
新潟
所在地:新潟県新潟市花園1-1-1(新潟駅万代口駅舎内)
長野
所在地:長野県長野市栗田源田窪992-6
付属機関
JR東日本研究開発センター…さいたま市北区
JR東日本総合研修センター…福島県白河市(新白河駅からバスで15分)
JR東京総合病院 …東京都渋谷区
JR東日本健康推進センター…東京都品川区
JR仙台病院…仙台市青葉区
海外事務所(ニューヨーク・パリ)
自社発電設備
国鉄時代、国鉄が首都圏の路線へ電力供給をするため川崎市などに建設した、自前の発電所を所有し利用しているため、東京電力からの電力供給が停止したとしても他私鉄のような運行停止などの影響を受けない。ただし2004年10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で信濃川の発電所が破損し、2005年1月一部発電は再開したが未だフル発電再開には至っていない。そのため東京電力から電力を買ったり、他発電所の発電量を増やしたりしてまかなっている。JR東日本では2005年冬の降雪時期までに各水力発電所の調整池の工事を完了させ、2006年春には稼動開始させたいとしている。
PDF)
歴史1987年(昭和62年)4月1日 国鉄が分割民営化され、東日本旅客鉄道株式会社発足。
1987年(昭和62年)6月 東日本キヨスク株式会社の株式を取得、子会社化。
1988年(昭和63年)4月1日 東北自動車事業部・関東自動車事業部を分離、ジェイアールバス東北株式会社・ジェイアールバス関東株式会社営業開始。
1988年(昭和63年)9月 株式会社ジェイアール東日本商事の株式取得、子会社化。
1990年(平成2年)3月 日本食堂株式会社(現・株式会社日本レストランエンタプライズ)の株式取得、子会社化。
1991年(平成3年)3月1日 山手線などからイオカード導入開始。
1996年(平成8年)10月1日 東京地域本社の一部を分離、横浜支社発足。
1998年(平成10年)4月1日 東京地域本社の一部を分離、八王子支社発足。
1998年(平成10年)10月1日 東京地域本社の一部を分離、東京支社発足。
1999年(平成11年)9月 弘済整備株式会社(現・株式会社東日本環境アクセス)の株式取得、子会社化。
2001年(平成13年)4月1日 東京支社の一部を分離、大宮支社発足。この時点で、路線の管轄はすべて支社に移行した。
2001年(平成13年)11月18日 ICカード乗車券Suicaのサービスを開始。
2002年(平成14年) 日立製作所の子会社・日立物流より、東京モノレールを買収し、モノレール事業も手がけると共に、羽田空港へのアクセスを獲得し、Suicaの使用を開始した。
2002年(平成14年)6月21日 日本鉄道建設公団(現・独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が保有していた株式が全て売却され、完全民営化された。
2004年(平成16年)8月1日 Suicaと西日本旅客鉄道(JR西日本)のICカード乗車券ICOCAとの相互利用が可能になった。
路線神奈川県(御殿場線を除く)、山梨県(身延線を除く)、長野県(飯田線、中央本線塩尻以西と大糸線南小谷以北を除く)、新潟県(北陸本線と大糸線を除く)以北、静岡県(東海道本線熱海以東と伊東線のみ)の本州の旧国鉄の在来線と、東北新幹線・上越新幹線・長野新幹線(北陸新幹線の現行開通区間の通称)の新幹線、及び山形新幹線・秋田新幹線の通称を持つ新幹線直行特急が運営基盤である。
東日本旅客鉄道が運営している路線を以下に示す。括弧書きは正式な線路名称ではない運転上の通称である。
新幹線
東北新幹線(山形新幹線・秋田新幹線) - 上越新幹線 - 北陸新幹線(長野新幹線)
在来線
関東地方
山手線 - (京浜東北線) - 横浜線 - 根岸線 - 南武線 - 武蔵野線 - 赤羽線(埼京線) - 川越線 - 中央本線(中央快速線) - 青梅線 - 五日市線 - 総武本線 - 京葉線 - 東海道本線 - 横須賀線 - (湘南新宿ライン) - 鶴見線 - 相模線- 八高線 - 高崎線 - 上越線 - 吾妻線 - 両毛線 - 日光線 - 烏山線 - 東北本線(宇都宮線) - 水戸線 - 常磐線 - 水郡線 - 内房線 - 外房線 - 成田線 - 鹿島線 - 久留里線 - 東金線
東海・甲信越地方
中央本線 - 信越本線 - 小海線 - 飯山線 - 篠ノ井線 - 大糸線 - 上越線 - 羽越本線 - 越後線 - 弥彦線 - 白新線 - 磐越西線 - 米坂線 - 東海道本線 - 伊東線
東北地方
東北本線 - 磐越西線 - 只見線 - 磐越東線 - 常磐線 - 水郡線 - 仙山線 - 仙石線 - 石巻線 - 気仙沼線 - 大船渡線 - 陸羽東線 - 陸羽西線 - 北上線 - 釜石線 - 山田線 - 岩泉線 - 花輪線 - 八戸線 - 大湊線 - 津軽線(津軽海峡線) - 奥羽本線 - 米坂線 - 左沢線 - 田沢湖線 - 羽越本線 - 男鹿線 - 五能線
JR他社線との分界点
北海道旅客鉄道
中小国駅(津軽線)-海峡線
東海旅客鉄道
東京駅(東海道本線他)-東海道新幹線
品川駅(東海道本線他)-東海道新幹線
新横浜駅(横浜線)-東海道新幹線
国府津駅(東海道本線)-御殿場線
小田原駅(東海道本線)-東海道新幹線
熱海駅(東海道本線、伊東線)-東海道本線、東海道新幹線
甲府駅(中央本線)-身延線
辰野駅(中央本線)-飯田線
塩尻駅(中央本線(中央東線))-中央本線(中央西線)
西日本旅客鉄道
直江津駅(信越本線)-北陸本線
南小谷駅(大糸線)-大糸線
車両JR東日本の車両形式を参照のこと。
社内乗車人員上位3位1位 新宿駅…742,183人。新宿駅としては私鉄を含めて世界一の乗降客数。
2位 池袋駅…560,734人。
3位 渋谷駅…420,395人。
取扱収入上位3位1位 東京駅…247,376,000円。
2位 新宿駅…150,715,000円。
3位 仙台駅…118,034,000円。
系列会社グループ会社としては、清掃会社や整備会社といった鉄道に直接関連する部門だけではなく、以下のように多岐にわたる。
運送業
東京モノレール
ジェイアールバス関東
ジェイアールバス東北
ジェイアール東日本レンタリース
ジェイアール東日本物流
ホテル業・駅ビル関係
ルミネ
メトロポリタンホテルズ
ホテルメッツチェーン
盛岡ターミナルビル:盛岡駅ビル「フェザン」、ホテルメトロポリタン盛岡、青森駅ビル「ラビナ」の運営
仙台ターミナルビル:仙台・福島・郡山・山形駅ビルの商業施設「エスパル」、ホテルメトロポリタン仙台、ホテルメトロポリタン山形の運営
秋田ステーションビル:ホテルメトロポリタン秋田の運営
弘前ステーション開発:弘前駅ビル「アプリーズ」の運営
ボックスヒル:松戸駅ビル「ボックスヒル」取手駅ビル「ボックスヒル」
ラスカ小田原・平塚駅の駅ビル
JR東日本ステーションリテイリング:大宮・品川駅のエキナカ商業施設ecuteの運営
旅行・レジャー産業
びゅうワールド:びゅうプラザ海外商品の取扱。日本航空との共同出資で約51%を出資。
GALA湯沢スキー場
ジェクサー・フィットネスクラブ
交通博物館
東日本鉄道文化財団
飲食・販売業
東日本キヨスク
NEWDAYS
サンディーヌ
日本レストランエンタプライズ:旧日本食堂。車内販売等では「NRE」という名称を用いている。
ジェイアール高崎商事:主に清涼飲料水の製造販売を行っている。ブランドは「大清水(おおしみず)」。
広告代理業
ジェイアール東日本企画
スポーツ
東日本ジェイアール古河サッカークラブ:JR東日本と古河電気工業が出資するJリーグチーム「ジェフユナイテッド市原・千葉」
その他
ジェイアール東日本メカトロニクス
ジェイアール東日本情報システム
持分法適用関連会社
ジェイティービー
セントラル警備保障
その他出資会社
埼玉新都市交通:新交通システム「ニューシャトル」を運営する第三セクター。約35%を出資。
東京臨海高速鉄道:りんかい線を運営する第三セクター。
交通新聞社:交通新聞・JR時刻表を発行している。旧・弘済出版社。
南東京ケーブルテレビ
メディアさいたま
成田空港高速鉄道:成田線成田駅分岐~成田空港駅間の線路を保有。
北海道企画開発:JR北海道との共同出資。流山温泉などを運営。
東京海上日動ベターライフサービス:東京海上日動火災保険の関連会社。介護関係の施設を運営。
関連項目JRグループ
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
VIEWカード
Suica
VIEW Suicaカード
東京圏輸送管理システム(ATOS)
堺正幸(フジテレビアナウンサー、新幹線・特急列車の車内放送を担当)
クリステル・チアリ(山手線など東京近郊区間の通勤電車の英語車内放送を担当)
ACトレイン
ADトレイン
NEトレイン
交通博物館
ジェイアールバス関東
ジェイアールバステック(旧・日本交通観光社、ジェイアールバス関東グループ)
ジェイアールバス東北
ジェフユナイテッド市原・千葉
新津車両製作所
JR東日本硬式野球部
JR東日本東北硬式野球部
えきねっと
ecute
北海道旅客鉄道 Categories
崎守駅 帯広駅 串内信号場
上富良野駅 上川駅 上尾幌駅
上幌向駅 上幌延駅 上ノ国駅
上厚内駅 上磯駅 上白滝駅
上越信号場 上野幌駅 上落合信号場
上芦別駅 上芽室信号場 学田駅
塩狩駅 塩谷駅 志文駅
光珠内駅 兜沼駅 川湯温泉駅
川端駅 咲来駅 あいの里公園駅
あいの里教育大駅 オサワ信号場 サッポロビール庭園駅
国縫駅 姉別駅 安平駅
安足間駅 剣淵駅 尾幌駅
尾白内駅 小幌駅 小樽築港駅
小樽駅 小沢駅 (北海道) 大中山駅
大和田駅 (北海道) 大岸駅 大楽毛駅
大沼公園駅 大沼駅 (北海道) 大狩部駅
大麻駅 士別駅 奥白滝信号場
倶知安駅 久根別駅 佐久駅
伊納駅 伊香牛駅 幾寅駅
岩見沢駅 島ノ下駅 島松駅
五十石駅 五稜郭駅 北一已駅
北剣淵駅 北吉原駅 北広島駅
北比布駅 北日ノ出駅 北永山駅
北浜駅 (北海道) 北秩父別駅 北美瑛駅
北舟岡駅 北豊津駅 北見駅
厚内駅 厚別駅 厚岸駅
厚床駅 厚賀駅 原生花園駅
栗丘駅 栗山駅 栗沢駅
昆布盛駅 昆布駅 標茶駅
渡島大野駅 渡島当別駅 渡島沼尻駅
渡島砂原駅 渡島鶴岡駅 清川口駅
清水沢駅 清畠駅 清里町駅
歌内駅 於札内駅 旭川四条駅
旭川駅 旭浜駅 旧白滝駅
桂川駅 (北海道) 桂台駅 桂岡駅
桔梗駅 桜岡駅 愛し野駅
愛別駅 愛山駅 様似駅
恩根内駅 池田園駅 池田駅 (北海道)
汐見駅 江差駅 江別駅
江部乙駅 植苗駅 楓信号場
泉沢駅 木古内駅 札内駅
札弦駅 札幌市場駅 札幌駅
札幌貨物ターミナル駅 札比内駅 札的駅
札苅駅 有珠駅 朝里駅
晩生内駅 掛澗駅 浦幌駅
浦河駅 浦臼駅 恵庭駅
恵比島駅 納内駅 琴似駅 (JR北海道)
篠路駅 稲士別駅 稲穂駅
稲積公園駅 筬島駅 相内駅
生田原駅 生野駅 (北海道) 然別駅
網走駅 磯分内駅 神楽岡駅
糸井駅 糸魚沢駅 石倉駅
石狩太美駅 石狩当別駅 石狩沼田駅
石狩月形駅 石狩金沢駅 石谷駅
絵笛駅 遠軽駅 阿分駅
追分駅 (北海道) 青葉駅 雄信内駅
黒岩駅 黒松内駅 黄金駅 (北海道)
荻伏駅 駒ヶ岳駅 駒里信号場
金山駅 (北海道) 金華駅 釧路湿原駅
釧路駅 釜谷駅 長万部駅
長都駅 鹿ノ谷駅 鹿討駅
鹿部駅 落合駅 (北海道) 落石駅
落部駅 茅沼駅 芦別駅
銀山駅 静内駅 静狩駅
虎杖浜駅 音威子府駅 音別駅
赤平駅 赤井川駅 鵜苫駅
JRダイヤ改正 JR北海道グループ
北海道旅客鉄道 Encyclopedia
北海道旅客鉄道株式会社(ほっかいどうりょかくてつどう、英称 Hokkaido Railway Company)は、1987年4月1日に日本国有鉄道から鉄道事業を引き継いだ旅客鉄道会社の一つ。北海道を主なエリアとする。略称はJR北海道(ジェイアールほっかいどう)。コーポレートカラーは萌黄(もえぎ)色。
ロゴなどでは「北海道旅客鉃道」と、「鉄」の字は“金を失う”と言う意味を避けるため、ロゴ文字では「金矢」(金偏に弓矢の矢、鉃)という字を採用しているが、正式商号は「鉄」である(四国以外のJR他社も同様)。
JR北海道本社(2005年5月)
目次1 本社・支社等
2 路線
2.1 現有路線
2.2 廃止路線
2.3 改キロ
2.4 予定路線
3 車両
4 関連会社
5 関連項目
6 外部リンク
本社・支社等本社
所在地:北海道札幌市中央区北11条西15丁目1-1
支社
函館
所在地:北海道函館市若松町12-5
旭川
所在地:北海道旭川市宮下通6丁目
釧路
所在地:北海道釧路市北大通14丁目
路線分割民営化時には、鉄道21路線3,176.6km、航路113.0km及びバス事業を承継した。
その後、鉄道路線は特定地方交通線等の整理により8路線764.0kmを廃止、2路線90.4kmを開業、線路付け替え等により3.2km減となっており、2003年4月1日現在、鉄道14路線2,499.8kmを保有する。うち幹線系線区が5路線1,327.9km、地方交通線が9路線1,171.9kmである。
航路は津軽海峡線の開業により1988年に廃止、バス事業は子会社のジェイ・アール北海道バスに2000年4月1日、譲渡された。
2004年12月に、北海道新幹線の建設が決定し、収益の増加を期待している。
凡例 [幹]:幹線系線区、[地]:地方交通線、[特]:特定地方交通線、*は民営化後の開業
現有路線
函館本線[幹] 函館~大沼公園~小樽~旭川 423.1km
函館本線[幹] 大沼~渡島砂原~森 35.3km
江差線[地] 五稜郭~江差 79.9km
*海峡線[地] 中小国~木古内 87.8km - 1988年3月13日開業
札沼線[地] 桑園~新十津川 76.5km
千歳線[幹] 沼ノ端~白石 56.6km
*千歳線[幹] 南千歳~新千歳空港 2.6km - 1992年7月1日開業
石勝線[幹] 南千歳~新得 132.4km
石勝線[幹] 新夕張~夕張 16.1km
室蘭本線[幹] 長万部~追分~岩見沢 211.0km
室蘭本線[幹] 東室蘭~室蘭 7.0km
日高本線[地] 苫小牧~様似 146.5km
留萌本線[地] 深川~増毛 66.8km
根室本線[幹] 滝川~帯広~根室 443.8km
富良野線[地] 富良野~旭川 54.8km
宗谷本線[地] 旭川~名寄~稚内 259.4km
石北本線[地] 新旭川~北見~網走 234.0km
釧網本線[地] 東釧路~網走 166.2km
廃止路線
函館本線[幹] 砂川~上砂川 7.3km - 1994年5月16日 廃止
松前線[特] 木古内~松前 50.8km - 1988年2月1日 廃止
幌内線[特] 岩見沢~幾春別、三笠~幌内 20.8km - 1987年7月13日 廃止(JRグループ発足後廃止第1号)
歌志内線[特] 砂川~歌志内 14.5km - 1988年4月25日 廃止
深名線[地] 深川~幌加内~名寄 121.8km - 1995年9月4日 廃止
池北線[特] 池田~北見 140.0km - 198 9 年6 月 4日 北海道ちほく高原鉄道に転換
天北線[特] 音威子府~浜頓別~南稚内 148.9km - 1989年5月1日 廃止
名寄本線[特] 名寄~上湧別~遠軽、中湧別~湧別 143.0km - 1989年5月1日 廃止
標津線[特] 標茶~根室標津、中標津~厚床 116.9km - 1989年4月30日 廃止
青函航路 青森~函館 113.0km - 1988年3月14日 廃止
改キロ
石勝線 鹿ノ谷~夕張 -0.8km - 1990年12月26日
室蘭本線 志文~岩見沢 +1.7km - 1994年11月1日
室蘭本線 母恋~室蘭 -1.1km - 1997年10月1日
根室本線 野花南~島ノ下 -3.0km - 1991年10月22日
予定路線
北海道新幹線 新青森~札幌
車両JR北海道の車両形式を参照のこと。
関連会社JR北海道の関連会社で「JR」を社名につくものはカナ表記が「ジェイ・アール」と間に「・」が入るのが特徴である(他社は入らない)。
北海道高速鉄道開発
高速化に関する車両や施設の貸出。
ジェイ・アール北海道バス
JRバスの運行。
北海道ジェイアール・コンサルタンツ
鉄道その他の構造物の設計調査。
ドウデン
信号設備施工。
北海道ジェイ・アール・ビルト
鉄道その他の建築物の施工・保守。
北海道軌道施設工業
軌道の施工・保守。
札建工業
土木・建築・線路などの工事。
札幌交通機械
車両の検修・改造、建造物の空調・衛生工事実施。
札幌工営
車両工場での作業受託。
北海道ジェイ・アール整備
車両のアメニティー清掃・整備。
北海道ジェイ・アール・サイバネット
車両その他の電子設備やシステムの開発。
北海道ジェイ・アール・サービスネット(旧・日交観北海道)
本社管内の駅業務受託。
ジェイアール北海道レンタリース
駅レンタカーの運営。
北海道ジェイ・アール・フレッシュネス・リテール
スーパーマーケットの運営。
北海道キヨスク
キオスクの運営や札幌圏の駅周辺のコンビニエンスストアなどの運営。札幌市営地下鉄の駅売店も経営。
北海道ジェイ・アール商事
JR北海道グループで使う資材の調達やリース。
北海道ジェイ・アール・フーズ(旧・にっしょく北海道)
札幌・旭川・小樽の駅構内での飲食店やJR北海道ホテルグループの『ホテルさっぽろ弥生』の運営を行う。
北海道ジェイ・アール都市開発
高架下用地の賃貸。
札幌駅総合開発
2005年10月1日に札幌駅南口開発が札幌ターミナルビル、札幌駅地下街開発、札幌ステーション開発を吸収合併し発足。
『JRタワー』と『JRタワースクエア』を管理・運営する。
北海道ジェイ・アール・ホテルズ
JR北海道ホテルグループの『JRタワーホテル日航札幌』(JRタワー内)の運営。
北海道クリーン・システム
JR北海道管内の駅や一般ビルの清掃、吉岡海底駅・竜飛海底駅の見学案内・誘導、函館駅ホーム案内放送。
北海道リネンサプライ
寝台座席などの寝具、座席の背当て等のクリーニングを行う。
北海道ジェイ・アール・クリーンサービス
ダスキンと契約し、札幌駅地下商店街『パセオ』の館内清掃を行う。
北海道ジェイ・アール・システム開発
パソコンのソフトウエア開発。
北海道ジェイ・アール・エージェンシー
JR内の車内広告掲示やJRのCM製作、広報誌などを製作する。
札新開発
桑園自動車学校の運営。
北海道企画開発
七飯町にある『流山温泉』、ホテル『クロフォード・イン大沼』の運営、札幌運転所にあるゴルフ練習場の営業。
北海道ジェイ・アール・トラベルサービス
金券ショップや旅行代理店の運営や人材派遣業、教育ビジネスを行う。
はこだて開発
函館支社管内での駅業務受託、駅構内売店・食堂の営業。
ジェイ・アール道東トラベルサービス
釧路支社管内での駅業務受託、添乗業務。
ジェイ・アール・ホテル帯広
JR北海道ホテルグループ『ノースランド帯広』の運営を行う。
旭川ターミナルビル
旭川ターミナルビルの運営を行っている。
旭川エスタ
旭川ターミナルビル内のテナント『旭川ESTA』の運営を行っている。
旭川ターミナルホテル
旭川ターミナルビル内にあるJR北海道ホテルチェーン『旭川ターミナルホテル』の運営を行っている。
関連項目JRグループ
北海道の鉄道路線
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
ジェイ・アール北海道バス
JR北海道硬式野球部
デュアル・モード・ビークル
東海旅客鉄道 Categories
可児駅 市川大門駅 市川本町駅
市ノ瀬駅 市田駅 下呂駅
三ヶ根駅 一志駅 一身田駅
上市場駅 上大井駅 上ノ庄駅
上松駅 上有住駅 上片桐駅
上麻生駅 塩尻駅 塩之沢駅
共和駅 入山瀬駅 川添駅
川路駅 坂下駅 坂上駅
坂祝駅 勝川駅 国府津駅
国母駅 唐笠駅 各務ヶ原駅
家城駅 安倍川駅 安城駅
内船駅 函南駅 出馬駅
切石駅 刈谷駅 尾張一宮駅
尾張森岡駅 尾頭橋駅 尾鷲駅
小和田駅 小坂井駅 小井川駅
小泉駅 小田原駅 小町屋駅
大内山駅 大岡駅 (静岡県) 大府駅
大垣駅 大嵐駅 大桑駅 (長野県)
大曽根浦駅 大曽根駅 大沢信号場
大泊駅 大海駅 大田切駅
大高駅 古井駅 古虎渓駅
倉本駅 幸田駅 久々野駅
久那土駅 佐奈駅 佐久間駅
伊勢市駅 伊勢八太駅 伊勢八知駅
伊勢川口駅 伊勢大井駅 伊勢奥津駅
伊勢柏崎駅 伊勢竹原駅 伊勢鎌倉駅
伊那市駅 伊那上郷駅 伊那八幡駅
伊那小沢駅 伊那大島駅 伊那北駅
伊那新町駅 伊那松島駅 伊那本郷駅
伊那田島駅 伊那福岡駅 九鬼駅
乙川駅 岡崎駅 岩波駅
岐阜羽島駅 岐阜駅 御殿場駅
五十鈴ヶ丘駅 井出駅 井田川駅
京都駅 亀崎駅 亀山駅 (三重県)
北殿駅 加佐登駅 春日井駅 (JR東海)
毛賀駅 権現前駅 清洲駅
新居町駅 新鹿駅 桑名駅
桜町駅 (長野県) 愛知御津駅 愛野駅 (静岡県)
打保駅 永和駅 池場駅
池の浦シーサイド駅 江島駅 梅ヶ谷駅
沢渡駅 沢駅 河原田駅
河曲駅 木ノ下駅 木曽川駅
木曽平沢駅 木曽福島駅 源道寺駅
有井駅 朝日駅 柿平駅
柏原駅 (滋賀県) 掛川駅 浦川駅
恵那駅 紀伊市木駅 紀伊井田駅
紀伊長島駅 稲子駅 稲沢駅
緒川駅 相可駅 相模金子駅
相月駅 相賀駅 甲府駅
甲斐常葉駅 甲斐上野駅 甲斐大島駅
甲斐住吉駅 甲斐岩間駅 牛久保駅
片浜駅 熱海駅 熱田駅
熊野市駅 笠寺駅 磐田駅
神志山駅 猪谷駅 石浜駅
阿曽駅 阿漕駅 阿田和駅
門島駅 近江長岡駅 蒲原駅
蒲郡駅 荒尾駅 (岐阜県) 高蔵寺駅
駒ヶ根駅 鶯巣駅 足柄駅 (静岡県)
草薙駅 (JR東海) 醒ヶ井駅 金山駅 (愛知県)
金手駅 金野駅 金谷駅
釜戸駅 興津駅 鰍沢口駅
飯島駅 飯田駅 (長野県) 逢妻駅
落合川駅 落居駅 鼎駅
賀田駅 芦川駅 (山梨県) 菊川駅 (静岡県)
静岡駅 蟹江駅 赤木駅
鵜殿駅 鵜沼駅 JRダイヤ改正
JR東海グループ JR東海名古屋地区普通・快速列車停車駅
東海旅客鉄道 Encyclopedia
東海旅客鉄道株式会社(とうかいりょかくてつどう、英称 Central Japan Railway Company)は、主に東海地方に路線を有する旅客鉄道会社の一つ。
1987年(昭和62年)に日本国有鉄道から鉄道事業を引き継いだ。日本の鉄道の大動脈である東海道新幹線を有することから、東京・大阪にも営業拠点がある。本社は愛知県名古屋市中村区名駅一丁目1番4号 JRセントラルタワーズ。東京本社は東京都港区港南二丁目1番85号JR東海品川ビル。略称はJR東海(ジェイアールとうかい)。コーポレートカラーはオレンジ色。代表取締役会長は葛西敬之、代表取締役社長は松本正之。
なお、社名ロゴの「鉄」の字は、金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という文字(鉃)を使っているが、正式な商号は「鉄」である。(JR四国以外の各社も同じ)
JR東海本社のあるJRセントラルタワーズ(名古屋駅)目次1 概要
2 路線
2.1 新幹線
2.2 在来線
3 車両
4 車両基地
5 車両工場
6 関連会社
7 関連項目
8 外部リンク
JR東海本社のあるJRセントラルタワーズ(名古屋駅)
概要現在、鉄道総合技術研究所と共にリニアモーターカーの実験なども行っている。また2005年3月25日から9月25日まで開催していた愛知万博(愛・地球博)にリニアモーターカーに関するパビリオン「JR東海 超電導リニア館」を出展していた(参考リンク)。
2005年度中、また早ければ同年夏に、独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構保有の88万6000株が売却される見通し。これが実現すると、JRグループの上場3社(JR東日本、JR西日本、JR東海)の「完全民営化」が実現する。
営業エリアは東海道新幹線および中京・東海地域の在来線であるが、収益の約85%という非常に大きな割合を東海道新幹線が占めているのが特徴。その為に都市近郊路線である関西本線も普通列車でワンマン運転するなど在来線の経営は非常に消極的である。
新幹線は最高270km/h、16両編成の列車を1時間当たり最大11本運行するなど、その質・量ともに世界を代表する高速鉄道である。一方で在来線も主要線区での高速運行を行っているが、2~4両編成の短編成で運用することがほとんどである。その為、都市部を中心に慢性的な混雑が大きな問題となっている。
一方では、在来線普通・快速に311系・313系などの編成は短いながらもクロスシートを装備した普通列車向け車両や、特急に383系などを投入するなど新車の導入には積極的で、現在同社管内の特急は基本的に全て同社が民営化された後の車両である。JR東日本のようにロングシート車両を大量導入したり(E231系1000番台など全くないわけではない。初期のころはJR東海も211系5000番台というロングシート車を大量に投入していた)、JR西日本のように地方においては車両の取替えが進んでいない、という事態は無く全く在来線軽視かといえばといえばあながちそうとは言えないともいえる。2006年以降は313系の大量導入が決まり、113系を中心とした国鉄型車両が大粛清される。
また、かつてテレビCMで放送していた「クリスマスエクスプレス」(1988年~1992年、2000年放映)、「そうだ、京都へ行こう」(1993年~)は当時人気のCMであり、CM製作にも定評があった。
路線2004年現在、以下の1,982.0kmの鉄道路線(第一種鉄道事業)を運営している。
新幹線
東海道新幹線 東京駅~新大阪駅 552.6km(実キロは515.4km)
在来線
東海道本線
熱海駅~米原駅 341.3km(金山駅~名古屋駅間(3.3km)は中央本線と重複。線路は別)
大垣駅~関ヶ原駅 13.8km(通称:新垂井線。下り列車のみ運行。大垣駅~南荒尾信号場間(3.1km)は本線と重複)
大垣駅~美濃赤坂駅 5.0km(通称:美濃赤坂線。大垣駅~南荒尾信号場間(3.1km)は本線と重複)
御殿場線 国府津駅~沼津駅 60.2km
身延線 甲府駅~富士駅 88.4km(線路名称及び列車運行は上下逆転)
飯田線 豊橋駅~辰野駅 195.7km
武豊線 大府駅~武豊駅 19.3km(列車運行上は上下逆転)
高山本線 岐阜駅~猪谷駅 189.2km
中央本線 塩尻駅~名古屋駅 174.8km(通称:中央西線。列車運行上は上下逆転。(金山駅~名古屋駅間(3.3km)は東海道本線と重複。線路は別)
太多線 多治見駅~美濃太田駅 17.8km
城北線 勝川駅~枇杷島駅 11.2km(東海交通事業が第二種鉄道事業者。JR東海は列車の運行をしていない。)
関西本線 名古屋駅~亀山駅 59.9km
紀勢本線 亀山駅~新宮駅 180.2km
名松線 松阪駅~伊勢奥津駅 43.5km
参宮線 多気駅~鳥羽駅 29.1km
車両JR東海の車両形式を参照のこと。
車両基地東海鉄道事業本部(旧名古屋鉄道管理局)
大垣車両区(海カキ) - 東海道本線中京地区、飯田線用の電車を配置。285系電車も名目上ここの配置。2001年4月1日、大垣電車区の検修部門を分離、改称
神領車両区(海シン) - 特急「しなの」、中央本線、関西本線用の電車を配置。2001年4月1日、神領電車区の検修部門を分離、改称
名古屋車両区(海ナコ) - 特急「ひだ」「南紀」、急行「かすが」、快速「みえ」、武豊線用気動車、臨時列車用客車を配置。1988年3月13日、名古屋南運転区と名古屋客車区の統合により発足。
美濃太田車両区(海ミオ) - 高山本線、太多線ローカル列車用気動車、臨時列車用客車、ディーゼル機関車を配置。2001年4月1日、美濃太田運輸区の検修部門を分離、改称
三重支店(旧天王寺鉄道管理局)
伊勢車両区(海イセ) - 紀勢本線、名松線、参宮線ローカル列車用気動車を配置。2001年4月1日、伊勢運輸区伊勢派出所を改称
飯田支店
なし。
静岡支社(旧静岡鉄道管理局)
静岡車両区(静シス) - 特急「あさぎり」「東海」「ふじかわ」「伊那路」、東海道本線静岡地区、御殿場線、身延線、飯田線ローカル列車用の電車及び電気機関車を配置。2001年4月1日、静岡運転所の検修部門を分離、改称
新幹線鉄道事業本部(旧新幹線総局)
東京第一車両所(幹トウ)
東京第二車両所(幹トニ)
大阪第二車両所(幹オサ)
東海道新幹線にはJR西日本所有車両も運行されているが、こちらは同社の博多総合車両所の配置となる。
車両工場東海鉄道事業本部
名古屋工場(NG) - 下記以外の在来線用車両の全て(電車、気動車、客車、貨車)
113系、115系、211系、213系、311系、313系、311系、383系、キハ11系、キハ40系、キハ47系、キハ75系、キハ85系、14系、その他在来線用事業用車両。
新幹線鉄道事業本部
浜松工場(HM) - 新幹線用車両の全て、機関車のすべて、電車の一部
700系、300系、その他新幹線用事業用車両、ED18、EF58、EF64、EF65、DE10、DE15、DD51、119系、123系。
毎年、新幹線こだま号の利用促進の営業施策の一環として、7月下旬から8月上旬の土日に一般開放のイベント「新幹線なるほど発見デー」が開催されている。新幹線運転台体験やドクターイエローの公開、大型クレーンによる車体上げ作業実演などを行い、親子連れを中心に1~2万人の見学者を集め、好評を博している。
関連会社運輸業
ジェイアール東海バス
東海交通事業
流通業
ジェイアール東海商事
ジェイアール東海高島屋
ジェイアール東海パッセンジャーズ
東海キヨスク
レジャー・サービス業
ジェイアール東海エージェンシー
ホテル業
アソシアホテルズ&リゾーツ
ホテルアソシア静岡ターミナル
旅行業
ジェイアール東海ツアーズ
その他
東海交通機械
豊橋ステーションビル
ジェイアール東海不動産
関連項目JRグループ
中部地方の鉄道路線
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
八事球場 (野球部所有)
JR東海硬式野球部
山下達郎
西日本旅客鉄道 Categories
市場駅 (JR西日本) 市岡駅 市島駅
市波駅 市振駅 一乗谷駅
上道駅 (鳥取県) 上野芝駅 和泉府中駅
和泉橋本駅 和泉砂川駅 和泉鳥取駅
動橋駅 因幡社駅 因原駅
今宮駅 今庄駅 安土駅
安栖里駅 安曇川駅 安治川口駅
安登駅 安芸中野駅 安芸川尻駅
安芸幸崎駅 安芸津駅 安芸矢口駅
安芸阿賀駅 安芸長束駅 安芸長浜駅
宇久井駅 宇治駅 (JR西日本) 宇田郷駅
宇野気駅 宇野駅 宇賀本郷駅
宇部岬駅 宇部新川駅 宇部駅
宇都井駅 内名駅 円町駅
出雲市駅 出雲三成駅 出雲八代駅
出雲坂根駅 出雲大東駅 出雲横田駅
出雲神西駅 出雲高松駅 尼崎駅 (JR西日本)
印南駅 居組駅 居能駅
太市駅 太秦駅 (JR西日本) 余子駅
伊丹駅 (JR西日本) 伊上駅 伊里駅
伊賀上野駅 伊賀和志駅 伊部駅
岩国駅 岩代駅 岩出駅
岩山駅 岩倉駅 (山口県) 岩田駅 (山口県)
岩瀬浜駅 岩美駅 岩鼻駅
五十猛駅 五日市駅 井倉駅
井原市駅 厚保駅 厚狭駅
明塚駅 明石駅 揖屋駅
板持駅 櫟本駅 打田駅
敬川駅 我孫子町駅 江尾駅
江住駅 江原駅 植松駅
梅ヶ峠駅 梅迫駅 潮駅
油日駅 油田駅 有年駅
有間川駅 朝来駅 朝霧駅
浅利駅 浅香駅 海老江駅
浦安駅 (鳥取県) 浦本駅 稲原駅
稲枝駅 稲荷駅 相生駅 (兵庫県)
相野駅 甘地駅 生地駅
生野屋駅 生野駅 (兵庫県) 網干駅
綾羅木駅 綾部駅 牛ヶ原駅
牛ノ谷駅 畝傍駅 粟屋駅
粟津駅 (石川県) 粟生駅 粟野駅
糸崎駅 糸魚川駅 猪名寺駅
猪谷駅 石動駅 石山駅
石原駅 (京都府) 石生駅 石見川本駅
石見川越駅 石見津田駅 石見横田駅
石見松原駅 石見簗瀬駅 石見福光駅
石見都賀駅 石部駅 石蟹駅
王寺駅 王子保駅 阿川駅
阿品駅 阿知須駅 魚住駅
魚津駅 藍本駅 近江中庄駅
近江塩津駅 近江八幡駅 近江今津駅
近江高島駅 近江舞子駅 青倉駅
荒島駅 青原駅 青海駅 (新潟県)
青野山駅 青野ヶ原駅 青谷駅
青郷駅 荒茅駅 英賀保駅
雨晴駅 黄檗駅 駅家駅
足守駅 足立駅 足羽駅
越中中川駅 越中中島駅 越中八尾駅
越中国分駅 越中宮崎駅 越中山田駅
越中大門駅 越前富田駅 越前下山駅
越前大宮駅 越前大野駅 越前東郷駅
越前田野駅 越前薬師駅 越前高田駅
越前花堂駅 馬堀駅 餘部駅
飯井駅 飯浦駅 茨木駅
芦屋駅 (JR西日本) 芦原温泉駅 芦原橋駅
院庄駅 赤碕駅 鵜飼駅 (広島県)
JRダイヤ改正 JR西日本グループ
西日本旅客鉄道 Encyclopedia
西日本旅客鉄道株式会社(にしにほんりょかくてつどう、英称 West Japan Railway Company)は、日本国有鉄道(国鉄)から鉄道事業を引き継ぎ発足した旅客鉄道会社の一つで東証一部上場企業。北陸・近畿・中国地方及び信越地方・福岡県の一部に路線網を持つ。略称はJR西日本(ジェイアールにしにほん)。コーポレートカラーは青色。代表取締役会長は南谷昌二郎、代表取締役社長は垣内剛。
なお、ロゴの「鉄」の字は、金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という文字(鉃)を使っているが、正式な商号は「鉄」である。(JR四国以外の各社も同じ→参考リンク)
目次1 概況
2 本社・支社等
3 歴史
4 路線
4.1 新幹線
4.2 在来線
4.3 航路
5 JR他社線との分界点
5.1 東日本旅客鉄道
5.2 東海旅客鉄道
5.3 四国旅客鉄道
5.4 九州旅客鉄道
6 車両
7 主な関係会社
7.1 連結子会社
7.2 持分法適用関連会社
8 CM
9 関連項目
10 外部リンク
概況JR本州旅客3社の中では、最も経営基盤が弱い。黒字路線は関西圏の主要路線と山陽新幹線ぐらいのもので、中国・山陰・北陸地方を中心に赤字ローカル線を多数抱えているうえ、私鉄や航空機との激しい競争にも晒されていたためである。この点等が、首都圏の通勤路線や東海道新幹線という、莫大かつ安定した収益が得られる路線を保有するJR東日本やJR東海と大きく異なる点である。
その環境を踏まえ、JR西日本は発足直後から関西圏「アーバンネットワーク」での大幅な増発やスピードアップなどに取り組み、競合他社を圧倒。「私鉄王国」の牙城を崩し、収益力の強化に努めてきた。山陽新幹線では日本国内初の300km/h営業運転を行うなど、輸送改善に対する積極的な姿勢に対する評価は非常に高かった。
また、運営コスト削減に関する取り組みにも非常に熱心であったが、結果として安全分野への投資やノウハウの敷衍も他のJRや大手私鉄などと比較して少なくなりがちであった。その影響もあり、1991年の信楽高原鐵道正面衝突事故や1999年の山陽新幹線トンネルコンクリート崩落事故、2002年の東海道本線救急隊員死傷事故、2005年の福知山線脱線事故など、有責の重大事故を引き起こした。
特に、高速・高密度で余裕の少ないダイヤでの運行を行っているにもかかわらず、アーバンネットワーク線区の大半でATS-Pを導入せず、旧型で機能が不十分なATS-SWのままで放置していた点など、線区の運行の実情に対応した安全対策を怠っていたことは強い非難を浴びた。また、ミスを犯した乗務員に対する過度に懲罰的な再教育制度(日勤教育)が、風通しの悪い企業風土の形成に繋がったとする指摘もある。こうした強い批判を受けて今後のダイヤ改正では方針を大幅に変更し、列車の最高速度の引き下げや、運行本数の削減等も予定されている。
107名もの犠牲者を出した福知山線脱線事故を受けて、同社では今後の経営・労使関係のあり方などを再検討しており、今後のJR西日本がどのような道を歩んでゆくのかが注目される。
本社・支社等本社
所在地:大阪市北区芝田二丁目4-24
支社
金沢(旧金沢鉄道管理局)
所在地:石川県金沢市高柳町九1-1
京都(旧大阪鉄道管理局、一部は旧福知山鉄道管理局)
所在地:京都市南区西九条北ノ内町5-5
大阪(旧天王寺鉄道管理局、一部は旧大阪鉄道管理局)
所在地:大阪市阿倍野区松崎町1丁目2-12
和歌山(旧天王寺鉄道管理局)
所在地:和歌山県和歌山市美園町5丁目22
神戸(旧大阪鉄道管理局)
所在地:神戸市中央区東川崎町1丁目3-2
福知山(旧福知山鉄道管理局)
所在地:京都府福知山市駅前町118-1
岡山(旧岡山鉄道管理局)
所在地:岡山県岡山市駅前町2丁目1-7
米子(旧米子鉄道管理局)
所在地:鳥取県米子市弥生町2
広島(旧広島鉄道管理局)
所在地:広島市東区二葉の里3丁目8-21
福岡(旧新幹線総局)
所在地:福岡市博多区博多駅前4丁目38-22
新幹線はJR東海と異なり、並行在来線と同じ支社に属する。
歴史1987年4月1日 国鉄が分割民営化され、西日本旅客鉄道発足。
1987年7月1日 国内旅行業開始。
1988年3月13日 関西地区で路線愛称使用開始。
1988年4月1日 バス部門を分離し、西日本ジェイアールバス、中国ジェイアールバス発足。
1988年4月10日 瀬戸大橋線全通。快速「マリンライナー」運転開始。
1989年3月 「アーバンネットワーク」の呼称使用開始。
1989年3月11日 100系新幹線「グランドひかり」運転開始。
1989年7月21日 寝台特急「トワイライトエクスプレス」運転開始。
1989年12月6日 「三都物語」キャンペーン開始。
1990年6月1日 ローカル線の経営効率化と活性化を目的とした「鉄道部」制度が発足。
1991年4月27日 嵯峨野観光鉄道営業開始。
1991年5月14日 信楽高原鐵道列車正面衝突事故。42名が犠牲に。
1992年3月30日 本社を旧国鉄大阪鉄道管理局ビルから新本社ビルに移転。
1993年3月18日 山陽新幹線「のぞみ」運転開始。
1993年6月1日 京都支社・大阪支社・神戸支社発足。
1994年9月4日 関空特急「はるか」運転開始。
1995年1月17日 阪神・淡路大震災で山陽新幹線、JR神戸線などが不通に。4月に全線復旧。
1995年4月20日 北陸本線で特急「サンダーバード」運転開始。
1996年10月 東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所などに株式上場。
1997年3月8日 JR東西線開業。関西地区で自動改札システムJスルー運用開始。
1997年3月22日 500系新幹線電車が「のぞみ」として山陽新幹線で営業運転を開始。同年11月29日には東海道新幹線でも運転開始。
1997年9月11日 京都駅新駅ビルグランドオープン。
1998年7月10日 寝台電車「サンライズエクスプレス」運転開始。
1999年2月26日 Jスルーカードによるストアードフェアシステム導入。
2000年3月11日 山陽新幹線「ひかりレールスター」運転開始。
2001年10月1日 旅行業部門(Tis)を日本旅行に譲渡。
2003年11月1日 ICカード乗車券ICOCAのサービスを開始。
2004年3月12日 独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構が保有していた株式が全て売却され、完全民営化。
2005年4月25日 JR福知山線脱線事故。107名の犠牲者を出す。6月19日には不通だった宝塚駅~尼崎駅復旧。
路線
新幹線
山陽新幹線
在来線
アーバンネットワーク
東海道本線: 米原駅 - 神戸駅
(琵琶湖線)
(JR京都線)
(JR神戸線)
湖西線
福知山線
(JR宝塚線)
片町線(学研都市線)
JR東西線
大阪環状線
桜島線(JRゆめ咲線)
関西本線: 亀山駅 - JR難波駅
(大和路線)
草津線
奈良線
桜井線
和歌山線
阪和線
関西空港線
大阪外環状線(未開業線)
北陸本線:
小浜線
越美北線(九頭竜線)
七尾線
城端線
氷見線
富山港線
大糸線: 南小谷駅 - 糸魚川駅
高山本線: 猪谷駅 - 富山駅
山陽本線: 神戸駅 - 下関駅、兵庫駅 - 和田岬駅
(JR神戸線)
加古川線
播但線
姫新線
赤穂線
津山線
吉備線
宇野線
本四備讃線: 茶屋町駅 - 児島駅
(瀬戸大橋線)
伯備線
福塩線
芸備線
呉線
(瀬戸内さざなみ線)
可部線
岩徳線
山口線
宇部線
小野田線
美祢線
博多南線
山陰本線
(嵯峨野線)
舞鶴線
因美線
境線
木次線
三江線
紀勢本線: 新宮駅 - 和歌山市駅
(きのくに線)
航路
宮島航路
JR他社線との分界点(注)路線名に関してはアーバンネットワーク内に関しては愛称(正式名称)の順で表記。
東日本旅客鉄道
直江津駅(北陸本線)- 信越本線
南小谷駅(大糸線)- 大糸線
東海旅客鉄道
新大阪駅(JR京都線(東海道本線)他)- 東海道新幹線
京都駅(JR京都線(東海道本線)他)- 東海道新幹線
米原駅(琵琶湖線(東海道本線、北陸本線)他)- 東海道本線、東海道新幹線
亀山駅(関西本線) - 関西本線、紀勢本線
新宮駅(紀勢本線)- 紀勢本線
猪谷駅(高山本線)- 高山本線
四国旅客鉄道
児島駅(本四備讃線)- 本四備讃線
九州旅客鉄道
下関駅(山陽本線)- 鹿児島本線
小倉駅(山陽新幹線)- 鹿児島本線他
博多駅(山陽新幹線他)- 鹿児島本線他
車両JR西日本の車両形式を参照のこと。
山陽新幹線や特急列車、旧大阪鉄道管理局管内では、列車の増発やスピードアップに対応した新型車両を積極的に導入。他地域では厳しい経営環境を反映して、国鉄から継承した車両(これには未だに「日本国有鉄道」の銘板が付いている)に延命工事を施して継続使用している例が多い。
主な関係会社
連結子会社
株式会社日本旅行
中国ジェイアールバス株式会社
西日本ジェイアールバス株式会社
嵯峨野観光鉄道株式会社
持分法適用関連会社
関西高速鉄道株式会社
鉄道情報システム株式会社
CM夏のリゾート、夏のWENS、ダイヤ改正(主にアーバンネットワーク内)(1989~1990)、Tis(旅行センター)、シュプール号(1988~1989) - 南野陽子
シュプール号 - 西田ひかる
三都物語 - 賀来千香子
三都物語、「5489」電話サービス - 鶴田真由
ICOCA - 仲間由紀恵
いい日旅立ち・西へ - 竹内結子
いい日旅立ち・西へ - 鬼束ちひろ(CMソング)
ほかに、加納みゆき、大西結花、大竹まこと、篠原ともえ、愛里が出演したCMもあった。
関連項目JRグループ
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
Jスルーカード
ICOCA
ハートイン
JR西日本硬式野球部
走れ!ガリバーくん
日勤教育
九州旅客鉄道 Categories
嘉例川駅 市布駅 市ノ川駅
市来駅 一勝地駅 一本松駅 (福岡県)
一貴山駅 串木野駅 串間駅
上三緒駅 上伊万里駅 上伊集院駅
上岡駅 上穂波駅 上熊本駅
子供の国駅 喜入駅 喜々津駅
入野駅 (鹿児島県) 川南駅 川尻駅
川棚駅 けやき台駅 国分駅 (鹿児島県)
唐津駅 いこいの村駅 今宿駅
今山駅 今津駅 (大分県) 姶良駅
安部山公園駅 宇宿駅 宇佐駅
宇島駅 宇土駅 宇美駅
内之田駅 内海駅 (宮崎県) 内牧駅
うきは駅 出水駅 えびの上江駅
えびの駅 えびの飯野駅 小串郷駅
小川駅 (熊本県) 小内海駅 小倉駅 (福岡県)
小城駅 小江駅 小森江駅
小波瀬西工大前駅 小林駅 (宮崎県) 小竹駅
小野屋駅 小長井駅 大堂津駅
大川野駅 大分大学前駅 大分駅
大山駅 (鹿児島県) 大在駅 大村駅 (長崎県)
大町駅 (佐賀県) 大牟田駅 大畑駅
大神駅 大鶴駅 大草駅
大野下駅 大野城駅 大隅大川原駅
大隅夏井駅 大隅横川駅 天ヶ瀬駅
天津駅 古賀駅 奥洞海駅
幸崎駅 久保田駅 (佐賀県) 久木野駅
久留米大学前駅 久留米駅 伊万里駅
伊比井駅 伊集院駅 伊賀屋駅
伊賀駅 九州工大前駅 九大学研都市駅
九産大前駅 九郎原駅 岩屋駅 (佐賀県)
岩松駅 五位野駅 五十市駅
京町温泉駅 亀川駅 北俣駅
北延岡駅 北山田駅 北方駅 (佐賀県)
北永野田駅 北郷駅 加布里駅
加治木駅 加納駅 (宮崎県) 基山駅
城戸南蔵院前駅 厳木駅 栗野駅
春日駅 (福岡県) 清武駅 旭ヶ丘駅 (宮崎県)
桂川駅 (福岡県) 教育大前駅 池尻駅
植村駅 植木駅 油津駅
木場茶屋駅 木葉駅 木花駅
有佐駅 有田駅 指宿駅
朽網駅 朝地駅 折尾駅
折生迫駅 枝光駅 浅海井駅
海崎駅 海ノ中道駅 海路駅
海老津駅 浦上駅 浦田駅 (福岡県)
杵築駅 恵良駅 稲葉崎駅
緒方駅 狩生駅 相知駅
網田駅 牛津駅 熊崎駅
熊本駅 神埼駅 現川駅
球泉洞駅 犬飼駅 石垣駅
石原町駅 石打ダム駅 石田駅 (福岡県)
頴娃大川駅 頴娃駅 遠賀川駅
阿蘇駅 開聞駅 門川駅
門松駅 荒尾駅 (熊本県) 青島駅
青井岳駅 荒木駅 苅田駅
運動公園駅 (宮崎県) 雁ノ巣駅 高田駅 (長崎県)
諫早駅 黒崎駅 駒鳴駅
金石原駅 臼杵駅 鬼塚駅
鬼瀬駅 香春駅 香椎神宮駅
香椎駅 飯塚駅 飫肥駅
鹿児島中央駅 鹿児島駅 賀来駅
郡元駅 (JR九州) 郡山八幡駅 霧島温泉駅
霧島神宮駅 錦江駅 隈之城駅
銀水駅 鞍手駅 鎌瀬駅
赤水駅 赤瀬駅 赤間駅
JR九州グループ JRダイヤ改正
九州旅客鉄道 Encyclopedia
九州旅客鉄道(きゅうしゅうりょかくてつどう、英称 Kyushu Railway Company)は、日本国有鉄道(国鉄)から鉄道事業を引き継ぎ発足した旅客鉄道会社の一つで九州島内の鉄道を管理運営している。また、船舶・住宅業なども展開している。本社は福岡県福岡市博多区にある。略称はJR九州(ジェイアールきゅうしゅう)。コーポレートカラーは赤色。社歌は「浪漫鉄道」でハイ・ファイ・セットが歌っている。
なお、社名ロゴの「鉄」の字は、金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という文字(鉃)を使っているが、正式な商号は「鉄」である。(JR四国以外の各社も同じ)
目次1 路線
2 車両
3 支社・車両基地
4 関連項目
5 外部リンク
路線新幹線
九州新幹線(鹿児島ルート)
在来線
山陽本線(下関-門司)
鹿児島本線
篠栗線
香椎線
三角線
肥薩線
指宿枕崎線
長崎本線
唐津線
筑肥線
佐世保線
大村線
久大本線
豊肥本線
日豊本線
日田彦山線
日南線
宮崎空港線
吉都線
筑豊本線
後藤寺線
航路
ビートル(釜山行き航路)
車両JR九州の車両形式を参照のこと。
JR九州の車両の特徴として、レタリングを多用したインパクトのある外見と快適さを主眼においた内装とが挙げられる。これらはドーンデザイン研究所の水戸岡鋭治の手によるものである。建築デザイナーとしてホテルや公共施設のデザインを手がけていた水戸岡は1990年代初頭よりJR九州の車両デザインに参加。特に1992年の787系「つばめ」は、その洗練されたデザインと従来の鉄道車両の水準を遙かに超える優れた内装によって、ブルーリボン賞・グッドデザイン賞といった国内の賞のみならず海外からもブルネル賞を受賞し、日本における鉄道車両デザインに衝撃と革新をもたらした。以降も水戸岡は883系「ソニック」・885系「かもめ」そして新幹線800系「つばめ」などの特急用にとどまらず、近郊型まで含めた車両のデザインを手がけている。
その一方で事故廃車となった車両数がほかのJR各社に比べて多く、これまでにキハ200系・811系・813系・885系と、旧国鉄から引き継いだキハ40形の一部が事故廃車となっている。
九州の南部地域の路線(日豊本線等)では、国鉄時代の古い車両が多く運行している為、「九州の車両の墓場」と揶揄されることもある。
支社・車両基地本社
鹿児島総合車両所(本カコ)
北部九州地域本社
南福岡電車区(北ミフ)(福岡県福岡市・南福岡駅)
筑豊篠栗鉄道事業部直方運輸センター(北チク)
門司港運転区(北モコ)
唐津鉄道事業部唐津運輸センター(北カラ)
長崎支社
長崎鉄道事業部長崎運輸センター(崎サキ)
大分支社
大分鉄道事業部大分運輸センター(分オイ)
豊肥久大鉄道事業部豊肥久大運輸センター(分ホウ)
熊本支社
熊本鉄道事業部熊本運輸センター(熊クマ)
鹿児島支社
新幹線鉄道事業本部
川内新幹線車両基地(幹セイ)
関連項目JRグループ
九州の鉄道路線
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
ジェイアール九州バス
JR九州硬式野球部
NICE GOING CARD(若者向け鉄道割引制度)
四国旅客鉄道 Categories
卯之町駅 中田駅 (徳島県) 中萩駅
市坪駅 下宇和駅 下浦駅
下灘駅 三本松駅 (香川県) 串駅
上宇和駅 学駅 善通寺駅
喜多山駅 (愛媛県) 喜多灘駅 塩入駅
志度駅 光洋台駅 入明駅
児島駅 川奥信号場 川之江駅
川田駅 坂出駅 オレンジタウン駅
勝瑞駅 国分駅 (香川県) 今治駅
家地川駅 安和駅 宇和島駅
宇多津駅 内子駅 円行寺口駅
出目駅 小島駅 小歩危駅
大内駅 大歩危駅 大杉駅
大浦駅 大田口駅 大間駅
大街道駅 大西駅 多喜浜駅
多ノ郷駅 多度津駅 影野駅
佐川駅 佐古駅 佃駅
伊予寒川駅 伊予富田駅 伊予中山駅
伊予市駅 伊予三島駅 伊予三芳駅
伊予上灘駅 伊予和気駅 伊予宮野下駅
伊予吉田駅 伊予出石駅 伊予小松駅
伊予大平駅 伊予大洲駅 伊予平野駅
伊予亀岡駅 伊予北条駅 伊予土居駅
伊予横田駅 伊予桜井駅 伊予氷見駅
伊予立川駅 伊予白滝駅 伊予石城駅
伊予長浜駅 伊予西条駅 伊野駅 (JR四国)
岡花駅 徳島駅 吾桑駅
後免駅 十川駅 (高知県) 坪尻駅
千丈駅 五十崎駅 五郎駅
北宇和島駅 北伊予駅 北河内駅 (徳島県)
地蔵橋駅 土佐一宮駅 土佐山田駅
土佐大津駅 土佐大正駅 土佐久礼駅
土佐岩原駅 土佐北川駅 土佐加茂駅
土佐昭和駅 土佐新荘駅 土佐穴内駅
土佐長岡駅 府中駅 (徳島県) 津島ノ宮駅
昭和町駅 (香川県) 斗賀野駅 新改駅
新野駅 (徳島県) 旭駅 (高知県) 日下駅
桑野駅 板野駅 打井川駅
教会前駅 池谷駅 江川崎駅
江口駅 木太町駅 木岐駅
朝倉駅 (JR四国) 枝川駅 (JR四国) 浅川駅
浅海駅 海岸寺駅 海部駅
琴平駅 田井ノ浜駅 立江駅
立間駅 立道駅 穴吹駅
牛島駅 祖谷口駅 神前駅 (香川県)
繁藤駅 粟井駅 窪川駅
石井駅 (徳島県) 石鎚山駅 玉之江駅
須崎駅 鴨川駅 鴨島駅
阿南駅 阿波富田駅 阿波中島駅
阿波川口駅 阿波川島駅 阿波川端駅
阿波山川駅 阿波大宮駅 阿波大谷駅
阿波加茂駅 阿波半田駅 阿波橘駅
阿波池田駅 阿波海南駅 阿波福井駅
阿波赤石駅 鯖瀬駅 関川駅
薊野駅 近永駅 蔵本駅
高光駅 高松駅 (香川県) 高瀬駅 (香川県)
高知商業前駅 高知駅 高野川駅
黒川駅 (香川県) 角茂谷駅 鶴羽駅
詫間駅 讃岐塩屋駅 讃岐府中駅
讃岐津田駅 讃岐相生駅 讃岐牟礼駅
讃岐白鳥駅 讃岐財田駅 鮎喰駅
金比羅前駅 金蔵寺駅 豊永駅
豊浜駅 鬼無駅 観音寺駅 (香川県)
香西駅 襟野々駅 造田駅
貞光駅 辻駅 鳥ノ木駅
麻植塚駅 菊間駅 赤星駅
JR四国グループ JRダイヤ改正
四国旅客鉄道 Encyclopedia
四国旅客鉄道株式会社(しこくりょかくてつどう、英称 Shikoku Railway Company)は、1987年4月1日に日本国有鉄道(国鉄)から旅客鉄道事業を引き継ぎ発足したJR旅客鉄道会社のうちの一つ。旧国鉄四国総局の流れを汲んでいる。四国(一部は岡山県内)に855.2kmの鉄道路線を有する。略称はJR四国(ジェイアールしこく)。コーポレートカラーは水色。代表取締役会長は梅原利之、代表取締役社長は松田清宏。
JRグループ各社で唯一、社名のデザイン文字に通常の「鉄」の文字を使っている(他社は「鉃」(「金」偏に「矢」)である)。
JR四国コーポレートカラーの水色に塗られた車両
目次1 概況
2 本社・企画部等
3 歴史
4 路線
5 列車
5.1 現行列車
5.2 過去の列車
6 車両
6.1 車両基地
7 グループ会社
7.1 かつて存在したグループ会社
8 関連項目
9 外部リンク
概況JR旅客6社の中では最も規模が小さく、経営基盤も弱いのが大きな特徴である。 発足当初は瀬戸大橋の開通効果などで売上を伸ばし、世界初の振子式気動車を投入するなど積極的なスピードアップ策も打ち出していたが、その後はジリジリと利用客が減少。特に四国内の高速道路の整備が急速に進んだことや、明石海峡大橋開通に伴う瀬戸大橋線利用の減少(これはマリンライナーの岡山側での年々悪化する大混雑も原因)などは大打撃であった。このような状況から極めて厳しい経営を強いられており、地元ではJR西日本、はたまたJR東海との合併が、まことしやかに囁かれるほどである。
さらに資金不足、企画不足のためか、JR他社では当たり前となっているさまざまなサービスが提供できていないのが現状である。主なところでは、指定席の電話・ネット予約が不可、電話による問い合わせ窓口がない(この点はJR西日本の中国地方も同じ)、自動改札機・指定席自動券売機が唯一未投入、つい最近まで運行状況をホームページ上に公表していなかった等々である。
その一方、設備投資面では本社のある香川県(普通列車用気動車に限れば徳島県)が、やや優遇され気味である。もちろん本社近辺が優遇されるのはJR四国に限ったことではないが、2003年に投入された新型マリンライナーは、置き換え前の車両(213系)が塩害でボロボロになっていたとはいえ車歴16年程度であったことから、これまで以上に香川優先の投資であると批判された。その一方で、この置き換えはコスト削減の一環であったとも言われている。というのも、瀬戸大橋の通行料金に当たる費用は通過両数によって決まっており、これを減らし(基本6両編成→基本5両編成)、通行料金を削減するという目的と、JR四国が車輌を持つ事による車輌の借り上げ料の削減という2つの目的があったからである。2000年からは特急車両(8000系を除く)にアンパンマンを描いた「アンパンマン列車」を登場させたり、2006年度中までに8000系全編成のリニューアルを進めることで利用促進を促そうとしている。
本社・企画部等本社
所在地:香川県高松市浜ノ町8-33
企画部・営業部・事務所
愛媛企画部
所在地:愛媛県松山市南江戸1-14-1
徳島企画部
所在地:徳島県徳島市寺島本町西1-61
高知企画部
所在地:高知県高知市北本町2-7-31
岡山企画部
所在地:岡山県岡山市下石井1-1-1 岡山東京生命館4F
大阪営業部
所在地:大阪府大阪市北区芝田2-8-11共栄ビル3F
東京事務所
所在地:東京都千代田区丸の内3-4-1新国際ビル9F
歴史1987年4月1日 国鉄が分割民営化され、四国旅客鉄道発足。
1987年7月1日 国内旅行業開始。
1988年4月1日 中村線廃止。土佐くろしお鉄道に移管。
1988年4月10日 瀬戸大橋線開業、宇高連絡船が高速艇除き廃止。快速「マリンライナー」運転開始。
1988年6月1日 線路名称の「○○本線」の呼称を廃止。
1989年3月1日 特急「南風」、「しまんと」で2000系気動車運転開始。
1989年10月14日 高松~東京間に夜行高速バスを運行開始
1990年4月1日 宇高連絡船高速艇運航休止。
1991年3月16日 宇高連絡船完全廃止。
1991年11月21日 四国全線の自動信号化・CTC化完成。
1992年4月1日 全列車冷房化。
1992年8月15日 特急「いしづち」、「しおかぜ」で8000系電車運転開始。
1993年3月18日 予讃線 高松~伊予市間電化完成。
1998年3月14日 高徳線 高速化完成。
1998年7月10日 寝台電車「サンライズ瀬戸」運転開始。
1999年3月12日 急行「よしの川」廃止によりJR旅客6社で初めて急行列車全廃。
2000年10月14日 土讃線の特急で「アンパンマン列車」運転開始。
2001年5月13日 高松駅新駅ビル完成。
2003年10月1日 瀬戸大橋線 快速「マリンライナー」に5000系電車投入。
2004年4月1日 バス部門をジェイアール四国バスに分社化。
2004年9月18日 2004年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した5100型の授賞式が高松駅で開催。
2004年10月13日 一部の特急「いしづち」でリニューアル工事を受けた8000系電車が運転開始。
2004年12月20日 リニューアル工事を受けた8000系電車が一部の特急「しおかぜ」でも運転開始。
路線予讃線
内子線
予土線
高徳線
鳴門線
徳島線
牟岐線
土讃線
本四備讃線 (児島駅~宇多津駅)
列車JR四国の列車の特徴として、特急は基本的にかつての急行のダイヤをそのまま受け継いでいる為、JR他社の特急に比べ停車駅が多い傾向がある。通勤通学需要を当て込んで、屋台骨の予讃線にさえも到底特急停車駅とは思えないような簡易な駅にまで停車する時間帯も存在する。この様な傾向から「特急料金を払っているのにスピードは各停並み」との声も。
一方、特別料金不要の速達サービスとして全国的に運行するエリアが広がりつつある快速は、現在香川県内の路線の複線区間のみ(香川県でも高徳線には走らせていない)で運行されているのみである。
ワンマン列車はJR他社と次の点で異なる。
有人駅で全部のドアを開けることはしない。これはきっぷ・定期券の所持者も整理券を取らせるためである。
整理券なしで乗車した場合は問答無用で始発駅からの運賃を徴収する。
2両ワンマン列車はない。2両編成でも進行方向後寄りの車両は回送車両で乗車できない。
下記の列車名はJR四国発足以降のもの。種別が変更された列車は変更後のもので記載。
現行列車
特急列車
あしずり
いしづち
うずしお
宇和海
サンライズ瀬戸
しおかぜ
しまんと
剣山
南風
むろと
快速列車
サンポート
マリンライナー
臨時快速
ムーンライト高知
ムーンライト松山
共に夜行列車
過去の列車
特急列車
I LOVE しまんと
あい
急行列車
いよ
うわじま
土佐
阿波
よしの川
車両JR四国の車両形式を参照のこと。
JR化以降の車両は、私鉄と同様な型式番号を採用している。一方、国鉄から承継した車両には、JR西日本と同様、「日本国有鉄道」の銘板が未だに残る。
車両基地
高松運転所(四カマ)
松山運転所(四マツ)
徳島運転所(四トク)
高知運転所(四コチ)
グループ会社ジェイアール四国ホテル開発
ジェイアール四国バス
徳島ターミナルビル
四鉄不動産
宇和島ステーション開発
四国キヨスク
めりけんや
ステーションクリエイト香川
ウィリーウィンキー
ステーションクリエイト愛媛
ジェイアール四国企画
ジェイアール四国コミュニケーションウェア
ステーションクリエイト徳島
ステーションクリエイト高知
四国電設工業
四国開発建設
ジェイアール四国アーキテクツ
四国鉄機
本四塗装工業
四鉄サービス
四国車輌整備
ジェイアール四国情報システム
四鉄運輸
駅レンタカー四国
高松駅弁
かつて存在したグループ会社
ジェイアール四国エムエスネットワーク(コンビニエンスストアミニストップを展開していたが、2004年3月にグループ離脱、四国エムエスネットワークに社名変更、同年8月にミニストップに合併)
四鉄商事(前身は国鉄購買部。四国内でRストアという名の小さな店舗を展開していたが、xxxx年、清算される。現在はステーションクリエイト4会社がその業務内容の一部を引き継いでいる。)
関連項目JRグループ
四国の鉄道路線
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
JR四国硬式野球部
日本貨物鉄道 Categories
富山機関区 富士駅 富田駅 (三重県)
三沢駅 (青森県) 南長岡駅 塩浜駅
八戸貨物駅 コンテナ 国鉄タキ1900形貨車
国鉄タキ6900形貨車 国鉄タキ7750形貨車 国鉄コキ50000形貨車
国鉄C11形コンテナ 国鉄C35形コンテナ 国鉄DD51形ディーゼル機関車
国鉄DE10形ディーゼル機関車 国鉄ED75形電気機関車 国鉄ED76形電気機関車
国鉄ED79形電気機関車 国鉄EF61形電気機関車 国鉄EF64形電気機関車
国鉄EF65形電気機関車 国鉄EF66形電気機関車 国鉄EF67形電気機関車
国鉄EF81形電気機関車 姫路貨物駅 宮城野駅
安治川口駅 宇都宮貨物ターミナル駅 吉原駅
大井機関区 大阪貨物ターミナル駅 多治見駅
幡生機関区厚狭派出 伯耆大山駅 吹田機関区
岡山機関区 名寄駅 名古屋港駅
名古屋貨物ターミナル駅 北九州貨物ターミナル駅 北方貨物線
北王子線 北長野駅 広島車両所
広島貨物ターミナル駅 春日井駅 (JR東海) 横浜羽沢駅
新湊線 新鶴見機関区 日本貨物鉄道
日立駅 愛知機関区 東三条駅
東小倉駅 東京貨物ターミナル駅 東海道貨物線
東福山駅 東青森駅 梅田駅
梅田貨物線 梶ヶ谷貨物ターミナル駅 盛岡貨物ターミナル駅
秋田貨物駅 米子駅 福岡貨物ターミナル駅
神戸貨物ターミナル駅 美濃赤坂駅 百済駅
防府貨物駅 門司機関区 鷲別機関区
青森信号場 高崎機関区 高松貨物ターミナル駅
高月駅 黒井駅 (新潟県) 西岡山駅
郡山貨物ターミナル駅 静岡貨物駅 鵜殿駅
JR JRダイヤ改正 JR貨物18D形コンテナ
JR貨物19D形コンテナ JR貨物クム1000系貨車 JR貨物タキ1000形貨車
JR貨物コキ100系貨車 JR貨物コキ200形貨車 JR貨物コキ71形貨車
JR貨物のコンテナ形式 JR貨物の車両形式 JR貨物DF200形ディーゼル機関車
JR貨物ED500形電気機関車 JR貨物EF200形電気機関車 JR貨物EF210形電気機関車
JR貨物EF500形電気機関車 JR貨物EF510形電気機関車 JR貨物EH200形電気機関車
JR貨物EH500形電気機関車 JR貨物M12B形コンテナ JR貨物M250系電車
JR貨物U30S形コンテナ JR貨物U54A形コンテナ JR貨物UF15A形コンテナ
JR貨物UF17A形コンテナ JR貨物UM11A形コンテナ JR貨物UM14C形コンテナ
JR貨物UM8A形コンテナ JR貨物UT10C形コンテナ JR貨物UT11C形コンテナ
JR貨物UT13C形コンテナ JR貨物UT14C形コンテナ JR貨物UT17C形コンテナ
JR貨物UT21C形コンテナ JR貨物UT24C形コンテナ JR貨物UT26C形コンテナ
JR貨物UT2C形コンテナ JR貨物UV52A形コンテナ JR貨物V18C形コンテナ
JR貨物W18D形コンテナ JR貨物WC35形コンテナ JR貨物ZX18A形コンテナ
日本貨物鉄道 Encyclopedia
日本貨物鉄道(にほんかもつてつどう、英称 Japan Freight Railway Company)は、1987年4月1日に日本国有鉄道から鉄道事業を引き継いだJRグループ7会社の内の一つ。略称はJR貨物(ジェイアールかもつ)。コーポレートカラーはコンテナブルー(青と灰の中間色)。JRグループ共通のJRロゴのほか、独自のサービスマーク「JRF」ロゴも使用している(Fは「貨物」を意味するfreightの頭文字)。取締役会長は金田好生、代表取締役社長は伊藤直彦。全国規模で貨物列車を運行しているほか、遊休地となっていた操車場跡地を利用しての不動産業も行っている。
なお、ロゴの「鉄」の字は、金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という文字(鉃)を使っているが、正式な商号は「鉄」である。(JR四国以外の各社も同じ)
JR貨物本社(2005/09/29)
目次1 概説
2 本社・支社
3 保有路線
3.1 第一種鉄道事業路線
3.2 第二種鉄道事業路線
4 車両
5 車両基地
6 工場
7 主な関連会社
8 関連項目
9 外部リンク
概説旧国鉄のJRグループへの移行に際し、旅客事業は全国6つの会社に分割されたが、貨物事業は全国規模での営業を続けることとなり、JR貨物が設立された。
設立の際、JR貨物自身が第一種鉄道事業者として保有する路線は必要最小限に抑えられた。ごく少数の貨物専用路線は基本的にはJR貨物が所有しているが、両端が旅客線になっている貨物線や、旅客化する計画のある路線、廃止が決定している路線は、その地域を管轄する旅客会社が所有することとされた。 そのため、JR貨物自身の運行する路線のほとんどは、鉄道施設を保有するJR旅客会社の路線の大半や、一部の私鉄(旧国鉄・JR路線を転換した第三セクター鉄道)路線の第二種鉄道事業者となっており、それらの会社に線路使用料を払って貨物列車を運行している。
貨物列車の運行については、基本的に自社の乗務員や機関車を使って行っているが、路線によっては旅客会社の乗務員や機関車で運行する場合もある。また以前は逆にJR貨物の乗務員や機関車で旅客列車を運行する場合も多数あったが、現在は臨時列車を含め多少残っている程度である。
一方貨物輸送量は、航空機による貨物輸送の増加や高速道路整備によるトラック輸送の増加などの影響を受け、年々減少を続けている。これに対抗してJR貨物では、貨物列車の増発やスピードアップ、貨物駅のE&S方式への改良、M250系貨物電車の運行などソフト面・ハード面の充実でサービスアップを目指している。
また近年のモーダルシフトの推進において、JR貨物の役割は非常に重要であると言える。
本社・支社本社
所在地:東京都千代田区飯田橋3丁目13番1号
支社
北海道
所在地:北海道札幌市中央区北11条西15丁目1番1号
東北
所在地:宮城県仙台市青葉区五橋1丁目1番1号
関東
所在地:東京都千代田区飯田橋3丁目13番1号
東海
所在地:愛知県稲沢市駅前1丁目9番3号
関西
所在地:大阪府大阪市北区芝田2丁目4番24号
九州
所在地:福岡県北九州市小倉北区宝町3丁目2番57号
保有路線
第一種鉄道事業路線
線 名 区 間 営業キロ
羽越線 酒田駅~酒田港駅 2.7km
宇部線 居能駅~宇部港駅 2.2km
奥羽線 土崎駅~秋田港駅 1.8km
大阪環状線 境川信号場~浪速駅 2.3km
鹿児島線 門司港駅~外浜駅 0.9km
千早操車場~福岡貨物ターミナル駅 2.2km
関西線 四日市駅~塩浜駅 3.3km
平野駅~百済駅 1.4km
信越線 上沼垂信号場~沼垂駅 1.8km
上沼垂信号場~東新潟港駅 3.8km
新湊線 能町駅~高岡貨物駅 1.9km
仙石線 陸前山下駅~石巻港駅 1.8km
東海道線 山王信号場~名古屋港駅 6.2km
吹田信号場~大阪貨物ターミナル駅 8.7km
東北線 田端操駅~北王子駅 4.0km
日豊線 小波瀬西工大前駅~苅田港駅 4.6km
北陸線 敦賀駅~敦賀港駅 2.7km
第二種鉄道事業路線
線 名 区 間 営業キロ 第一種鉄道事業者
愛知環状鉄道線 岡崎駅~北岡崎駅 5.3km 愛知環状鉄道
青い森鉄道線 目時駅~八戸駅 25.9km 青森県(第三種)
赤穂線 相生駅~東岡山駅 57.4km 西日本旅客鉄道
飯田線 豊橋駅~豊川駅 8.7km 東海旅客鉄道
元善光寺駅~辰野駅 61.9km
石巻線 小牛田駅~石巻駅 27.9km 東日本旅客鉄道
伊東線 熱海駅~伊東駅 16.9km 東日本旅客鉄道
いわて銀河鉄道線 盛岡駅~目時駅 82.0km IGRいわて銀河鉄道
羽越線 新津駅~秋田駅 271.7km 東日本旅客鉄道
内子線 新谷駅~内子駅 5.3km 四国旅客鉄道
宇野線 岡山駅~茶屋町駅 14.9km 西日本旅客鉄道
宇部線 宇部岬駅~宇部駅 9.5km 西日本旅客鉄道
江差線 五稜郭駅~木古内駅 37.8km 北海道旅客鉄道
奥羽線 横手駅~青森駅 256.2km 東日本旅客鉄道
新青森駅~青森信号場 4.8km (第一種鉄道事業者のキロ数設定なし)
青梅線 立川駅~拝島駅 6.9km 東日本旅客鉄道
大阪環状線 福島駅~西九条駅 2.6km 西日本旅客鉄道
新今宮駅~境川信号場 3.8km
海峡線 木古内駅~中小国駅 87.8km 北海道旅客鉄道
鹿児島線 門司港駅~八代駅 232.3km 九州旅客鉄道
川内駅~鹿児島貨物ターミナル駅 49.3km
鹿島線 香取駅~鹿島サッカースタジアム駅 17.4km 東日本旅客鉄道
片町線 徳庵駅~鴫野駅 3.6km 西日本旅客鉄道
放出駅~平野駅 8.4km
鴫野駅~吹田駅 9.1km
関西線 名古屋駅~亀山駅 59.9km 東海旅客鉄道
平野駅~新今宮駅 4.9km 西日本旅客鉄道
紀勢線 亀山駅~新宮駅 180.2km 東海旅客鉄道
新宮駅~紀伊佐野駅 6.4km 西日本旅客鉄道
北上線 北上駅~横手駅 61.1km 東日本旅客鉄道
京葉線 蘇我駅~(千葉貨物ターミナル駅) 6.3km 東日本旅客鉄道
(千葉貨物ターミナル駅)~西船橋駅 16.1km
湖西線 近江塩津駅~山科駅 74.1km 西日本旅客鉄道
御殿場線 国府津駅~沼津駅 60.2km 東海旅客鉄道
相模線 茅ヶ崎駅~厚木駅 14.2km 東日本旅客鉄道
桜島線 西九条駅~安治川口駅 2.4km 西日本旅客鉄道
佐世保線 肥前山口駅~有田駅 28.2km 九州旅客鉄道
山陰線 丹波口駅~二条駅 1.7km 西日本旅客鉄道
伯耆大山駅~出雲市駅 66.4km
江津駅~益田駅 60.2km
山陽線 神戸駅~下関駅 528.1km 西日本旅客鉄道
下関駅~北九州貨物ターミナル駅 6.3km 九州旅客鉄道
篠ノ井線 篠ノ井駅~塩尻駅 66.7km 東日本旅客鉄道
上越線 高崎駅~宮内駅 162.6km 東日本旅客鉄道
城端線 高岡駅~二塚駅 3.3km 西日本旅客鉄道
常磐線 三河島駅~岩沼駅 341.9km 東日本旅客鉄道
三河島駅~隅田川駅~南千住駅 5.7km
三河島駅~田端駅 1.6km
信越線 高崎駅~安中駅 10.6km 東日本旅客鉄道
篠ノ井駅~上沼垂信号場 218.7km
越後石山駅~新潟貨物ターミナル駅 2.4km
しなの鉄道線 西上田駅~篠ノ井駅 20.7km しなの鉄道
石勝線 南千歳駅~上落合信号場 108.3km 北海道旅客鉄道
石北線 新旭川駅~北見駅 181.0km 北海道旅客鉄道
仙石線 陸前山下駅~石巻駅 1.4km 東日本旅客鉄道
総武線 新小岩操駅~佐倉駅 44.8km 東日本旅客鉄道
新小岩操駅~越中島貨物駅 9.4km
新小岩操駅~金町駅 6.6km
宗谷線 旭川駅~名寄駅 76.2km 北海道旅客鉄道
外房線 千葉駅~蘇我駅 3.8km 東日本旅客鉄道
高崎線 大宮駅~高崎駅 74.7km 東日本旅客鉄道
高山線 岐阜駅~高山駅 136.4km 東海旅客鉄道
猪谷駅~富山駅 36.6km 西日本旅客鉄道
武豊線 大府駅~東成岩駅 16.3km 東海旅客鉄道
千歳線 沼ノ端駅~白石駅 56.6km 北海道旅客鉄道
中央線 新宿駅~塩尻駅 211.8km 東日本旅客鉄道
岡谷駅~辰野駅~塩尻駅 27.7km
塩尻駅~名古屋駅 174.8km 東海旅客鉄道
津軽線 中小国駅~青森駅 31.4km 東日本旅客鉄道
鶴見線 浅野駅~扇町駅 4.0km 東日本旅客鉄道
浅野駅~新芝浦駅 0.9km
武蔵白石駅~大川駅 1.0km
東海道線 品川駅~熱海駅 97.8km 東日本旅客鉄道
品川駅~新鶴見信号場 13.9km
東京貨物ターミナル駅~浜川崎駅 12.9km
鶴見駅~横浜羽沢駅~東戸塚駅 16.0km
鶴見駅~八丁畷駅 2.3km
鶴見駅~新興駅~桜木町駅 11.2km
熱海駅~米原駅 341.3km 東海旅客鉄道
南荒尾信号場~関ヶ原駅 10.7km
南荒尾信号場~美濃赤坂駅 1.9km
米原駅~神戸駅 139.0km 西日本旅客鉄道
梅小路駅~丹波口駅 3.3km (第一種鉄道事業者のキロ数設定なし)
吹田駅~梅田駅~福島駅 8.5km
東北線 田端駅~盛岡駅 528.2km 東日本旅客鉄道
八戸駅~青森駅 96.0km
長町駅~宮城野駅~東仙台駅 6.6km
長崎線 鳥栖駅~長崎駅 125.3km 九州旅客鉄道
成田線 佐倉駅~香取駅 43.6km 東日本旅客鉄道
南武線 尻手駅~立川駅 33.8km 東日本旅客鉄道
尻手駅~浜川崎駅 4.1km
尻手駅~新鶴見信号場 1.5km
西名古屋港線 名古屋駅~名古屋貨物ターミナル駅 5.1km 名古屋臨海高速鉄道
日豊線 小倉駅~佐土原駅 326.7km 九州旅客鉄道
根岸線 桜木町駅~大船駅 20.1km 東日本旅客鉄道
根室線 滝川駅~富良野駅 54.6km 北海道旅客鉄道
東鹿越駅~釧路駅 213.6km
白新線 上沼垂信号場~新発田駅 25.4km 東日本旅客鉄道
伯備線 倉敷駅~伯耆大山駅 138.4km 西日本旅客鉄道
函館線 五稜郭駅~長万部駅 108.9km 北海道旅客鉄道
手稲駅~旭川駅 147.4km
大沼駅~森駅 35.3km
八戸線 八戸駅~本八戸駅 5.5km 東日本旅客鉄道
磐越西線 郡山駅~新津駅 175.6km 東日本旅客鉄道
肥薩おれんじ線 八代駅~川内駅 116.9km 肥薩おれんじ鉄道
氷見線 高岡駅~伏木駅 7.3km 西日本旅客鉄道
北陸線 直江津駅~米原駅 353.8km 西日本旅客鉄道
本四備讃線 茶屋町駅~児島駅 12.9km 西日本旅客鉄道
児島駅~宇多津駅 18.1km 四国旅客鉄道
水戸線 小山駅~友部駅 50.2km 東日本旅客鉄道
美祢線 厚狭駅~重安駅 22.3km 西日本旅客鉄道
武蔵野線 鶴見駅~南流山駅 84.2km 東日本旅客鉄道
新小平駅~国立駅 5.0km (第一種鉄道事業者のキロ数設定なし)
西浦和駅~与野駅 4.9km
南流山駅~北小金駅 2.9km (第一種鉄道事業者のキロ数設定なし)
南流山駅~馬橋駅 3.7km (第一種鉄道事業者のキロ数設定なし)
南流山駅~西船橋駅 16.4km
室蘭線 長万部駅~岩見沢駅 211.0km 北海道旅客鉄道
山口線 新山口駅~益田駅 93.9km 西日本旅客鉄道
山手線 品川駅~田端駅 20.6km 東日本旅客鉄道
横須賀線 大船駅~田浦駅 13.8km 東日本旅客鉄道
横浜線 長津田駅~八王子駅 24.7km 東日本旅客鉄道
予讃線 高松駅~内子駅 232.0km 四国旅客鉄道
伊予大洲駅~宇和島駅 48.1km
伊予大洲駅~新谷駅 5.9km
車両JR貨物の車両形式を参照のこと。
車両基地鷲別機関区(鷲)
五稜郭機関区(五)
仙台総合鉄道部(仙貨)
東新潟機関区(東新)
高崎機関区(髙)※「高機」から高の異体字に変更
千葉機関区(千)
大井機関区(貨東タミキク)
新鶴見機関区(新)
新鶴見機関区川崎派出(川)
塩尻機関区篠ノ井派出(塩)
愛知機関区(愛)
富山機関区(富機)
吹田機関区(吹)
岡山機関区(岡)
広島車両所(広)
幡生機関区厚狭派出(厚)
門司機関区(門)
※()内は所属機関区略号。
工場苗穂車両所(JR北海道苗穂工場構内)
鷲別機関区輪西派出
郡山車両所(JR東日本郡山車両センター構内)
大宮車両所(JR東日本大宮車両センター構内)
川崎車両所
名古屋車両所(JR東海名古屋工場構内)
広島車両所
小倉車両所(JR九州小倉工場構内)
主な関連会社臨海鉄道
秋田臨海鉄道
鹿島臨海鉄道
神奈川臨海鉄道
衣浦臨海鉄道
京葉臨海鉄道
仙台臨海鉄道
名古屋臨海鉄道
八戸臨海鉄道
福島臨海鉄道
水島臨海鉄道
関連項目日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道会社一覧
日本の鉄道
高速貨物列車
日本の鉄道路線一覧 あ~か行 Encyclopedia
日本の鉄道路線一覧 あ~か行は、日本の鉄道路線を50音順に並べたもののうち、名称があ~か行で始まる路線の一覧である。
なお、この一覧では、記事名に会社名等が冠されているものについては原則として会社名等の部分を外し、線路名称のみで50音順に並べている。ただし、正式の線路名称に会社名等が冠されている場合は、それを含めた名称で並べ、会社名等を外した線名でも重ねて記載した。
また、利用者の検索の便を図るため、正式の線路名称のほか、愛称、通称が設定されているものについても記載した。
参照:
日本の地域別鉄道路線一覧 - 地域別に並んでいる。
廃線#廃止路線の記事一覧 - 廃止された鉄道路線のうち記事にあるものが50音順に並んでいる。
編集注:
記入の際には地域別にならんでいる日本の地域別鉄道路線一覧にも書き込んで下さい。
日本の鉄道路線一覧
あ~か行 さ~な行 は~わ行・英数字
あ い う え お
か き く け こ
関連項目
あ行
あ
愛知環状鉄道線 (愛知環状鉄道)
愛・地球博線 (2005年日本国際博覧会協会)
会津線 (会津鉄道)
会津鬼怒川線 (野岩鉄道)
粟生線 (神戸電鉄)
青い森鉄道線 (青い森鉄道)
あおなみ線 (愛称:名古屋臨海高速鉄道)
赤崎線 (貨物:岩手開発鉄道)
赤迫支線 (長崎電気軌道)
吾妻線 (東日本旅客鉄道)
赤羽線 (東日本旅客鉄道)
秋田新幹線 (愛称:東日本旅客鉄道)
秋田内陸線 (秋田内陸縦貫鉄道)
明知線 (明知鉄道)
赤穂線 (西日本旅客鉄道)
阿佐線 (土佐くろしお鉄道)
浅草線 (東京都交通局)
阿佐東線 (阿佐海岸鉄道)
浅野川線 (北陸鉄道)
アストラムライン (愛称:広島高速交通)
東田本線 (豊橋鉄道)
阿蘇高原線 (愛称:九州旅客鉄道)
厚木線 (貨物:相模鉄道)
渥美線 (豊橋鉄道)
左沢線 (東日本旅客鉄道)
安野屋線 (富山地方鉄道(軌道))
我孫子支線 (通称:東日本旅客鉄道)
阿武隈急行線 (阿武隈急行)
網干線 (山陽電気鉄道)
甘木線 (甘木鉄道)
甘木線 (西日本鉄道)
天橋立鋼索鉄道 (通称:丹後海陸交通)
荒川線 (東京都交通局)
嵐山線 (阪急電鉄)
嵐山本線 (京福電気鉄道)
有馬線 (神戸電鉄)
阿波室戸シーサイドライン (愛称:四国旅客鉄道)
い
飯坂線 (福島交通)
飯田線 (東海旅客鉄道)
飯山線 (東日本旅客鉄道)
伊賀線 (近畿日本鉄道)
井川線 (大井川鐵道)
池上線 (東京急行電鉄)
池袋線 (西武鉄道)
生駒線 (近畿日本鉄道)
生駒鋼索線 (近畿日本鉄道)
石川線 (北陸鉄道)
石巻線 (東日本旅客鉄道)
石山坂本線 (京阪電気鉄道)
伊豆急行線 (伊豆急行)
いすみ線 (いすみ鉄道)
いずみ野線 (相模鉄道)
伊勢線 (伊勢鉄道)
伊勢崎線 (東武鉄道)
伊田線 (平成筑豊鉄道)
伊丹線 (阪急電鉄)
市橋線 (西濃鉄道)
五日市線 (東日本旅客鉄道)
伊東線 (東日本旅客鉄道)
糸田線 (平成筑豊鉄道)
伊奈線 (埼玉新都市交通)
伊野線 (土佐電気鉄道)
犬山線 (名古屋鉄道)
犬山モノレール (通称:名古屋鉄道)
伊野線 (土佐電気鉄道)
井の頭線 (京王電鉄)
井原線 (井原鉄道)
揖斐線 (名古屋鉄道)
揖斐線 (通称:近畿日本鉄道)
指宿枕崎線 (九州旅客鉄道)
今津線 (阪急電鉄)
岩泉線 (東日本旅客鉄道)
いわて銀河鉄道線 (IGRいわて銀河鉄道)
因美線 (西日本旅客鉄道)
う
羽越本線 (東日本旅客鉄道)
上野懸垂線 (東京都交通局)
上町線 (阪堺電気軌道)
浮島線 (貨物:神奈川臨海鉄道)
宇治線 (京阪電気鉄道)
宇品線 (広島電鉄)
内子線 (四国旅客鉄道)
内房線 (東日本旅客鉄道)
宇都宮線 (東武鉄道)
宇都宮線 (愛称:東日本旅客鉄道)
内部線 (近畿日本鉄道)
宇野線 (西日本旅客鉄道)
梅田貨物線 (通称:西日本旅客鉄道)
宇部線 (西日本旅客鉄道)
うみねこレール八戸市内線 (愛称:東日本旅客鉄道)
宇美線 (通称:九州旅客鉄道)
海の中道線 (愛称:九州旅客鉄道)
え
叡山ケーブル (通称:京福電気鉄道)
叡山本線 (叡山電鉄)
駅前線 (通称:土佐電気鉄道)
江差線 (北海道旅客鉄道)
越後線 (東日本旅客鉄道)
越美南線 (長良川鉄道)
越美北線 (西日本旅客鉄道)
江の島線 (湘南モノレール)
江ノ島線 (小田急電鉄)
江ノ島電鉄線 (江ノ島電鉄(正式な路線名なし))
江波線 (広島電鉄)
えびの高原線 (愛称:九州旅客鉄道)
お
奥羽本線 (東日本旅客鉄道)
鴨東線 (京阪電気鉄道)
青梅線 (東日本旅客鉄道)
大洗鹿島線 (鹿島臨海鉄道)
大井川本線 (大井川鐵道)
大糸線 (東日本旅客鉄道、西日本旅客鉄道)
大井町線 (東京急行電鉄)
大浦支線 (長崎電気軌道)
大江戸線 (東京都交通局)
大阪線 (近畿日本鉄道)
大阪環状線 (西日本旅客鉄道)
大阪外環状線 (西日本旅客鉄道) : 未開業
大阪モノレール線 (大阪高速鉄道)
大津線 (総称:京阪電気鉄道)
大月線 (富士急行)
大手町線 (伊予鉄道)
大船渡線 (東日本旅客鉄道)
大湊線 (東日本旅客鉄道)
大村線 (九州旅客鉄道)
大森線 (函館市交通局)
大山ケーブルカー (通称:大山観光電鉄)
大山鋼索線 (大山観光電鉄)
大鰐線 (弘南鉄道)
男鹿線 (東日本旅客鉄道)
男鹿なまはげライン (愛称:東日本旅客鉄道)
沖縄都市モノレール線 (沖縄都市モノレール)
奥の細道最上川ライン (愛称:東日本旅客鉄道)
奥の細道湯けむりライン (愛称:東日本旅客鉄道)
越生線 (東武鉄道)
押上線 (京成電鉄)
小田原線 (小田急電鉄)
男山ケーブル (通称:京阪電気鉄道)
小野田線 (西日本旅客鉄道)
小浜線 (西日本旅客鉄道)
か行
か
ガーラ湯沢線 (通称:東日本旅客鉄道)
海岸線 (神戸市交通局)
海峡線 (北海道旅客鉄道)
ガイドウェイバス志段味線 (名古屋ガイドウェイバス)
各務原線 (名古屋鉄道)
学園都市線 (愛称:北海道旅客鉄道)
岳南鉄道線 (岳南鉄道(正式な路線名なし))
加古川線 (西日本旅客鉄道)
鹿児島本線 (九州旅客鉄道)
傘松ケーブル (通称:丹後海陸交通)
香椎線 (九州旅客鉄道)
橿原線 (近畿日本鉄道)
鹿島線 (東日本旅客鉄道)
鹿島鉄道線 (鹿島鉄道)
鹿島臨港線 (鹿島臨海鉄道)
加太線 (南海電気鉄道)
交野線 (京阪電気鉄道)
片町線 (西日本旅客鉄道)
学研都市線 (愛称:西日本旅客鉄道)
勝山永平寺線 (えちぜん鉄道)
金沢シーサイドライン (横浜新都市交通)
金町線 (京成電鉄)
可部線 (西日本旅客鉄道)
釜石線 (東日本旅客鉄道)
蒲郡線 (名古屋鉄道)
上飯田線 (通称:名古屋市交通局)
神岡線 (神岡鉄道)
上熊本線 (熊本市交通局)
上高地線 (松本電気鉄道)
上滝線 (富山地方鉄道(鉄道))
亀戸線 (東武鉄道)
烏丸線 (京都市交通局)
烏山線 (東日本旅客鉄道)
唐津線 (九州旅客鉄道)
河口湖線 (富士急行)
川越線 (東日本旅客鉄道)
幹線 (熊本市交通局)
関西空港線 (西日本旅客鉄道)
関西本線 (東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道)
関電トンネルトロリーバス (通称:関西電力)
岩徳線 (西日本旅客鉄道)
き
菊池線 (熊本電気鉄道)
貴志川線 (南海電気鉄道)
紀州鉄道線 (紀州鉄道)
姫新線 (西日本旅客鉄道)
木次線 (西日本旅客鉄道)
紀勢本線 (東海旅客鉄道、西日本旅客鉄道)
北アルプス線 (愛称:東日本旅客鉄道、西日本旅客鉄道)
北王子線 (通称:日本貨物鉄道)
北方貨物線 (通称:西日本旅客鉄道)
北上線 (東日本旅客鉄道)
北野線 (京福電気鉄道)
北松江線 (一畑電気鉄道)
北リアス線 (三陸鉄道)
吉都線 (九州旅客鉄道)
鬼怒川線 (東武鉄道)
きのくに線 (愛称:西日本旅客鉄道)
吉備線 (西日本旅客鉄道)
岐阜市内線 (名古屋鉄道)
九州新幹線 (九州旅客鉄道)
久大本線 (九州旅客鉄道)
京都線 (近畿日本鉄道)
JR京都線 (愛称:西日本旅客鉄道)
京都本線 (阪急電鉄)
桐生線 (東武鉄道)
銀河ドリームライン釜石線 (愛称:東日本旅客鉄道)
銀座線 (東京地下鉄)
近鉄連絡線 (三岐鉄道)
く
空港線 (京浜急行電鉄)
空港線 (名古屋鉄道)
空港線 (南海電気鉄道)
空港線 (福岡市交通局)
草津線 (西日本旅客鉄道)
九頭竜線 (愛称:西日本旅客鉄道)
久里浜線 (京浜急行電鉄)
久留里線 (東日本旅客鉄道)
鞍馬線 (叡山電鉄)
鞍馬山鋼索鉄道 (鞍馬寺)
くりはら田園鉄道線 (くりはら田園鉄道)
呉線 (西日本旅客鉄道)
呉羽線 (富山地方鉄道(軌道))
黒部ケーブルカー (通称:立山黒部貫光)
郡中線 (伊予鉄道)
け
京王線 (京王電鉄)
京王新線 (通称:京王電鉄)
京急本線 (通称:京浜急行電鉄)
京津線 (京阪電気鉄道)
京成本線 (通称:京成電鉄)
けいはんな線 (近畿日本鉄道): 未開業
京阪本線 (京阪電気鉄道)
芸備線 (西日本旅客鉄道)
京浜東北線 (通称:東日本旅客鉄道)
京葉線 (東日本旅客鉄道)
気仙沼線 (東日本旅客鉄道)
健軍線 (熊本市交通局)
こ
小泉線 (東武鉄道)
公園都市線 (神戸電鉄)
港東線 (貨物:水島臨海鉄道)
弘南線 (弘南鉄道)
高徳線 (四国旅客鉄道)
鋼索線 (京阪電気鉄道)
鋼索線 (京福電気鉄道)
鋼索線 (立山開発鉄道)
鋼索線 (立山黒部貫光)
鋼索線 (南海電気鉄道)
鋼索線 (箱根登山鉄道)
JR神戸線 (愛称:西日本旅客鉄道)
神戸本線 (阪急電鉄)
小海線 (東日本旅客鉄道)
高野線 (南海電気鉄道)
甲陽線 (阪急電鉄)
河和線 (名古屋鉄道)
国際文化公園都市線 (大阪高速鉄道)
国分寺線 (西武鉄道)
小倉線 (北九州高速鉄道)
小坂線 (貨物:小坂製錬)
小坂鉄道小坂線 (貨物・通称:小坂製錬)
御所線 (近畿日本鉄道)
湖西線 (西日本旅客鉄道)
御殿場線 (東海旅客鉄道)
後藤寺線 (九州旅客鉄道)
琴平線 (高松琴平電気鉄道)
こどもの国線 (東京急行電鉄(2種)、横浜高速鉄道(3種))
五能線 (東日本旅客鉄道)
駒ヶ岳鋼索線 (伊豆箱根鉄道)
駒ヶ岳ケーブルカー (通称:伊豆箱根鉄道)
小牧線 (名古屋鉄道)
小湊鉄道線 (小湊鐵道)
後免線 (土佐電気鉄道)
ごめん・なはり線 (愛称:土佐くろしお鉄道)
日本の鉄道路線一覧 さ~な行 Encyclopedia
日本の鉄道路線一覧 さ~な行は、日本の鉄道路線を50音順に並べたもののうち、名称がさ~な行で始まる路線の一覧である。
なお、この一覧では、記事名に会社名等が冠されているものについては原則として会社名等の部分を外し、線路名称のみで50音順に並べている。ただし、正式の線路名称に会社名等が冠されている場合は、それを含めた名称で並べ、会社名等を外した線名でも重ねて記載した。
また、利用者の検索の便を図るため、正式の線路名称のほか、愛称、通称が設定されているものについても記載した。
参照:
日本の地域別鉄道路線一覧 - 地域別に並んでいる。
廃線#廃止路線の記事一覧 - 廃止された鉄道路線のうち記事にあるものが50音順に並んでいる。
編集注:
記入の際には地域別にならんでいる日本の地域別鉄道路線一覧にも書き込んで下さい。
日本の鉄道路線一覧
あ~か行 さ~な行 は~わ行・英数字
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
関連項目
さ行
さ
埼京線 (愛称:東日本旅客鉄道)
埼玉高速鉄道線 (埼玉高速鉄道)
西戸崎線 (通称:九州旅客鉄道)
彩都線 (愛称:大阪高速鉄道)
彩の国スタジアム線 (愛称:埼玉高速鉄道)
境線 (西日本旅客鉄道)
堺筋線 (大阪市交通局)
嵯峨野線 (愛称:西日本旅客鉄道)
嵯峨野観光線 (嵯峨野観光鉄道)
相模線 (東日本旅客鉄道)
相模原線 (京王電鉄)
坂本ケーブル (通称:比叡山鉄道)
桜井線 (西日本旅客鉄道)
桜島線 (西日本旅客鉄道)
桜通線 (通称:名古屋市交通局)
桜町支線 (長崎電気軌道)
篠栗線 (九州旅客鉄道)
佐世保線 (九州旅客鉄道)
札沼線 (北海道旅客鉄道)
佐野線 (東武鉄道)
狭山線 (西武鉄道)
砂原線 (通称:北海道旅客鉄道)
参宮線 (東海旅客鉄道)
山陰本線 (西日本旅客鉄道)
三岐線 (三岐鉄道)
三江線 (西日本旅客鉄道)
三田線 (神戸電鉄)
桟橋線 (土佐電気鉄道)
山陽新幹線 (西日本旅客鉄道)
山陽本線 (西日本旅客鉄道,九州旅客鉄道)
し
支線 (富山地方鉄道(軌道))
汐見橋線 (通称:南海電気鉄道)
信楽線 (信楽高原鐵道)
信貴線 (近畿日本鉄道)
静岡清水線 (静岡鉄道)
志度線 (高松琴平電気鉄道)
しなの鉄道線 (しなの鉄道)
篠ノ井線 (東日本旅客鉄道)
芝山鉄道線 (芝山鉄道)
志摩線 (近畿日本鉄道)
島原鉄道線 (島原鉄道)
しまんとグリーンライン (愛称:四国旅客鉄道)
十国鋼索線 (伊豆箱根鉄道)
十国峠ケーブルカー (通称:伊豆箱根鉄道)
上越線 (東日本旅客鉄道)
上越新幹線 (東日本旅客鉄道)
上信線 (上信電鉄)
常総線 (関東鉄道)
城南線 (伊予鉄道)
湘南モノレール (通称:湘南モノレール)
湘南新宿ライン (愛称:東日本旅客鉄道)
城端線 (西日本旅客鉄道)
常磐線 (東日本旅客鉄道)
城北線 (東海旅客鉄道(1種),東海交通事業(2種))
城北線 (伊予鉄道)
上毛線 (上毛電気鉄道)
信越本線 (東日本旅客鉄道)
新宿線 (西武鉄道)
新宿線 (東京都交通局)
新湊線 (日本貨物鉄道)
新湊港線 (万葉線)
す
水空ライン(愛称:東日本旅客鉄道)
水郡線 (東日本旅客鉄道)
水前寺線 (熊本市交通局)
スカイレールみどり坂線 (愛称:スカイレールサービス)
宿毛線 (土佐くろしお鉄道)
逗子線 (京浜急行電鉄)
鈴鹿線 (近畿日本鉄道)
駿豆線 (伊豆箱根鉄道)
せ
青函トンネル竜飛斜坑線(青函トンネル記念館)
清輝橋線 (岡山電気軌道)
西神線 (神戸市交通局)
西神延伸線 (神戸市交通局)
西武秩父線 (西武鉄道)
西武有楽町線 (西武鉄道)
石勝線 (北海道旅客鉄道)
石北本線 (北海道旅客鉄道)
世田谷線 (東京急行電鉄)
瀬戸線 (名古屋鉄道)
瀬戸内さざなみ線 (愛称:西日本旅客鉄道)
瀬戸大橋線 (愛称:西日本旅客鉄道,四国旅客鉄道)
仙崎支線 (通称:西日本旅客鉄道)
仙山線 (東日本旅客鉄道)
仙石線 (東日本旅客鉄道)
仙台空港線 (仙台空港鉄道) : 未開業
仙台西港線 (貨物:仙台臨海鉄道)
仙台埠頭線 (貨物:仙台臨海鉄道)
千日前線 (大阪市交通局)
泉北高速鉄道線 (大阪府都市開発)
釧網本線 (北海道旅客鉄道)
千里線 (阪急電鉄)
そ
総武流山線 (総武流山電鉄)
総武本線 (東日本旅客鉄道)
宗谷本線 (北海道旅客鉄道)
外房線 (東日本旅客鉄道)
た行
た
第一期線 (鹿児島市交通局)
大師線 (京浜急行電鉄)
大師線 (東武鉄道)
大社線 (一畑電気鉄道)
太多線 (東海旅客鉄道)
第二期線 (鹿児島市交通局)
大雄山線 (伊豆箱根鉄道)
多賀線 (近江鉄道)
高尾線 (京王電鉄)
高尾登山ケーブル (通称:高尾登山電鉄)
高岡軌道線 (万葉線)
高崎線 (東日本旅客鉄道)
高師浜線 (南海電気鉄道)
高千穂線 (高千穂鉄道)
高浜線 (伊予鉄道)
田神線 (名古屋鉄道)
高森線 (南阿蘇鉄道)
高山本線 (東海旅客鉄道,西日本旅客鉄道)
JR宝塚線 (愛称:西日本旅客鉄道)
宝塚本線 (阪急電鉄)
田川線 (平成筑豊鉄道)
武豊線 (東海旅客鉄道)
竹鼻線 (名古屋鉄道)
田崎線 (熊本市交通局)
田沢湖線 (東日本旅客鉄道)
只見線 (東日本旅客鉄道)
谷町線 (大阪市交通局)
太宰府線 (西日本鉄道)
立山線 (富山地方鉄道(鉄道))
立山ケーブルカー (通称:立山開発鉄道)
立山トンネルトロリーバス (通称:立山黒部貫光)
多奈川線 (南海電気鉄道)
谷山線 (鹿児島市交通局)
多摩線 (小田急電鉄)
多摩川線 (西武鉄道)
東急多摩川線 (東京急行電鉄)
多摩湖線 (西武鉄道)
多摩都市モノレール線 (多摩都市モノレール)
樽見線 (樽見鉄道)
田原本線 (近畿日本鉄道)
ち
筑肥線 (九州旅客鉄道)
筑豊電気鉄道線 (通称:筑豊電気鉄道)
筑豊本線 (九州旅客鉄道)
智頭線 (智頭急行)
知多新線 (名古屋鉄道)
西武秩父線 (西武鉄道)
秩父本線 (秩父鉄道)
千歳線 (北海道旅客鉄道)
築港線 (名古屋鉄道)
築港線 (通称:高松琴平電気鉄道)
千葉線 (京成電鉄)
千原線 (京成電鉄)
中央線 (大阪市交通局)
中央西線 (通称:東海旅客鉄道)
中央東線 (通称:東日本旅客鉄道)
中央本線 (東日本旅客鉄道,東海旅客鉄道)
鳥海山ろく線 (由利高原鉄道)
銚子電気鉄道線 (銚子電気鉄道)
千代田線 (東京地下鉄)
つ
津軽線 (東日本旅客鉄道)
津軽海峡線 (愛称:東日本旅客鉄道,北海道旅客鉄道)
津軽鉄道線 (津軽鉄道)
つくばエクスプレス線 (首都圏新都市鉄道)
筑波山鋼索鉄道線 (筑波観光鉄道)
筑波山ケーブルカー (愛称:筑波観光鉄道)
津島線 (名古屋鉄道)
津山線 (西日本旅客鉄道)
鶴舞線 (通称:名古屋市交通局)
鶴見線 (東日本旅客鉄道)
て
ディズニーリゾートライン (舞浜リゾートライン)
鉄道線 (遠州鉄道)
鉄道線 (箱根登山鉄道)
天理線 (近畿日本鉄道)
天竜浜名湖線 (天竜浜名湖鉄道)
田園都市線 (東京急行電鉄)
天神大牟田線 (西日本鉄道)
と
東海道新幹線 (東海旅客鉄道)
東海道本線 (東日本旅客鉄道,東海旅客鉄道,西日本旅客鉄道)
桃花台線 (桃花台新交通)
東金線 (東日本旅客鉄道)
東急多摩川線 (東京急行電鉄)
東京モノレール羽田線(東京モノレール)
東京臨海新交通臨海線 (ゆりかもめ)
東西線 (京都市交通局)
東西線 (神戸高速鉄道(3種))
東西線 (札幌市交通局)
東西線 (仙台市交通局) : 未開業
東西線 (東京地下鉄)
JR東西線 (西日本旅客鉄道)
東上本線 (東武鉄道)
東部丘陵線 (愛知高速交通)
動物園線 (京王電鉄)
東豊線 (札幌市交通局)
東北新幹線 (東日本旅客鉄道)
東北本線 (東日本旅客鉄道)
道明寺線 (近畿日本鉄道)
東葉高速線 (東葉高速鉄道)
東横線 (東京急行電鉄)
徳島線 (四国旅客鉄道)
常滑線 (名古屋鉄道)
土讃線 (四国旅客鉄道)
豊島線 (西武鉄道)
唐湊線 (鹿児島市交通局)
鳥羽線 (近畿日本鉄道)
富山港線 (西日本旅客鉄道)
富山市内軌道線 (通称:富山地方鉄道)
豊川線 (名古屋鉄道)
豊田線 (名古屋鉄道)
ドラゴンレール大船渡線 (愛称:東日本旅客鉄道)
十和田観光電鉄線 (十和田観光電鉄)
十和田八幡平四季彩ライン (愛称:東日本旅客鉄道)
な行
な
長尾線 (高松琴平電気鉄道)
長崎本線 (九州旅客鉄道)
長野線 (近畿日本鉄道)
長野線 (長野電鉄)
長野新幹線 (愛称:東日本旅客鉄道)
長堀鶴見緑地線 (大阪市交通局)
中村線 (土佐くろしお鉄道)
名古屋線 (近畿日本鉄道)
名古屋本線 (名古屋鉄道)
七尾線 (西日本旅客鉄道)
七尾線 (のと鉄道)
七隈線 (福岡市交通局)
奈良線 (西日本旅客鉄道)
奈良線 (近畿日本鉄道)
成田線 (東日本旅客鉄道)
鳴門線 (四国旅客鉄道)
南線 (秋田臨海鉄道)
南海本線 (南海電気鉄道)
南港ポートタウン線 (大阪市交通局)
南港・港区連絡線(テクノポート線) (大阪市交通局)
南港・港区連絡線(ニュートラムテクノポート線) (大阪市交通局)
難波線 (近畿日本鉄道)
南武線 (東日本旅客鉄道)
南北線 (神戸高速鉄道(3種))
南北線 (札幌市交通局)
南北線 (仙台市交通局)
南北線 (東京地下鉄)
に
西尾線 (名古屋鉄道)
西大阪線 (阪神電気鉄道)
西大阪延伸線 (阪神電気鉄道) : 未開業
西鹿島線 (通称:遠州鉄道)
西九州線 (松浦鉄道)
錦川清流線 (錦川鉄道)
西信貴鋼索線 (近畿日本鉄道)
西名古屋港線 (名古屋臨海高速鉄道)
西埠頭線 (貨物:水島臨海鉄道)
日南線 (九州旅客鉄道)
日光線 (東日本旅客鉄道)
日光線 (東武鉄道)
日生線 (能勢電鉄)
日豊本線 (九州旅客鉄道)
日本海縦貫線(総称:東日本旅客鉄道/西日本旅客鉄道)
ニューシャトル(愛称:埼玉新都市交通)
ね
根岸線 (東日本旅客鉄道)
根室本線 (北海道旅客鉄道)
の
野田線 (東武鉄道)
能登線 (のと鉄道)
日本の鉄道路線一覧 は~わ行 Encyclopedia
日本の鉄道路線一覧 は~わ行は、日本の鉄道路線を50音順に並べたもののうち、名称がは~わ行、および英数字で始まる路線の一覧である。
なお、この一覧では、記事名に会社名等が冠されているものについては原則として会社名等の部分を外し、線路名称のみで50音順に並べている。ただし、正式の線路名称に会社名等が冠されている場合は、それを含めた名称で並べ、会社名等を外した線名でも重ねて記載した。
また、利用者の検索の便を図るため、正式の線路名称のほか、愛称、通称が設定されているものについても記載した。
参照:
日本の地域別鉄道路線一覧 - 地域別に並んでいる。
廃線#廃止路線の記事一覧 - 廃止された鉄道路線のうち記事にあるものが50音順に並んでいる。
編集注:
記入の際には地域別にならんでいる日本の地域別鉄道路線一覧にも書き込んで下さい。
日本の鉄道路線一覧
あ~か行 さ~な行 は~わ行・英数字
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
わ 英数字
関連項目
は行
は
拝島線 (西武鉄道)
博多南線 (西日本旅客鉄道)
白島線 (広島電鉄)
白新線 (東日本旅客鉄道)
伯備線 (西日本旅客鉄道)
箱崎線 (福岡市交通局)
函館本線 (北海道旅客鉄道)
箱根駒ヶ岳ケーブルカー (愛称:伊豆箱根鉄道)
箱根十国峠ケーブルカー (愛称:伊豆箱根鉄道)
箱根登山ケーブルカー (愛称:箱根登山鉄道)
羽衣支線 (通称:西日本旅客鉄道)
羽島線 (名古屋鉄道)
八王子線 (近畿日本鉄道)
八高線 (東日本旅客鉄道)
八戸線 (東日本旅客鉄道)
花咲線 (愛称:北海道旅客鉄道)
花園線 (伊予鉄道)
花輪線 (東日本旅客鉄道)
はまなすベイライン大湊線 (愛称:東日本旅客鉄道)
原田線 (愛称:九州旅客鉄道)
磐越西線 (東日本旅客鉄道)
磐越東線 (東日本旅客鉄道)
阪堺線 (阪堺電気軌道)
阪神本線 (阪神電気鉄道)
半蔵門線 (東京地下鉄)
半田線 (衣浦臨海鉄道)
播但線 (西日本旅客鉄道)
阪和線 (西日本旅客鉄道)
ひ
ピーチライナー (愛称:桃花台新交通)
比叡山鉄道線 (比叡山鉄道)
東大阪線 (近畿日本鉄道)
東成田線 (京成電鉄)
東羽衣支線 (通称:西日本旅客鉄道)
東山線 (通称:名古屋市交通局)
東山本線 (岡山電気軌道)
日頃市線 (貨物:岩手開発鉄道)
尾西線 (名古屋鉄道)
肥薩線 (九州旅客鉄道)
肥薩おれんじ鉄道線 (通称:肥薩おれんじ鉄道)
比治山線 (通称:広島電鉄)
日高本線 (北海道旅客鉄道)
日立電鉄線 (日立電鉄)
日田彦山線 (九州旅客鉄道)
日比谷線 (東京地下鉄)
氷見線 (西日本旅客鉄道)
昼飯線 (西濃鉄道)
広島新交通1号線 (広島高速交通)
広島短距離交通瀬野線 (スカイレールサービス)
広見線 (名古屋鉄道)
琵琶湖線 (愛称:西日本旅客鉄道)
品鶴線 (通称:東日本旅客鉄道)
ふ
福北ゆたか線 (愛称:九州旅客鉄道)
福塩線 (西日本旅客鉄道)
福知山線 (西日本旅客鉄道)
福武線 (福井鉄道)
福島臨海鉄道本線 (福島臨海鉄道)
富士急行線 (通称:富士急行)
不二越線 (富山地方鉄道(鉄道))
藤崎線 (熊本電気鉄道)
フラワー長井線 (山形鉄道)
フルーツライン左沢線 (愛称:東日本旅客鉄道)
ふるさと銀河線 (北海道ちほく高原鉄道)
へ
碧南線 (衣浦臨海鉄道)
別所線 (上田電鉄)
別府ラクテンチケーブル線 (岡本製作所)
ほ
ポートアイランド線 (神戸新交通)
北条線 (北条鉄道)
豊肥本線 (九州旅客鉄道)
宝来・谷地頭線 (函館市交通局)
北線 (秋田臨海鉄道)
北神線 (北神急行電鉄(2種),神戸高速鉄道(3種))
北勢線 (三岐鉄道)
北総線 (北総鉄道)
ほくほく線 (北越急行)
北陸本線 (西日本旅客鉄道)
北陸新幹線 (東日本旅客鉄道)
蛍茶屋支線 (長崎電気軌道)
帆柱ケーブル線 (通称:帆柱ケーブル)
本線 (近江鉄道)
本線 (京成電鉄)
本線 (京浜急行電鉄)
本線 (相模鉄道)
本線 (山陽電気鉄道)
本線 (富山地方鉄道(鉄道))
本線 (富山地方鉄道(軌道))
本線 (長崎電気軌道)
本線 (函館市交通局)
本線 (阪神電気鉄道)
本線 (広島電鉄)
本四備讃線 (西日本旅客鉄道,四国旅客鉄道)
本町線 (伊予鉄道)
本牧線 (貨物:神奈川臨海鉄道)
ま行
ま
舞鶴線 (西日本旅客鉄道)
摩耶ケーブル線 (神戸市都市整備公社)
万葉線 (愛称:万葉線)
み
三ヶ尻線 (貨物:秩父鉄道)
三河線 (名古屋鉄道)
三木線 (三木鉄道)
三国芦原線 (えちぜん鉄道)
水島本線 (水島臨海鉄道)
水間線 (水間鉄道)
三角線 (九州旅客鉄道)
三田線 (東京都交通局)
御岳登山ケーブル (通称:御岳登山鉄道)
水戸線 (東日本旅客鉄道)
御堂筋線 (大阪市交通局)
湊線 (茨城交通)
みなとみらい線 (通称:横浜高速鉄道)
みなとみらい21線 (横浜高速鉄道)
皆実線 (広島電鉄)
南大阪線 (近畿日本鉄道)
南リアス線 (三陸鉄道)
美祢線 (西日本旅客鉄道)
箕面線 (阪急電鉄)
身延線 (東海旅客鉄道)
美濃町線 (名古屋鉄道)
宮崎空港線 (九州旅客鉄道)
宮地岳線 (西日本鉄道)
宮島線 (広島電鉄)
宮津線 (北近畿タンゴ鉄道)
宮福線 (北近畿タンゴ鉄道)
妙見線 (能勢電鉄)
妙見ケーブル (通称:能勢電鉄)
む
牟岐線 (四国旅客鉄道)
無軌条電車線 (立山黒部貫光)
武庫川線 (阪神電気鉄道)
武蔵野線 (東日本旅客鉄道)
室蘭本線 (北海道旅客鉄道)
め
名港線 (通称:名古屋市交通局)
名松線 (東海旅客鉄道)
名城線 (通称:名古屋市交通局)
目黒線 (東京急行電鉄)
も
真岡線 (真岡鐵道)
本山支線 (通称:西日本旅客鉄道)
森と水とロマンの鉄道 (愛称:東日本旅客鉄道)
モンキーパークモノレール線 (名古屋鉄道)
や行
や
八栗ケーブル (通称:四国ケーブル)
屋島ケーブル (通称:屋島登山鉄道)
屋代線 (長野電鉄)
八ヶ岳高原線 (愛称:東日本旅客鉄道)
弥彦線 (東日本旅客鉄道)
山形線 (愛称:東日本旅客鉄道)
山形新幹線 (愛称:東日本旅客鉄道)
山口線 (西日本旅客鉄道)
山口線 (西武鉄道)
山田線 (東日本旅客鉄道)
山田線 (近畿日本鉄道)
山手線 (神戸市交通局)
大和路線 (愛称:西日本旅客鉄道)
山手線 (東日本旅客鉄道)
ゆ
ゆいレール (愛称:沖縄都市モノレール)
有楽町線 (東京地下鉄)
西武有楽町線 (西武鉄道)
ゆとりーとライン (愛称:名古屋ガイドウェイバス)
湯の川線 (函館市交通局)
湯前線 (くま川鉄道)
湯の山線 (近畿日本鉄道)
ゆふ高原線 (愛称:九州旅客鉄道)
ゆりかもめ (愛称:ゆりかもめ)
よ
八日市線 (近江鉄道)
養老線 (近畿日本鉄道)
横川線 (広島電鉄)
横河原線 (伊予鉄道)
横須賀線 (東日本旅客鉄道)
横浜線 (東日本旅客鉄道)
予讃線 (四国旅客鉄道)
吉野線 (近畿日本鉄道)
よしの川ブルーライン (愛称:四国旅客鉄道)
四つ橋線 (大阪市交通局)
予土線 (四国旅客鉄道)
米坂線 (東日本旅客鉄道)
ら行
ら
ラクテンチケーブル (通称:岡本製作所)
り
陸羽西線 (東日本旅客鉄道)
陸羽東線 (東日本旅客鉄道)
リニモ (愛称:愛知高速交通)
竜ヶ崎線 (関東鉄道)
両毛線 (東日本旅客鉄道)
りんかい線 (愛称:東京臨海高速鉄道)
臨海副都心線 (東京臨海高速鉄道)
臨海本線 (貨物:仙台臨海鉄道)
りんかんサンライン (愛称:南海電気鉄道)
る
留萌本線 (北海道旅客鉄道)
ろ
六甲アイランド線 (神戸新交通)
六甲ケーブル線 (六甲摩耶鉄道)
わ行
わ
若桜線 (若桜鉄道)
若松線 (愛称:九州旅客鉄道)
和歌山線 (西日本旅客鉄道)
和歌山港線 (南海電気鉄道)
和田岬線 (通称:西日本旅客鉄道)
わたらせ渓谷線 (わたらせ渓谷鐵道)
英数字
1号線(アストラムライン) (広島高速交通)
1号線 (千葉都市モノレール)
1号線 (横浜市交通局)
1号線浅草線 (東京都交通局)
1号線(空港線) (福岡市交通局)
1号線東山線 (名古屋市交通局)
1号線(御堂筋線) (大阪市交通局)
2号線 (千葉都市モノレール)
2号線(谷町線) (大阪市交通局)
2号線(箱崎線) (福岡市交通局)
2号線日比谷線 (東京地下鉄)
2号線名城線 (名古屋市交通局)
3号線 (横浜市交通局)
3号線銀座線 (東京地下鉄)
3号線鶴舞線 (名古屋市交通局)
3号線(七隈線) (福岡市交通局) : 未開業
3号線(四つ橋線) (大阪市交通局)
4号線名城線 (名古屋市交通局)
4号線(中央線) (大阪市交通局)
4号線丸ノ内線 (東京地下鉄)
4号線丸ノ内線分岐線 (東京地下鉄)
5号線(千日前線) (大阪市交通局)
5号線東西線 (東京地下鉄)
6号線(堺筋線) (大阪市交通局)
6号線桜通線 (名古屋市交通局)
6号線三田線 (東京都交通局)
7号線(長堀鶴見緑地線) (大阪市交通局)
7号線上飯田線 (名古屋市交通局)
7号線南北線 (東京地下鉄)
8号線有楽町線 (東京地下鉄)
8号線 (大阪市交通局) : 未開業
9号線千代田線 (東京地下鉄)
10号線新宿線 (東京都交通局)
11号線半蔵門線 (東京地下鉄)
12号線大江戸線 (東京都交通局)
JR京都線 (愛称:西日本旅客鉄道)
JR神戸線 (愛称:西日本旅客鉄道)
JR宝塚線 (愛称:西日本旅客鉄道)
JR東西線 (西日本旅客鉄道)
JRゆめ咲線 (愛称:西日本旅客鉄道)
Linimo(愛称:愛知高速交通)
廃線 Categories
2005年日本国際博覧会協会愛・地球博線 寿都鉄道 可部線
富内線 富山地方鉄道射水線 富山地方鉄道笹津線
中勢鉄道 中舞鶴線 世知原線
下北交通大畑線 下津井電鉄線 下河原線
三重交通神都線 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道
上山田線 上田丸子電鉄西丸子線 上田交通真田傍陽線
上田温泉電気軌道青木線 南海大浜支線 南海天王寺支線
南海北島支線 南部縦貫鉄道 志布志線
信越本線 川崎市電 川俣線
かつて存在した路面電車路線 勝田線 唐津線
廃線 安濃鉄道 宇品線
のと鉄道七尾線 定山渓鉄道 別府鉄道土山線
えちぜん鉄道勝山永平寺線 尾小屋鉄道 尾道鉄道
小松島線 山形交通三山線 妻線
大社線 大阪市電 大阪万博の交通
大隅線 天塩炭砿鉄道 天北線
士幌線 倉吉線 幸袋線
佐賀線 弘南鉄道黒石線 伊勢電気鉄道
伊豆箱根鉄道軌道線 伊豆箱根鉄道駒ヶ岳鋼索線 九十九里鉄道
岡山臨港鉄道 岩内線 名寄本線
名古屋市電 名鉄一宮線 名鉄勝川線
名鉄安城支線 名鉄小坂井支線 名鉄岡崎市内線
名鉄岩倉支線 名鉄岐阜市内線 名鉄清洲線
名鉄揖斐線 名鉄挙母線 名鉄田神線
名鉄竹鼻線 名鉄瀬戸線 名鉄鏡島線
名鉄高富線 名鉄谷汲線 名鉄西尾線
名鉄起線 ドリーム開発ドリームランド線 五日市線
井笠鉄道 京急大師線 京福電気鉄道永平寺線
京王御陵線 京阪京津線 京都市電
北大阪急行電鉄南北線 北九州市交通局 北陸鉄道小松線
北陸鉄道加南線 北陸鉄道松金線 北陸鉄道浅野川線
北陸鉄道片山津線 北陸鉄道粟津線 北陸鉄道石川線
北陸鉄道金名線 北陸鉄道金沢市内軌道線 北陸鉄道金石線
同和鉱業片上鉄道 土佐電気鉄道安芸線 土佐電気鉄道新地線
加悦鉄道 加越能鉄道加越線 根室拓殖鉄道
根北線 標津線 清水港線
渚滑線 歌志内線 新潟交通電車線
日中線 日本鉱業佐賀関鉄道 桑名電軌
添田線 深名線 手宮線
池田鉄道 東武小泉線 東武日光軌道線
東武熊谷線 東濃鉄道笠原線 東濃鉄道駄知線
東急東横線 東急玉川線 東野鉄道
江若鉄道 森林鉄道 (三笠) 森林鉄道 (大夕張営林署)
漆生線 沖縄の鉄道 沖縄県営鉄道嘉手納線
沖縄県営鉄道海陸連絡線 沖縄県営鉄道糸満線 沖縄電気
沖縄軌道 松本電気鉄道上高地線 松本電気鉄道浅間線
札沼線 有田鉄道線 有馬線
未成線 海岸電気軌道 琴平参宮電鉄
琴平電鉄塩江線 篠山線 筑波鉄道筑波線
筑肥線 相模線 相生線
秋田中央交通線 片町線 特定地方交通線
熊本電気鉄道菊池線 福島臨海鉄道 神戸市電
瀬棚線 糸満馬車軌道 羽後交通横荘線
羽後交通雄勝線 白糠線 頸城鉄道線
遠州鉄道奥山線 阪急北野線 魚沼線
近鉄伊賀線 蒲原鉄道線 荒尾市営電気鉄道
雲仙鉄道 鍛冶屋原線 鍛冶屋線
達布森林鉄道 高徳線 高砂線
越後交通栃尾線 越後交通長岡線 草軽電気鉄道
釧路開発埠頭 臼ノ浦線 長野電鉄河東線
興浜南線 興浜北線 香月線
飯田線 西大寺鉄道 西武大宮線
西鉄大川線 西鉄大牟田市内線 西鉄北九州線
鹿児島交通知覧線 胆振線 能勢電鉄国鉄前線
茨城交通水浜線 茨城交通茨城線 静岡鉄道清水市内線
静岡鉄道秋葉線 静岡鉄道駿遠線 静岡鉄道静岡市内線
赤字83線 赤谷線
廃線 Encyclopedia
廃線(はいせん)とは、鉄道路線の営業を廃止すること。またはその廃止された路線のこと。なお、記録上の廃止日は、最終営業日の翌日である。
目次1 廃線の要因
2 廃線跡
3 関連項目
4 廃止路線の記事一覧
4.1 あ行
4.2 か行
4.3 さ行
4.4 た行
4.5 な行
4.6 は行
4.7 ま行
4.8 や行
4.9 ら行
5 廃線跡に関する記述のある記事一覧
廃線の要因ある鉄道路線が廃線になる要因として、以下のようなものが挙げられる。
利用者や貨物の減少による廃線
この要因が廃線の原因としては最も多い。国鉄(JR)や鉄道会社が自主的に廃止を決定したもののほか、1968年から行われた赤字83線に指定されたもの、1980年代に行われた国鉄再建法に基づく特定地方交通線に指定されたものもある。太平洋戦争中に「不要不急線」として休止され資材供出を行い、戦後鉄道路線として復活されないまま廃止となった路線(例・白棚線)もある。
旅客・貨物の減少の要因としては、1960年代まではバスやトラックの発達が主要因であるが、それ以降は自家用車の普及(モータリゼーション)が主要因となっている。昭和戦前に早くもバスとの競合に負け廃線となった軽便鉄道がある。また、沿線人口の減少が利用客の減少を招く場合も多い。この沿線人口の減少については1960~70年代には鉱業や林業の衰退が主要因であったが、現在では出生率の低下による少子高齢化(通学利用者の急激な減少と遠出をしない高齢者の増加)が主要因である。
線形の改良による廃線
技術の進歩により、長大なトンネル・橋梁などの敷設が可能となったことを活かして新線が引かれ、それ以前の旧線が放棄されることがある。北陸本線や東北本線などのように、新線が旧線と全くかけ離れた場所に敷設され旧線が廃線となった事例もあるが、これは旧線沿線に鉄道を維持できるだけの需要がなかったということでもある。
新線開業に伴う廃線
上の例に似ているが、別の事業者による新線ができてそちらの路線に乗り入れる運行形態となったことで、並行する在来の路線が廃止された例もある。筑肥線(博多~姪浜間)・京阪京津線(京津三条~御陵間)・東急東横線(横浜~桜木町間)などがこれに該当するが、長野新幹線の開業で廃止された信越本線の横川~軽井沢間も広い意味ではこれに当てはまる。信越本線のように新線と近接していないにもかかわらず廃止された場合は、旧線沿線に鉄道を維持できるだけの需要がなかったということでもある。
なお、江若鉄道や名鉄挙母線のように国鉄新線の建設(それぞれ、湖西線・岡多線)のため、予定地内の民間の鉄道が国鉄線開通前に廃線となり、鉄道空白の期間が生じた事例もある。
災害による廃線
地震、水害、土砂崩落といった災害により路線が寸断されたのが原因で廃止された路線も数多くある。しかしながら、これは費用をかけて鉄道を復旧させるほどの需要やメリットがなかったということでもある。現在では災害で大被害を受けた場合、災害復旧事業の一環として鉄道を復旧させる事例が多い。
公共事業による廃線
ダム建設予定地にかかっていたり、河川改修などの公共事業において障害となるため廃止(あるいは線路付け替え)となった路線もある。
戦争による廃線
戦争が鉄道の廃止を招いた事例も存在する。これの代表的なものは上記に示した不要不急線であるが、太平洋戦争で戦場となった沖縄県の鉄道には戦闘で破壊され廃止された路線もある。また、戦争の影響による鉄材価格の暴騰に乗じて鉄道を廃止し、資材を売却した例も少数ながら存在する。しかしこれも旅客・貨物の減少が背景にあったものが多い。
事故による廃線
事故により運行停止となり、そのまま廃止になった例もある。今のところ、該当するのは京福電気鉄道永平寺線のみ。ただ、京福電気鉄道福井支社(現えちぜん鉄道)、信楽高原鐵道も大事故があった際に廃止論議があったのは事実である。
構造上欠陥による廃線
点検で車両や線路に欠陥が発見され、当局によって運行停止になり、改修せずにそのまま廃止になった例もある。今のところ、これに該当するのはドリーム開発ドリームランド線、小田急向ヶ丘遊園モノレール線、姫路市営モノレール、北陸鉄道金名線である。
廃線跡その敷地や駅などの建造物、またトンネルや橋梁などが道路ほかに転用されたり、もしくは転用されないまま山野の中に土木構造物の遺構として放置されている状態を廃線跡という。
鉄道路線は細長く、他に転用することが難しいため、廃線当時のまま放置されている廃線跡も多い。また、道路に転用されていても、鉄道路線独特の、直線や緩やかなカーブを主体とした線形を保っている場合が多い(バス専用路線になっていたり、サイクリングロードになっていたりする)。跨線橋・橋台などが、わざわざ費用をかけて撤去することなく残されていることもある。駅跡などにはそれを示すモニュメントなどが造られていることもある。廃止から長い時間を経ている場所もあり、歴史の流れの中で宅地化したり、逆に自然に還るなどで、そこにかつて鉄道が存在したことを想像できないような場所に、周囲と不似合いな構造物が存在する情景に興味を持つ廃線跡マニアという者も存在し、鉄道ファンのうちに分類される。
地道に研究を続ける鉄道史研究者や愛好家は以前から存在したが、1980年頃より一部の鉄道趣味の出版物でも取り上げられ、鉄道・土木技術の発展の流れが産業考古学の一分野として注目されるようになり、1990年代には廃線跡そのものを題材とした書籍が多数発売されたり、一般情報誌などでも取り上げられることで、廃線跡を訪ねて歩くことも、世間に認知されつつある。この場合の探訪の対象には、廃線だけでなく、建設中に何らかの理由で放棄された未成線も含む。
関連項目赤字83線
特定地方交通線
廃駅
廃墟
廃道
宮脇俊三
廃止路線の記事一覧※50音順。廃止区間について書かれている路線の記事を含む。
あ行
相生線
赤谷線
秋田中央交通線
旭川電気軌道東旭川線
旭川電気軌道東川線
安濃鉄道
荒尾市営電気鉄道
有田鉄道線
有馬線
飯田線(一部。西豊川支線の線路は日本車輌引込線として現役)
井笠鉄道
池田鉄道
伊豆箱根鉄道軌道線
伊豆箱根鉄道駒ヶ岳鋼索線
糸満馬車軌道
茨城交通茨城線
茨城交通水浜線
胆振線
伊予鉄道森松線
岩内線
上田温泉電気軌道青木線
上田交通真田傍陽線
上田丸子電鉄西丸子線
上田丸子電鉄丸子線
魚沼線
羽後交通横荘線
羽後交通雄勝線
宇品線
臼ノ浦線
歌志内線
漆生線
雲仙鉄道
越後交通栃尾線
越後交通長岡線
遠州鉄道奥山線
大阪市電
大阪市電阪堺線(大阪市電三宝線、新阪堺線)
大隅線
大分交通耶馬渓線
岡山臨港鉄道
沖縄県営鉄道海陸連絡線
沖縄県営鉄道嘉手納線
沖縄県営鉄道糸満線
沖縄県営鉄道与那原線
沖縄軌道
沖縄電気
尾小屋鉄道
小田急向ヶ丘遊園モノレール線
尾道鉄道
か行
海岸電気軌道
加越能鉄道加越線
鹿児島交通知覧線
鹿児島交通枕崎線(南薩線)
鍛冶屋線
鍛冶屋原線
片町線(一部)
香月線
勝田線
可部線(一部)
上山田線
加悦鉄道
唐津線(一部)
川崎市電
川俣線
蒲原鉄道線
北恵那鉄道
北大阪急行電鉄会場線
京都市電
近鉄伊賀線(一部)
近鉄伊勢線
近鉄八王子線(一部)
草軽電気鉄道
九十九里鉄道
釧路開発埠頭
頸城鉄道線
熊本電気鉄道菊池線(一部)
倉吉線
呉市交通局
桑名電軌
京王御陵線(一部は京王高尾線の一部として復活)
京阪京津線(一部)
京急大師線 (一部)
京福電気鉄道永平寺線
京福電気鉄道越前本線(一部)
京福電気鉄道丸岡線
京福電気鉄道三国芦原線(一部)
江若鉄道
高徳線(一部。営業当時は阿波線)
弘南鉄道黒石線
興浜南線
興浜北線
幸袋線
神戸市電
琴平参宮電鉄
琴平電鉄塩江線
小松島線
根北線
さ行
西大寺鉄道
佐賀線
相模線(一部)
篠山線
三岐鉄道北勢線(一部)
静岡鉄道秋葉線
静岡鉄道静岡市内線
静岡鉄道清水市内線
静岡鉄道駿遠線
標津線
士幌線
清水港線
志布志線
下河原線(中央本線の支線)
下北交通大畑線
下津井電鉄線
定山渓鉄道
上武鉄道
渚滑線
白糠線
信越本線(一部:碓氷峠)
深名線
寿都鉄道
諏訪鉄山鉄道
西武安比奈線(厳密にいえば長期休止線)
西武大宮線
瀬棚線
世知原線
善光寺白馬電鉄
仙台市電
添田線
た行
大社線
高砂線
筑肥線(一部)
中勢鉄道
筑波鉄道筑波線
天塩炭砿鉄道
手宮線
天北線
東急玉川線(軌道線廃止後東急田園都市線になる)
東急東横線(一部)
東京都電(27系統の一部と32系統、いわゆる荒川線は残存)
東濃鉄道笠原線
東濃鉄道駄知線
東武大谷線
東武熊谷線
東武仙石河岸線
東武日光軌道線
東武矢板線
東野鉄道
同和鉱業片上鉄道
土佐電気鉄道安芸線
土佐電気鉄道新地線
富内線
富山地方鉄道射水線
富山地方鉄道笹津線
豊橋鉄道田口線
豊橋鉄道柳生橋支線
ドリーム開発ドリームランド線
な行
長野電鉄河東線(一部)
中舞鶴線(舞鶴線の支線)
名古屋市電
名古屋市交通局協力会東山公園モノレール
名寄本線
南海大浜支線
南海北島支線
南海天王寺支線
南海平野線
南海和歌山軌道線
南海和歌山港線(一部)
南薩鉄道万世線
南部縦貫鉄道
新潟交通電車線
西鉄大川線
西鉄大牟田市内線
西鉄上久留米線
西鉄北九州線
西鉄福岡市内線
西鉄福島線
2005年日本国際博覧会協会愛・地球博線
日中線
日本鉱業佐賀関鉄道
布引電気鉄道
根室拓殖鉄道
野上電気鉄道野上線
能勢電鉄国鉄前線(正式には妙見線の一部)
のと鉄道七尾線(一部)
のと鉄道能登線
は行
白棚線
函館本線(一部 通称:上砂川線 南美唄線は別記事あり)
羽幌線
羽幌炭砿鉄道
阪急北野線
阪神尼崎海岸線
阪神北大阪線
阪神国道線
阪神武庫川線(一部)
磐梯急行電鉄(通称:沼尻鉄道)
播但線(一部 通称:飾磨港線)
美幸線
日立電鉄線
日田彦山線(一部)
姫路市営モノレール
広尾線
福塩線(一部)
福島臨海鉄道小名浜埠頭本線
福知山線(一部 通称:尼崎港線)
武州鉄道
船木鉄道
別府鉄道土山線
別府鉄道野口線
防石鉄道
北海道炭礦汽船夕張鉄道線
北丹鉄道
北陸鉄道浅野川線(一部)
北陸鉄道石川線(一部)
北陸鉄道金石線
北陸鉄道金沢市内軌道線
北陸鉄道加南線(粟津線・山代線・山中線・片山津線)
北陸鉄道金名線
北陸鉄道小松線
北陸鉄道松金線
北陸鉄道能登線
北陸鉄道能美線
北陸本線(一部。柳ヶ瀬線含む)
細島線
堀之内軌道
幌内線
ま行
舞鶴港線(舞鶴線の一部)
松前線
松本電気鉄道浅間線
松本電気鉄道上高地線(一部)
万字線
三重交通神都線
三重交通松阪線
三国線
三菱鉱業美唄鉄道線
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線
水戸電気鉄道線
美祢線(一部 通称:大嶺支線)
箕面鋼索鉄道(箕面温泉ケーブルカー)
宮崎交通線
宮田線
宮之城線
宮原線
牟岐線(一部)
武蔵中央電気鉄道
室木線
名鉄一宮線
名鉄揖斐線
名鉄岩倉支線
名鉄岡崎市内線
名鉄起線
名鉄鏡島線
名鉄勝川線
名鉄岐阜市内線
名鉄清洲線
名鉄小坂井支線
名鉄挙母線
名鉄瀬戸線(一部)
名鉄高富線
名鉄田神線
名鉄谷汲線
名鉄竹鼻線(一部)
名鉄西尾線(一部)
名鉄尾西線(一部)
名鉄平坂支線
名鉄三河線(一部)
名鉄美濃町線
や行
屋島ケーブル
柳ヶ瀬線
弥彦線(一部)
山形交通三山線
山梨交通電車線
熊延鉄道(ゆうえんてつどう)
夕張鉄道線
雄別鉄道
湧網線
柚木線
ら行
留萌鉄道
廃線跡に関する記述のある記事一覧上板橋駅 (啓志線)
川西池田駅 (能勢電鉄国鉄前線)
国分寺駅 (国鉄中央本線支線 通称:下河原線)
木幡駅 (JR西日本) (陸軍宇治火薬製造所木幡分工場引込線)
新代田駅 (小田急小田原線との連絡線)
世田谷代田駅 (井の頭線との連絡線)
高坂駅(秩父鉱業専用線 通称:高本線)
ナゴヤ球場 (東海旅客鉄道名古屋港線)
西大家駅 (西大家貨物線)
西小泉駅 (仙石河岸線)
沼津港 (国鉄東海道本線貨物支線 通称:沼津港線、蛇松線)
柳生橋駅 (豊橋鉄道柳生橋支線)
寿都鉄道 Encyclopedia
寿都鉄道(すっつてつどう)は、北海道寿都郡黒松内町の黒松内駅から同郡寿都町の寿都駅を結んでいた鉄道路線、およびそれを運営していた鉄道会社。
目次1 歴史
2 路線
2.1 路線データ
2.2 駅一覧
2.3 接続路線
3 関連項目
歴史寿都でのニシンや鉱産物の輸送等を目的として1918年8月20日に会社が設立され、1920年10月24日に路線が開通した。鉱山の閉山やニシン漁の衰退により経営が悪化し、1968年に豪雨による河川増水で路盤が流出し運行休止、1972年5月に廃止となった。
岩内線と連絡して函館本線のバイパスにする案もあったが採用されなかった。その岩内線も第1次特定地方交通線として1985年に廃止されている。
バスの運行も手がけたが、それも現在はニセコバスなどに移管されている。
ネコ・パブリッシングの「消えた轍―ローカル私鉄廃線跡探訪」(寺田裕一・著)では、山鹿温泉鉄道、北丹鉄道、野上電気鉄道とともに「悲惨な末路を迎えた鉄道」とされている。
路線
路線データ
路線距離(営業キロ):黒松内~寿都 16.5km
軌間:1067mm
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
駅一覧
黒松内駅 - 中の川駅 - 湯別駅 - 樽岸駅 - 寿都駅
接続路線
黒松内駅:函館本線
可部線 Encyclopedia
可部線(かべせん)は、広島県広島市西区の横川駅から同市安佐北区の可部駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。全線が電化されており、広島市の都市近郊路線となっている。
目次1 路線データ
2 列車の運転
2.1 快速列車
2.2 各駅停車
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 可部~三段峡間の廃止について
6.1 廃止区間の路線データ
6.2 廃止区間駅一覧
7 関連項目
路線データ管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):14.0km
軌間:1067mm
駅数:12駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:特殊自動閉塞式
最高速度:65km/h
指令所:広島総合指令所
列車の運転
快速列車
快速「通勤ライナー」が、夕通勤時間帯に広島→可部間に運行している。 停車駅は、横川・安芸長束・下祇園・大町・緑井・可部である。広島シティネットワークの可部線の項も参照。
各駅停車
広島駅を起点に運転されており、一部の列車は広島駅を越えて山陽本線・呉線方面へ乗入れている。
全区間を通しで運転する列車のほか、平日朝ラッシュ時には緑井、梅林折り返し、夕方から夜間にかけては緑井折り返しの区間列車が設定されている。
歴史
現在では廃線区間内となった旧国鉄2万km標
坪野~田之尻
可部線の現存区間は、私鉄が開業した区間を1936年に国有化したものである。同区間は、1909年、大日本軌道広島支社が軽便鉄道規格で開業したものであるが、数回所有者が変わり、買収時の所有者は広浜鉄道であった。本路線は、改正鉄道敷設法別表第94号の予定線「広島県広島付近ヨリ加計ヲ経テ島根県浜田付近ニ至ル鉄道」の一部として買収されたものである。
可部以遠は国により建設された。1968年に国鉄諮問委員会が提出した意見書で、可部~加計間が鉄道としての「使命を終えた」路線、いわゆる赤字83線に挙げられ廃止勧告を受けた一方で、建設は続けられ、翌1969年に三段峡までが開通した(新規開業区間は非電化)。その後も日本鉄道建設公団の建設線(今福線)として山陰本線の浜田を目指して建設が進められたが、1980年の国鉄再建法の施行により工事は中断され、現在も遺構が残る。
2003年、可部~三段峡間は、乗客の減少に歯止めがかからず、廃止された(詳細は後述)。なお同区間内には、1954年の布~加計開業により国鉄路線延長が2万kmに達した地点(坪野~田之尻間。坪野寄り500m)が含まれており、位置を示す記念碑だけが皮肉にも取り残されることとなった。
1909年12月19日 大日本軌道広島支社が横川~祇園(下祇園駅と古市橋駅の間、現在廃止)間を開業。軌間762mm非電化
1910年11月19日 祇園~古市橋間開業
1910年12月25日 古市橋~太田川橋(現在の上八木)間が開業
1911年6月12日 太田川橋~可部間が開業
1919年3月11日 可部軌道へ譲渡
1926年5月1日 広島電気に合併
1928年11月9日 横川~古市橋間改軌(→1067mm)・電化(直流600V)。古市橋~可部間を運休しバス代行輸送
1929年8月10日 古市橋~七軒茶屋間改軌・電化
1929年11月25日 七軒茶屋~太田川橋間改軌・電化
1929年12月2日 太田川橋~可部間改軌・電化。全線改軌・電化完成
1931年7月1日 広浜鉄道へ譲渡
1935年12月1日 軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更(13.8km)
1936年9月1日 横川~可部間(13.7km)買収、国有化。可部線となる
1936年10月13日 可部~安芸飯室間(11.1km)開業(以後の開通区間は非電化)
1946年8月15日 安芸飯室~布間(2.4km)開業
1948年10月1日 架線電圧を750Vに昇圧
1954年3月30日 布~加計間(18.5km)開業。坪野~田之尻間で国鉄路線延長が2万kmに達する
1962年4月23日 架線電圧を1500Vに昇圧
1962年10月1日 横川~安芸長束間線路付け替えに伴い改キロ(+0.3km)
1968年9月4日 可部~加計間(32.0km)が「赤字83線」に挙げられ廃止勧告を受ける。
1969年7月27日 加計~三段峡間(14.2km)開業。加計~戸河内間で貨物営業開始。
1978年10月1日 可部~戸河内間貨物営業廃止
1984年1月1日 横川~可部間貨物営業廃止(貨物営業全廃)
1987年4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継
1994年8月20日 大町駅開業(アストラムラインと接続)
2003年12月1日 可部~三段峡間(46.2km)廃止
駅一覧広島シティネットワークも参照。
横川駅 - 三滝駅 - 安芸長束駅 - 下祇園駅 - 古市橋駅 - 大町駅 - 緑井駅 - 七軒茶屋駅 - 梅林駅 - 上八木駅 - 中島駅 - 可部駅
接続路線横川駅:山陽本線、広島電鉄横川線
大町駅:広島高速交通広島新交通1号線(アストラムライン)
可部~三段峡間の廃止について
2万km標に接近するキハ40形
坪野駅西方可部駅~三段峡駅間(46.2km)は、2003年11月30日限りで廃止された。 西日本旅客鉄道(以降JR西日本と記す)は、利用者の減少が続く可部駅~三段峡駅間について廃止の方針を打ち出していたが、地元は利便性が高まれば利用者は増えると主張した。JR西日本はこれに応え、2000年の104日間と2001年の1年間、列車の試験増発を行ったが、JR西日本が設定した存続の条件・輸送密度800人には達せず、廃止が決定した。 その後、地元自治体を中心とする第三セクターへの移行も検討されたが、断念された。
廃止後は広島電鉄(可部~三段峡間、国道191号経由)、広島交通(可部~安芸飯室間、広島県道267号宇津可部線経由)による代替バスに転換された。
線路跡については、JR西日本から当時の広島市・湯来町・加計町・筒賀村・戸河内町(現在、湯来町は広島市に編入、加計町・筒賀村・戸河内町は合併し安芸太田町)の各沿線自治体に無償で譲渡された。可部駅~河戸駅間(1.3km)は広島市とJRの協定の関係で踏切部分を含めそのまま残し、河戸駅~三段峡駅間(44.9km)は踏切部分のみ撤去されているが路盤など設備はほぼ原状のまま残っている。
廃止後も旧JR可部線廃止区間を鉄道として再生しようという動きがあり、2004年4月に太田川鉄道株式会社(同年12月に有限会社に改組)が設立され、観光鉄道としての運行再開を目指していたが、むなしく2005(平成17)年5月25日に太田川流域鉄道再生協会会長の名義で可部線の線路、枕木撤去や駅舎解体などの理由で事実上鉄道の復活が不可能となったことを受けて、支援金の返還を決定する文面を掲載、太田川鉄道のホームページは閉鎖され、可部線再生計画はほぼ消滅し断念せざるを得ない状況になってしまったと言ってもいい状況となっている。
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存続を訴える横断幕とキハ40
筒賀~土居
廃止区間の路線データ
管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):46.2km
軌間:1067mm
駅数:21駅(可部駅を除く)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:可部~加計間は特殊自動閉塞式、加計~三段峡間はスタフ閉塞式。(以前、加計~三段峡間は自動閉塞式だった。)
廃止区間駅一覧
(可部駅) - 河戸駅 - 今井田駅 - 安芸亀山駅 - 毛木駅 - 安芸飯室駅 - 布駅 - 小河内駅 - 安野駅 - 水内駅 - 坪野駅 - 田之尻駅 - 津浪駅 - 香草駅 - 加計駅 - 木坂駅 - 殿賀駅 - 上殿駅 - 筒賀駅 - 土居駅 - 戸河内駅 - 三段峡駅
富内線 Encyclopedia
富内線(とみうちせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道勇払郡鵡川町(胆振支庁管内)の鵡川駅で日高本線から分岐し、沙流郡日高町(日高支庁管内)の日高町駅を結んでいた。一時は根室本線金山駅と結ぶ計画があったものの、国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1986年に廃止された。
目次1 路線データ(廃止時)
1.1 休止区間
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 廃止後の状況
路線データ(廃止時)日本国有鉄道
区間(営業キロ):鵡川~日高町 82.5km
軌間:1067mm
駅数:15(起点駅を含む)
全線単線
電化方式:全線非電化
閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:4(旭岡、穂別、富内、振内)
休止区間
沼ノ端~豊城 24.1km - 1943年11月1日休止
運行形態一部の列車を除き、日高本線を経由して苫小牧駅まで直通していた。廃止直前は、全線通しの運転が4往復程度あったほか苫小牧・鵡川~富内・振内間の区間列車があった。
歴史沿線から産出されるクロム鉱や石炭、森林資源の開発のため、北海道鉱業鉄道が金山線(沼ノ端~辺富内)として1922年から翌年にかけて開業したもので、1924年に北海道鉄道(2代)と改称。1943年に同社の札幌線(現在の千歳線)とともに戦時買収され、富内線となった。
その際、日高本線と路線が近接していた沼ノ端~豊城間は不要不急線として休止(事実上の廃止)され、豊城~鵡川間に新線を建設して日高本線と接続させている。
鵡川~富内間は、改正鉄道敷設法別表第134号に規定する予定線「胆振国鵡川ヨリ石狩国金山ニ至ル鉄道及「ペンケオロロツプナイ」付近ヨリ分岐シテ石狩国登川ニ至ル鉄道」の一部であり、本来、根室本線の金山駅に接続するはずであった。予定線の後段部分の一部は「紅葉山から占冠を経て金山に至る鉄道(紅葉山線)」に変更し、その一部が石勝線(新夕張駅~占冠駅)として開業している。
富内~日高町間については、同法別表第142号の2に規定する予定線「十勝国御影付近ヨリ日高国右左府ヲ経テ胆振国辺富内ニ至る鉄道」の一部として開業し、残りの区間については、「新得より占冠を経て日高町に至る鉄道(狩勝線)」に変更され、その一部が石勝線(占冠駅~上落合信号場)として開業している。
1922年7月24日 【開業】北海道鉱業鉄道金山線沼ノ端~生鼈(後の旭岡) 【駅新設】ニナルカ、上厚真、上鵡川、萠別、生鼈
1923年6月12日 【延伸開業】生鼈~似湾(後の栄) 【駅新設】芭呂沢、似湾
1923年11月11日 【延伸開業】似湾~辺富内(後の富内) 【駅新設】入鹿別、杵臼、穂別、辺富内
1924年3月3日 【社名変更】北海道鉱業鉄道→北海道鉄道
1924年6月10日 【駅新設】(貨)深牛
1926年5月1日 【駅新設】北松田
1943年8月1日 【買収・線路名称設定】富内線沼ノ端~富内(66.0km)。【駅名改称】駅一覧参照 【駅廃止】芭呂沢、(貨)深牛
1943年11月1日 【延伸開業】鵡川~豊城(3.6km) 【休止】沼ノ端~豊城間(24.1km) 【駅休止】北松田、静川、上厚真、入鹿別 【区間表示変更】富内線鵡川~富内(45.5km)
1958年11月15日 【延伸開業】富内~振内(12.9km) 【駅新設】幌毛志、振内
1964年11月5日 【延伸開業・全通】振内~日高町(24.1km) 【駅新設】仁世宇、岩知志、日高岩内、日高三岡、日高町
1982年11月15日 【貨物営業廃止】全線
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1986年11月1日 廃止。道南バスにバス転換
駅一覧鵡川駅 - 豊城駅(上鵡川駅) - 春日駅(萠別駅) - (芭呂沢駅) - 旭岡駅(生鼈駅) - 栄駅(似湾駅) - 豊田駅(杵臼駅) - 穂別駅 - ((貨)深牛駅) - 富内駅(辺富内駅) - 幌毛志駅 - 振内駅 - 仁世宇駅 - 岩知志駅 - 日高岩内駅 - 日高三岡駅 - 日高町駅
1943年休止区間:沼ノ端駅 - 北松田駅 - 静川駅(ニナルカ駅) - 上厚真駅 - 入鹿別駅 - 豊城駅
括弧書きは、1943年8月の買収時に改称または廃止された駅の旧称
接続路線鵡川駅:日高本線
廃止後の状況廃止後は道南バスが鉄道代替路線を運行している。ただし元の鉄道路線の系統が分断されており、穂別方面と振内方面を結ぶ路線は存在しない。
鵡川駅~穂別営業所~富内
(苫小牧駅~)富川~平取~振内~日高町(苫小牧駅直通は1日1往復)
富内駅は駅舎や駅構内がほとんど保存されている。また振内駅も駅舎こそ残っていないものの、ホームや線路が残っており車両も置いてある。
富山地方鉄道射水線 Encyclopedia
射水線(いみずせん)は、富山県にかつてあった、富山市と新湊市とを結ぶ鉄道路線である。富山から北へ向って四方へ出て、富山湾沿いに新湊へ至っていた。
一部分は加越能鉄道に譲渡されて現在も万葉線として残っているが、大部分は1980年3月31日限りで廃止された。
目次1 路線データ
2 歴史
2.1 開業・延伸
2.2 分断・廃止
2.3 廃止後
3 駅一覧
4 接続路線
5 参考文献
路線データ1980年3月31日に射水線として運営されていた区間(新富山駅~新港東口駅間)のデータを示す。
路線距離(営業キロ):14.4km
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
開業・延伸
当線は、1922年12月26日に、射水電気軌道の名前で富山駅~新伏木口駅(現:六渡寺駅)間の軌道敷設特許を受け、1923年2月20日に越中電気軌道として設立されたのに始まる。沿線の旅客や海産物、米などを運搬するのが目的であった。
1924年10月12日に富山北口駅~四方間6.1kmが開業。1926年7月21日に富山北口駅~聯隊橋駅(後の新富山駅)間と四方駅~打出浜駅(後の打出駅附近)間が開業した。聯隊橋駅では富山市電に接続していた。
打出浜駅前には海水浴場を開くなど集客に努めていたが業績はあまり良くなく、地方鉄道補助法の適用を受けるために1926年2月に軌道から鉄道に変更し、1927年2月には社名を越中鉄道に変更した。
同法による補助により打出浜駅以遠の延伸が行われるようになり、堀岡、越ノ潟、東新湊高周波前、庄川口と少しずつ延長しながら1933年12月25日に新伏木口駅(新湊駅を経て現在は六渡寺駅) までの19.9kmが全通した。
1943年1月1日の交通大統合により、富山地方鉄道(地鉄)の射水線となった。
1951年4月1日に高岡軌道線の米島口駅~新湊駅間が開業し、同日から射水線を経由して高岡軌道線・地鉄高岡駅~富山市内軌道線・西町駅間の直通運転が始められた。新富山駅~西町駅間の乗り入れは1961年7月18日に廃止された。
分断・廃止
富山新港の建設により射水線は分断されることになった。1966年4月5日に堀岡駅~越ノ潟駅間が廃止となり(同年12月1日に堀岡駅~新港東口駅間を新設)、高岡側の越ノ潟駅~新湊駅間が加越能鉄道に譲渡されて新湊港線となった。分断された新港東口駅~越ノ潟駅間は富山県営渡船で連絡を取ったが、乗り換えの不便のため射水線の乗客は6千人/km日から3千人/km日に半減した。
1977年8月31日から富山駅前駅への乗り入れを行ったが乗客増には繋がらず、1980年3月31日限りで廃止された。
廃止後
新富山駅跡から富山北口駅跡までは道路となっている。富山北口駅跡の手前から八ヶ山駅~八町駅間までの2.175kmは地鉄の路線バスの専用道路となっており、朝のラッシュ時に富山駅行数本が運行されている。専用道の先からは農道、四方駅跡から先は自転車専用道となっている。
駅一覧新富山駅 - 富山北口駅 - 八ヶ山駅 - 八町駅 - 布目駅 - 鯰鉱泉駅 - 四方駅 - 打出駅 - 本江駅 - 練合駅 - 海老江駅 - 射北中学校前駅 - 堀岡駅 - 新港東口駅
接続路線新富山駅:富山地方鉄道富山市内軌道線(新富山駅前駅(現:新富山駅))
参考文献写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み(富山地方鉄道、1979年)
私鉄廃線25年(寺田裕一 著、JTB、2003年)
鉄道廃線跡を歩くIII(宮脇俊三 編著、JTB、1997年)
富山地方鉄道笹津線 Encyclopedia
笹津線(ささづせん)は、富山県にかつてあった、富山市の南富山駅と大沢野町(現富山市)の地鉄笹津駅とを結ぶ鉄道路線である。1975年3月31日限りで廃止された。
目次1 路線データ
2 歴史
2.1 富山鉄道時代
2.2 富山地方鉄道笹津線時代
2.3 廃止後
3 駅一覧
4 接続路線
5 参考文献
路線データ路線距離(営業キロ):12.4km
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
富山鉄道時代
笹津線および不二越線は富山軽便鉄道の手によって開業したものである。
1914年12月6日に富山駅(現在の電鉄富山駅)~笹津駅間17.6kmが開業した。1915年に富山鉄道に改称した。岐阜県神岡の三井鉱山の鉱石や沿線の旅客・貨物の運搬に当たり、業績は良好であった。
しかし、1927年から国鉄高山線が順次開業するにつれて業績が悪化し、政府の補償を受けて1933年4月20日に富山鉄道は解散、堀川新駅(現在の南富山駅)~笹津駅間は廃止となった。富山駅~堀川新駅間は同日附で設立された富南鉄道に引き継がれ、1937年に富山電気鉄道に合併、1943年に富山電気鉄道が中心となって富山地方鉄道(地鉄)が設立された。
富山地方鉄道笹津線時代
戦後、富山地方鉄道は旧富山鉄道の路線の復活を計画し、1950年9月1日に南富山駅~大久保町駅が、1952年に大久保町駅~地鉄笹津駅間が笹津線として開業した。
昭和40年代に入るとモータリゼーションが急速に進行した上、1969年には並行する国道41号の舗装拡幅改良工事が完成し、乗客が激減した。1971年に地鉄は笹津線・射水線の廃止を表明した。市町村・沿線住民から反対されたが、1975年3月31日限りで全線が廃止された。
笹津駅から越中八尾駅経由で庄川町駅まで延伸して加越線に接続し、津沢附近で分岐して金沢まで延伸する計画もあった。これは鉄道敷設法別表六十五「富山県八尾ヨリ福光ヲ経テ石川県金沢附近ニ至ル鉄道」(通称金八線)を実現しようとするものであったが、実行に移されることはなかった。
廃止後
廃線跡はほぼ全線が2車線の舗装道路となっている。富山市内では富山市道、大沢野町内では富山県道318号笹津安養寺線となっている。
熊野川に架かる興南大橋の欄干には鉄道の車輪がデザインされている。
駅一覧南富山駅 - 日本繊維前駅 - 袋駅 - 赤田駅 - 上野(うわの)駅 - 熊野駅 - 伊豆ノ宮駅 - 大久保町駅 - 上大久保駅 - 大沢野北口駅 - 田村町駅 - 大沢野町八木山駅 - 敷紡前駅 - 地鉄笹津駅
接続路線南富山駅:富山地方鉄道不二越線・富山地方鉄道上滝線,富山地方鉄道富山市内軌道線(南富山駅前駅)
地鉄笹津駅:高山本線(笹津駅)
参考文献写真でつづる富山地方鉄道50年の歩み(富山地方鉄道、1979年)
鉄道廃線跡を歩くV(宮脇俊三 編著、JTB、1998年)
中勢鉄道 Encyclopedia
中勢鉄道(ちゅうせいてつどう)とは、かつて三重県にあった鉄道・軌道路線(軽便鉄道の一種)を運営していた会社である。また、同社が運営していた鉄道・軌道路線についても記す。
目次1 会社沿革
2 路線データ
3 路線沿革
4 駅一覧
5 接続路線
6 外部リンク
会社沿革
1920年(大正9年)2月15日 大日本軌道伊勢支社によって運営されていた軽便鉄道線の引き受けを目的に、会社創立。
1920年(大正9年)2月19日 路線・車両・設備を譲渡される。
1928年(昭和3年)5月5日 参宮急行電鉄(近畿日本鉄道・近鉄の前身)の傘下に入る。
1929年(昭和4年) 中勢鉄道名義で久居駅~参急中川駅(現、伊勢中川駅)間の免許申請。後に参宮急行電鉄へ免許を譲渡し、同社の津支線(現、近鉄名古屋線)の一部として開業する。
1943年(昭和18年)2月12日 運営路線の全廃により、解散を申請。
1944年(昭和19年)5月8日 このときの清算報告書を持って会社消滅。
路線データ(1942年10月時点)
路線距離:20.6km
軌道線:5.4km(岩田橋~阿漕)
鉄道線:15.2km(阿漕~伊勢川口駅)
駅数:21
軌間:762mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
使用動力車両:蒸気機関車・気動車
路線沿革
1908年(明治41年)11月10日 大日本軌道伊勢支社の路線として久居~聖天前間開業。
1909年(明治42年)1月1日 聖天前~阿漕間開業。
1909年(明治42年)1月10日 阿漕~岩田橋間開業。
1920年(大正9年)2月19日 中勢鉄道の路線となる。
1921年(大正10年)12月1日 久居~大仰間開業。
1925年(大正14年)7月1日 大仰~伊勢二本木間開業。
1925年(大正14年)11月27日 伊勢二本木~伊勢川口間開業。
1930年(昭和5年)5月18日 参宮急行電鉄津支線の開業により、久居で連絡を図るようになる。
1931年(昭和6年)9月11日 鉄道省名松線開業により、伊勢川口で接続を図るようになる。
1942年(昭和17年)12月1日 岩田橋~久居間廃止。
1943年(昭和18年)2月1日 久居~伊勢川口間廃止。
廃止の理由は参急線・名松線などと並行する形になり、速度が遅い中勢鉄道線の利用が減少したからである。
駅一覧
岩田橋駅 - 弁才天駅 - 阿漕駅 - 聖天前駅 - 二重池駅 - 相川駅 - 久居駅 - 寺町駅 - 万町駅 - 戸木駅 - 羽野駅 - 大師前駅 - 七栗駅 - 其倉駅 - 石橋駅 - 大仰駅 - 誕生寺駅 - 亀ヶ広駅 - 伊勢二本木駅 - 広瀬駅 - 伊勢川口駅
前述の通り阿漕駅を境に軌道線・鉄道線が分かれていたが、運転形態など実質的には一つの路線であった。
接続路線
阿漕駅:鉄道省参宮線(現、紀勢本線)
久居駅:参宮急行電鉄津支線→名古屋線(現、近鉄名古屋線)
伊勢川口駅:鉄道省名松線
中舞鶴線 Encyclopedia
中舞鶴線跡。国道27号線と並行する路線であった。
中舞鶴線(なかまいづるせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線の通称。線路名称上は舞鶴線の支線であった。
京都府舞鶴市にある舞鶴線東舞鶴駅からスイッチバックして入線し、同市の中舞鶴駅までを結ぶ路線であった。中舞鶴線の建設目的は、舞鶴鎮守府の兵員ならびに軍需資材の輸送を主な使命とし、舞鶴港線とともに国策として建設され、1919年(大正8年)7月21日国鉄線として営業を開始した。
戦後も特殊貨物輸送で賑わいを見せたが、その後に国道27号線が整備され、輸送量は減少、国鉄も鉄道の使命は終わったものとし、1972年(昭和47年)に廃止された。
目次
1 路線データ
2 沿革
3 接続路線
4 駅一覧
5 廃止後の状況
6 関連項目
路線データ
中舞鶴線跡地には遊歩道が整備されている。
区間(営業キロ):東舞鶴~中舞鶴(3.4km)
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化方式:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(全線1閉塞)
沿革
1904年(明治37年) 軍港引込み線として開設。
1919年(大正8年)7月21日 【開業】新舞鶴~中舞鶴(3.4km) 【駅開業】東門、中舞鶴
1939年(昭和14年)6月1日 【駅名改称】新舞鶴→東舞鶴
1946年(昭和21年)9月1日 【駅名改称】東門→北吸
1972年(昭和47年)11月1日 【廃止】全線
接続路線東舞鶴駅:舞鶴線・小浜線
駅一覧
北吸トンネル
東舞鶴駅 - 北吸駅 - 中舞鶴駅
廃止後の状況
廃線跡は、舞鶴市道北吸桃山線となり自転車歩行者道路として整備され、多くの市民に親しまれている。また東舞鶴~北吸間にある北吸隧道(トンネル)は1904年(明治37年)に作られたもので、夜間はレトロな照明が当てられる。2002年(平成14年)には国の登録有形文化財に登録されている。
関連項目
舞鶴港線
世知原線 Encyclopedia
世知原線(せちばるせん)とは、長崎県北松浦郡吉井町(現・佐世保市)の肥前吉井駅(現・吉井駅)から長崎県北松浦郡世知原町(現・佐世保市)世知原駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。1971年に廃止された。
目次1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
(廃止時)路線距離(営業キロ):6.7km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
歴史石炭輸送のため、坂本彦馬専用鉄道を譲受け、佐世保鉄道が地方鉄道として開業した軌間762mmの軽便鉄道で、1933年に貨物線として開業した。翌年に旅客営業も開始し、1936年には買収・国有化され、国有鉄道松浦線の名無し支線となった。1945年、松浦線の改軌工事完成に伴って、枝線が松浦線から分離し、世知原線となったが、沿線の炭鉱が閉山すると衰退し、キハ10000系気動車(レールバス)が細々と走る程度になってしまった。
1968年には、鉄道としての使命を終えたものとして、同じく松浦線の支線であった臼ノ浦線とともに赤字83線にリストアップされ、1971年に廃止された。
1933年10月24日 【開業】佐世保鉄道(佐々~)~吉井~世知原(6.5km) 【駅新設】(貨)吉井、(貨)世知原
1934年2月11日 【貨物営業開始】~吉井~世知原 【駅新設】祝橋(停留場)
1934年4月18日 【駅名改称】吉井→肥前吉井
1934年12月1日 【駅新設】御橋観音(停留場)
1936年10月1日 【買収・国有化・線路名称制定】松浦線(一部)
1944年4月13日 【改軌】~肥前吉井~世知原 【駅廃止】御橋観音
1945年3月1日 【路線分離】世知原線 肥前吉井~世知原(6.7km)
1967年6月1日 【貨物営業廃止】祝橋~世知原(-2.8km)
1971年4月1日 【貨物営業廃止】肥前吉井~祝橋(-3.9km)
1971年12月26日 【路線廃止】全線(-6.7km)
駅一覧肥前吉井駅 - 御橋観音駅 - 祝橋駅 - 世知原駅
接続路線肥前吉井駅:松浦線
下北交通大畑線 Encyclopedia
大畑線(おおはたせん)は、下北交通が運営していた鉄道路線。青森県むつ市の下北駅で大湊線から分岐して下北半島を横断し、下北郡大畑町(現むつ市)の大畑駅までを結んでいたが、2001年に廃止された。旧国鉄の特定地方交通線である。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧
5 その他
6 関連項目
路線データ
区間(営業キロ):下北~大畑(18.0km)
駅数:8(起終点を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化方式:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式
歴史
津軽海峡に面した下北半島は日本の国防上重要な拠点で、陸奥湾側の拠点のあった大湊まで鉄道が開業したのは1921年のことであった。翌年に制定された改正鉄道敷設法においても別表第1号に「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」として規定されたが、しばらく着手されることはなかった。
この予定線が建設線に昇格するのは、大間にあった海軍の要塞の施設強化に伴うもので、1937年に第1期線として下北~大畑間が着工され、1939年に開業した。大間までの予定線(大間線)も引き続いて建設が進められたが、太平洋戦争の戦局悪化にともなって1943年12月に工事は中止された。津軽海峡の対岸にあたる北海道の亀田半島においても要塞の施設強化のため戸井線が建設されていたが、これも未成のまま工事が中止されている。
戦後しばらくは、海産物や木材の輸送で活況を呈したが次第に減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定された。協議会では一時バス転換に傾いたものの、地元のバス会社「下北バス」が引受けを表明し、一転して鉄道として存続することとなった。特定地方交通線が純民間資本の民営鉄道に引き継がれた希な例で、他には同じ青森県の弘南鉄道に引き継がれた黒石線があるに過ぎない。下北バスには、鉄道経営の経験はなかったが、バス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受け、1984年に社名を下北交通に改称。1985年7月に大畑線の営業を引き継いだ。しかし、その後も経営は苦しく、結局廃止されることとなった。当初2001年6月1日廃止予定だったが、2ヶ月早まって2001年4月1日に廃止された。
1939年12月6日 大畑線下北~大畑間(18.0km)開業(全通)
1966年12月15日 海老川駅新設(1960年頃から同所に仮乗降場があった)
1979年2月1日 貨物営業廃止
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1985年7月1日 国鉄大畑線廃止。同時に下北交通に転換
1995年12月1日 樺山駅を冬季休業化。(以後毎年3月31日まで休業)
2001年4月1日 廃止
接続路線
下北駅:大湊線
大畑駅:大間線(未成線)
駅一覧
下北駅 - 海老川駅 - 田名部駅 - 樺山駅 - 陸奥関根駅 - 川代駅 - 正津川駅 - 大畑駅
その他
現在、大畑駅跡では大畑線で活躍していた3両の気動車(キハ85形。旧国鉄キハ22形149~151)が、民間の趣味者団体により動態保存されている。
大畑線キハ85動態保存会
下津井電鉄線 Encyclopedia
下津井電鉄線(しもついでんてつせん)は、かつて岡山県の茶屋町駅と下津井駅とを結んでいた下津井電鉄の鉄道路線である。1990年末に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧
4.1 1972年廃止区間
4.2 1990年廃止区間
5 参考文献
路線データ
(茶屋町~児島間廃止前のデータ)
路線距離(営業キロ) : 21.0km
駅数 : 駅(起終点駅含む)
軌間 : 762mm
複線区間 : なし(全線単線)
電化区間 : 全線(直流600V)
閉塞方式 : 自動閉塞式
歴史
下津井は古くから風待港として栄えた港町である。下津井~丸亀間航路は航路が短いことから本州と四国とを結ぶ主要ルートとされ、金比羅参りの人々などが多く利用していた。しかし、1910年に宇野線が全通し、宇野~高松間で宇高連絡船の運航が開始されると、下津井~丸亀間航路の利用者は激減した。利用客を取り戻すために下津井までの鉄道路線が計画され、下津井だけでなく児島や対岸の丸亀の有力者も出資して下津井軽便鉄道が設立された。
しかし、国鉄宇野線からわざわざ茶屋町駅で乗り換える必要があることから利用者数は少なく、当初は経営難が続いた。昭和に入って沿線で繊維産業が発達し、ガソリンカー、後に電車を導入して、昭和30年代に全盛期を迎えた。
昭和40年代から道路網が整備され、岡山・倉敷へは自社のバスを利用する客が多くなってきたことから、1972年3月末限りで茶屋町~児島間が廃止された。下津井周辺の道路状況が悪くバスへの代替が困難だったため、末端の児島~下津井間は存続した。残された区間では、全線を1閉塞区間とするスタフ閉塞に変更、ワンマン運転、下津井駅以外の全駅を無人化という徹底的な合理化を行い、全従業員10人で運営を行った。その結果、鉄道の赤字をバス事業などの他の事業で補填できる額まで減らすことができた。
1988年の瀬戸大橋開通を機に観光鉄道に転身することにし、琴海駅の交換設備を復活させ、3両編成の車輛を新造した。駅舎の改造やイベント列車の運行などの増収策もとられていたが、観光客は四国や瀬戸大橋に流れ、下津井電鉄を利用する観光客はわずかであった。さらにJRの瀬戸大橋線が児島~岡山間を30分で結ぶようになると、自社のバスの乗客が減り、鉄道の赤字を補填することができなくなった。また、下津井周辺の道路状況が改善され、バスへの代替が可能になったことから、1990年末限りで鉄道線は全線廃止された。廃線跡は自転車道に転用された。
1910年11月9日 茶屋町~下津井間免許
1911年8月2日 下津井軽便鉄道として会社設立
1913年11月11日 茶屋町~味野町(後の児島)間14.5kmが開業。軌間762mm蒸気動力。
1914年3月15日 味野町~下津井間6.5kmが開業
1922年11月28日 下津井鉄道に社名変更
1928年3月30日 内然動力の併用を開始
1930年2月11日 タブレット閉塞式に変更
1949年5月1日 直流600V電化
1949年8月20日 下津井電鉄に社名変更
1972年4月1日 茶屋町~児島間を廃止。貨物営業廃止。スタフ閉塞式に変更。ワンマン運転開始
1988年6月20日 自動閉塞式に変更
1990年12月31日 この日の営業を最後に全線廃止
接続路線茶屋町駅(1972年廃止) : 宇野線
1972年の茶屋町~児島間廃止により、接続する鉄道路線がなくなった。
駅一覧
1972年廃止区間
茶屋町駅 - 天城駅 - 藤戸駅 - 林駅 - 福田駅 - 稗田駅 - 柳田駅 - 児島小川駅 - 児島駅(瀬戸大橋線の児島駅とは別)
1990年廃止区間
児島駅 - 備前赤崎駅 - 阿津駅 - 琴海駅 - 鷲羽山駅 - 東下津井駅 - 下津井駅
なお、児島駅は、「部分廃止前」「部分廃止直後」「最終期」と転々と移転している。2004年現在残されている児島駅は、最終期の児島駅であり、部分廃止前・部分廃止直後の児島駅とは場所が異なっている。
参考文献
鉄道廃線跡を歩く(宮脇俊三編著、JTB、1995年、ISBN 4-533-02337-1)
私鉄廃線25年(寺田裕一著、JTB、2003年、ISBN 4-533-04958-3)
別冊歴史読本11 列島縦断 消えた軽便鉄道を歩く (軽便倶楽部編、新人物往来社、1999年、ISBN 4-404-02711-7)
別冊歴史読本32 現存線・廃止線 ローカル私鉄探訪 (寺田裕一著、新人物往来社、1999年、ISBN 4-404-02732-X)
下河原線 Encyclopedia
南武線との交差部付近
鎌倉街道旧道との交差部付近
競馬場・下河原への分岐部付近
下河原線(しもがわらせん)は旧国鉄の路線のひとつ。正式には中央本線の支線である。国分寺駅から東京競馬場前駅までの旅客線と、東京競馬場駅の少し国分寺駅よりから分岐していた下河原駅までの貨物線からなる。
多摩川の砂利を運ぶために1910年に東京砂利鉄道として開業したが、武蔵野線の開通に伴い路線の重複部分が多いこの路線は廃止された(国分寺駅から東京競馬場前駅までは1973年4月1日に廃止)。
東京都国分寺市と府中市市域を通っていた。府中市にとっては最初の鉄道路線である。廃止後、跡地は下河原緑道として整備されている。基本的に遊歩道であるが、一部、記念に線路が残っているところもある。また、国分寺駅から西国分寺駅手前の部分には当時の線路がそのまま残っている廃線跡がある。現在の武蔵野線方面に向かう部分は、西国分寺駅周辺の再開発により痕跡は消滅している。
2005年4月からのNHK制作の小学生3・4年向け社会科教育番組「しらべてゴー!」第一回「まちには?がいっぱい」で、下河原線が取り上げられている。
歴史
1910年 東京砂利鉄道の専用鉄道として国分寺~下河原間開業。
1920年5月26日 東京砂利鉄道線を買収し中央本線貨物支線として国分寺~下河原間が開業。
1921年12月1日 国分寺~下河原間廃止。国分寺駅構内側線扱いとなる。
1934年4月2日 国分寺~東京競馬場前間開業。競馬開催日に限り旅客輸送。
1934年11月6日? 国分寺~東京競馬場前間に富士見仮信号場を開設。
1944年10月1日 国分寺~東京競馬場前間休止。
1947年4月24日 国分寺~東京競馬場前間営業再開。
1949年1月21日 国分寺~東京競馬場前間に富士見仮乗降場開業。
1952年7月1日 富士見仮乗降場廃止。北府中信号場に格下げ。貨物支線北府中信号場~下河原間開業。国分寺~下河原間貨物営業開始。
1956年9月1日 北府中信号場を格上げし北府中駅開業。
1973年4月1日 国分寺~東京競馬場前間廃止。武蔵野線府中本町~新松戸間開業。北府中~下河原間の貨物支線を武蔵野線に編入。
1976年9月20日 武蔵野線貨物支線 北府中~下河原間廃止。
駅一覧
国分寺駅 - 北府中駅 - 東京競馬場前駅
北府中駅 - (貨)下河原駅
三重交通神都線 Encyclopedia
神都線(しんとせん)とは、かつて三重県伊勢市(旧・宇治山田市、通称「神都」)に存在した三重交通の軌道線(路面電車)である。市内間相互輸送の他、国鉄・近鉄の伊勢市駅・宇治山田駅といった伊勢市のターミナル駅から、伊勢神宮・二見浦へ向かう観光・参拝客輸送の役割も果たしていた。
目次
1 路線概要
2 停留所一覧
3 沿革
4 特徴
路線概要(廃線直前の1961年1月当時)
全路線長:14.0km
内宮線:6.8km(伊勢市駅前~内宮前)
二見線:6.6km(古市口~二見)
中山線:0.6km(中山~二軒茶屋)
軌間:1067mm
電圧:直流600V
併用軌道区間:伊勢市駅前~古市口、猿田彦神社前~内宮前(全体の約2割で、他は専用軌道)
複線区間:本町~古市口(上下線間隔大)
集電装置:ポール(廃止時まで)
系統
伊勢市駅前~古市口~中山~内宮前
伊勢市駅前~古市口~二軒茶屋~二見
内宮前~中山~二軒茶屋
運行間隔:30分(初詣時は7~15分間隔)
所要時間
外宮前~内宮前:21分
二見~外宮前:29分
二見~内宮前:27分
停留所一覧(廃止直前の1961年1月当時)
内宮線
伊勢市駅前 - 本町(外宮前) - 外宮前 - 近鉄宇治山田駅前 - 古市口 - 倉田山 - 中山 - 松尾 - 楠部 - 猿田彦神社前 - 内宮前
(伊勢市駅前~近鉄宇治山田駅前間は上下線が離れており、本町(外宮前)は上り線のみ、外宮前は下り線のみに存在)
二見線
古市口 - 河崎 - 二軒茶屋 - 学校前 - 通 - 汐合 - 三津 - 二見
中山線
中山 - 二軒茶屋
また、1944年に休止された朝熊線の駅・停留所は以下の通り。
鉄道線:楠部 - 五十鈴川 - 一宇田 - 朝熊村 - 平岩
鋼索線:平岩 - 朝熊岳
平岩駅は、1970年に開業した近鉄鳥羽線朝熊駅近くにあった。
沿革
1903年(明治36年)8月5日 当時この地域の電力事業を行っていた宮川電気により、余剰電気の有効活用を目的として本町~二見間7.6kmで電車の運行を開始。東京電気鉄道(後の東京都電)より17日、大阪市電より1ヶ月早い開業で、日本で7番目となるものであった。
1904年(明治37年)2月 社名を伊勢電気鉄道(現在の近鉄名古屋線にあたる路線の一部を建設した伊勢電気鉄道とは別)に改める。
1905年(明治38年)8月 山田駅前(後、伊勢市駅前)~本町間0.3km延伸。
1906年(明治39年)10月 古市口~宇治(後、猿田彦神社前)間4.5km、中山~二軒茶屋間0.6km開業。
1909年(明治42年)10月1日 外宮前~古市口間1.3km開業。
1914年(大正3年)11月 宇治~内宮前間0.9km開業。
1922年(大正11年)5月 電力会社の整理統合により、伊勢電気鉄道は松阪電気・津電灯と合併して三重合同電気となる。
1928年(昭和3年) 朝熊山への登山鉄道であった朝熊登山鉄道を合併、鉄道線(楠部~平岩間)と鋼索鉄道(ケーブルカー、平岩~朝熊山間)が朝熊線として同社路線となる。
1930年(昭和5年) 社名を合同電気とし、京阪電気鉄道の経営であった和歌山軌道線を譲り受ける(1940年に阪和電気鉄道傘下の和歌山電気軌道へ譲渡、最後は南海電気鉄道の路線となって1971年廃止)。
1937年(昭和12年) 東邦電力に合併、同社の津支局の管轄となる。
1939年(昭和14年) 国策によって電力事業と運輸事業を分離することになり、宇治山田市内の軌道線は新たに設立された神都交通の経営となる。
1944年(昭和19年) 戦時下の不要不急路線として朝熊線を休止、三重県下の鉄道・バス事業を統合して三重交通が発足、同社の路線となる。
1959年(昭和34年)9月27日~10月4日 伊勢湾台風によって一時不通に。
1961年(昭和36年)1月20日 神都線をバスに転換して全廃。
1962年(昭和37年)7月15日 休止中の朝熊線を廃止。
特徴
右側通行の採用
伊勢神宮へ参拝する際、外宮を見てから内宮へ向かうのが普通であるが、その際既述のように伊勢市駅前~近鉄宇治山田駅前間の上下線が分かれていた区間では、より外宮に近いほうを通る路線を下りとし、外宮前を経由せずその北を直進してより宇治山田駅に近い位置を通る路線を上り線としたほうが好都合なため、日本での一般の鉄道や道路が左側通行を減速しているのに逆らって、右側通行となった。そのほかの区間でも、運転上の勘違いを防ぐために行き違い場所はすべて右側通行にしていた。
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線 Encyclopedia
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線(みつびしせきたんこうぎょうおおゆうばりてつどうせん)は、北海道夕張市にあった清水沢駅と大夕張炭山駅を結んでいた三菱石炭鉱業の鉄道路線。
大夕張炭山にて
明治44年(1911年)開業の大夕張炭礦専用鉄道(清水沢~南大夕張)が、その後延長され昭和14年(1939年)に三菱鉱業株式会社線(清水沢~大夕張炭山)として地方鉄道に改組・開業した。昭和25年(1950年)美唄鉄道株式会社の吸収により「三菱鉱業大夕張鉄道」となり、昭和31年(1956年)6月国鉄との清算を美唄鉄道との併合清算に変更、「三菱鉱業大夕張鉄道線」となった。沿線炭鉱の石炭輸送や、夕張岳山麓から森林鉄道により運び出された林産品の輸送に活躍する一方、道路が未整備だった昭和30年代後半まで沿線住民にとっては貴重な足であった。その後炭鉱の経営主体の変遷により昭和44年(1969年)10月には三菱大夕張炭礦株式会社、昭和48年(1973年)12月には三菱石炭鉱業株式会社に譲渡され、相次ぐ閉山・合理化により昭和62年(1987年)7月に廃止された。機関車は9200形、9600形、C11形が混合列車や貨物列車の牽引に活躍したが昭和48年(1973年)には国鉄DD13形と同等の社形DL55形が導入された。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 関連項目
7 参考資料
8 外部リンク
路線データ
路線距離(営業キロ):清水沢~大夕張炭山間 17.2km
軌間:1067mm
駅数:8駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
運行形態気動車を導入したことは無く、廃線まで機関車が客車・貨車を牽引する方式だった。混合列車は1967年時点では1日7往復(内1往復は区間列車)。
1987年の廃止直前時点で1日3往復運転されていた。他に数本の貨物列車があった。
歴史
1911年6月1日 大夕張炭礦専用鉄道 清水沢~二股(のちの南大夕張)間7.6km開業。(21日説あり)
1916年2月17日 大夕張炭礦が三菱合資会社に合併。
1918年4月10日 三菱合資会社炭坑部を分離し三菱鉱業設立。
1929年1月22日 二股駅を南大夕張駅に、北部駅を大夕張駅に改称。
1929年6月1日 南大夕張~通洞間9.6km開業。
1938年10月20日 通洞駅を大夕張炭山駅に改称。
1939年4月20日 清水沢~大夕張炭山間17.2kmを専用鉄道から地方鉄道に変更。大夕張~大夕張炭山間は貨物営業のみ。
1940年9月1日 遠幌加別駅開業。
1942年8月1日 遠幌加別駅を遠幌駅に改称。
1945年5月6日 (臨)農場前駅(初代)開業。
1945年9月1日 大夕張鉱業所に鉄道課設置
1946年2月1日 (臨)第ニ農場前駅開業。農場前駅を第一農場前駅に改称。
1947年1月16日 清水沢駅乗入れ。新清水沢駅廃止。
1950年4月25日 三菱鉱業が美唄鉄道を吸収・合併。三菱鉱業大夕張鉱業所鉄道課による「三菱鉱業大夕張鉄道」となる。
1950年11月1日 千年町駅開業。第一農場前駅を通年営業とし明石町駅に改称。第二農場前駅を農場前駅(2代)に改称。
1953年12月25日 大夕張~大夕張炭山間旅客営業開始。
1956年6月1日 国鉄との清算を美唄鉄道との併合清算に変更。「三菱鉱業大夕張鉄道線」となる。
1962年6月1日 シューパロ湖駅開業。
1969年10月1日 シューパロ湖駅廃止。
1969年10月1日 清水沢~大夕張炭山間を三菱大夕張炭礦に譲渡。三菱大夕張炭礦大夕張鉄道となる。
1973年12月15日 三菱大夕張炭礦が三菱高島炭礦と合併し三菱石炭鉱業に社名変更。
1973年12月16日 南大夕張~大夕張炭山間廃止。
1987年7月22日 清水沢~南大夕張間7.6km廃止。
駅一覧
清水沢駅 - 新清水沢駅 - 遠幌駅 - 南大夕張駅 - シューパロ湖駅 - (臨)農場前駅 - 明石町駅 - 千年町駅 - 大夕張駅 - 大夕張炭山駅
接続路線
清水沢駅:石勝線
関連項目
三菱鉱業
三菱鉱業美唄鉄道線
三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道
森林鉄道 (大夕張営林署)
参考資料
『RM LIBRARY47 三菱鉱業大夕張鉄道』 奥山道紀・赤城英昭著(ネコパブリッシング刊)ISBN 4-7770-5002-5
三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 Encyclopedia
三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 (みつびしこうぎょうあしべつこうぎょうしょせんようてつどう)は、北海道空知支庁管内芦別市の根室本線上芦別駅から、北方の辺渓三坑までの8.2kmを結んでいた三菱鉱業の専用鉄道で、同炭鉱の閉山に伴い昭和39年(1964年)に廃止された。また辺渓からは油谷炭鉱専用線1.3kmを分岐していた。9600形などが石炭輸送に活躍したが、末期は同社大夕張鉄道線から入線した9200形が人気を集めた。
歴史
1949年 上芦別~辺渓6.9km専用鉄道開通、同時に油谷炭鉱専用線1.3km開通
1954年 辺渓~辺渓三坑間1.3km開通
1964年 三菱芦別炭鉱の閉山に伴い廃止
関連項目
芦別市
三菱鉱業
三菱石炭鉱業大夕張鉄道線
廃線
上山田線 Encyclopedia
上山田線(かみやまだせん)とは、福岡県飯塚市の飯塚駅から田川郡川崎町の豊前川崎駅までを結んでいた、九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化後の1988年に廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 廃止後の状況
路線データ
管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
区間(営業キロ):飯塚~豊前川崎 25.9km(嘉穂信号場~下山田間(1.7km)は、漆生線と重複)
軌間:1067mm
駅数:10(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
歴史
上山田線は歴史的に、明治時代に筑豊炭田から産出される石炭の輸送のため、筑豊鉄道・九州鉄道が建設し、鉄道国有法により国有化された飯塚~上山田間と、油須原線構想により太平洋戦争後に建設された上山田~豊前川崎間に分かれる。
前者の区間は、筑豊鉄道が若松港への石炭積み出しのために敷設した鉄道(後の筑豊本線)の延長として、1895年に飯塚~臼井間を開業したのが始まりであり、1897年に九州鉄道に合併された後、1901年に上山田まで延伸(大隈~上山田間は当初貨物線)された。1907年の国有化後は、筑豊本線の一部となったが、1929年に長尾線が原田まで延伸され全通したのにともない、そちらが筑豊本線となり、飯塚~上山田間は、上山田線として分離された。
後者の区間については、筑豊地区の石炭を苅田港に輸送するために計画された油須原線の一部であり、1966年に同計画の一部として建設された漆生線漆生~下山田(嘉穂信号場)間と同時に開業した。油須原線はもともと貨物輸送が目的の鉄道路線であったが、筑豊炭田の凋落とともに計画の東半分(豊前川崎~大任~油須原)が未開業に終わり、結局貨物輸送に使われることはなかった。
貨物輸送の廃止後は、沿線の急激な衰退もあって営業成績は振わず、営業係数ワーストランキングの常連となっていった。1980年の国鉄再建法施行に伴い、第2次特定地方交通線に指定され、JR九州引継ぎ後の1988年に廃止された。
1895年4月5日 【延伸開業】筑豊鉄道 飯塚~臼井 【駅新設】臼井
1897年10月1日 【合併】九州鉄道
1898年2月8日 【延伸開業】臼井~大隈 【貨物支線開業】大隈~下山田 【駅新設】大隈、(貨)下山田
1898年3月29日 【貨物支線開業】平恒分岐点~平恒 【駅新設】(貨)平恒(初代)
1901年6月28日 【貨物支線延伸開業】下山田~上山田 【駅新設】(貨)上山田
1903年12月20日 【旅客営業開始】大隈~上山田 【貨物駅→一般駅】下山田、上山田
1907年7月1日 【買収・国有化】官設鉄道
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称設定】筑豊本線 若松~上山田(一部)、平恒分岐点~平恒
1917年3月12日 【貨物駅新設】新平恒(平恒分岐点に新設)
1929年12月7日 【区間分離】上山田線 飯塚~上山田(14.4km)(長尾線飯塚~原田間全通にともない長尾線を筑豊本線に編入し、飯塚~上山田間を分離)
1939年5月29日 【貨物支線廃止】新平恒~平恒(初代)(-0.7km) 【駅廃止】平恒(初代) 【駅名改称】新平恒→平恒(2代)
1948年5月8日 【貨物駅→一般駅】平恒
1966年3月10日 【延伸開業】上山田~豊前川崎(11.5km 旅客営業のみ) 【駅新設】熊ヶ畑、真崎、東川崎 【信号場新設】嘉穂(漆生線延伸区間との分岐点)
1980年3月31日 【貨物営業廃止】飯塚~上山田(-14.4km)
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1986年4月1日 【信号場廃止】嘉穂(漆生線廃止)
1987年4月1日 【承継】九州旅客鉄道
1988年9月1日 【廃止】全線(-25.9km) バス転換
駅一覧
飯塚駅 - 平恒駅 - 臼井駅 - 大隈駅 - 嘉穂信号場 - 下山田駅 - 上山田駅 - 熊ヶ畑駅 - 真崎駅 - 東川崎駅 - 豊前川崎駅
接続路線
飯塚駅:筑豊本線
下山田駅:漆生線(実際の分岐は嘉穂信号場) - 1986年4月1日廃止
豊前川崎駅:日田彦山線
廃止後の状況
廃止後も、山田市熊ヶ畑付近ではレールが残され、1996年から山田市主催で線路の保守作業に使われていた軌道自転車で上山田線跡を走る「トロッコフェスタ」が毎年秋に開催されている。
2004年、山田市と川崎町の間に残る熊ヶ畑トンネル内のレールが約1.7kmに渡って盗まれていることが判明し、同年11月19日に被害届が出された。2005年2月に2人組の容疑者が捕まっている。
上田丸子電鉄西丸子線 Encyclopedia
上田丸子電鉄西丸子線(うえだまるこでんてつにしまるこせん)は長野県上田市の旧塩田町東部地区(東塩田村、富士山村)と丸子町の旧依田村地区~旧丸子町西部を結んでいた、上田交通の前身、上田丸子電鉄の鉄道路線。1963年(昭和38年)に廃止された。
現在の上田交通別所線の下之郷駅を起点とし、南東に向かって進み境界の二ッ木峠のトンネルと依田川の鉄橋を渡って丸子町の中心地の西、西丸子駅まで結んでいた。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 備考
路線データ
路線距離(営業キロ):下之郷~西丸子間 8.6km
軌間:1067mm
駅数:11
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流650V)
歴史
西丸子線は上田丸子電鉄(株)の前身、(株)上田温泉電気軌道(略称・温電)によって開通させた路線である。温電はもうひとつの前身、丸子鉄道(株)(略称・丸鉄)と設立経路が違っていた事から経営が苦しかった。そこで、丸鉄のハナの穴を明かすべく上田市の中心部から丸子町の中心部を結ぶ路線を計画。同じく上田市の中心部から丸子町の中心部を結ぶ路線を計画していた丸鉄より先に鉄道敷設申請をし、認可されるやすぐさま工事を開始したがトンネル工事や鉄橋工事が続く難工事のため気がつけば丸鉄に先乗り開業を許していたという有様。(ちなみに丸鉄の計画は大屋から省線の信越本線(現・しなの鉄道線)を並行して走り、途中からオーバークロスして上田市街地に入るというものでこれでは工事は楽で済む。)そのためか開業当時から赤字続き、「四十雀(しじゅうから)電車」と馬鹿にされていたという。
「四十雀電車」と馬鹿にされていたぐらいだから近代化が一番遅れ、軽便軌道扱いの依田窪線から地方鉄道扱いの西丸子線となってからも青木線で使われていた木造四輪単車=チンチン電車が使われ、パンタグラフ化・全線ボギー車化が遅れ、廃止直前にはまだ木造車体の電車が主流という有様。補修予算も組むことすらままならず大雨が降れば運休になったという。しかし、丸子町の住民にとっては別所温泉へ行くのと、常楽寺北向観音の二年参りに行く上でなくてはならない路線であり、故に赤字=即、廃止とはならなかったのだが、1961年(昭和36年)6月25日の梅雨前線豪雨により二ツ木トンネルと依田川鉄橋が破損するなど全線で被害が出たのをきっかけに4日後電車の運行を休止となったのが運のツキ、2年後の1963年(昭和38年)11月1日バス路線に移行し名実ともに廃止となってしまったのである。
1923年(大正12年) (株)上田温泉電気軌道、依田窪線下之郷~西丸子間の軌道敷設認可により工事に取り掛かる。
1926年(大正15年・昭和元年)8月12日 依田窪線(西丸子線)開通。
1939年(昭和14年)8月30日 (株)上田電鉄に社名変更。これにより地方鉄道となり上田電鉄西丸子線と改称。
1943年(昭和18年)10月21日 (株)上田電鉄と丸子鉄道(株)が合併して上田丸子電鉄(株)に、これに伴い上田丸子電鉄西丸子線となる。
1953年(昭和28年) 鈴子、東塩田と駅名変更。
1960年(昭和35年)6月1日 老朽化のためダイヤの半分近くをバスで運行。
1961年(昭和36年)6月29日 6月25日の梅雨前線豪雨被害により電車の運行を休止し全面バス運行に。(実質的に廃止。)
1963年(昭和38年)11月1日 電車路線からバス路線に移行し名実ともに廃止。
駅一覧
下之郷駅 - 宮前駅 - 石神駅 - 東塩田駅 - 富士山駅 - 馬場駅 - 依田駅 - 御岳堂駅 - 上組駅 - 川端駅 - 寿町駅 - 河原町駅 - 西丸子駅
※駅名は廃止時点のもの。改称された駅の開業時の名称は、東塩田駅が鈴子駅。
接続路線
路線名等は廃止時点のもの。
下之郷駅:上田丸子電鉄(現上田交通)別所線
西丸子駅:上田丸子電鉄丸子線 ※西丸子駅から丸子線丸子町駅まで徒歩かバスで連絡が可能だった。
備考現在運行されている上電バスの西丸子線は1960年(昭和35年)6月1日に運行開始された上田丸子電鉄西丸子線の代替バスが起源となっている。したがって西丸子線はバスという形で継続されている。また、西丸子線は廃止後ワンマン運転化されるまで別所線(+真田傍陽線)と共通の社内補充券で乗ることが出来ていた。
上田交通真田傍陽線 Encyclopedia
上田交通真田傍陽線(うえだこうつうさなだそえひせん)は長野県上田市の上田駅と真田町の傍陽駅、真田駅を結んでいた上田交通の鉄道路線。1927年に開通したが、1972年(昭和47年)に廃止された。
信越本線(現JR東日本長野新幹線・しなの鉄道線)上田駅を起点とし、市街地を時計回りの方向で進み、市街地の北東部にあった川原柳駅から国道144号線に沿う形で本原駅に達し、さらにそこから分岐して現在の長野県道35号線に沿って傍陽駅までを、さらに国道144号線を沿って真田駅を結んでいた。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
路線距離(営業キロ):上田~本原間 8.6km、本原~傍陽間 3.1km、本原~真田間 4.2km、合計15.8km
軌間:1067mm
駅数:9→12→15→19
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)
歴史
上田交通真田傍陽線は(株)上田温泉電気軌道(略称・温電)によって同社の北東線という形で1927年(昭和2年)に開業し1928年(昭和3年)に全通したが温電は経営難と言う事情から上田市から東北の方面に鉄道を建設することに難色を示していたという。しかし、上田市と東北5ヶ村(=神科村、殿城村(以上、現・上田市)、本原村、長村、傍陽村(以上、現・真田町))が鉄道敷設の猛運動を起こしたためそれに押される形で建設を決断したのである。デモシカで始まり、完成に至った真田傍陽線だが、建設したおかげで菅平の観光開発が進んだというから結果的には建設してよかったのである。
真田傍陽線は菅平高原や群馬県へ行くための路線として重宝がられ、さらに、上田市と真田町で取れた高原野菜、りんごなどの農産物を輸送するための路線として重宝がられたが、上田駅から直接菅平高原、群馬県へ行くバスが増発されたり、農産物の輸送がトラックに移行したため1960年代後半から赤字路線に転落。1972年(昭和47年)2月20日惜しまれつつ廃止となってしまったのである。
1923年(大正12年) 上田市と東北5ヶ村(神科村、殿城村、本原村、長村、傍陽村)が(株)上田温泉電気軌道に鉄道敷設の猛運動を起こす。
1924年(大正13年)11月 温電、上田市と東北5ヶ村の猛運動に押される形で北東線の鉄道敷設認可を申請。
1925年(大正14年)3月 鉄道省(現国土交通省)から認可される。11月 着工。
1926年(大正15年・昭和元年) 北東線真田~大日向間の路線延長認可。(着工に至らずのちに失効。)
1927年(昭和2年)11月20日 北東線上田~伊勢山間開業。
(※この年開業した駅=上田、公会堂下、北大手、上田花園、北上田、川原柳、神科、樋之沢、伊勢山)
1928年(昭和3年)1月10日 伊勢山トンネルと川久保鉄橋完成し伊勢山~本原間開通。4月2日 本原~傍陽間開通。5月1日 本原~真田間が開通し北東線全通。
(この年開業した駅=川久保、下原下、本原(以上、1月10日)、横尾、曲尾、傍陽(以上、4月2日)、北本原、石舟、長村、真田(以上、5月1日))
1939年(昭和14年)8月30日 (株)上田電鉄に社名変更。線名を上田電鉄菅平鹿沢線と改称。
1943年(昭和18年)10月21日 (株)上田電鉄と丸子鉄道(株)が合併して上田丸子電鉄(株)に。これに伴い上田丸子電鉄菅平鹿沢線となる。
1948年(昭和23年) 公会堂下、公園前と駅名変更。
1953年(昭和28年) 川久保、殿城口と駅名変更。
1955年(昭和30年)8月 電鉄上田駅舎完成。
1960年(昭和35年)4月1日 線名を上田丸子電鉄真田傍陽線と改称。
1969年(昭和44年)6月1日 上田丸子電鉄(株)、社名を上田交通(株)に変更。これに伴い上田交通真田傍陽線となる。
1970年(昭和45年)8月 上田交通、真田傍陽線の廃止を運輸省(現国土交通省)に申請。
1972年(昭和47年)2月20日 真田傍陽線上田~本原・本原~傍陽・本原~真田間廃止。
駅一覧
上田駅 - 公園前駅 - 北大手駅 - 上田花園駅 - 北上田駅 - 川原柳駅 - 神科駅 - 樋之沢駅 - 伊勢山駅 - 殿城口駅 - 下原下駅 - 本原駅 - 北本原駅 - 石舟駅 - 長村駅 - 真田駅 (本原駅) - 横尾駅 - 曲尾駅 - 傍陽駅
※駅名は廃止時点のもの。改称された駅の開業時の名称は、公園前駅が公会堂下駅、殿城口駅が川久保駅。
接続路線
路線名等は廃止時点のもの。
上田駅:信越本線(現しなの鉄道線)、上田交通別所線
上田温泉電気軌道青木線 Encyclopedia
上田温泉電気軌道青木線(うえだおんせんでんききどうあおきせん)は長野県上田市と青木村を結んでいた上田交通の前身のひとつ、上田温泉電気軌道(略称・温電)の軌道路線。1938年に廃止された。
青木線は開業した当初は上田市の千曲川左岸、上田橋から少し離れた三好町(初代)を基点とし小県郡川辺村(現・上田市)の中心地にある上田原からさらに現在の国道143号線に沿って西に進み青木を結んでいたが千曲川鉄橋が開通すると起点は鉄道省線(現・JR東日本、しなの鉄道)上田駅に変更。さらに三好町~上田原間が路線変更・変則複線化されると上田~上田原間は専用軌道で、上田原~青木間は併用軌道で結ばれるようになっていた。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 備考
路線データ
路線距離(営業キロ):(開業時)三好町~青木間 10.6km (廃止直前)上田~青木間 11.4km
軌間:1067mm
駅数:13→14
複線区間:城下~上田原間(※ ただし変則的な複線)
電化区間:全線電化(直流600V)
歴史
上田交通の前身は上田丸子電鉄(株)。さらにさかのぼると(株)上田温泉電気軌道(のちに(株)上田電鉄)と丸子鉄道(株)となるが二社は設立目的が違っていた。後者が丸子町の製糸業者が生糸を輸送する目的で設立した産業企業というイメージが強いのに対し、前者は千曲川左岸の温泉地、別所温泉・田沢温泉・沓掛温泉を結ぶ目的で設立された観光企業というイメージが強い。当然設立された当初は上田市と温泉地を結ぶ路線を開通させるのが目標となる。従って青木線が別所線(開通当初は川西線)と共に最初の路線として開通したのは当然といえよう。
青木線は当時長野県道2号線と呼ばれていた現在の長野県道77号線→国道143号線を借用して建設された軌道線でポール集電による四輪単車が主力のいわゆるチンチン電車だが、千曲川鉄橋が開通すると上田~三好町間が専用軌道になり、さらに路線変更・変則複線化によって 上田原間にまで伸びたが経営不振の影響から終点青木まで全線専用軌道化はならなかった。そのため借用期限が切れた1938年に併用軌道分が廃止になったことにより事実上廃止となってしまった。早く開通しながら早く廃止になったのはまさに皮肉であった。
1919年(大正8年)3月 上田温泉軌道発起人会設立。6月には青木線三好町~青木間の軌道敷設認可を鉄道省(現・国土交通省)に申請。11月には認可が下りる。
1920年(大正9年)1月 (株)上田温泉軌道設立され、工事開始。11月には(株)上田温泉電気軌道に社名変更。
1921年(大正10年)6月17日 青木線三好町~青木間開業。
(※この年開業した停車場・停留場=三好町、三好町二丁目、上田原、宮島、福田、古吉町、小泉、白銀、出浦、当郷、殿戸、村松、青木)
1924年(大正13年)8月 千曲川鉄橋開通し省線(現・JR東日本、しなの鉄道)上田駅に乗入れ。(これにより川西上田駅開業。)
1927年(昭和2年)12月 三好町~上田原間が専用軌道・変則複線化。これにより三好町停留所が城下停留所に、三好町二丁目停留所が三好町停留所に名称変更。
1932年(昭和7年)9月 三好町~上田原間に赤坂上停留所設置。
1938年(昭和13年)7月25日 上田原~青木間の併用軌道が長野県からの借用期限が切れたため廃止。これにより事実上廃止。
1939年(昭和14年)8月30日 社名を(株)上田電鉄に変更。
1941年(昭和16年)【この年までに】城下~上田原間の旧青木線分の路盤が撤去され、名実ともに廃止となる。
駅一覧
上田駅 - 城下駅 - 三好町駅 - 赤坂上駅 - 上田原駅 - 宮島駅 - 福田駅 - 古吉町駅 - 小泉駅 - 白銀駅 - 出浦駅 - 当郷駅 - 殿戸駅 - 村松駅 - 青木駅
※駅名(正しくは停車場・停留場)は廃止時点のもの。改称された駅の開業時の名称は城下駅が三好町駅、三好町駅が三好町二丁目駅。
接続路線
路線名は廃止時点のもの。
上田駅:信越本線(現しなの鉄道線)
上田原駅:温電川西線(現上田交通別所線)
備考戦後、青木線を上田~松本間の地方鉄道線として復活する計画があり、松本電気鉄道との共同出資で上田松本電鉄を設立。1952年(昭和27年)に運輸省(現・国土交通省)から工事敷設の認可を得たが着工に至らず幻と消えてしまった。もし実現していたら上田~松本間が今より楽に結ばれていたかもしれない。
南海大浜支線 Encyclopedia
大浜支線(おおはましせん)は、大阪府堺市の宿院駅から同市の大浜海岸駅までを結んでいた南海電気鉄道の軌道路線。
南海合併前の阪堺電気軌道が、1903年開催の第5回内国勧業博覧会の会場の一つとして建てられた堺水族館があった大浜公園へのアクセス路線として1912年に開業したのが大浜支線である。翌年、阪堺電気軌道はさらに乗客を誘致するため、大浜公園内に海水を沸かした大浴場「大浜潮湯」を開設した。大浜公園には大浜潮湯・水族館のほか、少女演劇が行われていた大浜公会堂などがあり、行楽地として賑わっていた。
しかし、太平洋戦争が始まり、1944年に大浜潮湯や水族館は閉鎖され、翌1945年2月には一部区間が不要不急線として休止された。同年7月10日の堺大空襲で南海本線堺駅や、付近で南海本線を跨いでいた大浜支線が被害を受け運休となり、1949年に正式に休止、その後運行が再開されることなく1980年に廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
路線距離(営業キロ):宿院~大浜海岸間 1.4km
軌間:1435mm
駅数:6駅(起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線電化(直流600V)
歴史
1912年4月1日 阪堺電気軌道により宿院~水族館前(のちの大浜北町)が開業。
1912年8月26日 水族館前~大浜海岸間が開業。
1915年6月21日 阪堺電気軌道が南海鉄道に合併。
1944年6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
1945年2月11日 大浜北町~大浜海岸間が休止。
1945年7月10日 堺大空襲で被害を受け運休となる。
1947年6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
1949年3月3日 宿院~大浜北町間が正式に休止。
1980年11月28日 休止以来、運行が再開されることもなく廃止。
大浜支線廃止と同日、平野線も廃止され、3日後の12月1日に、南海の軌道線(阪堺線・上町線)は分社化され阪堺電気軌道となった。
駅一覧
宿院駅 - 川尻駅 - 竜神駅 - 水族館前駅 - 大浜公園駅 - 大浜海岸駅
(1940年頃のもの)
接続路線
宿院駅:南海阪堺線
竜神駅:南海本線(竜神駅:堺駅~湊駅間、1955年廃止)
竜神~水族館前間で阪堺電鉄(阪堺電気軌道とは全く別、のちの大阪市電三宝線)と交差していたが、直接乗り換え可能な電停は設けられていなかった模様。
南海天王寺支線 Encyclopedia
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今池町駅に進入する1521系
上のガードは阪堺電気軌道阪堺線
天王寺支線(てんのうじしせん)は、大阪府大阪市西成区にある南海本線の天下茶屋駅から分岐し、同市天王寺区にある天王寺駅までを結んでいた南海電気鉄道の鉄道路線である。大阪市営地下鉄堺筋線の天下茶屋駅延伸と南海電鉄の天下茶屋駅の高架化により、1993年に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 昔話
5 駅一覧
6 接続路線
7 廃線後の現状
路線データ
路線距離(営業キロ):2.4km
軌間:1067mm
駅数:4駅(起終点駅および、飛田本通駅含む)
複線区間:全線複線(天下茶屋~今池町間廃止以後は単線)
電化区間:全線電化(直流1500V)
閉塞方式:
運行形態
部分廃止前は7000系などの2両編成で運行されていたが、1984年11月18日の部分廃止後は1521系の単行運転での往復運転となった。この時、天王寺支線に閉じ込められたのは1524と1526の2両で、路線廃止後現地解体されるものと思われたが奇跡的に運び出された。
1965年の時刻表によると、10~15分間隔の運転形態をとっていた。部分廃止後の1988年では15~20分間隔の運転となっている。
歴史
1900年10月26日 天下茶屋~天王寺間が開業。
1907年11月11日 天下茶屋~天王寺間が電化。
1931年8月20日 天下茶屋~天王寺間が複線化。
1933年2月16日 城東線の電化に伴い、当線列車増発。
1949年6月20日 天下茶屋~天王寺間の曳船駅、大門通駅を廃止し、今池町駅開業。
1984年11月18日 天下茶屋~今池町間1.1kmが廃止。今池町~天王寺間が単線化。南海天王寺駅移転により0.1km短縮。今池町駅と南海線(高野線)萩ノ茶屋駅間を徒歩で連絡。
1984年12月10日 今池町~天王寺間に飛田本通駅開業。元の複線線路上に開設。
1993年4月1日 今池町~天王寺間1.2kmが廃止され、全線廃止。
昔話昔、南紀方面に設定されていた急行「きのくに」が、南海天王寺駅を発し、当路線を通って天下茶屋駅で待機し、難波方面から来た車両と増結して運行していた時期があった。
線路には砂利が敷かれていなかった。理由は、この周囲の事情から投石されるなど危険であり、それをあらかじめ防ぐためといわれる。
南海が貨物を扱っていたときは、重要路線だった。
駅一覧
天下茶屋駅 - (曳舟駅) - 今池町駅 - 飛田本通駅 - 天王寺駅
接続路線
天下茶屋駅:南海本線・南海高野線
今池町駅:阪堺電気軌道阪堺線・平野線(今池駅)
天王寺駅:大阪環状線・関西本線(大和路線)・阪和線・大阪市営地下鉄御堂筋線・谷町線・近鉄南大阪線(大阪阿部野橋駅)
廃線後の現状
ほとんどの通路・道路からはバリヤーにより遮断されているが、駐車場になっている地点と、(出入り口は閉鎖されているが)花壇つきの遊歩道になっている地点と、ホームレス対策としての無料宿泊施設が建っている地点などがある。そして旧今池町駅跡には、アパートが建っている。
南海北島支線 Encyclopedia
北島支線(きたじましせん)は、和歌山県和歌山市の北島駅から東松江駅までを結んでいた南海電気鉄道の鉄道路線である。なお、北島駅~東松江間とともに当時加太線の一部であった和歌山市駅から北島駅までの区間についても記す。
もともとは加太線の一部で、紀ノ川駅経由の現路線は松江線という貨物路線だった。 しかし、紀ノ川橋梁の倒壊が原因で和歌山市~北島間が1955年に廃止。なお、この時に松江線が加太線に編入された。盲腸線となった残る北島~東松江間は北島線と改称され、1966年に廃止された。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
路線データ
路線距離(営業キロ):2.6km(和歌山市~北島間0.8km、北島~東松江間1.8km)
軌間:1067mm
駅数:4駅(和歌山市駅、東松江駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)※
閉塞方式:
※南海本線などとともに加太線の架線電圧が1500Vに昇圧されたのは、北島支線廃止後の1973年。
運行形態
歴史
1912年6月16日 加太軽便鉄道が和歌山口(のちの北島)~東松江~加太間を開業。
1914年9月25日 紀ノ川橋梁完成。和歌山口~北島間開業。南海和歌山市駅と連絡。
1930年2月 和歌山口~加太間が電化。
1931年1月6日 加太電気鉄道に社名変更。
1944年2月1日 南海鉄道に合併。加太線となる。
1944年6月1日 関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道となる。
1947年6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
1950年7月25日 松江線の旅客営業開始。加太線の運転系統を紀ノ川経由に変更。
1950年9月3日 ジェーン台風で紀ノ川橋梁が破損、和歌山市~北島間が不通に。
1953年 和歌山市~北島間が休止。
1955年2月15日 和歌山市~北島間が廃止。紀ノ川~加太間を加太線、北島~東松江間を北島線に変更。
1966年12月1日 北島線北島~東松江間が廃止。
駅一覧
和歌山市駅 - 北島駅 - 島橋駅 - 東松江駅
接続路線
和歌山市駅:南海本線・南海和歌山港線・紀勢本線
東松江駅:南海加太線
南部縦貫鉄道 Encyclopedia
南部縦貫鉄道(なんぶじゅうかんてつどう)は、かつて青森県上北郡の七戸町から野辺地町を結ぶ鉄道路線を運営していた鉄道会社。旧型レールバスの運行を行っていたことで、鉄道ファンなどの間では有名であったが1997年に休止、2002年に廃止されている。現在は、旧七戸駅で当時の車両が動態保存されている。
なおここでは、運営していた路線についても記す。
目次
1 歴史
2 鉄道事業
2.1 路線データ
2.2 駅一覧
2.3 接続路線
3 その他
歴史
1953年12月23日 南部縦貫鉄道設立。
1962年10月20日 千曳~七戸間開通
1968年8月 国鉄東北本線の線路付けかえに伴い、野辺地~千曳(名称を西千曳に変更)間延長。
1997年5月5日 鉄道事業休止。
2002年8月1日 鉄道事業廃止。
鉄道事業
路線データ
路線距離(営業キロ):野辺地~七戸間 20.6km
軌間:1067mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:票券閉塞式
駅一覧
野辺地駅 - 西千曳駅 - 後平駅 - 坪駅 - 坪川駅 - 道ノ上駅 - 天間林駅 - 中野駅 - 営農大学校前 - 盛田牧場前駅 - 七戸駅
接続路線
野辺地駅:東北本線
その他
最終的には七戸駅より南下し、三本木で十和田観光電鉄十和田市駅に接続、更に五戸へ延ばし、尻内(現在の八戸駅)から五戸まで運行していた南部鉄道と結ぶ予定だったといわれる。
当初は京成電鉄が出資し、経営に参加していた。南部縦貫鉄道のレールバスのカラーリングは京成の赤電と同じである。
キンカン本舗のテレビCMなどにも登場している。
志布志線 Encyclopedia
志布志線(しぶしせん)とは、宮崎県都城市の西都城駅から鹿児島県曽於郡志布志町の志布志駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 車両
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
路線データ
(廃止時)管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):西都城~志布志 38.6km
軌間:1067mm
駅数:10(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
車両キハ47
歴史都城から太平洋岸の志布志に向かい、軽便鉄道法により建設された鉄道で、1923年から1925年にかけて志布志までが開業した。1932年には、国都東・西線が連絡し、現在の日豊本線ルートが完成したのにともない、都城~西都城間が日豊本線に編入されている。
現在は日南線となっている北郷~志布志間についても当初は志布志線として開業した区間で、1963年の日南線南宮崎~北郷間開業にともない、同線に編入された。こちらは大隅線とともに、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線である。
1923年1月14日 【開業】志布志線 都城~末吉(10.8km) 【駅新設】西都城、今町、末吉
1924年3月25日 【延伸開業】末吉~大隅松山(13.3km) 【駅新設】岩川、大隅松山
1925年3月30日 【延伸開業】大隅松山~志布志(17.0km) 【駅新設】縄瀬、安楽、志布志
1932年12月6日 【所属線区変更】都城~西都城(-2.5km)(日豊本線に編入)
1934年4月1日 【駅新設】岩北
1935年4月15日 【延伸開業】志布志~榎原(28.5km) 【駅新設】大隅夏井、福島今町、福島仲町、日向北方、日向大束、榎原
1935年10月28日 古江東線(後の大隅線)開業
1936年3月1日 【延伸開業】榎原~大堂津(10.2km) 【駅新設】南郷、大堂津
1937年4月19日 【延伸開業】大堂津~油津(4.3km) 【駅新設】油津
1941年10月28日 【延伸開業・全通】油津~北郷(13.5km)、油津~元油津(1.0km。貨物支線。実態は油津線起点付近の改軌新線) 【駅新設】吾田、飫肥、内之田、北郷
1949年1月15日 【駅新設】谷之口
1949年9月15日 【仮乗降場新設】福島高松
1950年1月10日 【仮乗降場→駅】福島高松
1952年1月1日 【駅名改称】吾田→日南
1959年10月1日 【駅名改称】縄瀬→伊崎田、福島仲町→串間
1960年7月25日 【貨物支線廃止】油津~元油津(-1.0km)
1960年8月1日 【駅新設】中安楽
1963年5月8日 【所属線区変更】志布志~北郷(-56.5km)(日南線に編入) 【駅所属線区変更】大隅夏井、福島高松、福島今町、串間、日向北方、日向大束、榎原、南郷、大堂津、油津、日南、飫肥、内之田、北郷(日南線に編入)
1983年4月1日 【貨物営業廃止】全線(-38.6km)
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年3月14日 大隅線廃止
1987年3月28日 【廃止】全線(-38.6km) バス転換
駅一覧
西都城駅 - 今町駅 - 末吉駅 - 岩北駅 - 岩川駅 - 大隅松山駅 - 伊崎田駅 - 安楽駅 - 中安楽駅 - 志布志駅
接続路線
西都城駅:日豊本線
志布志駅:
日南線
大隅線 - 1987年3月14日廃止
信越本線 Encyclopedia
信越本線(しんえつほんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅から群馬県松井田町の横川駅までと、長野県長野市の篠ノ井駅から長野駅を経由して新潟県新潟市の新潟駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、越後石山駅~新潟貨物ターミナル駅間、上沼垂信号場~沼垂駅間、上沼垂信号場~東新潟港駅間の貨物支線を持つ。
東三条駅~新潟駅間が新潟近郊区間に含まれる。
ラインカラーは明確に定められてはいないが、駅名標など信越本線に関する各種案内サインにおいては、高崎支社管内では黄緑、新潟支社管内ではスカイブルーで案内されている。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 使用車両
4.1 高崎駅~横川駅間
4.2 篠ノ井駅~長野駅間
4.3 長野駅~直江津駅間
4.4 直江津駅~新潟駅間
5 歴史
5.1 官設鉄道
5.2 北越鉄道
5.3 北越鉄道国有化後
5.4 優等列車の沿革
6 駅一覧
6.1 高崎駅~横川駅
6.2 篠ノ井駅~新潟駅
6.3 貨物支線
6.4 廃止区間
6.4.1 横川駅~軽井沢駅
6.5 経営移管区間
6.5.1 軽井沢駅~篠ノ井駅(しなの鉄道)
7 接続路線
7.1 過去の接続路線
8 関連項目
路線データ
新潟付近鉄道路線図管轄・路線距離(営業キロ):全長258.3km(支線含む)
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
高崎~横川 29.7km
篠ノ井~新潟 220.6km
日本貨物鉄道
(第一種鉄道事業)
上沼垂信号場~沼垂 1.8km
上沼垂信号場~東新潟港 3.8km - 焼島~東新潟港間は休止中
(第二種鉄道事業)
高崎~安中 (10.6km)
篠ノ井~上沼垂信号場 (218.7km)
越後石山~新潟貨物ターミナル (2.4km) - 旅客鉄道会社の営業キロ設定なし
軌間:1067mm
駅数:
旅客駅:70駅(起終点駅含む)
貨物駅:5駅(起終点駅・休止駅含む、旅客併設駅除く)
複線区間:高崎~横川間、篠ノ井~北長野間、黒姫~妙高高原間、直江津~新潟間
電化区間:上沼垂信号場~東新潟港駅間を除く全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式(東新潟港支線を除く全線)、連査閉塞式(上沼垂信号場~焼島間)
概要
本来は高崎駅から長野駅を経て新潟駅までの路線であったが、1997年10月1日の北陸新幹線(長野新幹線)開業に伴い、並行在来線の横川駅~軽井沢駅間は廃止され、JRバス関東によるバス輸送となり、軽井沢駅~篠ノ井駅間は第三セクターのしなの鉄道に経営が移管された。なお、横川駅~軽井沢駅間については廃止後列車は当然走っていないが、線路は残されている。
2004年10月23日に発生した新潟県中越地震によって、柏崎~長岡間が大規模な損害を受け、この区間を通る全列車が運休していたが、2004年11月29日に全線が復旧した。
運行形態
北陸新幹線(長野新幹線)の開業により分断された形となっている信越本線だが、それ以前から全線にわたって運行している列車は存在しない。上越線、上越新幹線の存在により、東京~新潟間の最短ルートにはなりえない上、直江津駅~新潟駅間はいわゆる日本海縦貫線の一部であり、全線を一体のものとする意識は希薄であると言えよう。
東京対長野の都市間輸送はすでに長野新幹線にその役割を譲っており、高崎駅~横川駅間はほぼ群馬県内のローカル輸送に徹した形となっている。
篠ノ井駅~直江津駅間はエル特急「しなの」や臨時列車を除き優等列車は運転されておらず長野駅で運転系統がほぼ分断されている。
篠ノ井駅~長野駅間は、篠ノ井駅から第三セクターのしなの鉄道・しなの鉄道線、篠ノ井線が長野駅まで乗り入れており比較的本数は多い。優等列車は篠ノ井線からのエル特急「しなの」などの長野対名古屋方面への列車が走っている。また、「みすず」など長野駅を起終点とし、篠ノ井線松本駅方面や、しなの鉄道線上田駅、小諸駅方面など、両路線に向かう快速列車もこの区間を経由しており、長野県内の主要都市間輸送にも活用されている。普通列車は基本的には長野周辺の輸送を担っているが、特に篠ノ井線直通列車は長距離運転(中央本線方面へ向かう列車が多い)するものが多く、特急や快速列車と同じく県内の主要都市間輸送を担っている面もある。また、長野駅を通しで運転される列車や区間運転列車が存在するが、ごく僅かしか本数が設定されていないことや、この区間に運転される篠ノ井線、しなの鉄道線の全列車が長野駅を起終点としていることから、事実上はほとんどこれらの列車しか運行されておらず、この区間の列車は直通先の「篠ノ井線」「しなの鉄道線」と案内され、「信越本線」と案内されることはほとんど無い。このため、この区間においては信越本線(信越線)という名称はほぼ名目化している。尚、基本的には長野駅以北が信越本線(信越線)と案内される。
長野駅~直江津駅間には長野新幹線開業に伴い系統が分断された特急「あさま」を補完する形で特急型車両で運転される普通列車(快速・いわゆる各駅停車)の「妙高」号があるほか、豊野駅~長野駅間は飯山線直通列車も並行して走るため運転本数が増える。また、長野駅~豊野駅または妙高高原駅、直江津駅~新井駅・妙高高原駅に区間運転列車が設定されている。
直江津駅~新潟駅間は日本海側の基幹路線となっており、「トワイライトエクスプレス」、「日本海」などの夜行列車、特急「北越」など北陸の各都市や近畿圏との都市間輸送を担う特急列車が運行される他、新潟県内の諸都市を結ぶ形で快速「くびき野」(新井駅~新潟駅)や、ローカル輸送を担う普通列車が運行されている。
新津駅~新潟駅間は、日中は20分間隔で普通列車が運行されており、磐越西線からの乗り入れ列車も含め朝・夕のピーク時にはおよそ5分間隔で運行されている。
使用車両
高崎駅~横川駅間
107系
115系
211系
185系(朝・夜の1往復)
篠ノ井駅~長野駅間
115系
169系(しなの鉄道乗り入れ)
183系・189系(松本方面からのおはようライナー)
381系(臨時急行ちくま)
383系(特急しなの)
E257系(長野-松本間の一部快速)
長野駅~直江津駅間
115系
183系・189系(妙高)
485系(快速くびき野)
キハ110系(飯山線乗り入れ)
直江津駅~新潟駅間
115系
E127系(長岡~新潟間)
485系(快速くびき野・特急北越・臨時特急ふるさと雷鳥)
183・189系(夏季多客臨時快速マリンブルーくじらなみ)
489系(急行能登・臨時特急はくたか)
581・583系(急行きたぐに)
681・683系(特急はくたか)
14系15形客車(寝台特急北陸)
24系25形客車(寝台特急トワイライトエクスプレス・寝台特急日本海)
HK100形(北越急行ほくほく線普通列車)
キハ110系(飯山線から上越線経由で長岡まで・磐越西線普通列車)
歴史
高崎~直江津間は国(国鉄)によって開業した区間である。このうち高崎~軽井沢間は東京と大阪とを結ぶ「中山道幹線」の一部として建設されたものであり、軽井沢~直江津間はその資材運搬のために建設されたものであった。
日本海沿いの直江津~新潟(旧駅)間は私鉄の北越鉄道によって開業した。北越鉄道は1907年に国有化された。
官設鉄道
1885年10月15日 【開業】高崎~横川 【駅新設】飯塚、安中、磯部、松井田、横川
1886年8月15日 【開業】直江津~関山 【駅新設】直江津、高田、新井、関山
1888年5月1日 【延伸開業】関山~長野 【駅新設】田口、柏原、牟礼、豊野、長野
1888年8月15日 【延伸開業】長野~上田 【駅新設】篠ノ井、屋代、坂城、上田
1888年12月1日 【延伸開業】上田~軽井沢 【駅新設】田中、小諸、御代田、軽井沢
1893年4月1日 【延伸開業・全通】横川~軽井沢 【停車場新設】熊ノ平(給水給炭所) 【複線化】横川~丸山(信号場)、矢ヶ崎(信号場)~軽井沢
1896年1月20日 【駅新設】大屋
1898年9月1日 【駅新設】吉田
1901年7月?日 【信号所新設】丸山、矢ヶ崎
1906年10月1日 【給水給炭所→駅】熊ノ平
北越鉄道
1897年5月13日 【開業】北越鉄道 春日新田~鉢崎 【駅新設】春日新田(現在の直江津~黒井間)、犀潟、潟町、柿崎、鉢崎
1897年8月1日 【延伸開業】鉢崎~柏崎 【駅新設】柏崎
1897年11月20日 【延伸開業】柏崎~北条 【駅新設】北条 【開業】沼垂~一ノ木戸 【駅新設】沼垂、亀田、新津、矢代田、加茂、一ノ木戸
1898年6月16日 【延伸開業】一ノ木戸~長岡 【駅新設】三条、帯織、見附、長岡
1898年12月27日 【延伸開業・全通】北条~長岡 【駅新設】塚山、来迎寺、宮内
1899年9月5日 【延伸開業】直江津~春日新田
1899年7月28日 【駅新設】青海川
1899年12月10日 【駅新設】安田
1901年9月1日 【駅新設】押切
1902年7月1日 【駅新設】(貨)黒井
1902年7月10日 【臨時停車場新設】鯨波
1902年10月1日 【臨時停車場廃止】鯨波
1903年4月15日 【仮停車場新設】鯨波
1903年4月19日 【駅新設】羽生田
1904年4月1日 【仮停車場→駅】鯨波
1904年5月3日 【延伸開業】沼垂~新潟(旧) 【駅新設】新潟(初代)
1906年8月30日 【駅廃止】春日新田
1906年9月1日 【貨物駅→一般駅】黒井
北越鉄道国有化後
1907年8月1日 北越鉄道を国有化
1909年6月25日 【仮停車場新設】追分
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称設定】信越線 高崎~新潟
1910年7月15日 【駅新設】沓掛
1910年10月25日 【支線開業】新津~馬下 【駅新設】五泉、馬下
1911年5月1日 【駅新設】二本木
1912年2月11日 【駅新設】戸倉
1912年5月11日 【電化】横川~軽井沢(直流600V・第三軌条式。日本初の幹線電化)
1912年9月2日 【支線開業】新津~新発田 【駅新設】水原、天王新田、新発田
1913年6月1日 【支線延伸開業】馬下~津川 【駅新設】五十島、白崎、津川
1913年10月1日 【信号所新設】古間
1914年6月1日 【線名改称】信越本線 高崎~新潟、新津~津川 【区間分離】村上線 新津~新発田
1914年11月1日 【区間分離】岩越線 新津~津川(郡山~新津間全通)
1915年11月1日 【駅新設】城岡
1917年9月4日 【信号場新設】荻川
1917年11月1日 【複線化】篠ノ井~川中島
1918年11月1日 【信号所新設】脇野田
1919年8月1日 【駅名改称】飯塚→北高崎
1920年6月1日 【駅新設】北塩尻
1920年8月1日 【複線化】川中島~長野
1921年8月15日 【信号所→駅】脇野田
1921年9月20日 【仮信号所新設】犀川
1921年10月10日 【信号所新設】平原
1921年12月27日 【駅新設】越後広田
1922年4月1日 【信号所→信号場】丸山、矢ヶ崎、平原、古間 【仮信号所→仮信号場】犀川
1923年6月30日 【仮信号場廃止】犀川
1923年10月1日 【駅新設】滋野、【仮停車場→駅・改称】追分→信濃追分
1924年10月15日 【駅新設】群馬八幡
1924年11月20日 【操車場新設】上沼垂
1924年12月1日 【駅新設】(貨)山之下
1926年8月15日 【駅名改称】一ノ木戸→東三条
1926年11月20日 【信号場→駅】荻川
1928年8月16日 【駅名改称】山之下→新潟臨港
1928年10月26日 【駅新設】春日山
1928年12月23日 【信号場→駅】古間
1930年4月1日 【貨物支線開業】直江津~直江津港(1.4km) 【駅新設】(貨)直江津港
1931年7月11日 【操車場新設】長岡 【複線化】宮内~長岡
1941年7月24日 【駅新設】大形
1941年9月1日 【駅新設】(貨)焼島 【駅名改称】新潟臨港→東新潟港 【駅廃止】大形
1942年4月1日 【開業】沼垂~新潟港 【駅新設】新潟港
1943年9月1日 【信号場新設】長鳥
1943年9月20日 【信号場新設】保内
1943年9月22日 【信号場新設】田上
1943年9月28日 【信号場新設】古津
1944年5月29日? 【信号場新設】東光寺
1944年9月15日 【複線化】田上~矢代田
1944年9月18日 【複線化】矢代田~古津
1944年9月22日 【複線化】加茂~羽生田
1944年9月24日 【複線化】羽生田~田上
1944年9月28日 【複線化】見附~帯織、古津~新津
1944年9月29日 【複線化】城岡~押切
1944年9月30日 【仮信号所新設】苅谷田 【複線化】苅谷田(仮信号所)~見附
1945年4月15日 【複線化】押切~苅谷田(仮信号所)
1945年4月16日 【仮信号所廃止】苅谷田
1945年6月1日 【駅新設】越後岩塚
1945年10月30日 【仮信号所新設】安茂里
1946年11月27日 【仮信号所廃止】安茂里
1947年10月1日 【電化】(石打~)宮内~長岡
1949年5月28日 【信号場→駅】田上、古津
1949年8月1日 【信号場→駅】保内
1951年3月1日? 【仮乗降場新設】上下浜、笠島
1951年4月5日 【貨物支線開業】亀田~万代 【駅新設】(貨)万代
1951年7月20日 【駅名改称】城岡→北長岡
1952年1月10日 【信号場→駅】平原
1952年7月1日 【仮乗降場→駅】笠島
1952年7月25日 【仮乗降場→駅】上下浜
1953年7月1日 【信号場→駅】東光寺
1953年12月15日 【信号場→駅】長鳥
1955年7月15日 【駅新設】北新井
1956年4月10日 【駅名改称】沓掛→中軽井沢、北塩尻→西上田
1957年4月1日 【駅名改称】吉田→北長野
1957年10月1日 【貨物支線開業】亀田~大形(実際の分岐は石山信号場) 【信号場新設】石山 【操車場→信号場】上沼垂
1958年1月8日 【駅新設】三才
1958年4月29日 新潟付近を現在のルートに変更。現在地に新潟駅が開業。 【一般駅→貨物駅】新潟港 【複線化】上沼垂(信号場)~新潟(新)
1958年9月29日 【複線化】亀田~上沼垂(信号場)
1959年9月1日 【貨物支線廃止】直江津~直江津港【駅廃止】(貨)直江津港
1960年3月10日 【複線化】新津~亀田
1960年3月15日 【駅新設】土底浜
1960年11月1日 【信号場→駅・改称】石山→越後石山
1961年3月20日 【駅名改称】鉢崎→米山
1961年12月10日 【駅新設】南高田
1962年?月?日 【信号場新設】中宿
1962年5月20日 【電化】長岡~新潟、越後石山~新潟操車場
1962年7月15日 【電化】高崎~横川
1962年8月28日 【複線化】保内~加茂
1962年8月31日 【複線化】東三条~保内
1963年?月?日 【信号場廃止】中宿
1963年6月21日 【電化】軽井沢~長野
1963年7月15日 横川~軽井沢(直流1500V)粘着運転開始
1963年9月25日 【複線化】帯織~東光寺
1963年9月28日 【複線化】東光寺~三条
1963年9月29日 【信号場新設】茨目、前川
1963年9月30日 横川~軽井沢 アプト式廃止
1964年6月29日 【信号場新設】竹鼻
1964年8月15日 【信号場→駅】前川
1964年9月26日 【信号場新設】西塚山 【複線化】西塚山(信号場)~塚山
1964年10月1日 【電化】上沼垂信号場~沼垂
1964年12月8日 【信号場→駅】茨目
1965年4月1日 【駅新設】西松井田
1965年6月29日 【複線化】松井田~横川
1965年8月20日 【駅廃止】(貨)万代
1965年8月30日 【複線化】三条~東三条
1965年9月21日 【複線化】磯部~松井田
1965年9月27日 【複線化】安中~磯部
1966年1月10日 【駅新設】(貨)南長岡
1966年2月1日 【駅→信号場】熊ノ平
1966年7月2日 【信号場廃止】丸山、矢ヶ崎、【複線化】丸山(信号場)~矢ヶ崎(信号場)
1966年8月24日 【電化】長野~直江津
1967年4月25日 【複線化】群馬八幡~安中
1967年5月10日 【信号場→駅】(貨)上沼垂
1967年6月19日 【複線化】笠島~青海川
1967年7月18日 【複線化】軽井沢~中軽井沢
1967年8月29日 【信号場廃止】西塚山 【複線化】長鳥~西塚山(信号場)
1967年9月28日 【複線化】北高崎~群馬八幡
1968年8月6日 【複線化】黒井~犀潟
1968年8月20日 【複線化】中軽井沢~信濃追分
1968年9月5日 【複線化】高崎~北高崎
1968年9月6日 【複線化】御代田~平原
1968年9月10日 【複線化】信濃追分~御代田
1968年9月11日 【複線化】米山~笠島
1968年9月12日 【複線化】西上田~坂城
1968年9月19日 【複線化】小諸~滋野
1968年9月24日 【複線化】越後広田~長鳥
1968年9月26日 【複線化】犀潟~潟町
1968年9月28日 【複線化】塚山~越後岩塚
1968年10月1日 【駅名改称】柏原→黒姫
1969年7月17日 【複線化】鯨波~柏崎
1969年7月25日 【複線化】青海川~鯨波
1969年7月30日 【複線化】前川~宮内
1969年8月1日 【複線化】越後岩塚~来迎寺
1969年8月24日 【電化】直江津~宮内
1969年9月25日 【複線化】上田~西上田
1969年10月1日 【駅名改称】田口→妙高高原
1970年7月24日 【複線化】田中~大屋
1970年9月10日 【複線化】来迎寺~前川
1970年9月18日 【複線化】滋野~田中
1970年9月27日 【複線化】坂城~戸倉
1971年11月30日 【複線化】上下浜~柿崎
1972年5月26日 【複線化】北条~越後広田
1972年8月30日 【複線化】潟町~上下浜
1972年9月6日 【複線化】柏崎~茨目
1972年9月19日 【複線化】安田~北条
1972年9月25日 【信号場廃止】竹鼻
1972年9月30日 【複線化】大屋~上田
1973年8月28日 【複線化】茨目~安田
1973年9月18日 【複線化】直江津~黒井
1973年9月25日 【複線化】柿崎~米山
1973年9月28日 【複線化】長野~北長野
1973年10月25日 【複線化】平原~小諸
1978年9月26日 【複線化】屋代~篠ノ井
1980年9月17日 【複線化】黒姫~妙高高原
1982年6月29日 【複線化】戸倉~屋代
1985年3月5日 【操車場廃止】長岡(南長岡に併合)
1985年3月14日 【駅新設】安茂里
1986年10月20日 【廃止】沼垂~新潟港(-1.4km)【駅廃止】(貨)新潟港
1986年11月1日 【駅→信号場】上沼垂
1987年4月1日 【承継】東日本旅客鉄道(第1種)・日本貨物鉄道(第1種・第2種) 【貨物営業廃止】安中~田中(-62.0km)、上沼垂信号場~新潟(-1.8km)
1991年3月16日 【駅新設】さつき野
1997年10月1日 長野新幹線開業 【駅新設】今井 【駅の所属変更】軽井沢、上田(→北陸新幹線)・小諸(→小海線) 【路線廃止】横川~軽井沢(-11.2km) 【信号場廃止】熊ノ平 【第一種鉄道事業廃止・移管】軽井沢~篠ノ井(-65.6km)(→しなの鉄道線) 【駅廃止・移管】中軽井沢、信濃追分、御代田、平原、滋野、田中、大屋、西上田、坂城、戸倉、屋代
1998年4月1日 【休止】(貨)焼島~(貨)東新潟港
優等列車の沿革
下記各項目に分散して記述
概ね対東京方面との連絡輸送 - あさま
概ね対新潟方面との連絡輸送 - くびき野
日本海縦断列車系統 - 日本海・きたぐに・白鳥
駅一覧
高崎駅~横川駅
高崎駅 - 北高崎駅 - 群馬八幡駅 - 安中駅 - 磯部駅 - 松井田駅 - 西松井田駅 - 横川駅
篠ノ井駅~新潟駅
篠ノ井駅 - 今井駅 - 川中島駅 - 安茂里駅 - 長野駅 - 北長野駅 - 三才駅 - 豊野駅 - 牟礼駅 - 古間駅 - 黒姫駅 - 妙高高原駅 - 関山駅 - 二本木駅 - 新井駅 - 北新井駅 - 脇野田駅 - 南高田駅 - 高田駅 - 春日山駅 - 直江津駅 - 黒井駅 - 犀潟駅 - 土底浜駅 - 潟町駅 - 上下浜駅 - 柿崎駅 - 米山駅 - 笠島駅 - 青海川駅 - 鯨波駅 - 柏崎駅 - 茨目駅 - 安田駅 - 北条駅 - 越後広田駅 - 長鳥駅 - 塚山駅 - 越後岩塚駅 - 来迎寺駅 - 前川駅 - 宮内駅 - (貨)南長岡駅 - 長岡駅 - 北長岡駅 - 押切駅 - 見附駅 - 帯織駅 - 東光寺駅 - 三条駅 - 東三条駅 - 保内駅 - 加茂駅 - 羽生田駅 - 田上駅 - 矢代田駅 - 古津駅 - 新津駅 - さつき野駅 - 荻川駅 - 亀田駅 - 越後石山駅 - 上沼垂信号場 - 新潟駅
貨物支線
越後石山駅 - (貨)新潟貨物ターミナル駅
上沼垂信号場 - (貨)沼垂駅
上沼垂信号場 - (貨)焼島駅 - (貨)東新潟港駅
廃止区間
横川駅~軽井沢駅
横川駅 - 熊ノ平信号場 - 軽井沢駅
経営移管区間
軽井沢駅~篠ノ井駅(しなの鉄道)
軽井沢駅 - 中軽井沢駅 - 信濃追分駅 - 御代田駅 - 平原駅 - 小諸駅 - 滋野駅 - 田中駅 - 大屋駅 - (信濃国分寺駅) - 上田駅 - 西上田駅 - (テクノさかき駅) - 坂城駅 - 戸倉駅 - 屋代駅 - (屋代高校前駅) - 篠ノ井駅
※駅名は移管直前のもの。()内は移管後の新設駅。この区間の現状の詳細についてはしなの鉄道線を参照。
接続路線高崎駅:上越新幹線・長野新幹線・高崎線・上越線・上信電鉄上信線
篠ノ井駅:篠ノ井線・しなの鉄道線
長野駅:長野新幹線・長野電鉄長野線
豊野駅:飯山線
直江津駅:北陸本線
犀潟駅:北越急行ほくほく線
柏崎駅:越後線
宮内駅:上越線
長岡駅:上越新幹線
東三条駅:弥彦線
新津駅:羽越本線・磐越西線
新潟駅:上越新幹線・白新線・越後線
過去の接続路線
軽井沢駅:草軽電気鉄道(新軽井沢駅) - 1960年4月25日部分廃止
小諸駅:布引電気鉄道 - 1934年6月18日休止の後1936年10月28日廃止
大屋駅:上田丸子電鉄丸子線 - 1969年4月16日廃止
上田駅:上田交通真田傍陽線 - 1972年4月20日廃止
上田駅:上田温泉電気軌道青木線 - 1938年7月25日廃止
長野駅:善光寺白馬電鉄(南長野駅)・南長野-裾花口間 - 1944年1月10日休止の後1969年7月9日廃止
黒井駅:頸城鉄道線(新黒井駅) - 1968年10月1日廃止
来迎寺駅:魚沼線 - 1984年4月1日廃止、越後交通長岡線 - 1995年3月31日全線廃止
長岡駅:越後交通栃尾線 - 1975年3月31日全線廃止
東三条駅:弥彦線・東三条~越後長沢間 - 1985年4月1日部分廃止
加茂駅:蒲原鉄道・加茂~村松間 - 1985年3月31日部分廃止
関連項目東日本旅客鉄道
しなの鉄道
長野新幹線
北越急行
日本の鉄道路線一覧
日本の鉄道
碓氷峠
川崎市電 Encyclopedia
川崎市電(かわさきしでん)は、川崎市交通局が運営していた路面電車である。
目次
1 概要
2 沿革
3 車両
4 特徴のあった区間
5 車庫
6 駅一覧
7 関連項目
概要
市電川崎-塩浜間6.7km。軌間1435㎜。電化方式は直流600V。全線現在の川崎区内を走り、かつ日本鋼管前(現在のJFE前)以遠は臨港地区の工場地帯を走るため、朝夕のラッシュ時以外は閑散としたローカル線であった。太平洋戦争末期、工場労働者の足として急遽突貫工事で建設されたが、戦後は既に川崎区内に路線網を張り巡らせていた臨港バスと戦後発足した川崎市バスによる路線競争に対して取り残された存在となり、経営合理化のため廃止された。
沿革
1944年10月14日 川崎駅前-渡田五丁目間開業。川崎市運輸事務所が運営を担当
1945年4月11日 渡田五丁目-浜町三丁目間延長。
1945年12月6日 浜町三丁目-桜本間延長。東急大師線(現在の京急大師線)と連絡する。
1946年8月16日 川崎駅前-市電川崎間延長。
1947年7月8日 川崎市運輸事務所、川崎市交通部に改称。
1949年7月16日 日本鋼管前以遠を三線軌条として、夜間に国鉄の貨物列車を乗り入れて運行。
1952年1月1日 京浜急行電鉄より大師線桜本-塩浜間を買収。
1959年8月11日 川崎市交通部は川崎市交通局に昇格。
1962年 市電川崎(旧小美屋前)-川崎駅前(さいか屋前)間、川崎駅前交通緩和のため廃止。
1967年6月1日 池上新田-塩浜間廃止。浜町三丁目-池上新田間を単線化し、三線軌条を取り止め。
1969年4月1日 川崎駅前-池上新田間廃止。
車両
700形 桜川公園に保存
特徴のあった区間
国鉄貨物線共用区間 日本鋼管前-塩浜間。もともと専用軌道で、それまで日本鋼管専用線を代用していた国鉄貨物列車を運行するために、京浜急行電鉄と共に三線軌条を設置して対応した。川崎市には国鉄から施設利用収入が入った。1967年国鉄塩浜操車場の建設に伴い、池上新田-塩浜間を撤去し、残存区間を単線化。片側軌道敷を国鉄に譲渡し、もう片側の軌道のみで運行。桜橋電停にてタブレットによる交換を行った。
車庫
渡田車庫 (成就院前)
駅一覧
市電川崎駅 - 川崎駅前駅 - 商工中金前駅 - 第一国道駅 - 渡田新町駅 - 渡田三丁目駅 - 成就院前駅 - 小田栄町駅 - 昭和電線前駅 - 東渡田三丁目駅 - 日本鋼管前駅 - 浜町三丁目駅 - 浜町四丁目駅 - 桜橋駅 - 桜本駅 - 池上新田駅 - 日本鋼管池上正門前駅 - 入江崎駅 - 汐留橋駅 - 塩浜駅
※通常、路面電車は「駅」(「停車場」)では無く「停留所」「電停」と呼ぶが、ここでは便宜上「駅」を使用する。
関連項目
京浜急行電鉄大師線 戦時下、川崎臨海部の鉄軌道建設を東急と競合。結局川崎市側は桜本までを建設することとなり、東急と競争して敷設。戦後、川崎市は大師線を買収する事による市内一周運転を企て、大東急分離後の京急と折衝。しかし、京急は不採算路線と化した末端部の桜本-塩浜間だけを譲渡するだけにとどめ、同社発祥路線の京浜川崎(現・京急川崎)-塩浜間を譲らず、遂に市電による一周運転は実現しなかった。
市電通り 幸区幸警察署前-川崎区JFE前間の道路の通称。その名の通り、1969年まで小川町からJFE前まで道路中央に市電が走っていた。廃止後かなりの年月が経った2005年現在もこの呼称が通用する。
川俣線 Encyclopedia
川俣線(かわまたせん)は、福島県福島市の松川駅から福島県伊達郡川俣町の岩代川俣駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。
赤字83線廃止の取組みの一環として1972年に廃止され、国鉄バスに切り替わったが、JRバス路線も2005年3月31日で廃止され、現在は地元事業者による代替運行が行われている。
路線データ
(廃止時)管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):松川~岩代川俣 12.2km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
歴史
1926年3月1日 【開業】松川~岩代川俣(12.2km) 【駅新設】岩代飯野、岩代川俣
1934年11月1日 【駅新設】岩代大久保
1941年8月10日 【駅廃止】岩代大久保
1943年9月1日 【休止】全線(-12.2km) 【駅休止】岩代飯野、岩代川俣
1946年4月20日 【営業再開】松川~岩代飯野(6.3km) 【駅営業再開】岩代飯野
1946年7月1日 【営業再開】岩代飯野~岩代川俣(5.9km) 【駅営業再開】岩代川俣
1972年5月13日 【廃止】全線(-12.2km)
駅一覧
松川駅 - 岩代飯野駅 - 岩代大久保駅 - 岩代川俣駅
かつて存在した路面電車路線 Categories
三重交通神都線 南海大浜支線 南海平野線
大阪市電阪堺線 伊豆箱根鉄道軌道線 名鉄岡崎市内線
名鉄岐阜市内線 名鉄揖斐線 名鉄田神線
名鉄美濃町線 名鉄鏡島線 名鉄高富線
名鉄谷汲線 名鉄豊川線 名鉄起線
北陸鉄道金沢市内軌道線 土佐電気鉄道新地線 旭川電気軌道東川線
旭川電気軌道東旭川線 桑名電軌 東武日光軌道線
東急玉川線 沖縄電気 松本電気鉄道浅間線
阪急北野線 阪神国道線 阪神北大阪線
西鉄大牟田市内線 西鉄北九州線 西鉄福岡市内線
都電杉並線 茨城交通水浜線 静岡鉄道清水市内線
静岡鉄道秋葉線 静岡鉄道静岡市内線
南海平野線 Encyclopedia
平野線(ひらのせん)は、大阪府大阪市西成区の今池駅から同市平野区の平野駅までを結んでいた南海電気鉄道の軌道路線。南海電気鉄道では、この平野線と、現在、阪堺電気軌道(南海電気鉄道の100%子会社)となった上町線、阪堺線を合わせた3路線を「大阪軌道線」と称していた。平野線は1980年11月27日に阿倍野~西平野間の路線に並行して大阪市営地下鉄谷町線が開通したため廃止された。
南海貴志川線交通センター前駅前に、平野線で走っていたモ217が静態保存されている。
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平野線モ217
目次
1 路線データ
2 運行形態
2.1 電車の方向幕
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 大阪市営地下鉄谷町線の南海平野線の代替駅
7 エピソード
7.1 南海電気鉄道平野線の忘れ形見
7.2 文ノ里駅跡の記念碑
7.3 南海電気鉄道平野線の悲劇
7.4 最終営業日
路線データ
路線距離(営業キロ):今池~平野間 5.9km
軌間:1435mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:
運行形態
恵美須町~今池(阪堺線)~平野、天王寺駅前~阿倍野(上町線)阿倍野~平野の2系統が運行されていた。
方向幕のない車両(モ205形、モ151形)は、阪堺線直通が白地に黒文字(恵美須町・平野)、上町線直通が青地に白文字(天王寺駅前・平野)のサボを掲出していた。
阪堺線の今池駅と平野線の今池駅とは同一駅扱いで場所も同じであったが、上町線の阿倍野駅と平野線の阿倍野駅とは同一駅扱いでも、違う場所にあった(上町線の住吉駅と阪堺線の住吉駅と同じ)。
電車の方向幕
南海時代からの旧型車(モ161形、モ351形、モ501形)の古いタイプ
番号:表 示 1 :住 吉 2 :住吉公園 3 :天王寺駅前 4 :あびこ道 5 :あびこ道(赤字) 6 :浜寺駅前 7 :えびす町 8 :平 野→新しいタイプに更新されたものは、「貸 切」(赤字)になっている。 9 :東 湊 10 :天神の森 11 :臨 時(赤字) 12 :試 運 転(赤字)
歴史
平野線は1913年2月に設立された阪南電気軌道が計画した路線で、同年5月に阪堺電気軌道(旧)が阪南電気軌道を合併し、翌1914年に開業したものである。阪堺電気軌道は1915年に南海鉄道に合併し同社の平野線となった。戦前、平野からさらに八尾までの延伸を計画し、認可を受けたものの、戦争に突入し実現しなかった(この時に得た平野~八尾間の路線延伸の特許は、戦後南海電気鉄道から大阪市交通局に譲渡され、その特許で大阪市交通局は地下鉄谷町線を天王寺から八尾南まで延伸している)。
1914年4月26日 阪堺電気軌道(旧)により今池~平野間が開業。
1915年6月21日 南海鉄道に合併。
1944年6月1日 関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道となる。
1947年6月1日 旧・南海鉄道の路線が南海電気鉄道に分離譲渡。
1980年11月27日 平野線「さよなら電車」を運行。平野線全線で終日無料運行が行われた。
1980年11月28日 大阪市営地下鉄谷町線の天王寺~八尾南間延伸完成に伴い、廃止。
平野線廃止の3日後の12月1日に、南海電気鉄道の大阪軌道線(阪堺線・上町線)は分社化され阪堺電気軌道となった。
駅一覧
今池駅 - 飛田駅 - 阿倍野駅 - 苗代田駅 - 文ノ里駅 - 股ヶ池駅(ももがいけえき) - 田辺駅 - 駒川町駅 - 中野駅 - 西平野駅 - 平野駅
接続路線
社名は廃止当時のもの
今池駅:南海阪堺線・南海天王寺支線(今池町駅)
阿倍野駅:南海上町線
大阪市営地下鉄谷町線の南海平野線の代替駅平野線 谷町線
阿倍野駅 →阿倍野駅(上町線・阿倍野駅の真下)
文ノ里駅 →文の里駅(数百メートルほど距離はあるが、地下鉄出入り口で苗代田駅も代替?)
田辺駅 →田辺駅
駒川町駅・中野駅 →駒川中野駅(駒川町・中野両駅のほぼ中間にあり、両駅を代替)
西平野駅 →平野駅
エピソード
南海電気鉄道平野線の忘れ形見
大阪市東住吉区針中野2丁目に石の道標が立っている。刻まれている文字は、「はちみち」と「でんしゃのりば」。前者は江戸・元禄時代から今も続き、「針中野」の地名の由来ともなった「中野鍼」を指す。一方、後者の「でんしゃのりば」は、道標の建立日が大正3年4月とある事から、この月に開通した南海電気鉄道平野線の中野駅である事は明らかである(この近くを走る近畿日本鉄道南大阪線の針中野駅が開業したのは、この後の事)。奇特な建立者の名前は、「新吉」とあり、当時の町の人が建立したものではないかといわれている。
文ノ里駅跡の記念碑
現在の阪神高速道路14号松原線の高架下、そして大阪市営地下鉄谷町線文の里駅の出入り口付近にあった南海電気鉄道平野線の文ノ里駅跡の前に南海電気鉄道平野線の歴史や各駅の沿革を記した記念碑が建っている。これは、南海電気鉄道平野線の廃止後、地元の文ノ里商店連合会から南海電気鉄道に、長年親しんできた文ノ里駅の跡を偲ぶモニュメントをとの要望があったものが実現したもので、駅名板を模したものに、以下のように書かれている。
南海平野線と文ノ里停留場
南海平野線は南海電鉄が経営する軌道線の1つとして今池から平野までの5.9キロを昭和55年11月27日まで運転していました。
平野線は、当初阪南電気軌道が西成郡今宮村から東成郡平野郷町までの間に軌道敷設を計画、大正2年阪堺電気軌道が同社を合併し、翌年4月26日に今池-平野間の運転を開始しました。
その後、大正4年6月21日南海鉄道と合併して南海平野線となり、発展する沿線利用旅客の激増に対応し、昭和4年天王寺駅前-平野間直通運転を実施しました。
文ノ里駅は大正12年に作られ、戦後の最盛時にはおよそ1万1千人の旅客が乗降し、出札駅舎も設けられていました。
戦後は大阪市バスの路線増設をはじめ、自動車の普及と地下鉄線の新設により利用旅客は年々減少の一途をたどりました。
昭和48年3月、地下鉄谷町線天王寺-八尾南間の延伸工事が開始され、約7年8ヶ月経った昭和55年11月27日、同線の運転開始と同時に平野線は66年間の続いた旅客営業を廃止しその歴史に幕を閉じました。
昭和55年12月
南海電気鉄道
南海電気鉄道平野線の悲劇
当初、大阪市営地下鉄谷町線の天王寺以南の延伸ルートは、天王寺から南海電気鉄道上町線が走るあべの筋を真っ直ぐ南へ直進し、南港通と交差する播磨町交差点で東へ折れて平野・八尾方面へ行き、あべの筋の交通渋滞が激しい区間を走る南海電気鉄道上町線の天王寺駅前~松虫間を廃止して、松虫で地下鉄連絡とする予定だったが、富裕層が多く住む大阪の芦屋と言われる帝塚山の住民が反対した為、これが白紙撤回され、阿倍野交差点で東へ折れ南海電気鉄道平野線の阿倍野~西平野間と重複する形で延伸される事になり、廃止されるはずのなかった南海電気鉄道平野線が廃止になったということである(大阪市営地下鉄の中で、広い道路も無い完全な住宅地の中を走っているのは、南海電気鉄道平野線の代替区間とも言える谷町線の阿倍野~平野間だけである)。
因みに、南海電気鉄道上町線の天王寺駅前~松虫間の地下化計画では、大阪市営地下鉄谷町線の阿倍野駅が南海電気鉄道上町線の真下に作られることになっていた。
最終営業日
何回乗っても南海電車と親しまれた南海平野線は、最終営業日に何回乗っても無料という世界一のサービスで慣れ親しんだ我道を精一杯の衣装を纏って走った。
鉄道友の会主催のお別れ会に、歌舞伎俳優の片岡仁左衛門丈(先代?)や衆議院議員の中馬弘毅(父親の中馬馨が元大阪市長で、当時、南海電気鉄道平野線沿線地域の大阪市西成区・阿倍野区・東住吉区・平野区が選挙区だった)らの著名人が数多く出席したとのことである。
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大阪市電阪堺線 Encyclopedia
大阪市電阪堺線(おおさかしでんはんかいせん)は、かつて大阪市の芦原橋から堺市の出島までを結んでいた大阪市電の路線である。1968年に廃止となった。正式名称は阪堺線だが、当路線にある三宝車庫にちなみ三宝線(さんぼうせん)と呼ばれることが多く、阪堺電気軌道阪堺線と区別されていた。
前身は私鉄の阪堺電鉄の路線で芦原橋から堺市の浜寺までを結んでいた。阪堺電気軌道よりも、後にできたため、阪堺電鉄より新阪堺と呼ばれる事が多い。阪堺電鉄の初代の本社は、現在の大阪市西成区津守にあったという。1944年に大阪市に買収され、大阪市電の路線の一つとなった。
なお市電阪堺線(三宝線)廃止後は、2005年現在代替路線として大阪市営バス29号系統(なんば~芦原橋駅前~地下鉄住之江公園)、29A号系統(地下鉄住之江公園~三宝~出島)、29B号系統(地下鉄住之江公園~三宝)が運行されている。ルート全てではないが、西成西ループの赤バスも当路線の一部を通っている。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 関連項目
路線データ
路線距離(営業キロ):芦原橋~浜寺間 13.8km
軌間:1435mm
駅数:18駅(新阪堺時代は26。起終点駅含む)
複線区間:
電化区間:全線(直流600V)
概要
社史を作る前に公営化されてしまったため、詳しいことは地元の人間でもわからなくなってしまっている。(但し、一部の決算書類などは散見されることがある)
浜寺停留所は、浜寺公園の北の端あたりにあったようだ。
運行形態新阪堺時代は、自社路線内の芦原橋~浜寺間の運行のみであった。大阪市電移管後は、始発地を移し、29系統として桜川二丁目~芦原橋~湊ノ浜(1945年からは出島)間の運行となった。1952年からは福島西通~三宝車庫前間の30系統、1957年からは上本町六丁目~三宝車庫前間の31系統が新設されている。
歴史
1923年6月2日 阪堺電鉄設立。
1927年10月1日 芦原橋~三宝車庫前間が開業。
1929年4月3日 三宝車庫前~竜神通間が開業。
1934年7月10日 竜神通~湊ノ浜間が開業。
1935年6月1日 湊ノ浜~浜寺間が開業。
1944年4月1日 全線を大阪市に売却。大阪市電阪堺線(三宝線)となる。湊ノ浜~浜寺間 を休止。
1945年3月14日 出島~湊ノ浜間を休止。
1945年8月15日 休止していた出島~浜寺間を廃止。
1968年10月1日 芦原橋~出島間廃止。
駅一覧
名称は1959年頃のもの。()内は新阪堺時代の名称(1940年頃)。*印は市電移管までに廃止。
芦原橋駅 - 栄町駅(西浜南通駅) - 十三間堀川駅* - 北津守駅(津守新道駅) - 鶴見橋通駅 - 津守神社前駅 - 宝橋通駅 - 南津守駅(天津橋通駅) - 北加賀屋町駅 - 住吉川駅 - 住の江公園前駅(住之江公園駅) - 南加賀屋町駅 - 大和川尻駅* - 松屋駅 - 浅香山通駅 - 三宝車庫前駅 - 北公園前駅 - 堅川駅* - 大浜北町駅(竜神通駅) - 大浜南町駅(大浜駅) - 出島駅 - 湊ノ浜駅 - 下石津駅* - 石津川橋駅* - 諏訪ノ浜駅* - 浜寺駅*
関連項目
大阪府道29号大阪臨海線
かつてこの道路上を電車が通っていたこともあり、廃線となってかなり経った現在でも「電車道」と呼ばれることがある。南海高野線(汐見橋線)をオーバークロスする鶴見跨線橋(架橋するときに南海と大もめにもめたという逸話が残っている)には、この路線の架線柱の痕跡が残っている。
名鉄岡崎市内線 Encyclopedia
岡崎市内線(おかざきしないせん)とは、愛知県岡崎市内の岡崎駅前と岡崎井田を結んでいた名古屋鉄道の路面電車。便宜的には名鉄福岡線の福岡町・岡崎駅前間および名鉄挙母線の岡崎井田・大樹寺間を含む、福岡町・大樹寺間を指す。
当初は馬車鉄道として、1898年に岡崎停車場(現在の岡崎駅)・殿橋(バス停の位置ではなく橋の南側)間が開業。順次延伸し、1924年には路面電車として岡崎駅前・大樹寺間が全通した。1951年には福岡町・岡崎駅前間を延伸したが、モータリゼーションの流れに押され、1962年に全線が廃止された。現在、新設軌道であった福岡町・岡崎駅前間の廃線跡は名鉄バスのバス専用道路に、また大樹寺駅跡は同社のバスターミナルとなっている。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目
路線データ
※路線廃止時点のもの。
路線距離:8.8km
福岡線:福岡町~岡崎駅前間 2.5km(地方鉄道法による鉄道線)
岡崎市内線:岡崎駅前~岡崎井田間 5.8km(軌道法による軌道線)
挙母線:岡崎井田~大樹寺間 0.5km(地方鉄道法による鉄道線)
軌間:1067mm
複線区間:岡崎駅前~康生町間(岡崎市内線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1898年(明治31年)2月 国鉄岡崎駅と岡崎の市街地が離れていたのを結ぼうと馬車鉄道の敷設計画が出され、この月に「岡崎馬車鉃道」を創立。
1899年(明治32年)1月1日 岡崎停車場(後、岡崎駅前)~明大寺間開業。軌間762mmの単線軌道。
1907年(明治40年)6月22日 康生町まで延伸。
1911年(明治44年)10月 電気鉄道への脱皮を計画し、社名を「岡崎電気鉄道」と改称。
1912年(大正元年)9月1日 電気鉄道の運転開始。同時に1067mm軌間へ改軌。
1922年(大正11年) 岡崎停車場~殿橋(後、岡崎殿橋)間複線化。
1923年(大正12年)9月8日 康生町~岡崎井田間延伸。
1927年(昭和2年)4月16日 三河鉄道に合併。
1934年(昭和9年) 岡崎線(後の挙母線)上挙母から岡崎駅前まで直通ガソリンカーの運転開始。
1941年(昭和16年)6月1日 三河鉄道、名古屋鉄道に合併。同じ頃、ガソリン統制から直通ガソリンカーの運転を休止。
1945年(昭和20年)7月20日 空襲により、全電車11両の内6両を焼失。
1951年(昭和26年)12月1日 戦時中に不要不急路線として休止になっていた旧西尾線岡崎新~西尾間の内、岡崎駅前~福岡町間を岡崎市内線と直通運転する福岡線として復活。
1954年(昭和29年) 殿橋~康生町間複線化。
1962年(昭和37年)6月17日 バスに転換する形で福岡町~大樹寺間廃止。
駅一覧
大樹寺駅 - 岡崎井田駅 - 伊賀町駅 - 八幡社駅 - 神明社駅 - 能見町駅 - 本町駅 - 康生町駅 - 岡崎殿橋駅 - 東岡崎駅前駅 - 大学下駅 - 芦池橋駅 - (新田橋駅) - 車庫前駅 - (日清分工場前駅) - (戸崎駅) - 戸崎町駅 - 戸崎口駅 - (地蔵堂駅) - 北羽根駅 - 岡崎駅前駅 - 柱町駅 - 東若松駅 - 西若松駅 - 福岡町駅
括弧付けは路線廃止前に廃駅。
大樹寺駅~岡崎井田駅間は挙母線、岡崎駅前駅~福岡町駅間は福岡線であるが、岡崎市内線の電車が直通運転した。
接続路線
大樹寺駅:名鉄挙母線
東岡崎駅
前駅:名鉄名古屋本線
岡崎駅前駅:国鉄東海道本線(戦前は西尾鉄道西尾線も接続)
関連項目
廃線
伊豆箱根鉄道軌道線 Encyclopedia
軌道線(きどうせん)は、静岡県沼津市の沼津駅前から三島市の三島町駅(現、三島田町駅)の間を結んでいた伊豆箱根鉄道の軌道路線(路面電車)である。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目
路線データ
1961年6月時点
路線距離:5.9km
軌間:1067mm
停留所数(両端駅含む):18
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1896年(明治29年)5月3日 駿豆電気を軌道敷設のため設立。
1906年(明治39年)11月1日 社名を駿豆電気鉄道と変更。
1906年(明治39年)11月28日 沼津駅前~三島市六反田(現、三島広小路)間開業。
1908年(明治41年) 三島市六反田~三島町間開業。
1912年(明治45年)4月1日 現在の駿豆線を経営していた伊豆鉄道を合併。
1915年(大正4年)1月18日 旧伊豆鉄道線と重複する三島広小路~三島町間を廃止。
1919年(大正8年)5月25日 旧伊豆鉄道線三島~三島町間電化に伴い、三島町駅までの乗り入れを開始。
1949年(昭和24年)4月1日 三島町駅までの乗り入れを廃止。
1961年(昭和36年)6月28日 木瀬川にかかる橋梁が洪水で流失し、国立病院前~沼津駅前をバス代行輸送とする。
1963年(昭和38年)2月5日 全線をバス輸送に転換して廃止。
駅一覧
括弧付けは1961年6月時点で廃駅
(三島町) - (久保町) - 三島広小路 - 木町 - 千貫通 - 伏見 - 玉井寺前 - 八幡 - 長沢 - 国立病院前 - 臼井産業前 - 黄瀬川橋 - 黄瀬川 - 石田 - 麻糸前 - 山王前 - 平町 - 三枚橋 - 志多町 - 追手町(旧・大手町) - 沼津駅前
接続路線
1961年6月時点
三島広小路駅:伊豆箱根鉄道駿豆線
沼津駅:東海道本線・御殿場線
関連項目
廃線
名鉄岐阜市内線 Encyclopedia
岐阜市内線 新岐阜駅前駅とモ780形
岐阜市内線 徹明町駅とモ770形
岐阜市内線(ぎふしないせん)は、岐阜駅前駅から忠節駅まで、および徹明町駅から長良北町駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線である。全線が岐阜県岐阜市内を走行していた。2005年4月1日に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 接続路線
7 関連項目
路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。
路線距離(営業キロ):
岐阜駅前~忠節間 3.7km (2005年廃止)
徹明町~長良北町間 3.9km (1988年廃止)
軌間:1067mm
駅数:20駅(起終点駅含む)
複線区間:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)
概要
岐阜市街地内を走る路面電車で、全線が道路上を走る併用軌道となっていた。JR岐阜駅北口から名鉄岐阜駅の西側を経て、徹明町~千手堂間は徹明通り、千手堂~忠節間は忠節橋通りを通っていた。
このうち岐阜駅前~新岐阜駅前間は、主要地方道岐阜停車場線の整備に伴い、2003年12月1日から廃止日前日の2005年3月31日まで休止されていた。なお、新岐阜駅は2005年1月29日に名鉄岐阜駅と改称されたが、新岐阜駅前停留場の名称は変更されなかった。
車社会の進展などの理由で、岐阜市は長年市内線に敵対的であった。市議会は1967年に路面電車廃止決議を可決させた。その後、全国的には路面電車の再評価がされるようになったが、岐阜市議会の決議は現在でも有効である。車優先の意識が強く、また道路が狭いことから、通常は道路交通法で禁止されている軌道敷内の自動車の通行が許されている。このため交通渋滞に巻き込まれて電車が岐阜駅前停留場まで行けず、新岐阜駅前停留場で運転が打ち切られることがしばしばあった。また、やはり道路が狭いことなどを理由に、岐阜駅前停留場を除き、停留場の安全地帯を設置できず、乗降客は常に自動車の危険にさらされた。
かつて、岐阜市内線の一部として徹明町停留場から長良橋通りを北上し長良北町停留場に至る通称長良線が走っていたが、ぎふ中部未来博覧会開催の際に交通の邪魔になるという理由で、1988年に廃止された。岐阜市の車優先行政は一貫していたと言えよう。このほか、長良北町駅からは高富線、千手堂駅からは鏡島線が延びていたが、いずれも1960年代に廃止されている。
その後も利用客の減少に歯止めがかからなかった。乗り入れする末端区間の廃止(1999年4月1日美濃町線新関~美濃間、2001年10月1日谷汲線全線、揖斐線本揖斐~黒野間)が続く一方、1997年にはモ780形、2000年には美濃町線系統にモ800形と、相次いで600V線区用の新車を投入。サービスの向上を図った。しかし、2003年1月24日、ついに名鉄は600V電化区間からの全面撤退に向け周辺自治体と協議すると表明。岐阜市はようやく存続の可能性を探るため、10月14日から、「路面電車交通社会実験」を行った(~11月28日)。主要停留所に仮設の安全地帯を設置し、軌道敷内の自動車通行を禁止することで、利用者がどれだけ増えるかを見極めようというものだった。しかし、利用者には好評だったが、その減少を止めることはできなかった。また、ドライバーからは渋滞を招くとの不満もあがった。さらに、岐阜県警は安全地帯設置、軌道敷内自動車通行禁止のいずれも消極的だった。(仮設の安全地帯は実験終了後、撤去された)
この結果を受け、2004年に名鉄は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。
名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していたが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。その後もフランスの交通会社コネックスが岐阜市内の公共交通への参入希望を示しているなどの動きがある。しかし、廃止路線の譲渡はできないので、復活する場合は新規に軌道法による特許を取る必要がある。
2005年、関市でイオンなどが入居するショッピングセンターを運営するサンストラッセが600V電化区間への参入を表明した。
運行形態
廃止前時点で急行と普通列車の全列車が揖斐線と直通運転を行っていた。急行は昼間時間帯に運転され、岐阜市内線内は各駅に停車していた(かつては岐阜市内で隔駅停車)。ワンマン運転を実施していた。
歴史
美濃電気軌道によって、後の長良線の一部を含む柳ヶ瀬(のちの岐阜駅前)~今小町(のちの大学病院前)間が1911年に開業したが、忠節方面へは1925年になってから開業した。
岐阜駅前停留場付近は岐阜駅や新岐阜駅の移転などにより何度か付け替えられ、忠節駅付近も揖斐線忠節駅移転により細かい延伸を繰り返している。
1911年2月11日 美濃電気軌道が柳ヶ瀬(のちの岐阜駅前)~今小町(のちの大学病院前)間を開業。
1911年10月7日 今小町~本町間が開業。
1912年8月28日 本町~長良橋間が開業。
1913年8月21日 国鉄岐阜駅移転に伴い、駅前(現在の岐阜駅前)停留場を移転。
1915年11月20日 長良橋~長良北町間開業。長良軽便鉄道(のちの高富線)と接続。
1925年6月1日 徹明町~千手堂間が開業。前年開業の鏡島線と接続。
1925年12月11日 千手堂~忠節橋間が開業。北方線(現在の揖斐線)とは徒歩連絡。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。岐阜市内線となる。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1948年8月1日 揖斐線忠節駅の移転に伴い、忠節橋停留場を忠節駅前の現在の早田停留場の場所に移転。
1952年5月1日 岐阜駅前停留場を移転。
1953年7月1日 忠節橋(現在の早田)~忠節間が開業。
1954年12月21日 揖斐線が経路変更され忠節駅で接続。
1967年12月17日 揖斐線直通の急行を運転開始。
1988年6月1日 徹明町~長良北町間3.9kmが廃止。
2003年12月1日 岐阜駅前~新岐阜駅前間が休止。
2005年4月1日 岐阜駅前~忠節間3.7kmが廃止され全廃。
駅一覧
岐阜駅前~忠節間(2005年廃止)
岐阜駅前駅 - 新岐阜駅前駅 - 金宝町駅 - 徹明町駅 - 金町駅 - 千手堂駅 - 本郷町駅 - 西野町駅 - 早田駅 - 忠節駅
徹明町~長良北町間(長良線、1988年廃止)
徹明町駅 - 岐阜柳ヶ瀬駅 - 市役所前駅 - 大学病院前駅 - 伊奈波通駅 - 本町駅 - 材木町 - 公園前駅 - 長良橋駅 - 鵜飼屋駅 - 長良北町駅
※駅名は廃止時点のもの
※軌道上の駅は、安全地帯やホームのないものに対して、実際は『駅』と称さずに『電停』と称していた。
※岐阜駅前~新岐阜駅前間は2003年から休止中
接続路線
岐阜駅前駅:東海道本線・高山本線(岐阜駅)
新岐阜駅前駅:名鉄名古屋本線・名鉄各務原線(名鉄岐阜駅)
徹明町駅:名鉄美濃町線 (新岐阜駅でも田神線経由の電車に乗り換え可能)
忠節駅:名鉄揖斐線
関連項目
廃線
名鉄田神線 Encyclopedia
名鉄田神線 田神駅~市ノ坪駅間デッドセクション
田神線(たがみせん)は、競輪場前駅から田神駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線。全線が岐阜県岐阜市内を走行していた。
各務原線を経て名鉄岐阜駅に直通する美濃町線の電車が通る連絡線の役目を持っていた。その電車には、美濃町線・田神線が600V電化、各務原線が1500V電化であるため、双方の区間を走行できる専用の複電圧車が使用され、デッドセクションのある市ノ坪~田神間で電圧の切り替えを行っていた。
2004年に名古屋鉄道は利用客の減少から、岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。
名鉄の廃止表明受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なったが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していた。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 関連項目
路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。
路線距離(営業キロ):1.4km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式
運行形態美濃町線と一体的に運行されており、名鉄岐阜~新関と名鉄岐阜~関間の列車がほぼ交互に運転されていた。
歴史
岐阜市長住町から1967年に同市市ノ坪町へ移転した名鉄の岐阜工場への引き込み線を転用して、1970年に開業し、新岐阜駅への美濃町線電車の乗り入れを開始した。
1970年6月25日 競輪場前~田神間が開業。
2005年4月1日 競輪場前~田神間廃止。
駅一覧
廃止前時点では普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。
駅名 営業キロ 接続路線 所在地
競輪場前駅 0.0 名古屋鉄道:美濃町線(関方面は直通) 岐阜県岐阜市
市ノ坪駅 0.9
田神駅 1.4 名古屋鉄道:各務原線(名鉄岐阜方面は直通)
駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線廃止時点のもの。
名鉄揖斐線 Encyclopedia
忠節駅
根尾川橋梁 政田駅~下方駅
相羽駅
揖斐線(いびせん)は、岐阜県岐阜市の忠節駅から岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅を経て岐阜県揖斐郡揖斐川町の本揖斐駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。
全ての列車が岐阜市内線と直通運転しており、車両は路面電車タイプの連接車が使用されていた。2005年4月1日に全線が廃止された。この日廃止された名鉄の600V電化区間で唯一の鉄道事業法適用区間であった。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 所要時間・運賃
7 関連項目
路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。
路線距離(営業キロ):忠節~本揖斐間 18.3km
軌間:1067mm
駅数:16駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式
概要
宅地化が進む岐阜市西郊の通勤・通学路線であった。かつては、途中の黒野駅から分岐して谷汲村(現揖斐川町)にある谷汲駅までを結ぶ谷汲線が延び、谷汲山華厳寺への参詣の足となっていたが、揖斐線黒野~本揖斐間とともに2001年に廃止された。
その後も車社会の進展で利用客の減少に歯止めがかからず、2004年に名古屋鉄道は岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を正式に表明。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。
名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なったが、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していた。
運行形態
廃止前時点では、揖斐線の全ての列車が岐阜市内線と直通運転を行っていた。急行は昼間時間帯に運転されており、近ノ島駅、旦ノ島駅のみを通過していたが、設定当初はこの他にも通過駅があった。ワンマン運転を実施していた。
歴史
岐北軽便鉄道により開業し、美濃電気鉄道を経て名古屋鉄道の路線となった。岐阜市内線と繋がるのは戦後のことである。
1914年3月29日 岐北軽便鉄道が忠節~北方(現在の美濃北方)間を開業。
1921年11月10日 美濃電気軌道が岐北軽便鉄道を合併。北方線となる。
1926年4月6日 美濃電気軌道北方線 美濃北方~黒野間が開業。
1928年12月20日 美濃電気軌道北方線 黒野~揖斐(のちの本揖斐)間が開業。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。北方線を揖斐線と改称。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1938年8月4日 長良川改修工事のため忠節~尻毛間を休止。
1939年2月13日 近ノ島~尻毛間が運行再開。
1941年12月20日 忠節~近ノ島間が運行再開。
1942年4月1日以前 北方駅を美濃北方駅に改称。
1944年 萱場駅、尻毛橋駅、八ツ又駅、麻生駅、八丈岩駅休止。
1948年8月1日 忠節駅が西方へ移転。岐阜市内線忠節橋停留場が駅前に移転。
1954年12月21日 忠節~近ノ島間が経路変更。忠節駅で岐阜市内線と接続。
1967年12月17日 岐阜市内線直通の急行を運転開始。
1969年4月5日 萱場駅、尻毛橋駅、川部橋駅、八ツ又駅、麻生駅、八丈岩駅廃止。
1984年10月16日 黒野~本揖斐間で閑散時ワンマン運転開始。
1987年5月11日 忠節~黒野間で一部列車除きワンマン運転開始。
2001年10月1日 黒野~本揖斐間5.6kmが廃止。翌日より名阪近鉄バスにより廃止代替バス運転開始。
2005年4月1日 忠節~黒野間12.7kmが廃止され全廃。翌日より岐阜バスにより廃止代替バス運転開始。
駅一覧
●:停車、|:通過。
駅名 営業キロ 急行 接続路線 所在地
忠節駅 0.0 ● 名古屋鉄道:岐阜市内線(直通) 岐阜県 岐阜市
近ノ島駅 0.7 |
*萱場駅 -
旦ノ島駅 2.0 |
*尻毛橋駅 -
尻毛駅 3.2 ●
*川部橋駅 -
又丸駅 4.3 ●
北方東口駅 5.1 ● 本巣郡北方町
北方千歳町駅 5.7 ●
美濃北方駅 6.2 ●
*八ツ又駅 - 本巣市
真桑駅 8.3 ●
政田駅 9.5 ●
下方駅 10.8 ● 揖斐郡大野町
相羽駅 11.6 ●
黒野駅 12.7 ● 名古屋鉄道:谷汲線(2001年まで)
*麻生駅 -
中之元駅 14.7
清水駅 16.1 揖斐郡揖斐川町
*八丈岩駅 -
本揖斐駅 18.3
駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線(区間)廃止時点のもの。
急行停車駅は2005年時点のもの。
*印の駅は路線(区間)廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照)
所要時間・運賃(2005年、路線廃止前時点)
忠節-美濃北方:約14分、230円(140円)
忠節-政田:約20分、290円(150円)
忠節-黒野:約30分、340円(170円)
新岐阜-黒野:約43分、510円(260円)
名鉄美濃町線 Encyclopedia
徹明町駅とモ590形
上芥見駅
津保川を渡るモ600形 上芥見駅~白金駅間
美濃町線の電車(モ800形・新関駅にて)
保存された旧美濃駅舎
美濃町線(みのまちせん)は、岐阜県岐阜市の徹明町駅から岐阜県関市の関駅、および岐阜県美濃市の美濃駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線である。2005年4月1日に全線が廃止された。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 歴史
5 駅一覧
6 関連項目
路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。
路線距離(営業キロ):
徹明町~関間 18.8km (2005年廃止)
新関~美濃間 6.3km (1999年廃止)
軌間:1067mm
駅数:24駅(起終点駅、岐阜柳ヶ瀬駅含む)
複線区間:徹明町~梅林間
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:特殊自動閉塞式(梅林~下芥見間)、スタフ閉塞式(下芥見~関間)
概要
路線の大半が国道156号線・国道248号線沿いの併用軌道を走っていた。徹明町駅~北一色駅間は完全な併用軌道だが、北一色駅~関駅間は道路と並行して走る専用軌道が多くなった。かつては岐阜の繁華街徹明町と、美濃紙とうだつの町美濃市を結んでいたが、1999年に新関~美濃間が廃止され、同区間で並行していた長良川鉄道の関駅へ乗り入れている。
多くの列車が競輪場前駅から田神線・各務原線を経て名鉄岐阜駅へ直通していたが、美濃町線・田神線が600V電化、各務原線が1500V電化であるため、双方の区間を走行できる専用の複電圧車が使用されていた。2000年には最後の新車となる800形を投入。部分低床車にすることで乗降に配慮し、従来は1500V区間で使えなかった冷房を使えるようになった。LRTへの近代化を図る試みといえた。2001年には並行する岐阜バスとの共通乗車制度が設けられた。
しかし、乗降客の減少は歯止めがかからなかった。2003年1月24日に名古屋鉄道は利用客の減少から、名鉄岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線の600V電化区間について運営撤退を周辺自治体と検討すると表明(岐阜市内線概要も参照)。撤退表明後も乗降客はさらに減少し、翌2004年、名鉄は正式に撤退を表明した。軌道法に基づく廃止許可申請書と鉄道事業法に基づく廃止届を同年3月に提出し、2005年4月1日に廃止された。
名鉄の廃止表明を受けて、地元の岐阜市などでは協議会を設置し、公設民営方式での存続の可能性について検討を行なった。しかし、2004年7月27日、岐阜市長は利用客減少や財政難などを理由に存続断念を発表した。一時は、岡山電気軌道が支援検討を表明していた。
2005年1月29日、新岐阜駅は名鉄岐阜駅と改称されたが、美濃町線の車両は、3月末の廃止を控えて、方向幕の「新」の部分をマスキングしただけで差替えは行われなかった。また車内放送も変更されることなく「新岐阜」のままであった。
2005年3月31日にさよなら運転が行われた。しかし日野橋~琴塚間で線路妨害(往来危険)の置き石に遭い、一時不通に。また、ワンマン運行のため混雑する乗客の対応に時間がかかり、最終電車は4月1日になっていた。(最終電車は4月1日午前0時40分過ぎ新関に到着。)
なお、地元・関市の企業を中心として、2006年春再開へ向けた動きも模索されているようだが、施設撤去が急速に進む現状から、実現はかなり困難と思われる。
運行形態
徹明町駅が起点であるが、廃止前時点で新関駅・関駅方面への列車は朝の一部を除き全て名鉄岐阜駅発着であった。運転系統は主として徹明町~野一色・日野橋間と名鉄岐阜~新関・関間があり、名鉄岐阜~新関間と名鉄岐阜~関間の列車がほぼ交互に運転されていた。1999年からはワンマン運転を開始した。 また2003年ごろからは日中10時~15時にかけて15分ヘッドを30分ヘッドにする減便が行われた。
新関~美濃間は1990年代頃には昼間毎時1本の運転であった。1970年に新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)直通運転を開始した際には急行も設定されたが5年後には廃止され、1981年には朝夕を除いて徹明町・新岐阜~美濃間直通運転はなくなり、新関駅で乗り換えとなっていた。
歴史
美濃電気軌道により開業した。起点と終点付近で経路変更が行われている。
1911年2月11日 美濃電気軌道が神田町(のちの岐阜柳ヶ瀬)~上有知(のちの美濃町)間を開業。
1911年4月1日 上有知駅を美濃町駅に改称。
1911年7月24日 美濃町駅移転。
1913年 関駅を美濃関駅に改称。
1923年10月1日 松森~新美濃町(のちの美濃)間を移設。美濃町駅を移転し新美濃町駅に改称。
1923年10月5日 美濃関駅を新美濃関駅に改称。
1924年 新美濃関駅を新関駅に改称。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。美濃町線となる。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1941年2月10日 兵営前駅を北一色駅に改称。
1942年以前 岐阜柳ヶ瀬~梅林間の殿町駅廃止。
1950年4月1日 岐阜柳ヶ瀬~梅林間を廃止し、徹明町~梅林間の新線開業。美濃町線の起点を徹明町駅に変更。
1950年4月1日 梅林~北一色間に競輪場前駅開業。
1953年4月12日 徹明町~梅林間が複線化。
1954年9月10日 徹明町~梅林間に金園町駅開業。
1954年10月1日 新美濃町駅を美濃駅と改称。
1957年8月11日 日野橋~岩田間に岩田坂駅開業。
1960年10月20日 松森~美濃間の美濃町駅前駅廃止。1946年頃から休止。
1965年11月21日 金園町駅を金園町四丁目駅に、薬大前駅を金園町九丁目駅に改称。
1970年6月25日 田神線の開業により、新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)に美濃町線電車が乗り入れ開始。新岐阜~美濃間に急行を運転開始。
1975年9月16日 急行廃止。
1983年6月15日 新関~美濃間が昼間ワンマン運転化。
1999年4月1日 新関~美濃間6.3kmが廃止、新関~関間が開業(手続上は新関~関間0.3km線路移設、関~美濃間6.0km廃止)。
1999年12月25日 徹明町・新岐阜~新関間ワンマン運転開始。
2005年4月1日 徹明町~関間18.8kmが廃止され全廃。
駅一覧
駅名 営業キロ 接続路線 所在地
岐阜柳ヶ瀬~梅林間(1950年廃止)
岐阜柳ヶ瀬駅 0.0 名古屋鉄道:岐阜市内線 岐阜県岐阜市
*殿町駅 -
梅林駅 0.8
徹明町~関間(2005年廃止)
徹明町駅 0.0 名古屋鉄道:岐阜市内線 岐阜県 岐阜市
金園町四丁目駅 0.5
梅林駅 0.9
金園町九丁目駅 1.4
*岩戸前駅 -
競輪場前駅 1.9 名古屋鉄道:田神線(多くが直通)
北一色駅 3.0
野一色駅 4.1
琴塚駅 4.8
日野橋駅 5.8
岩田坂駅 6.9
岩田駅 8.1
下芥見駅 9.3
上芥見駅 10.9
白金駅 12.7 関市
小屋名駅 14.3
赤土坂駅 15.6
新田駅 16.7
新関駅 18.5 長良川鉄道:越美南線(関駅)
関駅 18.8 長良川鉄道:越美南線
新関~美濃間(1999年廃止)
下有知駅 20.7 岐阜県 関市
神光寺駅 21.7
松森駅 23.2 美濃市
*美濃町駅前駅 24.5 日本国有鉄道:越美南線(美濃市駅※)
美濃駅 24.8 長良川鉄道:越美南線(美濃市駅)
駅名・接続路線名は廃止時点、営業キロ・所在地は路線(区間)廃止時点のもの。
*印の駅は路線(区間)廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照。なお岩戸前駅の廃止日は不明)
※美濃町駅前駅営業当時は美濃町駅
名鉄鏡島線 Encyclopedia
鏡島線(かがしません)とは、岐阜県岐阜市の千手堂駅から、同県同市にあった西鏡島駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線。1964年にバスに転換されてからは、名鉄バスが運行していたが、2004年10月1日に岐阜バスに譲渡された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
路線距離(営業キロ):千手堂~西鏡島間 4.4km
軌間:1067mm
駅数:11駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1924年4月21日 美濃電気軌道が千手堂~鏡島間を開業。
1925年6月1日 岐阜市内線の徹明町~千手堂間が開業。鏡島線と接続。
1926年11月1日 川原畑駅開業。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。鏡島線となる
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1941年10月21日 市民病院前駅開業。
1944年12月11日 不要不急線として森屋~鏡島間休止。
1950年6月10日 千手堂~森屋間が道路拡幅工事のため休止。
1950年7月11日 千手堂~森屋間運行再開。併用軌道化。
1953年8月16日 森屋~弘法口間運行再開。弘法東口駅を東鏡島駅、弘法西口駅を弘法口駅と改称。
1954年9月10日 弘法口~港(旧・鏡島)間運行再開。港~合渡橋間開業。
1957年9月5日 合渡橋駅を西鏡島駅と改称。
1964年10月4日 千手堂~西鏡島間全線廃止し、バスに転換。
駅一覧
千手堂駅 - 鍵屋駅 - 本荘駅 - 市民病院前駅 - 森屋駅 - 東鏡島駅 - 弘法口駅 - 川原畑駅 - 鏡島駅 - 港駅 - 西鏡島駅
接続路線
千手堂駅:名鉄岐阜市内線
名鉄高富線 Encyclopedia
高富線(たかとみせん)とは、岐阜県岐阜市の長良北町駅から、同県山県市(営業当時は山県郡高富町)にあった高富駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線。岐阜市内線との直通運転も行われていた。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
路線距離(営業キロ):km)
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1913年12月25日 長良軽便鉄道が長良(のちの長良北町)~高富間を開業。
1915年11月20日 美濃電気軌道の長良橋~長良北町間が開業。長良軽便鉄道と接続。
1920年9月 美濃電気軌道が長良軽便鉄道を合併。
1930年8月20日 名古屋鉄道が美濃電気軌道を合併。高富線となる。
1930年9月5日 名古屋鉄道が名岐鉄道に社名変更。
1935年8月1日 名岐鉄道が名古屋鉄道に社名変更。
1938年3月16日 継子渕~三田洞間の上岩崎駅廃止。
1942年4月1日? 戸羽川~三田洞間の継子渕駅廃止。
1949年12月1日 1944年から休止していた粟野駅営業再開。
1960年4月22日 全線廃止し、バスに転換。
駅一覧
長良北町駅 - 高見駅 - 下岩崎駅 - 戸羽川駅 - 継子渕駅 - 上岩崎駅 - 三田洞駅 - 粟野駅 - 高富駅
接続路線
長良北町駅:名鉄岐阜市内線
名鉄谷汲線 Encyclopedia
谷汲線(たにぐみせん)は、岐阜県揖斐郡大野町の黒野駅から岐阜県揖斐郡谷汲村(現揖斐川町)の谷汲駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。
運賃計算区分はC。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 関連項目
路線データ
※特記なければ路線廃止時点のもの。
路線距離(営業キロ):11.2km
軌間:1067mm
駅数:9駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:スタフ閉塞式(平時)
平時は黒野-谷汲間をスタフ閉塞式で一閉塞区間としていたが、谷汲山命日や観光時期の列車増発時には北野畑に運転要員を派遣し、黒野-北野畑間を票券閉塞式、北野畑-谷汲間をスタフ閉塞式に閉塞を分割して運行した。
運行形態
全て、普通列車のワンマン運転であった。朝の6~8時台では、黒野~谷汲間で30分間隔で毎時2往復、その他は終電まで60分間隔で、毎時1往復運転されていた。ただし、毎月18日の谷汲山命日とシーズンの特定日、廃線間際には、臨時列車数往復が増発されて、日中(11時~15時)も毎時2往復運転されていた。単線のため、30分間隔で運行する時は途中、北野畑駅で列車の行き違いを行っていた。なお末期は朝夕も50分間隔となり、北野畑駅での行き違いを行わなくなっていた。
歴史
1926年6月25日 谷汲鉄道が黒野~谷汲間を開業。
1944年 黒野西口駅、豊木駅、八王子坂駅、長瀬茶所駅が休止。
1944年3月1日 名古屋鉄道が谷汲鉄道を合併。谷汲線となる。
1946年9月16日 豊木駅営業再開。
1958年5月1日 長瀬茶所駅が廃止。
1968年8月5日 揖斐線・岐阜市内線直通の急行を新設。
1969年4月5日 黒野西口駅、八王子坂駅が廃止。
1984年3月20日 急行廃止。
1984年10月16日 閑散時ワンマン運転開始。
1990年4月23日 結城駅が廃止。
2001年10月1日 黒野~谷汲間が廃止。名阪近鉄バスにより廃止代替バス運転開始。
2005年10月1日 名阪近鉄バス谷汲黒野線(代替バス)廃止。
駅一覧
廃止前時点では普通列車のみ運行。全列車、各駅に停車。
駅名 営業キロ 接続路線 所在地
黒野駅 0.0 名古屋鉄道:揖斐線 岐阜県 揖斐郡大野町
*黒野西口駅 -
黒野北口駅 0.9
豊木駅 2.0
稲富駅 2.8
更地駅 3.9
*八王子坂駅 -
北野畑駅 5.8
赤石駅 6.9 揖斐郡揖斐川町
長瀬駅 8.4
*長瀬茶所駅 -
*結城駅 10.2
谷汲駅 11.2
駅名・接続路線名は廃止時点、所在地は路線廃止時点のもの。
*印の駅は路線廃止前に廃止された駅(廃止日は歴史参照)
名鉄豊川線 Encyclopedia
豊川線(とよかわせん)は、国府駅から豊川稲荷駅までを結ぶ名古屋鉄道の路線である。全線が愛知県豊川市内を走行する。
豊川稲荷への参詣路線として年末年始には賑わう路線。実態としては鉄道であるが、開業当初は「豊川市内線」と呼んでいて路面電車が走る路線であった名残で、全線が軌道法に基づく軌道となっている。岐阜地区の岐阜市内線・美濃町線・田神線が2005年3月31日を以て廃止された現在では、名鉄唯一の軌道線となった。
運賃計算区分はC。(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.25倍)
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 関連項目
路線データ
路線距離(営業キロ):7.2km
軌間:1067mm
駅数:5駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流1500V)
閉塞方式:自動閉塞式
運行形態
平日朝は線内折り返しの普通が多く、名古屋本線直通の急行と特急が数本入る。また平日の1往復だけ2200系を使った特急運用もあり、豊川線で唯一の一部特別車特急となっている。 昼間は名古屋本線直通の急行または快速急行と線内折り返しの普通列車が交互に走り、毎時4往復運転されている。 夜になっても平日は昼間と同じ運用だが、土日は普通列車の運転がなくなり毎時2往復態勢になり、更に深夜になると平日土日ともに線内折り返しの普通列車のみの毎時2往復態勢になる。
また1月になると、豊川稲荷への参拝客輸送のため、通常のダイヤに加え名古屋本線直通の特急が毎時2往復走るようになる。この特急は全車特別車である。なお、特急についての詳細は名鉄特急も参照のこと。
歴史
名古屋・岡崎方面からは、1926年に伊奈駅から分岐して小坂井駅までにいたる小坂井支線を通り、小坂井駅から豊川鉄道線(現在の飯田線)に直通運転することで豊川駅までの乗り入れを果たしていたが、豊川に海軍の軍需工場があったため、抜本的な輸送力増強を目的に建設された。戦後、豊川線が豊川稲荷駅まで延伸されると小坂井支線は廃止された。
1945年2月18日 豊川市内線として国府~市役所前(現在の諏訪町)間が開業。
1953年12月16日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1954年4月1日 市役所前~稲荷口間が開業。
1954年12月25日 稲荷口~新豊川(現在の豊川稲荷)間が開業し全通。豊川市内線を豊川線に改称。伊奈~小坂井間の小坂井支線廃止。
駅一覧
駅名 営業キロ 普通 急行 快速急行 特急 接続路線 所在地
国府駅 0.0 ● ● ● ● 名古屋鉄道:名古屋本線 愛知県豊川市
八幡駅 2.5 ● ● ● |
諏訪町駅 4.4 ● ● ● ●
稲荷口駅 6.0 ● ● ● |
豊川稲荷駅 7.2 ● ● ● ● 東海旅客鉄道:飯田線(豊川駅)
●:全ての列車が停車 |:通過
名鉄起線 Encyclopedia
起線(おこしせん)とは、愛知県一宮市の八幡町駅から同県同市(営業当時は中島郡起町)の起駅までを結んでいた名古屋鉄道の軌道線(路面電車)である。一時は名鉄一宮駅(当時の新一宮駅)に乗り入れていたこともあった。
廃止の理由は、乗客数が増加したものの、複線化などの輸送力増強が敷地や予算の問題で難しかったことによるもので、昨今の廃線とは事情が異なっている。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目
路線データ
※路線廃止時点のもの
路線距離(営業キロ):八幡町~起間 5.3km
軌間:1067mm
駅数:10駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1921年(大正10年)8月5日 起から一宮の便を図る目的で、同区間の軌道敷設免許を収得。
1922年(大正11年)3月25日 同軌道の建設を行うために蘇東電気軌道を設立。
1923年(大正12年)11月1日 蘇東電気軌道、名古屋鉄道に合併。
1924年(大正13年)2月1日 起~一宮(後、八幡町)間5.3kmが蘇東線として開業。
1930年(昭和5年)12月20日 尾西線と一部区間の線路を共用する形で、新一宮駅への乗り入れを開始。
1944年(昭和19年) 馬引駅、篭屋駅、西三条駅、新三条駅、工業高校前駅休止。
1946年(昭和21年)8月15日 休止中の馬引駅、篭屋駅、西三条駅、新三条駅、工業高校前駅営業再開。
1948年(昭和23年)5月16日 起線に路線名を変更。
1949年(昭和24年)12月1日 一宮駅を八幡町駅に、東洋紡績前駅を一宮病院前駅に、工業高校前駅を西中島駅に改称。
1952年(昭和27年)12月24日 尾西線の1500V昇圧に伴い、新一宮駅乗り入れを廃止。
1953年(昭和28年)6月1日 電車の運行を休止してバス代行輸送とする。バスは新一宮駅へ乗り入れた。
1954年(昭和29年)6月1日 バスが好評であったため、正式に廃止。
駅一覧
新一宮駅 - 八幡町駅 - 一宮病院前駅 - 馬引駅 - 篭屋駅 - 尾張三条駅 - 西三条駅 - 新三条駅 - 尾張中島駅 - 西中島駅 - 起駅
接続路線
新一宮駅(現・名鉄一宮駅):名古屋本線・尾西線
北陸鉄道金沢市内軌道線 Encyclopedia
金沢市内軌道線(かなざわしないきどうせん)は、石川県金沢市の市街地区域を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線。
金沢市内の交通渋滞常態化解消のため、昭和42年(1967年)2月11日、全線廃線となった。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 関連項目
路線データ
路線距離(営業キロ):12.9km(最盛期)
軌間:1067mm
複線区間: (白銀交差点)~白銀町~六枚町~金沢駅前~(白銀交差点), 鳴和~東金沢駅前 以外
金沢駅前単線区間はループ状で時計回りのみ。金沢駅前~(白銀交差点)~白銀町 の直通営業運転なし。
電化区間: 全線(直流600V)
運行形態
鳴和~東金沢駅前間廃止時点(最盛期)は6系統あった。 また、一時期は浅野川線、松金線への相互乗り入れを行っていた。
各系統は以下のとおり。
運行系統 延長 区間 主要電停 特記事項
1 x.xkm 金沢駅前~小立野 武蔵ヶ辻, 橋場町, 兼六園下 金沢駅前行のみ 白銀町, 六枚町に停車
2 x.xkm 金沢駅前~寺町 武蔵ヶ辻, 香林坊, 野町広小路 金沢駅前行のみ 白銀町, 六枚町に停車
3 x.xkm 野町駅前~小立野 野町広小路, 香林坊, 兼六園下 なし
4 x.xkm 野町駅前~鳴和 野町広小路, 香林坊, 武蔵ヶ辻 なし
5 x.xkm 東金沢駅前~寺町 兼六園下, 香林坊, 野町広小路 なし
6 x.xkm 金沢駅前~兼六園下 武蔵ヶ辻, 香林坊 金沢駅前行のみ 白銀町, 六枚町に停車
歴史
1919年2月2日 金沢電気軌道が金沢駅前~橋場町~兼六園下を開業。
1919年7月13日 兼六園下~香林坊~犀川大橋、武蔵ヶ辻~香林坊、兼六園下~小立野開業。
1920年11月20日 犀川大橋~野町(後の野町駅前)開業。
1921年7月10日 野町広小路~寺町開業。
1922年7月13日 浅野川大橋~小坂神社前開業。
1922年12月14日 橋場町~浅野川大橋開業。
1941年8月1日 北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併。
1942年3月26日 北陸合同電気が保有路線を北陸鉄道に譲渡。
1945年5月17日 (白銀交差点)~白銀町~金沢駅前、小坂神社前~鳴和開業。
1945年12月1日 鳴和~東金沢駅前開業。
1965年6月24日 尻垂坂(現在の兼六坂・兼六園下~出羽間)で300形の暴走脱線事故。
1966年2月28日 東金沢駅前~鳴和廃止。
1966年12月26日 鳴和~橋場町廃止。
1967年2月11日 全線廃止。
駅一覧
白銀町、六枚町は金沢駅前行きのみ停車。それぞれ廃止時の名称。
運行系統1
金沢駅前 - (六枚町) - (白銀町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 尾張町 - 橋場町 - 味噌蔵町 - 兼六園下 - 出羽町 - 下石引町 - 小立野
運行系統2
金沢駅前 - (六枚町) - (白銀町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 堤町 - 南町 - 尾山神社前 - 香林坊 - 片町 - 犀川大橋 - 野町広小路 - 大桜 - 寺町3丁目 - 寺町2丁目 - 寺町
運行系統3
野町駅前 - 野町4丁目 - 野町広小路 - 犀川大橋 - 片町 - 香林坊 - 県庁前 - 兼六園下 - 出羽町 - 下石引町 - 小立野
運行系統4
野町駅前 - 野町4丁目 - 野町広小路 - 犀川大橋 - 片町 - 香林坊 - 尾山神社前 - 南町 - 堤町 - 武蔵ヶ辻 - 尾張町 - 橋場町 - 浅野川大橋 - 森下町 - 高道町 - 小坂神社前 - 春日町 - 鳴和
運行系統5
東金沢駅前 - 大樋口 - 鳴和 - 春日町 - 小坂神社前 - 高道町 - 森下町 - 浅野川大橋 - 橋場町 - 味噌蔵町 - 兼六園下 - 県庁前 - 香林坊 - 片町 - 犀川大橋 - 野町広小路 - 大桜 - 寺町3丁目 - 寺町2丁目 - 寺町
運行系統6
金沢駅前 -(六枚町) - (白銀町) - 安江町 - 武蔵ヶ辻 - 堤町 - 南町 - 尾山神社前 - 香林坊 - 県庁前 - 兼六園下
接続路線
金沢駅前:国鉄北陸本線(金沢駅)、北陸鉄道浅野川線(北鉄金沢駅)、北陸鉄道金石線(中橋駅)
六枚町:北陸鉄道金石線(中橋駅)
東金沢駅前:国鉄北陸本線(東金沢駅)
野町駅前:北陸鉄道石川線(野町駅)、北陸鉄道松金線(野町駅(1944年まで))
土佐電気鉄道新地線 Encyclopedia
土佐電気鉄道新地線(とさでんきてつどうしんちせん)は、高知県高知市内の知寄町二丁目駅と若松町駅とを結んでいた、土佐電気鉄道の軌道路線。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 外部リンク
路線データ
路線距離(営業キロ):0.5km
軌間:1067mm
駅数:2駅(起終点駅含む)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1911年8月22日 新地通(現在の知寄町二丁目)~新地(後に若松町に改称)間が開業
1944年7月15日 同日より節電のため運休
1954年7月19日 廃止届出
駅一覧
知寄町二丁目 - 若松町駅
接続路線
知寄町二丁目駅:土佐電気鉄道後免線
外部リンク
土佐電氣鐵道株式会社のホームページ
旭川電気軌道東川線 Encyclopedia
東川線(ひがしかわせん)は、旭川電気軌道が運営していた軌道路線である。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 概要
3 歴史
4 車両
5 運転系統
6 駅一覧
7 接続路線
8 関連項目
路線データ(廃止時)
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)
複線区間:
閉塞方式:
交換可能駅:7(旭川追分、千代田、観音、旭正、上旭正、十号、西川)
車庫所在地:旭川四条駅
概要
旭川市の旭川四条と東川町をむすぶ郊外路線。東川の有志により会社が設立され、当初は軽便鉄道を敷設する予定であったが、電気軌道に変更して開業。旭川と東川を結ぶ農村鉄道として機能し、旅客・貨物ともに重要な地域交通機関であった。
昭和30年代後半より貨物の輸送量が減少し、旅客部門も始発の旭川四条が旭川の中心部からから離れている事、東川までの運賃がバスと変わらない事や、定期旅客の増加等で伸び悩み赤字に転落。経営合理化を進めたが、施設の老朽化などもあり、昭和40年代にはいると廃止・バス転換を推進する会社側と、重要な輸送機関として存続を望む沿線農協等の株主側とで毎年攻防が繰り広げられていた。1972年、沿線道路の拡充により貨物輸送のトラック転換が進んだため、両者が廃止に合意。同年大晦日を以って運行を終了した。
歴史
1927年1月8日 旭川四条-十号間 開通
1927年2月14日 十号-東川間 開通
1927年10月2日 旭川四条-旭川間(貨物側線)開通
1973年1月1日 廃止。
車両
1000形 1001号の一両のみ。1955年製。ノーシル・ノーヘッダのスマートな車体。保存車両。
運転系統
概ね一時間毎の運行であった(旭川追分までは東旭川線と30分毎の交互運行)。全線所要時間約40分。
途中旭正駅で列車の行き違いがあった。
貨物列車は貨物車を電車が牽引するという珍しい方法であった。貨物運行は不定期だが、米の出荷時には終夜運行も実施していた。
駅一覧
旭川四条駅-旭川追分駅-二号線駅-千代田駅-四号線駅-観音駅-坂ノ上駅-旭正駅-上旭正駅-上七号線駅-十号駅-九号駅-西川駅-西六号駅-東川学校駅-東川駅
(貨物線)旭川四条駅-旭川一条駅-旭川駅
接続路線
事業者名は東川線営業当時のもの
旭川四条駅:国鉄宗谷本線
旭川追分駅:旭川電気軌道東旭川線
旭川電気軌道東旭川線 Encyclopedia
東旭川線(ひがしあさひかわせん)は、旭川電気軌道が運営していた軌道路線である。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 概要
3 歴史
4 車両
5 運転系統
6 駅一覧
7 接続路線
8 関連項目
路線データ(廃止時)
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)
複線区間:
閉塞方式:
交換可能駅:1(愛宕)
歴史
1929年12月30日 旭川追分-東旭川市街(後の二丁目)間 開通
1930年6月7日 東旭川市街~旭山公園間 開通。
1973年1月1日 廃止。
車両
旭川電気軌道東川線参照。
運転系統
おおむね1時間間隔の運行。旭川追分駅で東川線に乗り入れ、旭川四条駅まで直通していた。
駅一覧
旭川追分駅 - 龍谷学園前駅 - 墓地前駅 - 愛宕駅 - 一丁目駅 - 二丁目駅 - 役場前駅 - 四丁目駅 - 五丁目駅 - 旭山公園駅
接続路線
旭川追分駅:東川線
桑名電軌 Encyclopedia
桑名電軌(くわなでんき)とは、かつて三重県桑名市内を走っていた軌道線(路面電車)である。駅と市街地を結ぶために建設されたが、全長僅か1kmのミニ路線であった。
目次
1 路線概要
2 停留場
3 沿革
4 接続路線
路線概要
路線距離:1.0km
停留所数:6
複線区間:なし(全線単線)
軌間:1067mm
運転間隔:5分または10分(5時30分~0時)
所要時間:全線4分
停留場
桑名駅前 - 車庫前 - 三崎前 - 旭橋 - 田町 - 本町
沿革
1927年(昭和2年)9月 開業
1944年(昭和19年)1月 不要不急線として休止(その後廃止)
接続路線
桑名駅:鉄道省関西本線、伊勢電気鉄道線→関西急行鉄道名古屋線・養老線(現、近鉄名古屋線・近鉄養老線)、北勢鉄道→北勢電気鉄道(現、三岐鉄道北勢線)
名鉄勝川線 Encyclopedia
勝川線(かちがわせん)とは、愛知県春日井市の味鋺駅から新勝川駅までを結んでいた名古屋鉄道の鉄道路線である。もともとは名古屋から坂下村(現、春日井市坂下町)へ延ばす予定の路線であったが、予算の関係でこの部分しか建設できず小牧線(営業当時は大曽根線)の盲腸線と化し、営業成績も低迷したことから既存部分も廃止になったものである。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目
路線データ
※路線廃止時点のもの
路線距離(営業キロ):2.1km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化・ガソリン気動車使用)
歴史
1931年2月11日 名古屋鉄道が味鋺~新勝川間を開業。
1936年4月8日 味鋺~新勝川間を休止。
1937年2月1日 味鋺~新勝川間を廃止。
駅一覧
味鋺駅 - 勝川口駅 - 新勝川駅
接続路線
※勝川線廃止直前時点の路線名
味鋺駅:名鉄大曽根線(現、小牧線)
関連項目
廃線
沖縄電気 Encyclopedia
沖縄電気(おきなわでんき)は、戦前の沖縄県那覇市を中心とした地域に電気を供給していた電力会社である。同社が運営していた路面電車についてもここで述べる。
目次
1 電力事業
2 軌道事業
2.1 路線データ
2.2 運行形態
2.3 年表
2.4 駅一覧
2.5 接続路線
2.6 車両
3 関連項目
電力事業
京都の才賀電気商会(才賀藤吉社長)が全国展開の一環として沖縄県への進出を目論み、1908年に沖縄出張所を開設した。その2年後の1910年1月には電力供給事業が許可され、同年4月に沖縄電気を設立、12月には那覇市内に発電所が完成し、那覇や首里、島尻郡に電気を供給した。
大正時代に入ると、過大な事業拡大で資金難に陥った才賀電気商会の経営が破綻。全国の系列会社は整理統合され、沖縄電気も才賀藤吉が社長職を辞し、土建会社である日本興業の管理下に入った。その後、1916年に鹿児島出身者による運営体制へと移行するが、1927年には東京資本の運営体制に移行(実態は「乗っ取り」)した。しかし、施設の老朽化で維持費がかさむようになると東京資本が撤退して1939年に球磨川水電の系列に入り、さらに1943年には戦時の配電統制で九州配電沖縄支店となったが、太平洋戦争末期の1944年には米軍の攻撃で発電機能を停止した。
軌道事業
才賀電気商会は沖縄での電力供給事業とともに、那覇と首里を結ぶ電気軌道の起業も計画し、1910年3月に通堂~大門前~首里間の軌道敷設の許可が下りた。電力会社が電鉄を兼業するのは当時の一般的なビジネスモデルで、大口の供給先を確保するとともに一般世帯への宣伝効果も狙っていた。
沖縄電気の場合は子会社方式で路面電車を運営することとし、1911年5月に沖縄電気軌道を設立、翌1912年9月に工事施行の認可を受けて着工する。着工直後に才賀電気商会の経営が破綻したものの、沖縄電気とともに日本興業の管理下に入って工事は続行され、1914年5月にまず大門前~首里間5.7kmが開業した。なお、開業前の試運転期間中には脱線事故やポール脱落事故などを引き起こしており、前評判はかなり悪かったようである。
開業直後こそ物珍しさから混雑したものの、当時の沖縄県民にとって那覇~首里間は徒歩移動の範囲内という認識があったためか輸送人員はすぐに落ち込み、開業1年目は1日あたりの輸送人員が当初見込みの4分の1(約1000人)にとどまった。さらに建設費などの債務も加わり、沖縄電気軌道はすぐに経営難に陥ってしまった。
このため、沖縄電気は軌道事業を直営化するとともに、通堂方面へ早期に延伸して経営再建を図ることを計画。1915年12月に沖縄電気軌道を買収し、沖縄電気軌道部による運営に移行した。その後、1917年9月に大門前~通堂間1.2kmが開業した。
大門前~首里間の開業2年目からは当初見込み並みの輸送人員を確保し、沖縄電気の直営化後は比較的安定した経営を続けていたが、1929年1月に並行するバス路線が開設されると輸送人員は急速に減少。1931年には車両を増備して増発を行うなど積極的な対抗策がとられたものの減少に歯止めがかからず、1932年に軌道事業からの撤退を決定。翌1933年3月に全線の休止が許可され、同年3月16日に西武門~通堂間が休止、続いて3月20日には残る西武門~首里間も休止となり、8月12日に全線が正式に廃止された。
路線データ
路線距離:通堂~首里 6.9km
軌間:1067mm
駅数:20(起終点駅含む)
電化区間:全線(500V)
運行形態
全線の所要時間は約32分、運転間隔は日中9~18分だった。大門前~首里間の開業当初は36分間隔だったが、利用者が比較的多かった大門前~崇元寺間では区間運転便も設定して運転間隔を詰めていた。
年表
1911年5月27日 沖縄電気軌道設立。
1914年5月3日 大門前~首里間が開業。
1915年12月1日 沖縄電気軌道の軌道事業が沖縄電気に譲渡される。
1917年9月11日 通堂~大門前間が開業(全線開業)。
1933年3月16日 通堂~西武門間が休止。
1933年3月20日 西武門~首里間が休止。
1933年8月12日 全線廃止。
駅一覧
通堂(とんどう)‐渡地前(わたんじまえ)‐見世の前(みせのまえ)‐郵便局前(ゆうびんきょくまえ)‐市場(いちば)‐松田矼(まつだばし)‐大門前(うふじょうのまえ)‐久米(くめ)‐西武門(にしんじょう)‐裁判所前(さいばんしょまえ)‐若狭町(わかさまち)‐潟原(かたばる)‐兼久(かねく)‐泊高橋(とまりたかはし)‐泊前道(とまりまえみち)‐崇元寺(そうげんじ)‐女学校前(じょがっこうまえ)‐坂下(さかした)‐観音堂(かんのんどう)‐首里(しゅり)
接続路線
安里:沖縄県営鉄道嘉手納線
車両
すべて木造車体の2軸車で、当時としてはごく標準的な形態の電車であった。
1~10号
1912年梅鉢鉄工所製。沖縄電気軌道が発注した電車で、大門前~首里間の開業時に導入された。
11・12号
1~10号と同じ1912年梅鉢鉄工所製。もともとは京都電気鉄道(後の京都市電)の電車で、1920年に和歌山水力電気が運営する和歌山市内の軌道線(後の南海和歌山軌道線)に移籍。この軌道線の経営が京阪電気鉄道から合同電気に移る直前の1930年に沖縄電気への譲渡が決まり、翌1931年から沖縄での運行を開始した。
松本電気鉄道浅間線 Encyclopedia
浅間線(あさません)
松本電気鉄道が松本駅前から浅間温泉までを結んで、1924年~1964年に運行していた路面電車の松本電気鉄道浅間線のこと。本稿で既述。
現在、同社がそれを引き継ぐ形で運行している路線バスの線名。浅間線と新浅間線(こちらが路面電車系統の継承といえる)がある。松本電気鉄道松本営業所管内参照。
浅間線(あさません)とは、かつて長野県松本市に存在した松本電気鉄道の軌道線(路面電車)である。浅間温泉へのアクセス路線としての役割を担っていたが、1964年に廃止された。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 その他特徴
4 歴史
5 停留所一覧
6 接続路線
7 関連項目
路線データ
路線距離(営業キロ):松本駅前~浅間温泉 5.3km
軌間:1067mm
駅数:12駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流750V - 1958年10月31日まで直流600V)
併用軌道区間:松本駅前~学校前 1.6km(他は専用軌道)
運行形態
所要時間
松本駅前~浅間温泉間 18分(1961年当時)
運転間隔
全区間日中10分間隔、早朝・深夜20分間隔(同上)
その他特徴
戦後になっても鋼製電車が導入されず、最後まで木造電車が活躍した。
歴史
1924年4月19日 筑摩電気鉄道によって全区間開業。
1932年7月 松本駅前乗降場を駅前通から駅により近い松本駅前広場に移転。
1932年12月2日 社名を松本電気鉄道とする。
1958年11月1日 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
1964年4月1日 並行するバスに押されて乗客が減少し、松本駅前通の渋滞解消を目的として廃止。
停留所一覧
松本駅前 - 本町 - 小池町 - 学校前 - 清水 - 横田 - 自動車学校前 - 玄向寺前 - 運動場前 - 下浅間 - 中浅間 - 浅間温泉
接続路線
松本駅:国鉄篠ノ井線・大糸線、松本電気鉄道上高地線
阪急北野線 Encyclopedia
北野線(きたのせん)とは、大阪府大阪市北区の梅田駅から、淀川手前の北野駅までを結んでいた阪急電鉄(当時の社名は、阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄)の軌道線(路面電車)である。北野支線ないしは(大阪)市内線とも呼ばれた。
元々地上を走っていた宝塚本線・神戸本線を高架化した際、残った地上線を北野線として継続営業することにしたものである。そのため全長は0.8kmと、日本一短い路面電車といわれた桑名電軌(全長1.0km)より更に短いものであった。
廃線後、用地は京都本線電車用の複線(名目上は宝塚本線の複々線化)を十三駅~梅田駅間に敷設する際に活用された。
目次
1 路線データ
2 車両
3 沿革
4 停留所一覧
5 接続路線
6 関連項目
路線データ
路線距離:0.8km
軌間:1435mm
駅数:3
複線区間:全線複線
電化区間:全線直流600V電化
所要時間:梅田~北野間、5分
運行間隔:5時30分から23時45分頃まで、4~15分間隔
なお、梅田駅構内で阪急他線とも線路がつながっており、更に大阪市電ともつながっていた。
車両
当初は、大阪市電で使用された車両を譲り受け150形として運行していたが、1933年から箕面線で使用されていた34形(元、南海阪堺線用)を使用するようになった。同車は、当時の路面電車としては珍しく集電装置が菱形パンタグラフ(当時の標準はポールかピューゲル)で、前照灯も電車上部(当時標準は運転窓下)に取り付けられていた。
沿革
1910年3月10日 箕面有馬電気鉄道により、現在の宝塚本線の一部として梅田~北野~宝塚間開業。
1925年7月5日 宝塚本線・神戸本線を複々線化による分離と同時に高架化。同線には中津駅が設けられたため北野駅を廃止し、残った地上線の梅田~北野間を北野線として営業開始。
1949年1月1日 運転休止。
1959年2月18日 北野線の線路用地を使用して宝塚本線を複々線化し、京都本線用の線路とする。
停留所一覧
梅田 - 茶屋町 - 北野
接続路線
路線名称・事業者名は北野線廃止時のもの。
梅田:阪急宝塚本線・神戸本線・阪神本線・大阪市営地下鉄1号線(梅田駅)、運輸省東海道本線・西成線・城東線(大阪駅)、大阪市電(大阪駅前)
北野:阪神北大阪線(1975年廃止)
阪神国道線 Encyclopedia
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71号
74号
国道線(こくどうせん)は、かつて大阪市の野田から神戸市の東神戸までを結んでいた、阪神電気鉄道運営の路面電車。
同じく阪神電気鉄道が運営した甲子園線(こうしえんせん、上甲子園~浜甲子園間、他に浜甲子園~中津浜(なかつのはま)間)と歴史的に連動し、広義では同線も含めて国道線と称したので、甲子園線についてもここで述べる。
目次
1 路線データ
2 概要
2.1 国道線
2.2 甲子園線
2.3 特徴
3 沿革
4 停留所一覧
4.1 国道線
4.2 甲子園線
5 保存車輌
6 関連項目
7 外部リンク
路線データ
路線距離(営業キロ):
国道線:野田~東神戸間 26.0km
甲子園線:上甲子園~浜甲子園間 3.0km、浜甲子園~中津浜間 0.8km
軌間:1435mm
駅数:(起終点駅含む)
国道線:46駅
甲子園線:9駅
複線区間:
国道線:全線複線
甲子園線:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)
概要
国道線
阪神間を結ぶ日本初の都市間高速鉄道(インターバン)として阪神本線を1905年に開業した阪神電鉄は、大正末期の阪神国道(現・国道2号)建設計画に伴い、同道路上を他社の軌道が走ることへの予防措置として、自らの手で国道上に軌道を運営することにした。1925年に子会社の阪神国道電軌を設立、わずか半年の突貫工事で1926年に野田~東神戸間26.0kmを開業。1928年には阪神本社が阪神国道電軌を吸収し、直営の国道線とした。
1950年代に、沿線の人口増加や工業化により最盛期を迎えたが、やがてモータリゼーションの影響を蒙り、表定速度低下と乗客減に悩まされた。結局、1969年、1974年と神戸側の区間廃止を経て、1975年5月、甲子園線及び同じく軌道線だった北大阪線と共に姿を消した。
甲子園線
国道線開通のちょうど1年前(1926年)、阪神が開発した郊外住宅地である甲子園への足として、まず甲子園~浜甲子園が開業。国道線開通、続く国道線直営化を受けて、1928年6月に上甲子園まで延長、国道線と連絡した。続く1930年、浜甲子園から更に海岸部の中津浜まで延長したが、この区間は太平洋戦争末期に休止となり、後に廃止された。
国道線、及び阪神本線の支線としての役割を担い、また戦後に浜甲子園団地が開発され「団地を走る軌道」との個性を見せていたが、1975年5月の国道線全廃と共に廃線となった。国道線との直通は、海水浴シーズンにわずかに行われたのみで普段は無く、基本は上甲子園以南の折返し運転だった。
特徴
国道線は、一本の軌道路線としては日本最長の路線だった。野田~東神戸間で約2時間を要するため、通しで乗る人はまず居らず、阪神本線の補完的路線であった。但し、国道2号が国鉄(東海道本線)寄りを走っていたためか、両端部の野田、西灘と甲子園線甲子園を除いて本線との連絡は良くなかった。
塗色は、現在の阪神赤胴車(クリームと朱色)のそれをややくすませたような、ベージュと小豆色の2色塗りであった。車輌では、側面窓がボディーの半分以上に及ぶ姿から「金魚鉢」と親しまれた71形などが有名。
国道線西端の東神戸では、1935年に延長してきた神戸市電と連絡しており(神戸市電の電停名は脇浜町)、レールもつながっていたが、直通は花電車など、記念列車的なものに限られていた。一方、東端の野田では北大阪線と接続していたが、これも直通は無かった。また大阪市電とは阪神本線を隔てており、繋がっていなかった。
プラットホーム設置は野田(乗車ホームのみ)、甲子園、浜甲子園、および路線短縮後の西灘の3駅のみで、それ以外の駅には安全地帯も無く、路上から直接乗降した。車輌は停車と同時にステップが下りてくる仕掛になっていた。
現在、国道線・甲子園線のルートは、阪神直営の阪神電鉄バスが引き継いで走っている。系統は大阪ローカル線、尼崎神戸線などに分断されている。
沿革
1926年(昭和元年)7月1日 甲子園線 甲子園~浜甲子園間開業。
1927年(昭和2年)7月1日 阪神国道電軌 西野田(後に野田)~神戸東口(後に東神戸)間開業。
1928年(昭和3年)4月1日 阪神国道電軌を合併、国道線とする。
1928年(昭和3年)6月25日 甲子園線 上甲子園~甲子園間開業。
1930年(昭和5年)7月9日 甲子園線 浜甲子園~中津浜間開業。
1945年(昭和20年)1月6日 甲子園線 浜甲子園~中津ノ浜間休止。
1969年(昭和44年)12月14日 国道線の西灘~東神戸間0.6kmを廃止。
1973年(昭和48年)9月26日 甲子園線 浜甲子園~中津浜間廃止。
1974年(昭和49年)3月17日 国道線の上甲子園~西灘間を廃止。
1975年(昭和50年)5月6日 国道線・甲子園線廃止。
停留所一覧
国道線
野田* - 中海老江 - 野里 - 歌島橋 - 御幣橋* - 佃 - 左門殿橋 - 北杭瀬 - 東長州 - 大物北口 - 県立尼崎高等学校前* - 尼崎玉江橋 - 東難波 - 難波 - 西難波 - 浜田車庫前 - 東大島 - 西大島 - 武庫大橋 - 上甲子園 - 瓦木 - 津門 - 北今津 - 西宮駅前 - 西宮札場筋 - 西宮戎 - 西宮西口* - 森具 - 山打出 - 芦屋駅前 - 芦屋川 - 森市場前 - 森 - 小路 - 田中 - 甲南学園前* - 灘高等学校前* - 住吉駅前 - 中御影* - 上石屋 - 徳井 - 八幡 - 六甲口 - 大石川 - 西灘 - 東神戸*
甲子園線
上甲子園 - 甲子園三番町 - 甲子園五番町* - 甲子園 - 阪神パーク前* - 甲子園九番町 - 浜甲子園 - 高砂 - 中津浜
*は、改称を経た駅名。
保存車輌
71形のうち71号と74号が、尼崎市内の公園に静態保存されている。車内は集会場や物置となり、周囲には金網があるものの、簡単ながら屋根もかけられており、保存状態は比較的良い。塗装の塗り直しなども、時折行われている模様である。
71形 71号 水明公園(尼崎市水明町)
71形 74号 蓬川公園(尼崎市崇徳院3丁目)
かつては、甲子園阪神パークにも、1形27号(表記は「1」となっていた)と200形215号が保存されていたが、いずれもパークの閉鎖より前に撤去されている。
関連項目
阪神北大阪線
阪神尼崎海岸線
外部リンク
阪神電鉄の路線について
西鉄大牟田市内線 Encyclopedia
大牟田市内線(おおむたしないせん)は、かつて福岡県大牟田市の市内を走っていた西日本鉄道の軌道路線である。1927年に大牟田電気軌道の路線として開業したが、1952年1月6日に全線が休止となり、のち廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
営業休止直前のもの。
路線距離(営業キロ):4.7km
軌間:1435mm
駅数(起終点駅含む):12駅
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
歴史
1922年 - 大牟田電気軌道設立
1927年12月1日 - 旭町~四ツ山道間開業
1941年3月31日 - 合併により九州鉄道の路線となる。
1942年9月22日 - 西日本鉄道発足により、同社の大牟田市内線となる。
1952年1月6日 - 全線休止
1954年3月15日 - 全線廃止
駅一覧
駅名は営業休止直前のもの
旭町駅 - 栄町駅 - 有明町駅 - 大牟田駅前駅 - 不知火町駅 - 警察署前駅 - 白金町駅 - 諏訪橋駅 - 三川町二丁目駅 - 三川町四丁目駅 - 三川町五丁目駅 - 四ツ山駅
接続路線
路線名は営業当時のもの
大牟田駅:鹿児島本線、西鉄大牟田線
西鉄北九州線 Encyclopedia
北九州線(きたきゅうしゅうせん)は、かつて福岡県北九州市門司区から八幡西区の間を走っていた西日本鉄道の軌道である。2000年に全線が廃止された。
なお、厳密には筑豊電気鉄道線のうち黒崎駅前駅~熊西駅間が北九州線に該当するが、この区間で西日本鉄道は第3種鉄道事業者であり、電車の運行には一切関与していないため、ここでは触れない。
西日本鉄道が同じく北九州市内で運行していた、戸畑線(とばたせん)・枝光線(えだみつせん)・北方線(きたがたせん)・田野浦線(たのうらせん)もここで扱う。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
3.1 備考
路線データ
路線距離(営業キロ):北九州線=29.3km(最大時)、戸畑線=5.5km、枝光線=4.8km、北方線=4.6km
軌間:北方線のみ1067mm、それ以外は1435mm
駅数(起終点駅含む):北九州線=55駅(最大時)、戸畑線=10駅、枝光線=9駅、北方線=12駅、田野浦線=11駅
複線区間:全線複線
電化区間:全線電化(直流600V)
歴史
1906年 - 北方線の一部が馬車鉄道として開通
1908年 - 九州電気軌道(西日本鉄道の前身)設立
1911年6月5日 - 北九州線(東本町~大蔵川間)開通
1912年 - 戸畑線が全線開通
1914年11月26日 - 北九州線が全線開通
1920年 - 小倉電気軌道が、北方線(香春口~北方間)を開通
1923年 - 枝光線(中央区~枝光駅前間)開通、田野浦線が全線開通
1927年 - 北方線が全線開通
1928年 - 枝光線(枝光駅前~牧山間)開通
1929年 - 枝光線が全線開通(全路線開業)
1936年 - 田野浦線廃止
1942年9月22日 - 九州電気軌道・小倉電気軌道などが陸上交通事業調整法により合併し、西日本鉄道発足。母体会社は九州電気軌道(本社・小倉市砂津)だが、小倉地区への戦災を恐れ、本社を福岡市西新に移転。
1953年10月27日 - 北九州線に連接車を導入
1956年3月21日 - 筑豊電気鉄道線開業、北九州線の電車が乗り入れ
1962年12月1日 - 北九州線に3連接車を導入
1970年8月20日 - 北九州線でワンマン運転開始
1980年11月1日 - 北方線廃止
1985年10月20日 - 戸畑線・枝光線・北九州線の一部(門司~砂津間)廃止
1986年6月16日 - 冷房車の導入開始
1992年10月25日 - 北九州線の一部(砂津~黒崎駅前間)廃止
2000年11月26日 - 北九州線廃止
駅一覧(駅名は廃止時点のもの)
北九州線
門司駅 - 東本町駅 - 鎮西橋駅(ちんぜいばし) - 桟橋通駅 - 広石駅 - 風師駅(かざし) - 葛葉駅 - 二タ松町駅(ふたまつちょう) - 片上駅 - 小森江駅 - 市立門司病院前駅 - 大里東口駅(だいりひがしぐち) - 大里駅(だいり) - 門司駅前駅 - 原町駅 - 社ノ木駅(しゃのき) - 新町駅 - 赤坂駅 - 上富野三丁目駅 - 上富野一丁目駅 - 砂津駅 - 米町駅 - 小倉駅前駅 - 魚町駅 - 室町駅 - 大門駅 - 竪町駅(たてまち) - 金田駅(かなだ) - 下到津駅(しもいとうづ) - 歯大前駅 - 到津遊園駅(いとうづゆうえん) - 遊園前バス営業所駅 - 昭和駅 - 七条駅 - 荒生田駅(あろうだ) - 三条駅 - 大蔵駅 - 上本町駅(かみほんまち) - 中央町駅 - 春の町駅 - 尾倉駅 - 八幡駅前駅 - 製鉄西門前駅 - 前田駅 - 桃園駅 - 陣山駅 - 紅梅駅 - 藤田駅 - 黒崎駅前駅 - 黒崎車庫前駅 - 西黒崎駅 - 熊西駅 - 皇后崎駅(こうがさき) - 陣の原駅(じんのはる) - 折尾東口駅 - 折尾駅
戸畑線
大門駅 - 日明駅(ひあがり) - 日明西口駅 - 中井口駅 - 中原駅(なかばる) - 工大前駅 - 三六駅(さんろく) - 幸町駅(さいわいまち) - 元宮町駅 - 戸畑駅(とばた)
枝光線
中央町駅 - 山王駅 - 枝光本町駅 - 枝光駅前駅 - 荒手駅 - 牧山駅 - 沖台通駅 - 浅生駅(あそう) - 幸町駅
北方線
魚町駅 - 旦過橋駅(たんがばし) - 市立小倉病院前駅 - 香春口駅(かわらぐち) - 三萩野駅(みはぎの) - 片野駅 - 城野駅前駅 - 富士見町駅 - 城野駅 - 北方車庫前駅 - 北方一丁目駅 - 北方駅
田野浦線
東本町駅 - 堀川町通駅 - 日ノ出町二丁目駅 - 日ノ出町四丁目駅 - 日ノ出町七丁目駅 - 日ノ出町九丁目駅 - 大久保越駅 - 大久保駅 - 住吉前駅 - 新開駅 - 田野浦駅
備考
門司駅・戸畑駅と、現在のJR門司駅・戸畑駅は大きく離れている。
北九州線・北方線の魚町駅は別個にあり、線路は接続していない。
北九州線・戸畑線の大門駅では、北九州線の折尾方向から戸畑線に進むことはできなかった。(その逆も同じ)
西鉄福岡市内線 Encyclopedia
福岡市内線(ふくおかしないせん)は、かつて福岡県福岡市の市内を走っていた西日本鉄道の軌道路線の総称である。1979年2月11日に全線が廃止された。
貫線(かんせん)・循環線(じゅんかんせん)・城南線(じょうなんせん)・呉服町線(ごふくまちせん)・貝塚線(かいづかせん)・吉塚線(よしづかせん)・築港線(ちっこうせん)の7路線があった。築港線は貨物線で国鉄の貨車を通すため1067mm軌間となっており、築港線と他線が重複する吉塚駅前~築港口間は1067mm軌間と1435mm軌間の3線方式であった。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
3.1 接続していた駅一覧
3.2 備考
4 外部リンク
路線データ(いずれも各路線の廃止時のデータ)
路線距離(営業キロ):貫線=11.9km、循環線=7.0km、城南線=5.0km、呉服町線=0.8km、貝塚線=3.3km、吉塚線=1.2km、築港線=3.0km
軌間:築港線のみ1067mm、それ以外は1435mm(ただし築港線と他線との並行区間は1067mmと1435mmの3線方式)
駅数(起終点駅含む):貫線=32駅、循環線=19駅、城南線=12駅、呉服町線=3駅、貝塚線=8駅、吉塚線=2駅
複線区間:
電化区間:全線電化(直流600V)
歴史
1909年 - 福博電気軌道設立(のち合併や社名変更などにより博多電灯軌道→九州電灯鉄道→関西電気→東邦電力となった)
1910年~1911年 - 福博電気軌道が大学前~今川橋間を開通
1910年 - 博多電気軌道設立(のち合併などにより九州水力電気→博多電気軌道(二代目)となった)
1911年~1914年 - 博多電気軌道、九州水力電気が循環線と築港線を全通させる
1911年 - 博多電気軌道が九州水力電気に合併される
1921年6月5日 - 九州電灯鉄道が九大前~馬出間を開通
1922年 - 九州電灯鉄道、関西電気に合併される(その後すぐ関西電気は東邦電力に社名変更)
1922年7月6日 - 九州水力電気が今川橋~姪の浜間を開通(貫線が全通)
1927年3月26日 - 九州水力電気が渡辺通一丁目~西新町間を開通(城南線が全通)
1929年5月1日 - 九州水力電気が福岡市内の軌道事業を分離し、博多電気軌道(二代目)が発足
1932年3月25日 - 博多電気軌道が地行西町~西新町間を東邦電力に譲渡
1934年11月1日 - 博多電気軌道と東邦電力が軌道事業を譲渡し、新会社「福博電車」を設立、福岡市内の軌道事業を一元化。
1942年9月22日 - 陸上交通事業調整法により福博電車が九州電気軌道ほか3社と合併し、西日本鉄道が発足
1954年 - 2両連接車(1000形)導入
1954年2月1日 - 宮地岳線西鉄博多~貝塚間を1435mm軌間に改築・複線化し、貝塚線として福岡市内線に編入
1959年3月3日 - 築港線の一部(吉塚駅前~三角間)廃止
1961年2月11日 - 築港線(三角~博多築港間)全線休止(廃止は1964年9月1日。実態は築港口~博多築港間のみ軌道撤去、他区間は3線軌道の廃止)
1964年7月1日 - 博多駅移転のため博多駅前→馬場新町と改称し、循環線新線(馬場新町~博多駅前~住吉宮前間)を開通(この時点では旧線も残存)
1964年12月7日 - 循環線旧線(馬場新町~管絃町~住吉宮前間)廃止
1973年1月5日 - 吉塚線廃止
1975年11月2日 - 貫線、城南線、呉服町線廃止
1979年2月11日 - 循環線、貝塚線廃止により、福岡市内線全線廃止
駅一覧(駅名は廃止時点のデータ)
貫線
九大前駅 - 網屋町駅 - 箱崎駅 - 馬出駅(まいだし) - 東車庫前駅 - 大学病院前駅 - 千代町駅 - 蓮池駅 - 呉服町駅 - 土居町駅 - 川端町駅 - 東中洲駅 - 県庁前駅 - 天神駅 - 西鉄グランドホテル前駅 - 大名二丁目駅 - 赤坂門駅 - 平和台駅 - 大手門駅 - 荒戸一丁目駅 - 西公園駅 - 地行駅 - 今川橋駅 - 西新駅 - 防塁前駅 - 藤崎駅 - 早良口駅 - 室見橋駅 - 愛宕下駅 - 竹の山四丁目駅 - 姪の浜駅
循環線
千鳥橋駅 - 千代町駅 - 福高前駅 - 緑橋駅 - 祇園町駅 - 博多駅前駅 - 駅前四丁目駅 - 住吉駅 - 柳橋駅 - 渡辺通一丁目駅 - 渡辺通二丁目駅 - 渡辺通四丁目駅 - 天神駅 - 那の津口駅 - 市民会館前駅 - 対馬小路駅(つましょうじ) - 石城町駅 - 博多築港前駅 - 千鳥橋駅
城南線
渡辺通一丁目駅 - 城東橋駅 - 薬院大通駅 - 南薬院駅 - 動物園入口駅 - 練塀町駅 - 六本松駅 - 草香江駅 - 大濠駅 - 鳥飼駅 - 城西橋駅 - 西新駅
呉服町線
呉服町駅 - 奥の堂駅 - 祇園町駅
貝塚線
千鳥橋駅- 馬出三丁目駅 - 浜松町駅 - 箱崎浜駅 - 網屋立筋駅 - 箱崎松原駅 - 九大中門駅 - 貝塚駅
吉塚線
千代町駅 - 妙見駅 - 吉塚駅前駅
接続していた駅一覧
(呼称はすべて福岡市内線廃止当時の呼称)
博多駅前駅:国鉄博多駅
天神駅:西鉄大牟田線福岡駅
城東橋駅:西鉄大牟田線薬院駅
貝塚駅:西鉄宮地岳線貝塚駅
吉塚駅前駅:国鉄吉塚駅
備考
箱崎駅は、現在のJR箱崎駅と遠く離れた場所にあった。
姪の浜駅は、現在のJR・福岡市交通局姪浜駅と遠く離れた場所にあった。
都電杉並線 Encyclopedia
都電杉並線(とでんすぎなみせん)は、西武鉄道の西武軌道線(せいぶきどうせん)から東京都交通局へ譲り渡され、都電として運営されていたものであり、新宿付近と荻窪付近を結んでいた路線である。
青梅街道上を走っており、同じく青梅街道地下に建設され、1962年開通の地下鉄丸ノ内線(旧・荻窪線)と競合のため、早い時期の1963年廃止。都電では唯一、線路幅が狭軌だった。旧都電杉並車庫の現在は都営バス早稲田自動車営業所杉並支所となっている。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 車両
6 参照
路線データ
軌間 : 1067mm
路線距離 : 7.3km
駅数 : 19駅(最終時)
複線区間 :
電化区間 : 全線
歴史
1921年8月26日:西武軌道により、淀橋町角筈-荻窪村間を開業。
同年10月1日:西武軌道、武蔵水電に合併。
1922年6月1日:武蔵水電、帝国電燈に合併。
同年10月1日:帝国電燈、西武鉄道(旧社)に鉄軌道事業を譲渡。
1935年12月27日:西武鉄道(旧社)、東京乗合自動車(青バス)に新宿軌道線の経営を委託。
1938年4月25日:青バス、東京地下鉄道に吸収合併される。
同社は引き続き西武鉄道(旧社)から新宿軌道線の経営を受託する。
1942年2月1日:東京市が東京地下鉄道から新宿軌道線の運営管理を引き継ぐ。
1943年7月1日:東京都制施行。東京市電気局を東京都交通局に改組。
1951年4月5日:西武鉄道(西武鉄道(旧社)を合併)より正式に同社新宿軌道線を買収。杉並線とする。
1963年12月1日:杉並線 新宿駅前-荻窪駅前間、地下鉄丸ノ内線と競合のため廃止。
駅一覧
最終時点。カッコ内は現在の丸ノ内線の近接駅。
新宿駅前(新宿):角筈(つのはず)とも言った。当初は現在のスタジオアルタ脇にあったが、戦後新宿大ガード手前まで後退。当初の場所から後退部分までの箇所は東京都には譲られず、現在も西武の免許路線として存置。
柏木一丁目
成子坂下(西新宿)
本町通二丁目(中野坂上)
本町通三丁目
鍋屋横丁(新中野)
本町通五丁目
本町通六丁目
高円寺一丁目(東高円寺)
高円寺二丁目
蚕糸試験場前
杉並車庫前(新高円寺)
馬橋一丁目
馬橋二丁目
阿佐ヶ谷
杉並区役所前(南阿佐ヶ谷)
成宗
天沼
荻窪駅前(荻窪):当初は荻窪駅南口にあったが、のち天沼陸橋を越え荻窪駅北口に変更。
接続路線
車両2000形
2500形
参照
西武鉄道
東京都電
茨城交通水浜線 Encyclopedia
水浜線(すいひんせん)は、かつて茨城県の水戸市と那珂湊市(現在のひたちなか市)を結んでいた、茨城交通の路面電車である。1966年に全線が廃止された。
併用軌道と専用軌道が混在していて、水戸駅前と上水戸が接続駅となっていた。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ
路線距離:20.5km
軌間:1,067mm
駅数:36駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
歴史
1920年4月27日 水戸海浜電気軌道、大工町-磯浜間の軌道免許申請、同年8月30日免許取得。
1921年8月14日 水戸海浜電車設立。本社は水戸市柵町。
1922年12月28日 浜田-磯浜間が開通。
1923年7月1日 浜田-根積町が開通。
1923年11月5日 根積町-東柵町間が開通。
1924年7月22日 東柵町-郵便局前間が開通。
1925年2月26日 郵便局前-大工町間が開通。
1926年12月14日 磯浜-祝町間が開通。
1927年2月3日 祝町-海門橋が開通。
1927年5月27日 大工町-上水戸間が開通。
1928年7月10日 上水戸-袴塚間が開通。
1930年11月22日 海門橋-湊間が開通。
1938年 水害で海門橋(駅ではなく、祝町-湊間の那珂川にかかる同名の橋)流出により、祝町-湊間が休止(そのまま廃止)。
1944年 谷中光台寺-上水戸間が開通(光台寺裏-袴塚間が廃止)。
1944年8月1日 県内交通統合で、水浜電車、茨城鉄道、湊鉄道などが合併し、茨城交通発足。
1944年8月2日 水戸空襲。8月5日浜田-磯浜間が運転再開。(10月1日までに全線復旧)
1945年 大洗-海門橋間で軌道撤去。
1952年2月1日 上水戸-大洗間で直通運転開始。
1954年 茨城線に乗り入れ運転認可。
1956年1月20日 茨城線、上水戸-大学前に乗り入れ開始。
1962年 バス交通への転換を表明。
1965年6月11日 上水戸-水戸駅前間で営業廃止。
1966年6月1日 全線で営業廃止。
現在は、[50]茨大前~栄町~水戸駅~三高下~大洗~那珂湊が、ほぼ同じルートを走る路線バスである。
駅一覧
上水戸-谷中-馬口労町入口-砂久保-公園口-大工町-泉町三丁目-泉町広小路-南町三丁目-郵便局前-水戸駅前-本社前-三高下-一高下-東柵町-本一丁目-本三丁目-本五丁目-浜田-谷田-六反田-栗崎-東前-大串-塩ヶ崎-平戸-磯浜-大貫-曲松-仲町-東光台-大洗-祝町-願入寺入口-海門橋-湊
接続路線
上水戸:茨城交通茨城線
水戸駅前:常磐線
静岡鉄道清水市内線 Encyclopedia
清水市内線(しみずしないせん)は、かつて静岡県清水市(市町村合併により、現在は静岡市清水区)内の港橋と横砂を結んでいた静岡鉄道の路面電車。
もともとは静岡清水線の一部として、1928年に港橋-江尻新道(現在の新清水)間が開業。翌1929年江尻新道-横砂間が開業するが、路線は東海道本線の線路で分断され、踏切による連絡を余儀なくされていた。1933年に東海道本線を跨ぐ跨線橋が完成して全通。かつては港橋より江尻新道から静岡清水線経由で鷹匠町(現在の新静岡)を経て静岡市内線まで直通運転されていて、静鉄成立後も三線を総じて「静岡線」と称していた。1975年廃止。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 その他
6 関連項目
路線データ
※1974年の一部区間休止前時点のもの。
路線距離:4.6km
軌間:1067mm
複線区間:港橋-西久保間(併用軌道)
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1928年(昭和3年)12月25日 静岡電気鉄道の手により江尻新道-港橋間開業。
1929年(昭和4年)4月1日 港橋-安西間直通運行開始。
1929年(昭和4年)7月24日 江尻新道-横砂間開業。
1933年(昭和8年)3月29日 江尻跨線橋架設に伴い全通。
1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道となる。
1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離される。
1951年(昭和26年)7月21日 西久保-袖師間、専用軌道に移設。
1974年(昭和49年)7月7日 七夕豪雨による被災に伴い、西久保-横砂間休止。
1975年(昭和50年)3月22日 休止区間も含め、全線廃止。
駅一覧
港橋駅 - 万世町駅 - 市役所前駅 - 新清水駅 - 仲浜町駅 - 清水駅前駅 - 辻町駅 - 秋葉道駅 - 西久保駅 - 愛染町駅 - 嶺駅 - 鈴木島駅 - 袖師駅 - 横砂駅
接続路線
清水駅前駅:国鉄東海道本線(清水駅)
新清水駅:静岡鉄道静岡清水線
その他
単線区間である西久保-横砂間は専用軌道であり、東海道本線と併走していた。途中にあった庵原川橋梁の被災が同線の寿命に止めを刺した。
車庫は横砂駅構内にあったが、何故か殆どの車両は静岡清水線の新清水駅の2番線と3番線(留置線。現存せず)に留置されていた。
静岡鉄道秋葉線 Encyclopedia
秋葉線(あきはせん)は、静岡県袋井市の国鉄袋井駅前から周智郡森町の遠州森町までを結んでいた静岡鉄道(静鉄)の軌道線(路面電車)。森町出身といわれる「森の石松」に因み「石松電車」の名でも親しまれた。
目次
1 路線データ
2 運行概況
3 停留所
4 接続路線
5 歴史
6 関連項目
路線データ
※特記なければ1962年9月の廃止時点のもの
路線距離(営業キロ):12.1km
軌間:1067mm(当初762mm)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
運行概況
所要時間:袋井駅前(後、新袋井)~遠州森町間43分、可睡口~可睡間3分(1940年3月改正時)
運行間隔:全区間ほぼ毎時1・2本(1940年3月改正時)
停留所※廃止時点のもの
新袋井 - 袋井町 - 永楽町 - 一軒家 - 可睡口 - 平宇 - 山科学校前 - 下山梨 - 山梨 - 市場 - 天王 - 飯田 - 観音寺 - 福田地 - 戸綿口 - 森川橋 - 遠州森町
また、1945年1月に休止された可睡支線(1.1km)の停留所は以下の通り。
可睡口 - 可睡
接続路線
新袋井:国鉄東海道本線・静岡鉄道駿遠線(袋井駅)
歴史
1902年(明治35年)12月28日 秋葉馬車鉄道により、笠西村(後、袋井駅前→新袋井)~遠州森町間が軌間762mmの馬車鉄道線として開業。
1911年(明治44年)12月28日 可睡支線開通。
1924年(大正13年)3月13日 秋葉馬車鉄道から組織変更していた秋葉鉄道は、駿遠電気と合併して静岡電気鉄道となる。
1925年(大正14年) 新袋井~可睡間を、軌間1067mmの電気鉄道へ改める。
1926年(大正15年)12月25日 全線の改軌と電化完成。
1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道は陸上交通事業調整法に基づく戦時統合で、静岡鉄道となる。
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震により、全線が大きな被害を受ける。
1945年(昭和20年)1月31日 可睡支線、可睡口~可睡間を休止(後廃止)。
1962年(昭和37年)9月20日 全線をバスに転換して廃止。
静岡鉄道静岡市内線 Encyclopedia
静岡市内線(しずおかしないせん)は、かつて静岡県静岡市葵区内の静岡駅前と安西を結んでいた静岡鉄道の路面電車。
もともとは静岡清水線の一部として、1922年に静岡駅前-鷹匠町(現在の新静岡)間が開業。その後、順次延伸し、1929年には静岡駅前・安西間が全通した。かつては安西から鷹匠町より静岡清水線経由で清水相生町(現在の新清水)を経て清水市内線の港橋までの系統と静岡駅前-鷹匠町間の系統で運行されており、静鉄成立後も三線を総じて「静岡線」と称していた。1962年廃止。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 関連項目
路線データ
※路線廃止時点のもの。
路線距離:2.0km
軌間:1067mm
電化区間:全線(直流600V)
歴史
1922年(大正11年)6月28日 東海道線静岡駅と鷹匠町駅間の連絡のため、静岡電気鉄道の手により開通。
1925年(大正14年)8月5日 鷹匠町-中町間開業。
1926年(昭和元年)12月29日 呉服町-安西間開業。
1929年(昭和4年)4月1日 中町-呉服町間開通で全通。
1943年(昭和18年)5月15日 静岡電気鉄道、藤相鉄道、中遠鉄道などが戦時統合して静岡鉄道となる。
1945年(昭和20年)12月1日 静岡清水線が地方鉄道法による鉄道に変更され、法規上分離される。
1946年(昭和21年)3月21日 呉服町-安西間休止。
1946年(昭和21年)12月27日 静岡駅前-呉服町間の運行となり、静岡清水線と完全分離。
1949年(昭和24年)7月10日 呉服町-安西間再開。
1962年(昭和37年)9月15日 全線廃止。
駅一覧
静岡駅前駅 - 新静岡駅 - 県庁前駅 - 中町駅 - 呉服町駅 - 金座町駅 - 茶町駅 - 安西駅
接続路線
静岡駅前駅:国鉄東海道本線(静岡駅)
新静岡駅:静岡鉄道静岡清水線
勝田線 Encyclopedia
勝田線(かつたせん)とは、福岡県福岡市博多区の吉塚駅と同県糟屋郡宇美町の筑前勝田駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法施行にともない第1次特定地方交通線に指定され、1985年に全線が廃止された。
沿線は、福岡市近郊の住宅地が途切れることなく続いており、博多駅に直結しているなど好条件が揃っていた。しかし、国鉄はこの路線の利便性向上に取り組まなかったため、並行する路線バス(西鉄バス)などに乗客を奪われ、成績は振わなかった。そのため、国鉄のローカル線に対する無為無策ぶりを示す実例としてしばしば引用される。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 通過市町村
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 線路跡の現況
路線データ(廃止時)
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):吉塚~筑前勝田 13.8km(吉塚駅構内の1.5kmで篠栗線と線路を共用)
軌間:1067mm
駅数:7駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
通過市町村福岡市、粕屋町、志免町、宇美町(ただし粕屋町内に駅はなかった)
歴史
沿線から産出する石炭の輸送と宇美八幡宮参詣客の輸送のため、筑前参宮鉄道(ちくぜんさんぐうてつどう)が敷設した鉄道路線で、1918年に末端部が貨物線として開業、翌年に全線が開業し旅客営業を開始した。1942年には、陸上交通事業調整法により九州電気鉄道(現在の西日本鉄道)に合併され同社の宇美線(うみせん)となったが、1944年に戦時買収により同社の糟屋線(香椎線)とともに国有化され、勝田線となった。宇美駅は、香椎線・勝田線がそれぞれ別の駅施設を有していたが、これは両線がもともと別の私鉄として建設された経緯による。
沿線の糟屋炭田から産出する石炭の輸送で賑わったが、同炭田が閉山すると衰退していった。その後、沿線は福岡市のベッドタウンとして人口が増加していったにもかかわらず、国鉄は1日6往復(休日は7往復)という不便なダイヤを放置した。国鉄は合理化のために本数の減便を行っており、利便向上のための増発という発想は最末期まで無かった。このような国鉄の無策ぶりも手伝って、勝田線の輸送量が回復することはなかった。
余談であるが、博多~吉塚~志免~酒殿~香椎~博多間でデルタ線を形成しており、客車時代の特急列車の方向転換にも使用された。
1918年9月19日 【開業】筑前参宮鉄道(貨物線) 宇美~筑前勝田(2.8km) 【駅開業】(貨)宇美、(貨)筑前勝田
1919年5月20日 【延伸開業・全通】吉塚~新宇美(10.6km) 【旅客営業開始】新宇美~筑前勝田(2.8km) 【駅新設】上亀山、新志免 【駅名改称】宇美→新宇美
1919年10月12日 【駅新設】南里(停留場)、下宇美(停留場)
1919年12月1日 【駅名改称】新宇美→上宇美
1925年10月15日 【改キロ】吉塚~上亀山(+0.4km)
1932年12月25日 【駅新設】田富(停留場)、大谷(停留場)
1936年~1937年頃 【駅名改称】下宇美→宇美八幡
1941年4月?日 【駅新設】御手洗
1942年9月19日 【合併】九州電気鉄道宇美線 【駅名改称】新志免→志免(博多湾鉄道汽船(糟屋線)志免駅を併合)、上宇美→宇美(香椎線宇美駅に併合) 【駅→信号場・改称】宇美八幡→下宇美
1942年9月21日 【社名改称】西日本鉄道宇美線
1944年5月1日 【買収・国有化】勝田線 吉塚~筑前勝田 【駅廃止】南里、田富、大谷 【駅名改称】上宇美→宇美(香椎線宇美駅に併合)
1950年1月10日 【信号場→駅】下宇美
1965年10月1日 【貨物営業廃止】宇美~筑前勝田(-2.8km)
1981年7月30日 【貨物営業廃止】志免~宇美(-3.7km)
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1985年1月1日 【貨物営業廃止】吉塚~志免(-7.3km)
1985年4月1日 【廃止】全線(-13.8km)。バス転換
駅一覧
吉塚駅 - 御手洗駅 - 上亀山駅 - 志免駅 - 下宇美駅 - 宇美駅 - 筑前勝田駅
接続路線
吉塚駅 : 鹿児島本線、篠栗線
志免駅 : 香椎線(貨物支線)
宇美駅 : 香椎線
線路跡の現況
篠栗線と並行していた区間は現在でも路盤がそのまま残っている。一部は保線機械留置用の線路に転用された。また篠栗線と分岐する位置には柚須駅が新設された。
志免・宇美両町内の区間は、大半が遊歩道となっている。志免駅はホームや線路が保存され、鉄道公園として整備された。
唐津線 Encyclopedia
唐津線(からつせん)は、佐賀県佐賀郡久保田町の久保田駅から佐賀県唐津市の西唐津駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。
筑紫平野から笹原峠を越え、厳木川・松浦川に沿って走っている地域輸送路線。唐津炭田などから採掘された石炭を唐津港へ運ぶために建設された。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 使用車両
3.1 唐津線全線
3.2 電化区間(唐津-西唐津間)
4 歴史
5 駅一覧
5.1 営業中の区間
5.2 廃止区間
6 接続路線
7 関連項目
路線データ
管轄(事業種別):九州旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):42.5km
軌間:1067mm
駅数:13駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:久保田~唐津間非電化、唐津~西唐津間電化(直流1500V)
運行形態
佐賀~唐津・西唐津間に運転されている列車は全て普通列車で、ワンマン運転を実施している。山本~唐津・西唐津間には筑肥線の伊万里方面の列車、西唐津~唐津間には筑肥線の博多方面の列車が乗り入れている。
使用車両
唐津線全線
キハ40・キハ47
キハ125
電化区間(唐津-西唐津間)
103系1500番台
303系
歴史
唐津炭田などから産出される石炭を唐津港に輸送するために唐津興業鉄道(1900年、唐津鉄道に改称)により建設された鉄道で、長崎本線と接続する久保田側からではなく、唐津側から順次延伸されている。全通は、九州鉄道に合併された後の1903年である。1907年に鉄道国有法により九州鉄道が買収・国有化され、官設鉄道となった。久保田~西唐津間の本線の他に多くの貨物支線を有したが、すでにすべてが廃止されている。そのうちの山本~岸嶽間(岸嶽支線)は、赤字83線廃止の取組みにより廃止されたものである。
筑肥線の博多方面との接続駅は筑肥線の前身である北九州鉄道が延伸された1929年以来、山本駅であったが、筑肥線の経路が1983年に変更され唐津駅接続となり、筑肥線の姪浜~唐津間とともに唐津線の唐津~西唐津間も直流電化され福岡市地下鉄空港線との直通運転が開始された。
1898年12月1日 【開業】唐津興業鉄道 山本~妙見~大島 【駅新設】山本、唐津、妙見、(貨)大島
1899年6月13日 【延伸開業】厳木~山本 【駅新設】相知、本山、厳木、鬼塚
1899年12月25日 【延伸開業】莇原~厳木 【駅新設】厳木
1900年4月?日 【社名変更】唐津興業鉄道→唐津鉄道
1902年2月23日 【合併】唐津鉄道→九州鉄道
1903年4月18日 【貨物支線開業】 莇原~柚ノ木原 【駅新設】(貨)柚ノ木原
1903年11月1日 【駅名改称】本山→岩屋
1903年12月14日 【延伸開業・全通】久保田~莇原 【駅新設】小城、別府
1905年10月11日 【駅名改称】妙見→西唐津
1905年10月22日 【貨物支線開業】 相知貨物支線分岐点~相知 【駅新設】(貨)相知 ※本線の相知とは別駅
1907年7月1日 【買収・国有化】九州鉄道→官設鉄道
1909年1月1日 【貨物支線開業】山本~鹿ノ口 【駅新設】(貨)鹿ノ口 【駅名改称】(貨)相知→相知炭坑
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称制定】唐津線 久保田~西唐津及び貨物支線(莇原~柚ノ木原、相知炭坑分岐点~相知炭坑、山本~鹿ノ口、西唐津~大島)
1911年6月1日 【駅名改称】別府→東多久
1912年1月17日 【貨物支線開業】山本~岸嶽 【駅新設】(貨)牟田部、(貨)岸嶽
1912年1月26日 【貨物支線廃止】山本~鹿ノ口 【駅廃止】(貨)鹿ノ口
1912年9月21日 【旅客営業開始】山本~岸嶽 【貨物駅→一般駅】牟田部、岸嶽
1930年4月1日 【貨物支線起点変更】中相知信号場→山本(+5.4km)
1934年4月1日 【駅名改称】莇原→多久
1960年2月1日 【駅新設】本牟田部
1964年4月1日 【駅新設】中多久
1967年12月1日 【貨物支線廃止】 多久~柚ノ木原(-1.4km) 【駅廃止】(貨)柚ノ木原
1971年8月20日 【支線廃止】山本~岸嶽(-4.1km) 【駅廃止】牟田部、岸嶽
1978年10月1日 【貨物支線廃止】 山本~相知炭坑(-6.1km) ※実際は中相知信号場~相知炭坑間(0.7km)の廃止 【駅廃止】(貨)相知炭坑
1982年11月15日 【貨物支線廃止】 西唐津~大島 【駅廃止】(貨)大島
1983年3月22日 【電化】唐津~西唐津(直流1500V)
1986年11月1日 【貨物営業廃止】久保田~西唐津(-42.5km)
1987年4月1日 【承継】九州旅客鉄道
駅一覧
営業中の区間
久保田駅 - 小城駅 - 東多久駅 - 中多久駅 - 多久駅 - 厳木駅 - 岩屋駅 - 相知駅 - 本牟田部駅 - 山本駅 - 鬼塚駅 - 唐津駅 - 西唐津駅
廃止区間
多久駅 - (貨)柚ノ木原駅
山本駅 - (貨)相知炭坑駅
山本駅 - 牟田部駅 - 岸嶽駅
西唐津駅 - (貨)大島駅
接続路線
久保田駅:長崎本線
山本駅:筑肥線(伊万里方面)
唐津駅:筑肥線(姪浜方面)
安濃鉄道 Encyclopedia
安濃鉄道(あのうてつどう)とは、かつて三重県の津市から芸濃町までの間を運行していた鉄道路線を運営していた会社である。他の鉄道路線とは接続していない孤立路線であった。
安濃川に沿って阿漕と関間、また途中の安東で交差して一身田と片田方面を結ぶ計画だったが、中間部分の新町~林間、安東~片田間しか建設されなかった。1920年代半ばに末端部の椋本~林間、支線の安東~片田間が廃止され、太平洋戦争に入り資材供出のため1944年に不要不急線として残る新町~椋本間が休止となった。戦後も会社は存続し、運行再開を目指し何度か休止延長願を運輸省に提出していたが資金調達が出来ず、1972年に正式に廃止された。
路線データ
路線距離:
本線:14.5km(新町~林)
片田支線:5.1km(安東~片田)
停車場数:16
軌間:762mm
電化区間:なし(全線非電化)
複線区間:なし(全線単線)
沿革
1913年(大正2年)7月30日 安濃鉄道設立。
1914年(大正3年)12月29日 新町~椋本間開業。
1915年(大正4年)1月15日 椋本~林間開業。
1915年(大正4年)11月1日 鹿毛駅、内多駅開業。
1917年(大正6年)4月15日 安東~片田間開業。
1924年(大正13年) 納所駅開業。
1925年(大正14年)11月7日 椋本~林間、安東~片田間休止。
1927年(昭和2年)4月6日 安東~片田間廃止。
1928年(昭和3年)7月1日 蒸気機関車の他に、ガソリン気動車導入。
1936年(昭和11年)4月1日 岡本駅、椋本口駅開業。
1940年(昭和15年)4月25日 萩野駅開業。
1941年(昭和16年)10月31日 椋本~林間廃止。
1944年(昭和19年)1月11日 全線を不要不急線として休止。
1972年(昭和47年)8月31日 全線廃止。
駅一覧
本線
新町駅 - 納所駅 - 安東駅 - 鹿毛駅 - 曽根駅 - 内田駅 - 安濃駅 - 荒木駅 - 岡本駅 - 萩野駅 - 安西駅 - 椋本口駅 - 椋本駅 - 林駅
片田支線
安東駅 - 跡部駅 - 分部駅 - 産品駅 - 志袋駅(貨物) - 志袋駅 - 片田駅
宇品線 Encyclopedia
宇品線
広島電鉄宇品線
かつて、広島駅~宇品駅間を結んでいた旧国鉄宇品線。本稿で述べる。
宇品線(うじなせん)は、広島県広島市の広島駅から南下し宇品駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。
目次
1 路線データ
2 概要
3 運行形態
4 使用車両
5 歴史
6 駅一覧
7 接続路線
8 備考
9 廃線跡現況
路線データ
路線距離(営業キロ):広島~宇品間5.9km
軌間:1067mm
駅数:7駅(起終点駅含む。1966年旅客営業廃止時点)
複線区間:なし(全線単線、交換駅:下大河)
電化区間:なし(全線非電化)
概要
当初は日清戦争の人員・物資輸送のための軍事専用線として建設された。開戦の1894年(明治27年)年には山陽鉄道(現山陽本線)が広島駅まで開業したため、この広島駅と宇品港(現広島港)とを連絡するために 陸軍省の委託により山陽鉄道が軍用線を建設した。同年8月4日着工、8月20日完成。
以後、宇品港から日清戦争、日露戦争、太平洋戦争に出征・復員する兵士や物資の輸送を担った。1897年(明治30年)には山陽鉄道が陸軍省から借入れて一般旅客営業を開始、1906年(明治39年)に鉄道国有法(同年施行)に基づき国有化。
戦後は沿線の学校、大学病院、県庁仮庁舎、工場などへの通勤・通学および貨物輸送を行っていた。しかし同様に広島駅~広島港を結ぶ広島電鉄皆実線・宇品線(路面電車)やバス路線の利便性との差が大きくなり客足が減少、全国一の赤字路線に陥り、定期券客を除いて旅客営業は1966年(昭和41年)限りで廃止。その定期旅客扱および貨物扱も1972年(昭和47年)に廃止され、国鉄線としては使命を終える。
その後も宇品四者協定線として広島県経済連など通運業者が、広島駅東側に位置する東広島貨物駅(現在の広島貨物ターミナル駅)~宇品間の専用側線扱いとして使用していたが、1986年に廃線となった。
宇品四社協定線時代の上り貨物列車(宇品~丹那間、1986.7)
猿猴川の橋梁(南段原~大須口間)を渡る上り貨物列車(1986.8)
宇品駅(ホーム中ほどから西望、ホーム上は旧糧秣支廠倉庫)(1986.9)
宇品駅(長さ560mのプラットホーム東端から西望)(1986.9)
運行形態
旅客列車運行本数(平日)
1953年6月:広島~宇品 23本
1964年10月ダイヤ改正:広島~宇品 14往復(うち下り3本は呉線から、上り1本は徳山行き、計4往復が客車列車)・ 広島~下大河 平日のみ2往復
1966~1972年(上大河~宇品廃止後、国鉄宇品線全線廃止まで):広島~上大河 平日4往復、休日2往復(原則として定期旅客のみの扱いとなり、時刻表から消える)。
貨物列車は1日1往復で、広島発5時→宇品着5時25分・宇品発5時44分→広島着6時10分。宇品駅には「広島駅宇品貨物取扱所」を設置。
宇品四者協定線(国鉄宇品線廃止後、1986年の廃線までの貨物専用線)時代:東広島(貨物駅)~宇品 貨物列車早朝1往復
使用車両<写真などから判別>
?年ごろ:キハ10系、キハ20系
1963年8月のある日:朝夕のラッシュ時のみ客車列車 D51 514+2ドアロングシート客車、日中はキハ04単行。
1966年8月のある日:D51 798
1969年11月のある日:C11 330
1966~1972年(定期旅客輸送のみの時代--広島~上大河):上大河では機回しができないため、客車列車は前後に蒸気機関車を連結
1972~1986年(貨物線--宇品四者協定線時代):DE10が牽引する貨物列車。貨車はワム8000、タキ24700(日清製粉)、タム5000(味の素)など。
歴史
1894年(明治27年)8月20日 陸軍省の委託で山陽鉄道が広島~宇品間に軍用線敷設。広島駅 (同年6月10日開業)と宇品港(現広島港)との間を連絡し、日清戦争への出征兵士・物資輸送にあたった。
1897年(明治30年)5月1日 山陽鉄道が陸軍省から広島~宇品間を借入れて一般営業開始。
1906年(明治39年)12月1日 鉄道国有法に基づく山陽鉄道の国有化とともに広島~宇品間も陸軍省から鉄道院に移管。
1909年(明治42年)10月12日 線路名称制定。広島~宇品間を宇品線とする。
1915年(大正4年) 第一次世界大戦で中国青島侵攻のために再び軍事専用線となる。
1919年(大正8年)8月1日 広島~宇品間の旅客営業廃止。山陽本線貨物支線となる。
1930年(昭和5年)12月20日 芸備鉄道が鉄道省から借り受けて広島~宇品間で荷物営業、広島~丹那間で宇品線の旅客営業を再開。貨物営業は省営で継続。
1937年(昭和12年)7月1日 芸備鉄道を鉄道省が買収、宇品線として広島~宇品間で旅客営業開始。
1945年(昭和20年)8月6日 広島に原爆投下。宇品へ負傷者の輸送を行う。
1966年(昭和41年)12月20日 平面交差する国道2号線(当時バイパス)工事に伴い、国道以南の上大河~宇品間3.5kmが廃止、同区間は宇品積卸線として専用側線扱いとなる。上大河付近への通学者の利便を図るために旅客営業が広島~上大河間2.4kmに残されたが、乗車は原則として定期券所持者のみに限定。ただ実際としては、車内で補充券を購入する事によってそれ以外の人も利用できた。
1968年(昭和43年)9月 国鉄赤字83線に宇品線(広島~上大河間2.4km)が指定される。1970年度の営業収支係数が4,049と国鉄全線中最悪に。
1972年(昭和47年)3月7日 国鉄宇品線の廃止を申請。
1972年(昭和47年)4月1日 広島~上大河間2.4kmが廃止となり「国鉄宇品線」としての使命を終える。その後宇品までの全線は東広島貨物駅(現広島貨物ターミナル駅)を基点とする「宇品四者協定線」として専用側線扱いに。以降東広島~宇品間で午前5時台に1往復の貨物列車が運行される。
1986年(昭和61年)10月1日 宇品四者協定線廃止、宇品線は廃線となる。
駅一覧
km 駅名 (読み)(変遷)
0.0 広島駅(ひろしま)
0.4 安芸愛宕駅(あきあたご)(1931.3.20愛宕町~1937.7.1安芸愛宕~1943.10.1休止)
1.2 大須口駅(おおずぐち)(1931.3.20~1966.12.19)
1.2 大須口信号場(1966.12.20~1972.4.1廃止)
1.4 東段原駅(ひがしだんばら)(1930.12.20~1943.10.1休止)
1.8 南段原駅(みなみだんばら)(1931.3.20女子商業前~1937.7.1南段原~1972.4.1廃止)
2.4 比治山駅(ひじやま)(1932.9.25兵器支廠前(へいきししょうまえ)~1937.7.1比治山~1943.10.1休止)
2.7 上大河駅(かみおおこう)(1930.12.20被服支廠前(ひふくししょうまえ)~1937.7.1上大河~1972.4.1廃止)
? (旧)比治山駅(1903.1.20~1919.8.1)
? 大河地蔵前駅(おおこうじぞうまえ)(1931.3.20~1931.11.29)
3.3 下大河駅(しもおおこう)(1931.11.25大河~1937.7.1下大河~1966.12.20廃止)
3.8 丹那駅(たんな)(1930.12.20~1966.12.20廃止)
4.1 (旧)丹那駅(1904.6.12~1919.8.1)
4.7 下丹那駅(しもなんな)(1934.12.1人絹裏(じんけんうら)~1937.7.1下丹那~1943.10.1休止)
5.9 宇品駅(うじな)(1897.5.1~1966.12.20廃止)
※強調した駅は旅客営業廃止時点(1966年)に営業していた駅。
※廃止・休止日はその駅の最終営業日の翌日。
接続路線
広島駅:山陽新幹線・山陽本線・芸備線、広島電鉄本線
※旅客営業を行っていた当時(~1972年)山陽新幹線は岡山までの開業だった。(岡山~博多間は1975年3月10日開業)
※広島駅~大須口駅~広島駅東側の貨物ヤード(後年の東広島貨物駅)は三角線となっており、国鉄線として廃止され広島駅0番ホームからの線路が撤去された1972年以降は、東広島貨物駅が宇品線(宇品四者協定線)の基点となった。
備考
宇品線の建設期間は着工日・完成日からすると16日間の突貫工事となるが、実際には以前より建設準備がされていたという説もある。
宇品駅ホームの長さは560mあり、建設当初日本一であった。ホーム上には陸軍糧秣支廠のレンガ倉庫があり、1986年の廃線まで通運業者の倉庫として使用されていた。
貨物営業のみとなった1972年以降は、途中2箇所の踏切(上大河駅南の国道2号線、旧丹那駅付近)を越える際には列車の方が一旦停止し、車道を赤信号にして通過していた。
廃線跡現況<2004年11月現在>
大須口駅付近~上大河駅付近:多くの区間が道路として整備。南段原駅跡など宇品線のモニュメントが作られている箇所がある。
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南段原駅跡 2005年6月撮影
上大河駅南側付近(国道2号線交差点)~丹那駅付近(広島南警察署前交差点):道路として整備。
丹那駅付近~宇品駅進入手前(広島高速道路の高架まで):レールは撤去されたが未利用のまま。一部区間には近隣の住民が植えたタチアオイが咲く。
宇品駅部分: 広島高速道路3号線宇品出入口(および高速道路本線用地)となっている。高速道路の工事進展に伴い、宇品線の遺構は糧秣支廠レンガ倉庫も含め1999年~2004年5月までにすべて取り壊された。跡地には糧秣支廠の壁の一部が保存され、記念碑が設置されている。(2004年11月現在ではフェンスに囲まれて近づけない。)
のと鉄道七尾線 Encyclopedia
七尾線(ななおせん)は、石川県七尾市の七尾駅と石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅を結ぶのと鉄道が運営する鉄道路線である。
本路線は、JR七尾線が1991年に和倉温泉まで電化された際に、非電化のまま残る末端区間の経営をのと鉄道が引き受けたもので、線路等の施設は西日本旅客鉄道(JR西日本)がそのまま所有し、七尾~和倉温泉間 (5.1km) は西日本旅客鉄道との共用区間となっている。
当初、七尾~輪島間が移管されたが、2001年に乗客減少の著しい穴水~輪島間が廃止された。その後も、列車本数の削減等、経営の合理化が進められている。
目次
1 路線データ
2 運転
3 歴史
4 接続路線
4.1 過去の接続路線
5 駅一覧
5.1 現存区間
5.2 廃止区間
6 その他
7 関連項目
路線データ
管轄・路線距離(営業キロ):全長33.1km
のと鉄道(第二種鉄道事業者)・西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
七尾~和倉温泉間 5.1km
のと鉄道(第二種鉄道事業者)・西日本旅客鉄道(第三種鉄道事業者):
和倉温泉間~穴水間 28.0km
軌間:1067mm
駅数:8駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:七尾~和倉温泉間(直流1500V)
閉塞方式:特殊自動閉塞式
運転かつては、金沢から直通の急行「能登路」や、自社のパノラマ気動車を使用した急行「のと恋路号」が運転されていたが、輪島方面の急行は穴水~輪島間廃止に先立って2001年3月3日のダイヤ改正で廃止された。
なお、穴水~輪島間廃止後も珠洲方面の急行は残ったが、「能登路」は1年後の2002年3月23日のダイヤ改正で、「のと恋路号」はさらにその半年後の2002年10月に廃止された。なお、2004年夏には能登線廃止を惜しみ金沢~珠洲間で急行「リバイバル能登路号」が運転された。
歴史
1991年9月1日 七尾~輪島間 (53.5km) 開業(第二種鉄道事業。西日本旅客鉄道から移管)
2001年4月1日 穴水~輪島間 (20.4km) 第二種鉄道事業廃止。同時に西日本旅客鉄道の第三種鉄道事業廃止
移管以前については、七尾線を参照。
接続路線
七尾駅:JR七尾線(普通列車)
和倉温泉駅:JR七尾線(特急列車)
過去の接続路線
穴水駅:のと鉄道能登線 - 2005年4月1日廃止。
駅一覧
現存区間
七尾駅 - 和倉温泉駅 - 田鶴浜駅 - 笠師保駅 - 能登中島駅 - 西岸駅 - 能登鹿島駅 - 穴水駅
廃止区間
(穴水駅) - 能登三井駅 - 能登市ノ瀬駅 - 輪島駅
この区間は通称輪島線と呼ばれていた。
その他
廃止区間は能登中央バスが代替バスを運行している。
定山渓鉄道 Encyclopedia
定山渓鉄道(じょうざんけいてつどう)は、定山渓鉄道株式会社(現、株式会社じょうてつ)が経営していた、鉄道路線。当初は北海道札幌市(石狩支庁管内)で函館本線白石駅から分岐し、同じく札幌市内の定山渓駅を結んでいたが、1969年に廃止された。東急グループ。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 運行系統
4 駅一覧
4.1 廃線直前の駅、停留所
4.2 接続路線
5 廃止後の状況
5.1 駅の位置
5.2 その他、間接的な駅舎存在の痕跡
5.3 路線保存状態
5.3.1 比較的明瞭に残存している区間
5.3.2 路線痕跡のほとんど残っていない区間
5.3.3 痕跡が消失しつつある区間、辿るのが困難な区間
6 札幌急行鉄道
7 参考文献・外部リンク
路線データ
※営業区間以外は廃止時のデータ
路線距離(営業キロ):白石~東札幌~定山渓 29.9km
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:東札幌~定山渓間電化(直流1500V)
閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:7(東札幌、豊平、真駒内、石切山、藤の沢、簾舞、滝の沢)
歴史
1913年に、国鉄の苗穂駅から定山渓に至る軽便鉄道として、定山渓温泉への観光客の輸送、木材の輸送、鉱石と石材の輸送を主な目的として計画された。しかし同年8月の豊平川洪水を受けた護岸工事で当初の敷設予定地が使えなくなった。資金繰りの難もあり、会社の設立は1915年12月に遅れた。白石駅からの路線に変更して1917年4月に着工し、81万2千円の費用をかけて1918年に完成した。10月17日に開業し、白石と定山渓を1時間30分で結んだ。
定山渓鉄道は、定山渓温泉の発展とともに順調に業績を伸ばした。会社は1932年から札幌からのバス運行も始めた。1930年代には木材・鉱石の貨物輸送も増えた。戦時中には温泉客が減り、鉱石・石材輸送に重点がおかれた。資材不足が深刻になり、終戦時には稼働率4割に落ち、列車の窓の三分の一がベニヤ板に変わっていた。
定山渓鉄道の全盛期は戦後復興とともに訪れた。まず、定山渓温泉が繁栄を取り戻した。1949年から1963年まで、定山渓鉄道は、夜間発の往復と、ビール券、とうきび、枝豆、温泉利用をセットにした月見電車を走らせた。会社が整備した豊平川沿いのハイキングコースは、多くの市民に利用された。1944年に事故で閉山した豊羽鉱山が1950年に再開し、定山渓鉄道がその鉱石の輸送を引き受けた。
1957年に、東京急行電鉄が定山渓鉄道の株を買収し、傘下におさめた。しかしこの頃から鉄道は貨物をトラック輸送に奪われはじめた。特に1963年からは豊羽鉱山の鉱石輸送がトラックに切り替えられた。また、東急傘下後打ち出された複線化が達成できず、運転間隔が短縮できないまま道路事情が好転し、結局乗客がバス、マイカーに奪われていった。こうした劣勢の中で、札幌市が札幌市営地下鉄南北線の建設のための土地買収を申し出た。会社はこれに応じて、1969年(昭和44年)に鉄道部門を廃止した。廃止後は電車路線に沿う形で、電車代行バスが運行されていたが、既存のバス系統と合わせて再編される形で1970年に廃止されている。
もともと定鉄の路線バス部門は平岸・澄川・真駒内地区を中心として、平岸本線・平岸東線・西岡線などのバス路線を運行する他、石山通(国道230号線)経由の定山渓線・洞爺湖線(道南バスと2社並立)等を運行していた。しかし、1971年12月16日の札幌市営地下鉄南北線開業により、従来の定鉄バスの営業エリアの多くが地下鉄南北線と競合する形になることから、定鉄は定山渓線(札幌駅・真駒内駅発着)・洞爺湖線を除く市内バス路線全線と車両80両、関連要員を札幌市に移譲することとし、1972年5月1日に移譲が実施された。以後、2000年に札幌市営バスの藻岩線(札幌駅発着系統のみ)の移譲を受けるまで、じょうてつ(1973年商号変更)の路線バス部門は石山・藤野・定山渓地区と、洞爺湖線を中心とした運営に絞られることになる。 2001年から段階的に実施された札幌市営バス事業廃止・民間移譲に伴い、2003年4月1日に札幌市交通局藻岩営業所と関連路線がじょうてつバスに移管された。これに伴い、一部の中央バス路線(中にはもと定鉄バス路線で、札幌市営バス時代に地下鉄路線延長に伴う営業補償等の形で中央バスに移譲された路線も存在する)を除いて、全面的にじょうてつバスが札幌市南部地域のバス路線運営を行うこととなった。
1913年(大正2年)2月12日 松田学ら24名が鉄道敷設申請。7月16日免許。
1915年(大正4年)12月20日 定山渓鉄道株式会社の設立。初代社長は松田学。
1917年(大正6年)4月6日 着工。
1918年(大正7年)10月17日 【開業】白石~定山渓 【駅新設】豊平、石切山、藤の沢、簾舞、定山渓
1920年(大正9年)4月1日 【駅新設】真駒内
1924年(大正13年)1月1日 【駅新設】滝の沢
1926年(大正15年)8月15日 【停留所新設】一の沢
1926年(大正15年)8月21日 【駅新設】東札幌(北海道鉄道(のちの国鉄千歳線旧線)の開通に伴う)
1928年(昭和3年)6月7日 【駅新設】錦橋
1929年(昭和4年)10月25日 【電化】東札幌~定山渓(27.2km)
1931年(昭和6年)7月25日 苗穂駅への電車乗り入れを開始(これに伴い北海道鉄道東札幌~苗穂間が電化)。
1933年(昭和8年)1月7日 【停留所新設】白糸の滝
1933年(昭和8年)11月18日 【停留所新設】北茨木(注1)
1936年(昭和11年)10月20日 【停留場新設】小金湯
1945年(昭和20年)3月1日 【廃止】白石~東札幌(2.7km) 戦時資材供出のため。
1948年(昭和23年)1月1日 【停留所新設】下藤野
1948年(昭和23年)1月11日 【停留所新設】豊滝
1949年(昭和24年)8月 【駅昇格】澄川
1951年(昭和26年)11月1日 【停留所新設】東簾舞
1952年(昭和27年)6月12日 急行列車を設定。当初二等車として運転されたが1954年6月12日に二等車の設定を廃止。
1957年(昭和32年)8月12日 気動車による札幌駅への乗り入れを開始。これに先立ち、東札幌~苗穂間の電化設備を撤去し、同区間への電車乗り入れを中止。
1957年(昭和32年)10月 【駅改称】北茨木→澄川(注1)
1957年(昭和32年)12月7日 東京急行電鉄の傘下に入る。
1959年(昭和34年)4月1日 【停留所新設】慈恵学園
1959年(昭和34年)6月21日 【停留所新設】十五島公園
1961年(昭和36年)4月15日 【停留所新設】緑ヶ丘
1969年(昭和44年)11月1日 【全線廃止】東札幌駅~定山渓駅間(「さよなら電車」によるセレモニーは、1969年10月31日。)
1973年(昭和48年)5月31日 定山渓鉄道株式会社が株式会社じょうてつと改称。
(注1)札幌市教育委員会編『札幌の駅』には、北茨木停留所開業昭和8年11月30日、駅昇格昭和24年8月、澄川駅への改称昭和32年12月とある。
運行系統
廃止直前は、約3分の2が千歳線(旧線)経由で札幌駅~定山渓駅間(国鉄線内は気動車で運行、東札幌もしくは豊平以南で自社の電車に併結)、残り約3分の1が豊平駅~定山渓駅間の運行であった。千歳線内では国鉄の列車と併結しているものもあった。東札幌駅発着の列車もごくわずかに存在した。
豊滝駅は通過する列車が多かった。
駅一覧読みの困難と思われる駅名や、混乱を招く恐れのある駅名は、後に読み仮名を付記した。
廃線直前の駅、停留所
白石駅 - 東札幌駅 - 豊平(とよひら)駅 - 澄川駅 - 慈恵学園(じけいがくえん)停留所 - 真駒内(まこまない)駅 - 緑ヶ丘停留所 - 石切山(いしきりやま)駅 - 藤の沢駅 - 十五島公園停留所 - 下藤野停留所 - 東簾舞(ひがしみすまい)停留所 - 簾舞(みすまい)駅 - 豊滝停留所 - 滝の沢駅 - 小金湯(こがねゆ)停留所 - 一の沢停留所 - 錦橋駅 - 白糸の滝停留所 - 定山渓駅
白石駅~東札幌駅間は1945年廃止。
接続路線
白石駅:函館本線
東札幌駅:千歳線(旧線) - 1973年9月9日函館本線(貨物線)に編入後、1986年11月1日廃止
豊平駅:札幌市電豊平線 - 1971年10月1日廃止
廃止後の状況
石山振興会館(2004年12月)
じょうてつ本社社屋(旧:豊平駅駅舎)
じょうてつ本社社屋裏側。かつてここがホームになっていたことをうかがわせる
駅の位置
豊平駅の駅舎は、じょうてつ本社の社屋の隣で「じょうてつ不動産部」として残存しているが、2005年9月に解体されることが決定した。(右写真、中、下参照。写真には写っていないが、本社社屋と併設である)
澄川駅(旧名称は「北茨木駅」。)は現地下鉄澄川駅の辺りであった。 慈恵学園停留所は現自衛隊前駅よりやや北側の澄川消防署付近。真駒内駅は現自衛隊前駅と現真駒内駅のほぼ中間に存在。 緑ヶ丘停留所は現真駒内駅の南はずれ辺りにあった。旧停留所に上がる階段の取付部分の道路擁壁が廃止当時のまま残されており、位置の推定が可能。
石切山駅の駅舎は、現在「石山振興会館」として大部分が残存している。(右上写真参照。)
藤の沢駅は現在の札幌南消防署藤野出張所よりやや石山寄りの藤野東公園内。(同公園内には、駅跡の標柱が立っている。) 十五島公園停留所は郊外型大型店舗の並ぶ傍のパチンコ店辺りにあった。現在は同公園につながるバス停があるが、駅舎のあった位置とは変わっている。 下藤野停留所は某金融機関からその隣の寺院の裏手にあった。現在は、個人住宅地となっている。(住宅地内道路脇に標柱がある。)また、そこは、後に新旧国道230号分岐点西側の変電所付近へ移設したとされる。
東簾舞停留所は御陵橋付近の現バス停付近に存在。 簾舞駅は旧簾舞市街のやや西側、砥山通りへと渡る橋の傍に位置し、木材置き場として使われていたが、現在は広大な空き地となっている。
豊滝停留所は、現在の国道230号沿いの豊滝道の駅の下(豊平川寄り)のやや東側に位置していたが、現在は跡地への道も消失。付近築堤や橋梁跡も、崩落の危険がある。 滝ノ沢駅は、豊滝小学校のある旧道から砥山通りへ下るT字路交差点付近にあり、当時の駅長が敷地内に植林したといわれる、桜の木(ソメイヨシノ)が残っている。
小金湯停留所は現温泉街より東寄りの神社付近に位置していたが、周辺道路拡張に伴い、大部分の痕跡が消失。 一の沢停留所は、豊平川の砥山ダム上流辺りの現・同名バス停の豊平川寄り付近。
錦橋駅は、定山渓の東はずれ、国道230号が分岐した豊平川寄りの旧道、同バス停付近に、当時の駅舎の礎石跡が存在している。 白糸の滝停留所は、定山渓市街はずれにある現・北海道秘宝館の位置。 終点の定山渓駅は、商店街やホテル駐車場を超えて、中山峠側の定山渓スポーツ公園内に位置していた。廃止後もしばらく、旧駅舎がバス乗車券発売所等として使用されていたが、1976年頃に解体されている。
その他、間接的な駅舎存在の痕跡
ただし、真駒内駅、藤の沢駅、東簾舞停留所の駅舎自体は残っていないが、当時その正面に位置していたという、それぞれ、日通支店(現・タイヤ販売店)、商店街(現・商店、簡易郵便局等)、旅館(現・民家)として使用されたといわれている建築物は、2004年現在も残存している。
その多くは、前述のとおり、一部を除いて、その痕跡は失われている。
路線保存状態
比較的明瞭に残存している区間
(東札幌駅近辺は、現在、札幌コンベンションセンターとなっている。また、南郷通-国道36号間は、路線跡が、道路、倉庫、空き地などになっていて、豊平駅からもほぼ一直線に目指すことができ辿り易い。ただし、旧千歳線にも関係するこの区間は、通常は含めない場合も多い。)
豊平駅‐澄川駅間は、道路及び、地下鉄用地として利用されている。
特に、現・地下鉄平岸駅‐南平岸駅間の途中からは、地上に上がり地下鉄シェルターとなっているため、現・地下鉄真駒内駅までは明確になっている。ただし、地下鉄が地下に下がってから先の豊平駅までの間は分かりづらいが、地図を辿れば、道路としてそのまま利用されている痕跡が残っているのでわかりやすい。
緑ヶ丘停留所から藤の沢駅までの区間は、現・地下鉄真駒内駅から計画されていた地下鉄南北線延長区間の用地として、廃止時に札幌市へ譲渡されていた。
地下鉄延長計画が凍結された現在、その区間以外も含めての多くは空き地となり、森林、畑、駐車スペース、自動車道、歩行者専用道路、公園内散策路やサイクリングロードなどにも、分割活用されている。
緑ヶ丘停留所からは石切山駅方面に向かって森林となり、鉄道跡を寸断する形の交差点近辺はじょうてつバス転回場兼駐車場となっている。
交差点からは森林及び歩道となり、石山陸橋下トンネルから続く自動車道と歩道とが合流。(同トンネルについては、次参照。)
石山陸橋はもともと、旧国道230号線(藻南橋方向~石山中央方向)と国道453号線(真駒内花園方向~常盤方向)が合流する地点に、道路が定鉄をオーバークロスする跨線橋として架設されていた。鉄道廃止後もしばらく跨線橋は残存していたが、交差点改良による拡幅でまず跨線橋の西側(石切山側)が埋設され、後に東側も埋設された。その後、改めて旧跨線橋の地点にトンネルが構築されたが、しばらく放置されていた。地下鉄南北線延長計画が頓挫し後に延長中止が正式決定され、現在、このトンネルは一方通行の一車線自動車道(石山→真駒内方向)として活用。
上記トンネル以南、石切山駅を中心とした南北付近は、歩道付き自動車道からはずれ、公園内の舗道(散策路)となり、再び車道や生活道路、空き地となっている。)
東簾舞停留所から小金湯停留所までの一部区間は、砥山通などの自動車道として拡幅され活用されている。
現・地下鉄真駒内駅~旧・じょうてつ藤野沢駅の間の土地が、比較的最近まであるいは、現在も放置されたままだったり、あるいは様々に活用されていて、かつての路線跡として辿り易いのは、こういった理由が大きい。
下藤野停留所や簾舞駅から錦橋駅までの築堤は、豊平川の河岸段丘や段差を利用したことや、地盤の脆弱さから、営業中にたびたび補修を要した。放置された現在では崩落している区間も少なくはなく、危険な地域もあり、笹薮や森林に帰っている所も多い。(詳細後述。)
路線痕跡のほとんど残っていない区間
藤の沢駅-下藤野停留所間は、郊外型大型店舗敷地内として買収され、国道230号拡幅と相まって、位置の確定が困難。(連合町内会などが中心となって作成された一部地図には、この区間の路線跡が記されているが、実測された上で記されたものか、当初の地図と重ね合わせたものかは不明。)
定山渓駅-白糸の滝停留所(-錦橋駅)間は、路線痕跡が残っていないといっていいほど消失。ほとんどが、ホテルなどの敷地として買収され、商店街に吸収され、一部のみ、生活道路や公園内歩道として残っているとされるが、鉄道跡をそのまま利用したものかは不明。
痕跡が消失しつつある区間、辿るのが困難な区間
錦橋駅-小金湯停留所間は、路線位置確認が困難になりつつある。
滝ノ沢駅-豊滝停留所間は、豊平川河岸段丘を利用しているため、崩落した箇所も多く、きわめて危険。加えて、前述の通り、豊滝停留所への歩行者専用道路も獣道化し、消失。
東簾舞停留所-下藤野停留所間は、途中までは畑やその中の通路として利用され、その先は豊平川河岸段丘を利用していて、高圧電線用の鉄塔もあるが、途中は崩落しかかっている箇所もあり藪や森林となっている。以前は遊歩道として記されている地図もあったが、現在は物理的に通行不可能。さらに、学校法人の敷地内へと入り実質の痕跡は消失。
その先の下藤野停留所までは、車道脇や個人住宅の土台や敷地内にそれらしいと思われる痕跡もあるが、現在は見解が分かれていて、当時の同鉄道築堤の痕跡を利用したものかどうかまでは検証不可能。
札幌急行鉄道1958年、親会社となった東急社内に札幌付近陸上交通機関整備委員会が設置され、この委員会で定山渓鉄道の複線化ならびに中山峠方面への路線延長と札幌乗り入れ、および資本金6億円で「札幌急行鉄道」を設立して札幌~上江別間20.5kmの地方鉄道を新規開設し、上江別から夕張鉄道線に乗り入れて、札幌から夕張までを直結させる事が決まった。東急は早速夕張鉄道の親会社である北炭と共同で設立にとりかかり、免許申請を行った。
東急は、札幌市内を地下鉄で建設し、この新設鉄道を鎹にして定山渓鉄道・夕張鉄道の一元化を図り一大私鉄網を築いて、北海道振興に寄与する事を最終目的としていた。
しかしながら、その後東急社内による調査の結果、札幌急行鉄道を新規開業する事による投資効果が希薄であり、不採算事業となるだけであると判断されて、結局札幌急行鉄道は設立されず、免許申請も取り下げてしまった。
参考文献・外部リンク
札幌市教育委員会編『札幌の駅』(さっぽろ文庫11)、北海道新聞社、1979年。
札幌市教育委員会編『定山渓温泉』(さっぽろ文庫 59)、北海道新聞社、1991年。
『東京急行電鉄50年史』、東京急行電鉄、1973年。
札幌LRTの会『札幌市電が走った街 今昔』、JTB(現 JTBパブリッシング)、2003年。
じょうてつホームページ
別府鉄道土山線 Encyclopedia
土山線(つちやません)は、兵庫県加古川市の別府港駅から兵庫県加古郡播磨町の土山駅を結んでいた別府鉄道の鉄道路線。1984年に廃止された。
野口線と同じく、別府港にある多木製肥所(現在の多木化学)で製造された化学肥料などを運ぶために開業した路線。旅客営業も行っていたが、山陽本線と接続しているため国鉄との連絡貨物輸送が主体であった。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
路線データ
路線距離(営業キロ):4.1km
軌間:1067mm
駅数:3駅(起終点駅含む、信号所除く)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態
1984年1月時点で、1日4往復の旅客列車が運行されていた。
歴史
1923年3月18日 別府港~新土山(のちの土山)間が開業。
1984年2月1日 別府港~土山間廃止。(バス転換されず)
駅一覧
別府港駅 - 中野駅 - 川崎車輛工場前信号所 - 土山駅
接続路線
別府港駅:別府鉄道野口線
土山駅:山陽本線
えちぜん鉄道勝山永平寺線 Encyclopedia
勝山永平寺線(かつやまえいへいじせん)は、福井県福井市の福井駅から福井県勝山市の勝山駅までを結ぶえちぜん鉄道の鉄道路線である。
2003年にえちぜん鉄道へ譲渡されるまでは京福電気鉄道が運営していた。九頭竜川に沿って織物の町勝山を結んでいる。京福時代は永平寺口駅(当時は東古市駅)から曹洞宗の大本山である永平寺への参詣路線として永平寺線が分岐していた。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
4.1 廃止区間
5 接続路線
5.1 過去の接続路線
6 関連項目
路線データ
路線距離(営業キロ):福井~勝山間 27.8km
軌間:1067mm
駅数:23駅(起終点駅含む)
複線区間:福井~越前開発間
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:自動閉塞式
運行形態
京福時代は急行列車なども運転されていたが、えちぜん鉄道移管後は全て普通列車である。比島駅停車・通過列車が交互に運転される。朝と平日深夜に主要駅停車列車がある。ワンマン運転を実施している。
歴史
福井県で電源開発を行っていた京都電灯の手により、1914年に越前電気鉄道として新福井~市荒川(現在の越前竹原)間が開業したのが始まり。福井県下初の電気鉄道であった。 同年中に大野口まで開業し、福井と大野が結ばれた。
配電統制令により鉄道兼営が禁じられたため京都電灯の鉄軌道事業を1942年に京福電気鉄道が継承。同社福井支社の越前本線となった。
自家用車の普及などで1960年代以降になると不採算区間の合理化が行われ、国鉄越美北線とも競合する越前本線の勝山~京福大野間が1974年に廃止される。
残る区間も維持してきたものの、京福電気鉄道は1992年に越前本線の東古市以東と永平寺線の廃止を表明。県などが行政支援を講じてきたが2000年と2001年に正面衝突事故を起こし休止となり、2003年にえちぜん鉄道へ譲渡され越前本線は勝山永平寺線に改称。同年運行が再開された。
1914年2月11日 京都電灯により新福井~市荒川(現在の越前竹原)間が開業。
1914年3月11日 市荒川~勝山間が開業。
1914年4月10日 勝山~大野口間が開業。
1918年9月1日 大野口~大野三番(のちの京福大野)間が開業。
1929年9月21日 福井~新福井間が開業。旅客営業のみ。
1942年3月2日 京都電灯の鉄軌道事業を京福電気鉄道が継承。越前本線となる。
1948年6月28日 福井地震のため全線不通に。8月に全線復旧。
1974年8月13日 勝山~京福大野間が廃止。
1980年8月1日 福井口~勝山間の貨物営業廃止。
1980年10月26日 新福井~福井口間の貨物営業廃止。
2000年12月17日 志比堺~東古市間で越前本線と永平寺線の電車が正面衝突。
2001年6月24日 保田~発坂間で電車同士の正面衝突事故。全線運行休止に。
2003年2月1日 えちぜん鉄道へ譲渡。越前本線を勝山永平寺線に改称。
2003年7月20日 福井~永平寺口間が運行再開(前日特別運転)
2003年10月19日 永平寺口~勝山間が運行再開(前日特別運転)
駅一覧
福井駅 - 新福井駅 - 福井口駅 - 越前開発駅 - 越前新保駅 - 追分口駅 - 東藤島駅 - 越前島橋駅 - 観音町駅 - 松岡駅 - 志比堺駅 - 永平寺口駅 - 下志比駅 - 光明寺駅 - 轟駅 - 越前野中駅 - 山王駅 - 越前竹原駅 - 小舟渡駅 - 保田駅 - 発坂駅 - 比島駅 - 勝山駅
廃止区間
勝山駅 - 蓬生駅 - 大袋駅 - 嵭崎駅 - 下荒井六呂師口駅 - 新在家駅 - 中津川駅 - 大野口駅 - 京福大野駅
※駅名は廃止時点のもの。
接続路線
福井駅:北陸本線、福井鉄道福武線(福井駅前駅)
福井口駅:えちぜん鉄道三国芦原線
過去の接続路線
永平寺口駅:京福電気鉄道永平寺線 - 2001年6月25日から運休、2002年10月21日全線廃止。
尾小屋鉄道 Encyclopedia
尾小屋鉄道の路線図
尾小屋鉄道(おごやてつどう)は、石川県小松市の新小松駅から同市尾小屋駅までを結んでいた軽便鉄道である。
尾小屋鉄道は、尾小屋鉱山の鉱山鉄道として建設された。
尾小屋鉱山は、17世紀末~18世紀初頭に金山として開発された鉱山だが、その後廃鉱となっていた。明治時代になってから銅山として改めて注目され、細々とした採掘の末、1886年(明治19年)の新鉱脈が発見されてから大きく発展した。閉山は1971年(昭和46年)。
尾小屋鉄道は、この尾小屋鉱山の鉱山鉄道として1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて開通した。全線非電化で762mm軌間を採用した軽便鉄道であった。廃止は1977年(昭和52年)。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 車輌
7 関連施設
8 関連項目
9 外部リンク
路線データ
路線距離(営業キロ):16.8km
軌間:762mm
駅数:16駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:票券閉塞式(末期の金平~尾小屋間はスタフ閉塞式)
運行形態1973年5月の時点で、旅客列車一日16往復、貨物列車および混合列車の設定はなかった。交換設備は、吉竹駅・西大野駅・金平駅・観音下駅にあったが、1959年9月のダイヤでは、すでに吉竹駅での閉塞取り扱いは行われていない。末期の閉塞は新小松・金平と金平・尾小屋の二区間に統合され、列車の交換が行われるのは金平駅のみとなっていた。
歴史
1916年(大正5年)8月17日 免許取得(正田順太郎)。
1917年(大正6年)6月22日 工事着工。
1919年(大正8年)11月3日 一部竣工。
1919年(大正8年)11月26日 竣工区間を開業(旅客および手小荷物)。
1920年(大正9年)4月1日 貨物取扱い開始。
1920年(大正9年)5月10日 全線を竣工。
1920年(大正9年)6月4日 横山鉱業部鉄道に改称。
1920年(大正9年)6月11日 合名会社横山鉱業部が正田順太郎から経営を引き継ぐ。
1929年(昭和4年)6月22日 尾小屋鉄道株式会社が発足。
1929年(昭和4年)7月2日 尾小屋鉄道に改称。
1936年(昭和11年)7月 日本鉱業(現日鉱金属)の系列会社となる。
1937年(昭和12年)2月 内燃動力併用認可。
1950年(昭和25年)12月20日 一般乗合旅客自動車運送事業の免許を受ける。
1962年(昭和37年)9月 日本鉱業が経営から手を引き、名古屋鉄道の系列会社となる。
1971年(昭和46年) 尾小屋鉱山閉山。
1977年(昭和52年)3月20日 尾小屋鉄道廃止。
なお、尾小屋鉄道株式会社は、小松バス株式会社と社名を変更し、存続している。
駅一覧新小松駅 -2.7km- 西吉竹駅 -0.4km- 吉竹駅 -1.0km- 遊園地前駅 -1.3km- 花坂駅 -0.9km- 西大野駅 -0.9km- 大杉谷口駅 -0.5km- 金野町駅 -1.3km- 金平駅 -1.7km- 沢駅 -0.5km- 塩原駅 -0.9km- 波佐羅駅(はさら) -0.7km- 観音下駅(かながそ) -2.0km- 倉谷口駅 -1.1km- 長原駅 -0.9km- 尾小屋駅
接続路線
新小松駅:北陸本線(小松駅)
車輌主な車輌は以下の通り。
機関車
1号
1917年大日本軌道製の蒸気機関車。下回りの一部をDC121に流用したとされるが、実質的には下取りであり、部品が実際に流用されたかどうかは不明。
2号
1917年大日本軌道製の蒸気機関車。DC122の増備により1958年(昭和33年)に廃車された。
3号
1941年本江機械製作所製の蒸気機関車。
5号
1947年立山重工業製。C155とも。地方鉄道向けのものとしては国産最後の蒸気機関車となった。末期にはファン・ランで走る程度ではあったが、車籍は最後まで残されていた。廃線後は尾小屋鉱山資料館で保存されている。
DC121
1952年協三工業製。丸みを帯びたボディを持つロッド式ディーゼル機関車。廃線後は小松児童会館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
DC122
1958年協三工業製。角ばったボディを持つロッド式ディーゼル機関車。廃線後は尾小屋駅で保存されているが、事実上放置状態となっている。
気動車
キハ1
1937年日本車輌製のガソリン気動車(のちディーゼル機関に換装)。前後非対称のボディを持つ。廃線後は小松児童会館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
キハ2
1938年日立製作所製のディーゼル気動車。前後に荷物台(デッキ)を持つ。廃線後は尾小屋駅構内で保存されている。
キハ3
1949年汽車会社製のディーゼル気動車。前身は遠州鉄道奥山線1803で、"180"の部分を塗りつぶして使用していた。廃線後は尾小屋鉱山資料館で保存されている。
客車
ハフ1型
1918年名古屋電車製作所製の2軸客車。ハフ1~ハフ3の3輌があったが、ハフ3は1967年に車軸が折れたため先行して廃車された。廃線後ハフ1は尾小屋鉱山資料館で保存されている。
ホハフ1型ホハフ1
1912年日本車輌製のボギー客車。前身は三重交通のサ311。デッキつきモニタルーフの古典的客車だった。廃線前に解体された模様。
ホハフ1型ホハフ2
1913年名古屋電車製作所製のボギー客車。前身は三重交通のサ342。デッキつき。
ホハフ1型ホハフ3
1921年梅鉢鉄工所製のボギー客車。前身は三重交通のサ321。前後非対象の特徴的な車体を持っていた。その後車体更新を受け、最後まで多用された。廃線後は小松児童会館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
ホハフ1型ホハフ5
1921年梅鉢鉄工所製のボギー客車。前身は三重交通のサ322。前後非対称の特徴的な車体を持っていた(尾小屋鉄道ホハフ1型ホハフ3とは形態は異なる)。
ホハフ1型ホハフ6
1913年名古屋電車製作所製のボギー客車。前身は三重交通のサ352。
ホハフ1型ホハフ7
1925年日本車輌製のボギー客車。前身は三重交通のサニ4103。オリジナルは荷物室を持つ合造車で、その後車体更新を受け、最後まで多用された。廃線後は尾小屋駅構内で保存されている。
ホハフ1型ホハフ8
1924年日本車輌製のボギー客車。前身は三重交通のサニ401。オリジナルは荷物室を持つ合造車で、その後車体更新を受け、最後まで多用された。廃線後は小松児童会館にある「なかよし鉄道」で動態保存されている。
貨車・事業用車両
ト型
2軸の無蓋貨車。トフ1-3・ツ1-9・ト8-9・ト10-19・ト20-22のグループに分かれる。
ワフ型
2軸の有蓋貨車。ワフ1-5があった。一部に第二次世界大戦中、代用客車として使われたものがある。
タボ1200
ボギーの長物車で車籍はなかった。
ロータリー車
自社製造の除雪車。
関連施設
石川県小松市の石川県立小松児童会館に併設して「なかよし鉄道」と名づけられた総延長473mの保存鉄道(水曜日、土曜日、日曜日及び祝日に運転)が設けられており、尾小屋鉄道の車輌4輌が動態保存されている(キハ1・DC121・ホハフ3・ホハフ8)。最寄り駅は北陸本線粟津駅。
石川県小松市尾小屋町の尾小屋鉱山資料館に併設された「ポッポ汽車展示館」では、尾小屋鉄道の車輌3輌が静態保存されている(5号機関車・キハ3・ハフ1)。なお、キハ3は2004年にエンジンを修復し、走行も可能な状態に維持されている。
関連項目
日本の鉄道路線一覧
外部リンク
尾小屋鉄道ホームページ (個人のファンクラブページ)
尾道鉄道 Encyclopedia
旧尾道鉄道4号トンネル(2005年8月撮影)
尾道鉄道(おのみちてつどう)は、かつて広島県の尾道市と御調郡御調町(現在の尾道市の一部)を結んでいた鉄道路線、およびその運営会社である。 設立当初は尾道~市~宇津戸~上下間の鉄道敷設を目指し、また現在の三次市に至る支線も計画していたが、財界不況等の為実現せず、尾道市近辺のわずかな区間を開業したのみにとどまった。
尾道市街地と山中の集落を結ぶ盲腸線であり、営業成績は運行当初から余り芳しいものとは言えず、モータリゼーションの進行に伴い1964年までに廃止され、路線バスの運行に切り替えられた。
会社自体はその後も社名を変更せずバス事業者として営業を続けたが、1970年にニコニコバスに吸収合併され解散。事業はニコニコバスから社名変更した中国バスに引き継がれた。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
6 廃線後の現状
7 参考文献
路線データ
※廃止直前のデータ
路線距離(営業キロ):16.8km
軌間:1067mm
駅数:18駅(起終点駅、御所橋駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線電化(直流600V)
閉塞方式:
尾道~三成間:タブレット閉塞
三成~市間:票券閉塞
運行形態
所要時間:尾道~市間54分(1934年12月改正時)・51分(1955年8月改正時)
運行間隔:開業時から廃止時まで、ほぼ60分間隔
歴史
1925年11月1日 - 【開業】西尾道~石畦(いしぐろ)
1926年4月28日 - 【延伸開業】石畦~市
1931年9月12日 - 【延伸開業】御所橋~西尾道
1933年3月28日 - 【延伸開業】尾道~御所橋。同時に国鉄との連絡運輸を開始。
1941年9月 - 尾道自動車を合併。路線バス事業を兼営。
1946年8月13日 - 市行き列車が畑駅付近で故障。傾斜区間であったため軌道を逆走、暴走し、石畦駅北方のカーブで脱線転覆。多数の死傷者を出す。
1957年2月1日 - 【廃止】石畦~市
1964年8月1日 - 【廃止】尾道~石畦。これ以後、社名を変更しないままバス専業となる。
1970年2月 - ニコニコバスに吸収合併され会社解散。同時にニコニコバスは社名を中国バスに改称。
当初、終点の市駅を起点に連絡バスを走らせていたが、平行する国道184号の改良に伴い、次第に尾道駅からの運行に切り替わっていった。このため、自社の路線バスが鉄道部門のライバルとなるという珍しい事態となった。特に石畦以北ではバスの方が集落に近く、利便性に優れていた為、鉄道利用客を奪っていったと伝える。
駅一覧
※呼称は廃止時点のもの。*印の駅は路線廃止前に廃止された駅。
尾道駅 - *御所橋駅 - 西尾道駅 - 地方事務所裏駅 - 青山病院前駅 - 宮ノ前駅 - 栗原駅 - 尾道高校下駅 - 三美園駅 - 三成駅 - 木梨口駅 - 遊亀橋駅 - 木頃本郷駅 - 石畦駅 - 西校上駅 - 畑駅 - 諸原駅 - 市駅
諸原駅については高低差が激しい為、スイッチバックで峠越えを行っていた。
接続路線
※呼称は廃止時点のもの
尾道駅:国鉄山陽本線(尾道駅)
廃線後の現状現在の尾道駅の北側から尾道鉄道線が発着していた。駅跡は現在駐輪場等に使用されている。西尾道駅跡には、現在ホテルが建設されている。市街地においては、僅かに橋桁等が残っている。石畦~畑間の盛土区間については、しばらく放置されていたが、改良工事の上、1986年に国道184号バイパスとして開通した。一部のトンネルが歩行者用として再利用されたほか、国道のルートから外れたトンネルが、現在でも煉瓦造りの姿をそのままに残している。現在、当該区間には、かつての電車線の終点、市へ、また市より別の起業家が鉄道敷設を目指した府中方面へのバスが数本走っている。三成にあった車庫は現在中国バスの尾道営業所、市駅跡は市出張所となっている。
在来線とは離れた位置に建設された新尾道駅付近を走行しており、仮に現在も鉄路が残っていれば鉄道による連絡も可能であったと思われる。また、上下・三次には福山から。現在の福塩線が伸び、福山市と鉄道で結ばれることになったが、仮に尾道鉄道が全線開通していれば、県北部と備後地域の結びつき等は、現実とは大きく違ったものになっていたといえる。
参考文献
前田六二著『消えた鐵路 尾道鐵道』
小松島線 Encyclopedia
小松島線(こまつしません)とは、徳島県小松島市の中田駅から同市内の小松島駅までを結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄路線としては、最も営業キロが短い路線として知られていたが、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧
路線データ
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):中田~小松島(小松島港仮乗降場)(1.9km)
駅数:2(起点駅を含む。他に仮乗降場1)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化方式:全線非電化
歴史
小松島線は、大阪や和歌山からの航路の四国側の玄関口となった小松島と徳島を結ぶために、阿波国共同汽船が建設した鉄道で、1913年の開業時から国が借上げて、小松島軽便線(こまつしまけいべんせん)として営業を開始した。1916年に、途中の中田を起点にして阿南鉄道(現在の牟岐線)が開業。その翌年には、小松島軽便線は正式に買収・国有化され、1922年の軽便鉄道法廃止とともに小松島線となった。
1940年には、小松島港に発着する航路との連絡の便を図るため、小松島駅構内に小松島港仮乗降場が開設され、晩年に至るまで急行列車が発着した。また、構内には小松島客貨車区及び徳島気動車区の支区が設置され、徳島地区の交通の中枢となっていた。
1961年、徳島~中田間が分離のうえ牟岐線に統合され、それ以来、国鉄最短の鉄道路線となった。そして、それが、小松島線の運命を決定することとなった。1981年に不採算ローカル線として第1次特定地方交通線に選定されることとなるのである。しかし、実質フェリー乗り場との乗り換えの需要のよさや、廃止後の急激な小松島港の縮小により、地元では未だに「中央の机上の論理による政治廃線」だとして不満がくすぶっている。
1913年4月20日 【開業】小松島軽便線(阿波国共同汽船借入) 徳島~小松島(11.1km) 【駅新設】二軒屋、地蔵橋、小松島
1916年12月15日 【駅開業】中田(阿南鉄道中田~羽ノ浦間開業)
1917年9月1日 【買収】小松島軽便線 徳島~小松島
1922年9月2日 【線名改称】小松島線(軽便鉄道法廃止による)
1934年9月20日 【駅新設】富田浦、丈六
1940年3月15日 【仮乗降場新設】小松島港(小松島駅構内。事実上は延伸)
1941年8月10日 【駅休止】丈六
1961年4月1日 【起点変更】小松島線 中田~小松島(小松島港)(1.9km) (徳島~中田間(9.2km)を分離し、牟岐線に編入) 【駅所属変更】富田浦、二軒屋、地蔵橋、中田
1984年2月1日 【貨物営業廃止】全線
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1985年3月14日 【廃止】全線(-1.9km)。バス転換
接続路線
中田駅:牟岐線
駅一覧
中田駅 - 小松島駅 - 小松島港仮乗降場
山形交通三山線 Encyclopedia
三山線(さんざんせん)は、山形県寒河江市の羽前高松駅と西村山郡西川町の間沢駅を結んでいた山形交通の鉄道路線である。1974年に全区間が廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
5 外部リンク
路線データ
管轄:山形交通
区間・路線距離(営業キロ):羽前高松~間沢 11.4km
軌間:1067mm
駅数:10(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
閉塞方式:
歴史
出羽三山への参詣客の輸送や、永松・幸生・高旭など鉱山との物資の運搬を目的に、1926年(大正15年)12月23日に三山電気鉄道として、鉄道省線左沢線羽前高松駅と海味駅の間(8.8㎞)で営業を開始した。1928年(昭和3年)9月、海味駅から間沢駅まで延長。1943年(昭和18)10月、三山電気鉄道は、高畠鉄道(高畠線)、尾花沢鉄道(尾花沢線)と合併し、山形交通と社名を変更、同社の三山線となった。
白岩発電所・沼山発電所など、寒河江川水系の水力発電による豊富な電力資源をバックに、三山電気鉄道当初の経営は順調であり、鶴岡までの延伸が提案された程だという。1935年(昭和10年)10月には谷地軌道を買収し、神町~谷地間のバスの運行も始めている。また、間沢の菊まつりの開催や、上野・海味のスキー場への誘客など、沿線の観光資源開発にも熱心であった。だが、相次ぐ鉱山の閉山と、1960年代以降のモータリゼーションの進行により業績が悪化し、1974年(昭和49年)11月18日、羽前高松駅~間沢駅間(11.4㎞)の全線を廃止した。
駅一覧
羽前高松駅 - 新田停留所(以上西村山郡高松村、現寒河江市) - 白岩駅 - 上野停留所 - 羽前宮内駅(以上同郡白岩町、現寒河江市) - 石田停留所 - 睦合停留所 - 海味駅 - 西海味駅 - 間沢駅(以上同郡西山村、現同郡西川町)
接続路線
羽前高松駅:左沢線
外部リンク
減速進行
妻線 Encyclopedia
妻線(つません)とは、宮崎県宮崎郡佐土原町の佐土原駅と西都市の杉安駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法施行にともない第1次特定地方交通線に指定され、1984年に全線が廃止された。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ(廃止時)
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):佐土原~杉安 19.3km
軌間:1067mm
駅数:6駅(起点駅を含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式
歴史
妻線は、宮崎駅に最初に乗入れた鉄道である。宮崎駅へは現在の吉都線を経由して都城方面から官設鉄道(宮崎線)が延伸されるはずであったが、工事が遅れ、1913年に先に妻方面への宮崎県営鉄道が開業を果たしたものである。宮崎駅へは1916年10月に宮崎線が到達、県営鉄道も1917年9月に買収・国有化され、妻軽便線(つまけいべんせん。1922年に軽便鉄道法廃止により妻線に改称)となった。1920年9月には、宮崎本線の高鍋延長にともない、広瀬駅を移転して分岐駅とし、宮崎~広瀬間を妻軽便線から分離して宮崎本線に編入した。1922年8月には妻~杉安間が開業し、全通した。
1944年には、末端部の妻~杉安間が不要不急線として休止となったが、1947年に復活している。
結局実用化はされなかったが、貨物輸送の合理化のために試作された気動貨車キワ90形の試用線区となるなど、典型的なローカル線であり、1968年には赤字83線の一つとして廃止を勧告され、1980年の国鉄再建法の施行により第1次特定地方交通線に指定、1984年に廃止された。しかし、地元の鉄道への愛着は深く、廃止時の協定により、将来の復活に備えて、全線にわたり線路が撤去されずに残されている(自転車歩行者専用道路として現在利用されている)。
また、改正鉄道敷設法別表第122号には、終点の杉安から湯前線湯前への予定線が計画されていたが、着工されないまま1944年に省営バス(国鉄バス)路線が開設された。一時は日肥本線として路線が人吉に拡大されるなど隆盛を見せたが、1997年にJR九州バスが撤退し、2004年現在、西米良村営バスと宮崎交通バスにより営業が継続されている。
1913年12月25日 【開業】宮崎県営鉄道 宮崎~福島町 【駅開業】宮崎、花ヶ島、蓮ヶ池(初代)、次郎ヶ別府、広瀬(初代)、福島町
1914年4月26日 【延伸開業】福島町~佐土原 【駅開業】佐土原(初代)
1914年6月1日 【延伸開業】佐土原~妻 【駅開業】黒生野、妻
1917年9月21日 【買収・国有化】妻軽便線 宮崎~妻 【駅廃止】蓮ヶ池(初代)
1920年9月11日 【起点変更】広瀬~妻(宮崎本線広瀬(2代)~高鍋間開業にともない、宮崎~広瀬間を宮崎本線に編入) 【駅新設】広瀬(2代) 【駅廃止】広瀬(初代)、福島町 【駅所属線区変更】花ヶ島、次郎ヶ別府
1922年8月20日 【延伸開業・全通】妻~杉安 【駅新設】穂北、杉安
1922年9月1日 【線名改称】妻軽便線→妻線
1944年12月1日 【休止】妻~杉安 【駅休止】穂北、杉安
1947年3月20日 【営業再開】妻~杉安 【駅再開】穂北、杉安
1965年6月1日 【駅名改称】佐土原(初代)→西佐土原
1965年7月1日 【駅名改称】広瀬→佐土原(2代)
1972年3月15日 【貨物営業廃止】全線(-19.3km)
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1984年12月1日 【廃止】全線(-19.3km) バス転換
駅一覧
佐土原駅(さどわらえき)
当線の起点。詳しくは駅の記事を参照のこと。
西佐土原駅(にしさどわらえき)
佐土原起点6.0km。廃止時は1面1線の委託駅であった。
歴史:1914年4月26日佐土原駅として開業、1965年6月1 西佐土原に改称
黒生野駅(くろうのえき)
佐土原起点10.0km。妻線でもっとも乗降が少なかった。廃止時は1面1線の無人駅であった。
歴史:1914年6月1日開業
妻駅(つまえき)
佐土原起点13.5km。西都市の中心で乗降も多かった。交換設備がいつでも使えるよう用意されていた。「妻の入場券」という歌があったほどで入場券が人気であった。廃止時は委託駅であった。
歴史:1914年6月1日開業
穂北駅(ほきたえき)
佐土原起点16.7km。廃止時は1面1線の無人駅であった。
歴史:1922年8月20日開業、1944年11月11日休止、1947年3月20日復活
杉安駅(すぎやすえき)
佐土原起点19.3km。当線の終着駅。廃止時は1面1線の無人駅であった。
歴史:1922年8月20日開業、1944年11月11日休止、1947年3月20日復活
接続路線
佐土原駅:日豊本線
大社線 Encyclopedia
この項目では出雲市駅と大社駅間を結んでいた西日本旅客鉄道の大社線について説明しています。
一畑電気鉄道の大社線については一畑電気鉄道大社線の項目をご覧ください。
大社線(たいしゃせん)は、島根県出雲市の出雲市駅から島根県簸川郡大社町(現在は出雲市)の大社駅までを結んでいた西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
出雲大社への参詣路線として京都・大阪方面などからの直通列車も運行されていたが、JR移行前の1985年からは線内折り返しの普通列車のみ運行されていた(詳細は運行形態参照)。国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継されたが、1987年に特定地方交通線第3次廃止対象線区として承認され、1990年4月1日に廃止された。
廃止後は一畑電気鉄道による代替バスに転換された。(現在は一畑バスが運行)また、和風木造の大社駅舎は、国の重要文化財・島根県有形文化財に指定され現在も保存されている。
※以下の記述は特記なき限り廃止時点のものである。
目次
1 路線データ
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
路線データ
管轄(事業種別):西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
区間(営業キロ):出雲市~大社 7.5km
軌間:1067mm
駅数:4駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
運行形態
廃止直前の時点で、線内折り返しの普通列車のみ概ね1時間毎の運転で、1日15往復の列車が設定されていた。
出雲大社への参詣路線という性格から、他線と直通する列車が開業直後から運行されていたが、特定地方交通線に指定される見込みとなると、1985年3月に他線に直通する列車は廃止され、地域輸送が中心となった。
1980年代頃の主な直通列車として、名古屋~大社間の急行「大社」(1982年11月15日に廃止)や大阪~大社間の急行「だいせん」(1985年3月14日に大阪~出雲市間に変更、2004年10月16日に廃止)があった。
歴史
1912年6月1日 出雲今市(現在の出雲市)~大社間が開業。
1932年5月10日 朝山駅が出雲高松駅に改称。
1957年4月1日 出雲今市駅が出雲市駅に改称。
1958年4月1日 出雲高松~大社間に荒茅駅開業。
1974年10月1日 貨物営業廃止。
1987年2月3日 第3次特定地方交通線として承認される。
1987年4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。
1990年4月1日 全線廃止。
駅一覧
出雲市駅 - 出雲高松駅 - 荒茅駅 - 大社駅
接続路線
出雲市駅:山陰本線
大阪市電 Encyclopedia
大阪市電(おおさかしでん)は、かつて大阪市交通局が運営していた路面電車。
日本で最初の、公営による電気鉄道(狭義の「市電」でもある)であった。一方、当時の政令指定都市で市電全廃を断行したのも大阪市電が最初である。
目次
1 概要
1.1 歴史
1.2 特徴
2 沿革
3 現在残っている元在籍車両
3.1 現役
3.2 保存
4 関連項目
5 参考資料
6 外部リンク
概要
歴史
1903年(明治36年)、まず第一期線として花園橋(現在の九条新道交叉点)~築港桟橋(現在の大阪港/天保山)5.1kmの築港線が開業。天保山では同年7月、日本で始めて都市自身が建設・運営する港として大阪港が開港したばかりで、それへのアクセス路線であった。
続いて1908年の第二期線(東西線・南北線、11.1km)開業で、市街を東西南北に結ぶ骨格が形成された。その後路線は第三期線43.2km、第四期線25.2kmそして期外線と急速に延長され、最盛期は118km弱と、市電では日本有数の路線となった。
しかし戦後の高度経済成長期に入ると、モータリゼーションやそれによる遅延の常態化により、乗客が減少した。大阪市議会は1966年3月、市電を全廃し高速鉄道(地下鉄)による新交通体系を確立する旨の決議を行い、市電は1969年(昭和44年)3月31日限りで65年半の歴史を終えた。
特徴
軌間は標準軌(1435mm)、電圧は直流600V。塗色は、開業当時茶色一色だったが、戦後はクリームにあずき色(インディアンレッド)の2色塗りとなった。
大阪市は、市街地の交通を市が掌握する、市街交通市営主義(俗に言う市営モンロー主義)を当初から打ち出しており、基本的に市街地へ民営鉄道を入れさせなかった。このため他の市電に見られるような民営線の買収は少なく、南海電気鉄道(旧・大阪馬車鉄道路線の一部区間)と、阪堺電鉄(新阪堺)の2例にとどまっている。
現在、起点だった九条新道交叉点には「大阪市電創業の地」の碑が立つ。なお九条には大阪市交通局の本庁舎もあるなど(九条新道からは400mほど離れている)、市営交通には由緒深い地である。
車輌の一部が広島電鉄で現在も活躍するほか、大阪市が運営する市電保存館に保存されている。
沿革
1903年(明治36年)9月12日 第一期線として築港線(花園橋~築港桟橋)を開業。
1908年(明治41年)8月1日 第二期線として東西線(九条中通一丁目~末吉橋)、南北線(大阪駅前~恵美須町、渡辺橋~大阪駅前)を開業。
1913年(大正2年)6月1日 市電の貨物輸送開始。
1921年(大正10年)12月24日 天王寺西門前~天王寺駅前を南海から買収。
1925年(大正14年) 車輌数が949輌と最高になる。
1929年(昭和4年)4月20日 市電の貨物輸送廃止。
1943年(昭和18年) 年間乗客数が約5億2,200万人と最多になる。
1944年(昭和19年)4月1日 阪堺電鉄(新阪堺)を買収、路線長が117.8kmと最長になる。
1957年(昭和32年)4月1日 森之宮東之町~緑橋を延長(最後の開業)。
1966年(昭和41年)3月 市議会、市電全廃の決議。
1969年(昭和44年)3月31日 この日限りで市電全線廃止。
現在残っている元在籍車両
広島電鉄750形
元大阪市電1651形
広島電鉄900形
元大阪市電2601形
現役
広島電鉄750形 761~763号、768~769号、772号
広島電鉄900形(元・大阪市電2600形) 904~907号、910~914号
塗色も大阪市電当時のものとなっている。
保存
市電保存館
二階付き電車 5号
散水電車 25号
11形 30号
501形 528号
1601形 1644号
3001形 3050号
大阪市住之江区緑木の緑木検車区内(1993年に大阪市港区八幡屋の八幡屋公園内から移転)。公開は年数回、イベント時のみなので注意。
森之宮車両管理事務所(非公開)
801形 801号
2201形 2201号
関連項目
大阪市営地下鉄
大阪市電阪堺線(三宝線)
参考資料
小林庄三『なにわの市電』トンボ出版、1995年(追加:瑞雲)
外部リンク
大阪市電保存館(個人サイト)
大阪市電
昭和43年ごろ 大阪市電のあった頃
大阪市電発祥の地碑
新阪堺
大阪万博の交通 Encyclopedia
大阪万博の交通(おおさかばんぱくのこうつう)では、1970年に催された日本万国博覧会(大阪万博)における会場内相互間、または万博会場へのアクセスの役割を果たした交通機関について記す。
目次
1 概要
2 万博会場内の交通機関
2.1 モノレール
2.2 レインボーロープウェイ
2.3 動く歩道
2.4 電気自動車
3 会場へのアクセス
3.1 大阪市営地下鉄・北大阪急行電鉄
3.2 京阪神急行電鉄(阪急)
3.3 日本国有鉄道(国鉄)
3.4 高速バス
3.5 特別企画乗車券
4 その他
5 関連項目
概要
大阪万博は、1970年3月15日~9月13日の会期183日間で来場者数はのべ6421万8770人と国際博覧会史上最多を誇っているが、それだけの人数をさばくために交通機関は大きな役割を果たすことになった。その開催が決定したのは1965年の9月14日であり、翌10月には「財団法人日本万国博覧会協会」が設立され、会期までに必要な設備を整えることが定められ、そのひとつとして交通機関の整備も上げられた。また、都市インフラもこれを機に一気に整備しようと言うことになり、直接は関係しないところでも交通機関整備・市街地再開発などが推し進められることになった。
万博会場内の交通機関
モノレール
万博会場内を周る環状運転路線として1968年9月から工事が始められ、万博開幕の前日に開業し、閉幕日まで運行された。自動列車運転装置(ATO)を採用したが、無人運転ではなく都営地下鉄大江戸線などと同じように扉開閉や発車ボタンを押すための係員が乗っていた。
営業線線路延長 : 4.27km
検修線線路延長 : 0.22km
複線区間 : なし
高架区間 : 2.7km
最小半径 : 60m
最急勾配 : 55パーミル(‰)
運行
運転間隔 : 平日3分、休日2分半
運行方向 : 反時計回りの一方通行
運転時間帯 : 4月28日まで9:00~22:30、以後8:30~23:00
一周所要時間 : 15分
車両
編成 : 4両
車両長 : 先頭車15.8m、中間車14.0m
定員 : 540人(1080人まで詰め込み可)
編成数 : 6本
駅
中央駅 - エキスポランド駅 - 東口駅 - 日本庭園駅 - 北口駅 - 西口駅 - 水曜公園駅 - (中央駅)
駅にはホームゲート設置、中央駅と西口駅は乗降分離の両面ホーム。
運賃 : 無料
運輸管理 : 東京急行電鉄
保守管理 : 東京急行電鉄・日立運輸東京モノレール
レインボーロープウェイ
万博会場西口から万国博ホールまでを結ぶ遊覧用のものであった。
全長 : 0.87km
方式 : 3線自動循環式
ゴンドラ
台数 : 22
1台定員 : 8(立席含むと15)
地上からの高さ : 平均約30m
速度 : 秒速2m
所要時間 : 7.5分
運転間隔 : 8分
運転時間 : 4月28日まで9:30~21:00、以後9:00~21:30
駅
中央駅 - 西口駅
運営管理 : 近畿日本鉄道
料金 : 大人200円、子供100円
そのほか特徴 : 途中で、展望のために回転するようになっていた
動く歩道
総延長:3516m
最大延長物:187.5m
方式:チューブ状高架式(冷房完備、地上4~5m。ただし露出型、一方向運転のものも存在)
速度:2.4km/h
電気自動車
6人乗りで、観客タクシー輸送用が70台、関係者用が130台。最高時速は8km程度で、タクシー料金は始め20分が100円、以後5分毎に50円であった。
会場へのアクセス
大阪市営地下鉄・北大阪急行電鉄
大阪市では道路混雑が悪化したこともあり、1963年から路面電車を全廃して地下鉄を整備する計画を進めてきたが、万博開催決定を受けてそれを前倒しすることにした。
この結果大阪市電は1969年に全廃され、その一方で地下鉄網は1965年当時の27.0kmから万博開催時には64.2kmに急拡大した。
また御堂筋線の江坂駅から先、千里ニュータウンの開発に備えて北大阪急行電鉄の建設が決まったが、万博開催中は中国自動車道の敷地を一時的に借りて万博中央口までの臨時線を造ることになり、開幕前の2月24日に南北線と臨時線である東西線(千里中央駅~万国博中央口駅)の全線が開業した。
更にこれに備えて大阪市営地下鉄は大型車両の30系を用意し、北大阪急行電鉄も2000形を投入(後大阪市の30系に編入)した。
また、道路事情が悪化した場合に備えて50系を改造した貴賓車も4両製造したが、実際には使われる事は無かったという。
万博開催時には地下鉄御堂筋線と北大阪急行電鉄の直通列車が最大2分半間隔で運転され、梅田駅から万博中央口駅まで25分、新大阪駅からは20分で結び、大阪近郊からのみならず遠方から新幹線等で来た客の輸送も担った。
2000万から2400万人をこのルートで輸送したという。
京阪神急行電鉄(阪急)
阪急千里線南千里駅~北千里駅間に、万博開催期間の少し前である1969年11月10日から閉幕後の1970年9月14日まで「万国博西口駅」(※南千里駅から2.2km地点、現在の山田駅より400m北側の地点)を設置して輸送に備えた。
万国博西口駅は約900万人が利用したといわれ、神戸本線・宝塚本線方面から十三駅で折り返して直通する臨時列車・団体専用列車も設定された。また、梅田駅~北千里駅間に設定された臨時準急列車は、万国博西口駅までを30分弱で結んだ。
他に、京都本線には南茨木駅を1970年3月8日から臨時駅(後に一般駅に格上げ)として新設、同駅からシャトルバスをピストン輸送することにし、万博開催中は特急も臨時停車させることにした。
日本国有鉄道(国鉄)
東海道新幹線はこれを機に「ひかり」の編成をすべて16両編成に増強し、「こだま」を主にして臨時列車も多く設定した。万博旅行が新幹線初乗りという人は多いといわれ、新幹線は「万博パビリオンのひとつ」と呼ばれたともいう。
また、東海道本線の茨木駅を橋上駅舎化して駅前広場を整備し、万博開催中は東口行きのピストンバスをここから出すことにして、開催中は快速列車の停車駅になった。更に、名古屋駅~新大阪駅間に快速「エキスポ」号を1往復、河瀬駅~茨木駅間と茨木駅~西明石駅・網干駅間に快速「万博」号を計3往復設定した。
その他に新大阪駅発三島駅行きで、三島駅で東京駅行きの新幹線「こだま」に連絡する臨時夜行急行列車「エキスポこだま」も設定された。
高速バス
名古屋駅から名神高速道路を経由して中央口までいく所要2時間20分のハイウェイバスが設定されたほか、名古屋駅~大阪駅間を結ぶ定期便も同地を経由させ、ドリーム号もいくらか増発させた。
特別企画乗車券
「万国博記念回遊券」
関西・名古屋地区を除いた地域からの往復運賃と同額で、東海道本線の草津駅以西、山陽本線の明石駅以東と和田岬線、福知山線の宝塚駅以南、関西本線の木津駅以西、阪和線の鳳駅以北、山陰本線の亀岡駅以南、それに奈良線、大阪環状線、桜島線が乗車できた。
「万国博記念エック」
三島~名古屋地区からの斡旋旅行という形態で、万国博中央口駅までの一体乗車券になっていた(エックとは「エコノミークーポン」の略)。
「万国博記念乗車券」
大阪・天王寺・福知山・岡山各地区から、大阪までの往復割引乗車券。
その他、阪神電気鉄道なども大阪市営地下鉄・北大阪急行電鉄・京阪神急行電鉄の「万国博中央口駅」・「万国博西口駅」までの一体往復割引乗車券を販売していたが、それら切符の多くは「中央口」・「西口」の両方が使えるよう、「中央口」経由のほうが運賃が高い分の追加賃を払えば、どちらの経路で乗れるようにもしていた。
その他
万博開催にあわせ、近畿日本鉄道(近鉄)では難波線・鳥羽線を開通させて近鉄特急を増発するなどし、万博見物客を伊勢志摩や吉野へ誘致しようとした。
関連項目
愛知万博の交通
大隅線 Encyclopedia
大隅線(おおすみせん)とは鹿児島県曽於郡志布志町の志布志駅から同県国分市の国分駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法施行により第2次特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
2.1 古江東線
2.2 大隅鉄道→古江西線
2.3 古江線→大隅線
3 駅一覧
4 接続路線
路線データ(廃止時)
管轄(事業種別):日本国有鉄道
区間(営業キロ):志布志~鹿屋~国分 98.3km
軌間:1067mm
駅数:33(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:
歴史
大隅線の歴史は、1915年に軌間762mmの南隅軽便鉄道(なんぐうけいべんてつどう)が高須~高山間を開業したのに始まる。同鉄道は、翌年に社名を大隅鉄道(おおすみてつどう)に改め、1923年までに古江~串良間が全通した。
その後、日南線の一部とともに、改正鉄道敷設法別表第126号に規定する予定線にあげられ、1935年に大隅鉄道は買収・国有化されて軌間762mmのまま国有鉄道古江線(ふるえせん)となった。同年、国有鉄道が建設した古江東線(軌間1067mm)が志布志から東串良まで開業。翌年には古江西線(東線開業にともない改称)の串良駅に乗入れた。古江西線は、買収後直ちに改軌工事に着手されたが、串良駅は1938年に古江西線の改軌が完成するまでの間、異種軌間が併存する接続駅となった。
1938年の改軌工事完成に伴い、スイッチバック構造であった鹿屋駅は、移転の上直通可能な配線に改良され、停留場のいくつかが廃止、志布志~古江間が古江線と改称された。
以降の延長は戦後となり、1961年に海潟まで、1972年に国分まで開業し全通。同時に線名を大隅線に改めたが、最後の開業区間は、開業後15年を経ずに1987年に廃止となった。この路線も政治に翻弄され続けた国鉄ローカル線を象徴する存在といえよう。
古江東線
1935年10月28日 【開業】古江東線 志布志~東串良(16.2km) 【駅新設】菱田、大隅大崎、東串良
1936年10月23日 【延伸開業】東串良~串良(0.6km)(古江西線串良駅に乗入れ)
1937年4月19日 【駅新設】三文字
大隅鉄道→古江西線
1915年7月11日 【開業】南隅軽便鉄道高須~鹿屋 【駅新設】高須、野里(停留場)、田崎(停留場)、鹿屋
1916年5月30日 【社名変更】南隅軽便鉄道→大隅鉄道
1920年12月23日 【延伸開業】鹿屋~高山 【駅新設】下田崎(停留場)、川西、永野田、姶良、論地(停留場)、高山
1921年8月11日 【延伸開業】高山~串良 【駅新設】下小原、串良
1923年12月19日 【延伸開業】古江~高須 【駅新設】古江、船間(停留場)、荒平、金浜(停留場)
1927年2月?日 【駅新設】滝ノ観音(停留場)
1935年6月1日 【買収・国有化】古江線 古江~串良(31.5km) 【駅名改称】高須→大隅高須、野里→大隅野里、川西→大隅川西、高山→大隅高山
1936年10月23日 【線名改称】古江線→古江西線
古江線→大隅線
1938年10月10日 【改軌】古江~串良(31.0km) 【線名改称】古江東線・古江西線→古江線 【駅廃止】下田崎、田崎、滝ノ観音、金浜、船間 ※鹿屋駅移転(線路付け替えにより-0.5km)
1952年1月1日 【駅名改称】姶良→吾平
1961年4月13日 【延伸開業】古江~海潟(17.0km)(旅客営業のみ) 【駅新設】新城、諏訪、柊原、浜平、垂水、海潟
1972年1月1日 【貨物営業廃止】鹿屋~古江(-15.8km)
1972年9月9日 【延伸開業・全通】海潟温泉~国分(33.5km)(旅客営業のみ) 【線名改称】古江線→大隅線 【駅新設】大隅麓、大隅辺田、大隅二川、大隅境、大廻、大隅福山、敷根、銅田、金剛寺 【駅名改称】海潟→海潟温泉(同時に移転。改キロなし)
1982年11月15日 【貨物営業廃止】志布志~鹿屋(-32.0km)
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年3月14日 【廃止】全線(-98.3km) バス転換
駅一覧
志布志駅 - 菱田駅 - 大隅大崎駅 - 三文字駅 - 東串良駅 - 串良駅 - 下小原駅 - 大隅高山駅 - 論地駅 - 吾平駅 - 永野田駅 - 大隅川西駅 - 下田崎駅 - 鹿屋駅 - 田崎駅 - 大隅野里駅 - 滝ノ観音駅 - 大隅高須駅 - 金浜駅 - 荒平駅 - 船間駅 - 古江駅 - 新城駅 - 諏訪駅 - 柊原駅 - 浜平駅 - 垂水駅 - 海潟温泉駅 - 大隅麓駅 - 大隅辺田駅 - 大隅二川駅 - 大隅境駅 - 大廻駅 - 大隅福山駅 - 敷根駅 - 銅田駅 - 金剛寺駅 - 国分駅
接続路線
志布志駅:日南線、志布志線
国分駅:日豊本線
天塩炭砿鉄道 Encyclopedia
天塩炭礦鉄道(てしおたんこうてつどう)は、北海道北西部に鉄道路線を有した民営鉄道である。
北海道炭鉱汽船(北炭)が北炭天塩鉱の石炭を留萌港へ運ぶためにされた。同じ留萌炭田に既に留萠鉄道があったため、旧国名の天塩を路線名に用いた。会社設立時は天塩鉄道と称したが、1959年に改称。1967年に鉄道路線を廃止し、天塩鉄道バスとなった。会社自体はてんてつバスとして現存している。
目次
1 鉄道路線
2 駅一覧
2.1 接続線
3 通過する自治体
4 関連する炭鉱
5 沿革
6 関連項目
鉄道路線
区間(営業キロ):留萠~達布 25.4km
軌間:1067mm
駅数:8
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
駅一覧
留萠駅 - 春日町駅 - 桜山駅 - 天塩本郷駅 - 沖内駅 - 寧楽駅 - 天塩住吉駅 - 達布駅
接続線
留萠駅:留萠本線、羽幌線
達布駅:達布森林鉄道
通過する自治体
留萌市
小平町
関連する炭鉱
北炭天塩鉱
住吉炭鉱
日新炭鉱
天塩炭鉱
沿革
1939年5月8日 会社設立
1941年12月14日 【開業】留萠~天塩本郷
1942年8月1日 【延伸開業】天塩本郷~達布
1959年5月30日 【社名改称】 天塩鉄道→天塩炭礦鉄道
1967年7月31日 【廃止】全線(-25.4km)。天塩鉄道バス株式会社に社名変更
関連項目
てんてつバス
天北線 Encyclopedia
天北線(てんぽくせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道中川郡音威子府村(上川支庁管内)の音威子府駅で宗谷本線から分岐し、宗谷支庁管内の枝幸郡浜頓別町等を経て稚内市の南稚内駅で再び宗谷本線に接続する。国鉄再建法の制定にともない第2次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止された。
線名は、敷設されている地域の旧国名、「天塩国」と「北見国」から採られている。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 運転
4 接続路線
5 駅一覧
路線データ(廃止時)
管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業)
路線距離(営業キロ):音威子府~浜頓別~南稚内 148.9km
駅数:30(起終点駅を含む)
軌間:1067mm
全線単線
電化方式:全線非電化
閉塞方式:タブレット閉塞式(併合閉塞は票券閉塞式)
交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
猿払、樺岡は交換設備があったが撤去。また、小石には交換設備がなかったが、以前は閉塞の取り扱いを行っていた。
歴史
現在ロシア占領下の樺太(サハリン)への連絡鉄道として建設された宗谷本線の最初のルートである。1922年に稚内まで全通した後、1926年にかけて天塩線が幌延経由のルートで全通すると、1930年に距離の短い天塩線が宗谷本線に編入され、浜頓別経由のルートは北見線(きたみせん)として分離された。
1961年、北見市の誕生にともなって、乗客の混乱を防ぐため、天北線に改称された。(天北線は北見市を通らない。)
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(名寄本線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年に廃止された。
1914年11月7日 【延伸開業】宗谷線音威子府~小頓別(15.6km) 【駅新設】上音威子府、小頓別
1916年10月1日 【延伸開業】小頓別~中頓別(26.8km) 【駅新設】敏音知、松音知、中頓別
1918年8月25日 【延伸開業】中頓別~浜頓別(19.0km) 【駅新設】下頓別、浜頓別
1919年10月20日 【線名改称】宗谷線→宗谷本線
1919年11月1日 【延伸開業】浜頓別~浅茅野(15.2km) 【駅新設】山軽、浅茅野
1920年11月1日 【延伸開業】浅茅野~鬼志別(17.1km) 【駅新設】猿払、芦野、鬼志別
1921年10月5日 【線名改称】宗谷本線→宗谷線
1922年11月1日 【延伸開業】鬼志別~稚内(現在の南稚内)(56.2km) 【駅新設】小石、曲淵、沼川、樺岡、幕別、声問、稚内
1922年11月4日 【線名改称】宗谷線→宗谷本線
1926年9月25日 天塩線(音威子府~幌延~稚内)全通
1928年12月26日 【延伸開業】稚内~稚内港(現在の稚内)
1930年4月1日 【区間分離・線名改称】天塩線を宗谷本線に編入し、音威子府~浜頓別~稚内間(149.9km)を分離。宗谷本線→北見線
1936年7月10日 【支線開業】興浜北線
1939年2月1日 【駅名改称】稚内→南稚内(同時に稚内港→稚内)
1944年11月1日 【支線休止】興浜北線
1945年12月5日 【支線復活】興浜北線
1952年11月6日 【改キロ】声問~南稚内(-1.0km) - 南稚内駅移転による
1955年12月2日 【仮乗降場新設】上駒、寿、常盤、飛行場前、宇遠内
1956年5月1日 【仮乗降場新設】恵野、周磨
1956年11月19日 【仮乗降場新設】安別
1959年11月1日 【仮乗降場新設】新弥生
1961年4月1日 【線名改称】北見線→天北線
1963年10月1日 【駅名改称】幕別→恵北
1965年10月?日 【仮乗降場廃止】天北栄(上音威子府~小頓別間。新設日不明)
1967年10月1日 【仮乗降場廃止】北頓別(浜頓別~山軽間。新設日不明)
1984年2月1日 【貨物営業廃止】全線
1985年7月1日 【支線廃止】興浜北線
1985年8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年4月1日 【承継】日本国有鉄道→北海道旅客鉄道 【仮乗降場→駅】恵野、周磨、上駒、寿、新弥生、常盤、安別、飛行場前、宇遠内
1987年6月1日 【臨時駅設置】東声問(恵北~声問間。この日のみ営業)
1987年12月1日 【駅→臨時駅】上音威子府(12月1日~翌年3月31日休止)
1989年5月1日 【路線廃止】全線。宗谷バスにバス転換
運転廃止まで、札幌~稚内間の急行「天北」が運転されていた。廃止後は宗谷本線経由に変更され、急行「宗谷」に編入された後、1992年7月から急行「サロベツ」と改称した。
接続路線
音威子府駅:宗谷本線
浜頓別駅:興浜北線 - 1985年7月1日廃止
南稚内駅:宗谷本線
駅一覧
音威子府駅 - (臨)上音威子府駅 - 小頓別駅 - 上頓別駅 - 恵野駅 - 敏音知駅 - 周磨駅 - 松音知駅 - 上駒駅 - 中頓別駅 - 寿駅 - 新弥生駅 - 下頓別駅 - 常盤駅 - 浜頓別駅 - 山軽駅 - 安別駅 - 飛行場前駅 - 浅茅野駅 - 猿払駅 - 芦野駅 - 鬼志別駅 - 小石駅 - 曲淵駅 - 沼川駅 - 樺岡駅 - 恵北駅 - 声問駅 - 宇遠内駅 - 南稚内駅
幸袋線 Encyclopedia
幸袋線(こうぶくろせん)は、福岡県鞍手郡小竹町の小竹駅と二瀬駅の間を結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線。赤字83線に指定され1969年に廃止された。
目次
1 路線データ(最終時)
2 運行形態
3 歴史
4 駅一覧
5 接続路線
路線データ(最終時)
路線距離(営業キロ):
小竹~二瀬 7.6km
幸袋~伊岐須 2.5km(貨物支線。幸袋~川津信号場(1.6km)は本線と重複)
軌間:1067mm
駅数:5駅(起点駅含む。他に貨物駅1。信号場1)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:スタフ閉塞式(全線1閉塞)
運行形態
廃止直前では、小竹~二瀬間に普通列車が4往復運転されていた。
歴史
1894年12月28日 【開業】筑豊鉄道 小竹~幸袋、貨物支線(幸袋~幸袋炭坑) 【駅新設】幸袋、(貨)幸袋炭坑
1897年10月1日 【合併】九州鉄道
1899年12月26日 【貨物支線開業】幸袋~潤野、伊岐須分岐点~伊岐須 【駅新設】(貨)潤野、(貨)伊岐須
1901年3月31日 【貨物支線廃止】幸袋~幸袋炭坑 【駅廃止】(貨)幸袋炭坑
1903年11月28日 【貨物支線開業】目尾分岐点~目尾 【駅新設】(貨)目尾
1907年7月1日 【買収・国有化】官設鉄道
1908年3月28日 【貨物支線開業(延伸)】幸袋~潤野 【駅新設】(貨)潤野
1909年1月1日 【貨物支線開業】高雄分岐点~高雄、潤野~枝国 【駅新設】(貨)庄司、(貨)高雄、(貨)枝国
1909年10月12日 【国有鉄道線路名称制定】幸袋線 小竹~幸袋、貨物支線(目尾分岐点~目尾、高雄分岐点~高雄、潤野~枝国)
1913年11月25日 【旅客営業開始】幸袋~二瀬 【駅名改称】(貨)潤野→二瀬 【分岐点→聯絡所・改称】伊岐須→川津
1920年4月11日 【貨物支線廃止】目尾分岐点~目尾(目尾駅構内に併合) 【旅客営業開始】目尾(本線上に移設)
1922年4月1日 【聯絡所→信号場】川津
1930年4月1日 【貨物支線起点変更】川津信号場~伊岐須→幸袋~伊岐須
1945年6月10日 【貨物支線廃止】高雄分岐点~高雄(幸袋駅構内に併合) 【駅廃止】(貨)庄司、(貨)高雄
1959年12月1日 【駅新設】新二瀬
1965年10月1日 【貨物支線廃止】二瀬~枝国 【駅廃止】(貨)枝国
1968年8月 赤字83線に選定される。
1969年12月8日 【路線廃止】小竹~二瀬、貨物支線(幸袋~伊岐須)
駅一覧
小竹駅 - 目尾駅(しゃかのお) - 幸袋駅 - 川津信号場 - 新二瀬駅 - 二瀬駅
幸袋駅 - 川津信号場 - (貨)伊岐須駅(いきす)
※名称は1969年廃止時点のもの。
接続路線
小竹駅:筑豊本線
士幌線 Encyclopedia
士幌線(しほろせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道帯広市(十勝支庁管内)の帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を北上して河東郡上士幌町の十勝三股駅に至る。国鉄再建法の制定に伴い、特定地方交通線(第2次)に指定され、国鉄民営化直前の1987年に廃止された。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧
5 参考項目
路線データ(廃止時)
管轄:日本国有鉄道
路線距離(営業キロ):帯広~十勝三股 78.3km(糠平~十勝三股 バス代行)
軌間:1067mm
駅・仮乗降場数:20(起終点駅含む。駅15、仮乗降場3、バス停2)
複線区間:全線単線
電化方式:全線非電化
閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:5(木野、音更、士幌、上士幌、糠平)
歴史
帯広~上士幌間は、軽便鉄道法により建設された区間で、1925年から翌年にかけて開通した。上士幌以北は、改正鉄道敷設法別表第141号に規定する「十勝国上士幌ヨリ石狩国「ルベシベ」ニ至ル鉄道」として建設され、1939年に十勝三股までが開通した。なお、石狩国ルベシベ(留辺志部)とは、現在の石北本線上川駅のことである。
1978年には、沿線がほぼ無人地帯となった末端部(糠平~十勝三股間)で上士幌タクシーによるバス代行輸送を実施していたが、1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。
廃止後は十勝バス・北海道拓殖バス(帯広~糠平間)、上士幌タクシー(糠平~十勝三股間)による代替バスに転換された。(その後、糠平~十勝三股間については、上士幌タクシーの代替バスが廃止されたため、現在は帯広~旭川間の都市間バス「ノースライナーみくに号」(道北バス・北海道拓殖バス・十勝バス)が乗降扱いを行っている。)
1925年12月10日 【開業】士幌線帯広~士幌(30.1km) 【駅新設】木野、音更、駒場、中士幌、士幌
1926年7月10日 【延伸開業】士幌~上士幌(8.3km) 【駅新設】上士幌
1935年11月26日 【延伸開業】上士幌~清水谷(10.4km) 【駅新設】萩ヶ岡、清水谷
1937年9月26日 【延伸開業】清水谷~糠平間(10.3km) 【駅新設】糠平
1939年11月18日 【延伸開業・全通】糠平~十勝三股(16.9km) 【駅新設】幌加、十勝三股
1955年8月1日 【ルート変更】清水谷~糠平~幌加(+2.3km)(糠平ダム建設のため) 【駅移設】糠平
1956年?月?日 【仮乗降場新設】糠平ダム(行楽時期のみ営業)
1956年12月25日 【駅新設】武儀、黒石平
1957年12月25日 【駅新設】北平和
1963年11月1日 【仮乗降場新設】電力所前(上り列車のみ営業。同時に黒石平駅は下り列車のみの営業となる)
1966年10月1日 【仮乗降場新設】新士幌
1978年12月25日 【バス代行化】糠平~十勝三股(18.6km) 【バス停新設】スキー場入口、幌加温泉入口 【貨物営業廃止】上士幌~十勝三股
1982年11月15日 【貨物営業廃止】帯広~上士幌
1984年6月22日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年3月23日 【路線廃止】全線。バス転換
接続路線
帯広駅:
根室本線
広尾線 - 1987年2月2日廃止
上士幌駅:北海道拓殖鉄道線 - 1949年9月1日東幕瓜~上士幌間廃止
駅一覧
帯広駅 - 木野駅 - 音更駅 - 駒場駅 - 武儀駅 - 中士幌駅 - 新士幌仮乗降場 - 士幌駅 - 北平和駅 - 上士幌駅 - 萩ヶ岡駅 - 清水谷駅 - 黒石平駅 - 電力所前仮乗降場 - (糠平ダム仮乗降場) - 糠平駅 - スキー場入口バス停 - 幌加駅 - 幌加温泉入口バス停 - 十勝三股駅
参考項目
ノースライナー (北海道)
岩内線 Encyclopedia
岩内線(いわないせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道後志支庁管内の岩内郡共和町で函館本線から分岐し、同郡の岩内町までを結んでいたが、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
目次
1 路線データ
2 歴史
3 接続路線
4 駅一覧
路線データ
管轄:日本国有鉄道
区間(営業キロ):小沢~岩内 14.9km
駅数:6(起点駅を含む)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化方式:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式
交換可能駅:なし(全線1閉塞)
歴史
岩内線は、岩内と函館本線を接続する目的で、軽便鉄道法に則って建設され、岩内軽便線(いわないけいべんせん)として1912年に全線が開業した。岩内はニシン漁で栄えた日本海に面した良港で、岩内線沿線にも銅を産出する鉱山があり、海産物や鉱石の輸送で活況を呈していた。しかし、ニシン漁の衰退や鉱山の閉山、バスの発達により、岩内線の輸送量は客貨ともに減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。
また、太平洋戦争後、函館本線の急勾配を緩和するバイパスルートとして、岩内から寿都を経由して黒松内に至る鉄道(改正鉄道敷設法別表第130号の2)が計画された。黒松内~寿都間で1968年まで開業していた寿都鉄道の路盤跡を転用することも内定していたが、一部の用地買収が行なわれたのみで1972年に中止された。
1912年11月1日 【開業・全通】岩内軽便線小沢~岩内(14.9km) 【駅新設】前田、岩内
1913年9月21日 【駅新設】国富
1919年12月5日 【駅新設】幌似
1922年9月2日 【線名改称】岩内線
1963年10月1日 【駅新設】西前田
1981年9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
1984年2月1日 【貨物営業廃止】全線(-14.9km)
1985年7月1日 【路線廃止】全線(-14.9km)。ニセコバス、北海道中央バスに転換
接続路線
小沢駅:函館本線
駅一覧
小沢駅 - 国富駅 - 幌似駅 - 前田駅 - 西前田駅 - 岩内駅
岡山臨港鉄道 Encyclopedia
岡山臨港鉄道(おかやまりんこうてつどう)は、かつて岡山市の南部、大元駅と岡山港を結んでいた鉄道路線である。1984年末に廃止された。
目次
1 概略
2 路線
2.1 路線データ
2.2 駅一覧
2.3 沿線
3 歴史
3.1 開業以前
3.2 岡山臨港鉄道開業
3.3 廃止以後
4 車両
4.1 ディーゼル客車
4.2 ディーゼル機関車
5 路線跡
6 関連項目
7 外部リンク
概略
岡山臨港鉄道は太平洋戦争中に敷設された支線(側線と呼ばれる)を前身とする。戦時中に宇野線と岡南(こうなん)地区の工場を結ぶ側線として線路の敷設がはじまり、終戦前後に工事が一時中断していたが戦後に工事を再開し、貨物輸送を開始した。1950年に鉄道を保有する会社の工場が閉鎖されたのに伴い、1951年に県などが出資する岡山臨港鉄道株式会社(現在、株式会社岡山臨港)に移管され、岡山臨港鉄道として開業した。
開業当初は年間65万人の旅客を運び、昭和30年代には岡南地区の工業化が進んだことで貨物の輸送でにぎわった。
その後、岡山市南部にある児島湾を横断し対岸の児島半島を結ぶ道路が開通したことで岡山港までの旅客が減少し、1973年に岡南元町間・岡山港の旅客運転が廃止された。旅客運転は大元・岡南元町間に縮小されたが貨物運転は引き続き行われた。
しかし、その後のモータリゼーションの進行とともに貨物や旅客の利用が減少し、旅客利用者は開業当時の1/3以下、貨物も最盛期の1/3近くにまで落ち込んだ。1984年には国鉄の合理化に伴って貨物輸送がさらに縮小したことで鉄道の存続が困難になり、1984年12月30日に廃止された。
開業から廃止までの33年間で貨物564万トン、旅客1,262万人を輸送した。
路線
路線データ
区間・路線距離(営業キロ): 大元 - 岡山港間 8.1km (大元 - 岡南元町間は 6.6km)
軌間 : 1067mm
複線区間 : なし(全線単線)
電化区間 : なし(全線非電化)
閉塞方式 : (不明)
駅一覧
大元駅
現在のJR宇野線(瀬戸大橋線)・大元駅に併設。
臨港新保駅 → 1960年に岡南新保駅(こうなんしんぼう)に改称。
泉田倉庫
貨物駅のみ。
臨港泉田駅 → 1960年に岡南泉田駅(こうなんいずみだ) に改称。
福田倉庫
貨物駅のみ。
臨港福田駅 → 1960年に岡南福田駅に改称。
臨港藤田駅 → 岡南藤田駅 → 並木町駅に改称
岡南元町駅
汽車会社前駅 → 1960年に南岡山駅に改称。
岡山港駅
沿線
大元駅から 3km ほどまっすぐ南に下り、芳泉高校を過ぎたあたりで半径400mのカーブを左へと曲がっていく。その先からまっすぐ南東へと向かう路線である。
岡山の南部は干拓によって生まれた土地で、泉田を過ぎたあたりから沿線南部は明治時代~昭和時代の干拓地となっている。カーブがあるあたりから先の路線は、当時の築堤近くに敷設されていたようだ。
歴史
開業以前
太平洋戦争中に倉敷絹織(現・クラレ)が岡南地区で工場の操業をはじめ、物資や従業員の輸送が必要になったことから国鉄路線から工場に通じる側線の敷設をはじめた。これが臨港線の前身となった。
1944年 戦時中、岡南地区にある工場を結ぶ側線の工事がはじまるが途中で中断。
戦後に工事を再開した。
1947年2月 大元-沖福島間が完成し、国鉄車両による貨物輸送がはじまった。
岡山臨港鉄道開業
鉄道を管理していた汽車会社が工場を閉鎖したのに伴い、岡山県などが出資して岡山臨港鉄道株式会社を設立し、鉄道を引き継いだ。
1951年4月2日 岡山臨港鉄道株式会社を設立。
1951年8月1日 臨港線が開業。大元-岡山港間の旅客運転を開始。
開業当初は、年間65万人の乗客を運んだ。
昭和30年代に岡南地区の工業化が進み、貨物輸送が増加。
1961年 児島湾の対岸を結ぶ締め切り堤防道路が開通。
岡山港を利用する客が減少したことで、臨港線の岡山港駅までの旅客輸送も減少した。
昭和30年代後半~昭和40年代半ば 貨物輸送が最盛期に。
1973年 岡南元町-岡山港間の旅客運転を廃止。
1972年12月31日に最後の旅客運転を行い、この区間は貨物輸送のみとなった。旅客運転は大元-岡南元町 6.6km に縮小された。
オイルショックとモータリゼーションの波がおしよせる。
1983年 旅客輸送が開業時の1/3以下、19万人程度にまで落ち込んだ。
1984年2月1日 国鉄のダイヤ改正で一般貨物列車を廃止。
国鉄の合理化で一般貨物列車が廃止され、この影響で臨港線の貨物輸送量も激減した。
1984年12月30日 臨港線を廃止。
廃止以後
大元駅から新保付近までが遊歩道化された。
1990年代にJR大元駅一帯の立体化工事が行われれた。
2001年 社名を岡山臨港に変更。
芳泉高校付近から南部に通じる線路跡地の道路工事が終わり、朝夕は混雑している。
2004年 岡山県・岡山市が所有する株式をクラレ・同和鉱業・大建工業に譲渡、純民間企業となる。
車両
ディーゼル客車
臨港線に使用された車両は合計8両ある。開業当初は、3001号、3002号の2両の車両が使用された。その後、他のローカル私鉄で走っていた車両が相次いで臨港線に移籍され、乗客を運ぶ足として後を継いだ。
301、302
開業時から使用した車両である。301は1937年製造、1978年に廃車。302は1933年製造、1970年に廃車。ともに中国鉄道(現在の津山線、吉備線)で使用されたガソリンカーで、その後、国鉄時代を経て、国鉄・幡生工場(下関市)でディーゼルカーに改装され、臨港線に移籍された。初期の色はアズキ色とベージュ色のツートンカラーで、その後、オレンジ色とベージュ色に塗り替えられた。
1003
1952年に宇都宮車両で製造された。常磐炭鉱で使用され、1959年に臨港線に移籍。臨港線廃止直前の1984年10月に紀州鉄道(和歌山県)へ移籍された。1003は炭鉱用に作られた全長が12mしかない特注品の車両で、急カーブの路線でも運行できるため、紀州鉄道でキハ605としてもうしばらく永らえることになった。2000年に有田鉄道へ譲渡。
5001、5002
1937年に日本車両で製造された。はじめ江若鉄道(滋賀県)のキニ12、キニ13として使用され、1960年に大鉄工業で改造された後、臨港線に移籍した。5002は1980年に廃車された。5001は臨港線廃止まで使用され、現在は岡山市内にある岡山旭川荘厚生専門学院に保存されている。
7001、7002、7003
1955年~1958年に新潟鐵工所で製造された。ともに北海道の夕張鉄道で使用され、水島臨海鉄道を経て臨港線に移籍された。7001、7002は1955年に製造され、夕張鉄道のキハ252、キハ253として使用され、水島臨海鉄道時代にはキハ303、キハ304として使用された。その後、臨港線に移籍。臨港線廃止後は、岡山県美作市 (1994年・1995年にF1パシフィックGPが開かれたTIサーキット(現岡山国際サーキット)があるところで有名)の特産品販売所に保存されている。7003は、1958年に製造され、夕張鉄道時代、水島臨海鉄道時代を経て、1978年に臨港線に移籍された。廃止後は岡山市内千鳥町にある保育園に保存され、図書館として利用されている。
ディーゼル機関車
貨物列車牽引用に2両の DD13、入れ替え用に3両の小型ディーゼル機関車が使用された。1970年代末頃には、朝の7時頃と夕方4時頃に長い編成の貨物列車を走らせていた。この頃でも30両ほどの貨車を牽引していた。廃止が近づきつつある時代になると、その編成も次第に短くなっていった。
DD13
自社発注のDD1351と江若鉄道で使用された DD1352の2両。青色の塗装だった。
DB101、DB102、DB103
入れ替え用の2軸の小型のディーゼル機関車。ユーモラスな形をしている。102 は岡山臨港株式会社の本社敷地内に保存されている。
路線跡大元駅
南北に走るJR宇野線が町を分断し、交通の妨げになっていたため、1990年代に宇野線の立体化工事が行われた。JR大元駅も高架駅に姿を変え、臨港線が走っていた当時の面影は残っていない。
大元から新保付近
緑地のある歩行者・自転車専用の遊歩道「臨港グリーンアベニュー」となっている。途中、東西に結ぶ大きな市街地道路が2003年に完成し、旧鉄道跡地には歩行者用のゆったりした歩道橋がかかるなど、今風な風景に変わりつつある。
旧新保駅
遊歩道となっており、復元されたホームが残っている。
新保付近から南の路線跡
道路となっている。市の中心部から南部を結ぶ大きな道路がほとんどないため、日中は車でにぎわっている。
国道30号線付近
国道30号線が立体交差している。近くにある泉田倉庫で貨物列車の入れ替えをするときに長い間踏切が閉じたままになるため立体化されたのだが、立体工事が終わった頃に臨港線は廃止された。鉄道があったことをしのばせる風景である。
カーブ付近
1970年代頃までは、泉田を過ぎたあたりから南部の岡南地区までしばらくの間は広い田んぼに民家がちらほら建ち並ぶ風景が続いていた。その後、急速に宅地化が進み、現在は多くの住宅地や商業・公共施設が建ち並ぶようになった。現在は、道路のゆるやかなカーブがもとは鉄道路線だった面影を残している。
福田倉庫
岡山臨港株式会社本社
ディーゼル機関車 102 が保存されている。
岡山港駅付近
8km のキロポストが残っているそうだ。
関連項目
岡山臨港
岡山市岡南地区
外部リンク
株式会社
岡山臨港
名寄本線 Encyclopedia
名寄本線(なよろほんせん)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)/日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道上川支庁管内の名寄市の名寄駅で宗谷本線から分岐し、網走支庁管内の紋別市を経て紋別郡遠軽町の遠軽駅で石北本線に接続する本線と同郡上湧別町の中湧別駅で分岐し湧別町の湧別駅に至る支線からなっていた。国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され、1989年に廃止された。特定地方交通線中で唯一「本線」を名乗る路線である。
目次
1 路線データ(廃止時)
2 運転
3 歴史
3.1 名寄線
3.2 湧別線
3.3 両線統合後
4 駅一覧
5 接続路線
路線データ(廃止時)
管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):全長143.0km
名寄~上湧別~遠軽 138.1km
中湧別~湧別 4.9km
駅数:40(起終点駅を含む)
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(本線)、スタフ閉塞式(支線)
交換可能駅:8(下川、上興部、中興部、興部、沙留、紋別、小向、中湧別)
上名寄、一ノ橋、渚滑、元紋別、開盛は交換設備があったが撤去
運転廃止直前は、全て普通列車。ただし、宗谷本線・旭川駅直通の列車などは、一部区間を快速運転していた(旭川直通列車は、宗谷本線内は快速。なよろを参照。札幌駅直通の急行「紋別」の名残)。全線通しの列車もあったが、基本的に遠軽に向かうほど本数が増えていった。交換設備が削減されたため、便数の割に国鉄時代より時間調整が増えていた。
名寄~下川間 上下8往復(下りのみ区間列車1本、休日運休)
下川~紋別間 下り7本、上り8本(上りのみ興部で接続便あり)
紋別~中湧別間 下り9本、上り10本(上りのみ紋別で接続便あり)
中湧別~遠軽間 下り10本、上り11本
湧別~中湧別間 上下2往復(全て遠軽直通、一部は紋別方面の列車と併結)
歴史
名寄本線は、北海道鉄道敷設法に規定する「天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道」の一部であり、道央とオホーツク海沿岸方面を結ぶ幹線鉄道として建設されたものである。
湧別軽便線(ゆうべつけいべんせん)の延長として、1915年に野付牛(現在の北見)方面(下生田原(現在の石北本線安国))から社名淵(後の開盛)へ延長された路線を発端とする。国有鉄道の軽便線は、軽便規格とはいいながら他路線と同じ軌間1067mmで建設されたが、湧別軽便線だけは、軌間762mmであった。翌年(1916年)には、軌間1067mmに改軌されたが、私鉄買収線を別にすれば国有鉄道が軌間762mmで建設した唯一の例である。この年、社名淵~下湧別(後の湧別)間が軌間1067mmで延伸開業し、全通。1922年に軽便鉄道法の廃止により湧別線(ゆうべつせん)に改称された。
一方、名寄~中湧別間は、名寄線(なよろせん)として難所であった石北峠を避けて名寄方は名寄西線(なよろさいせん)、中湧別方は名寄東線(なよろとうせん)として両側から建設が進められ、1919年から1921年にかけて全線が開通した。1923年に支線(渚滑線)の開業にともない名寄本線に改称している。
しかしながら、1932年に石北峠を克服して石北線が全通すると、湧別線は遠軽を境に分割され、遠軽~下湧別間は名寄本線に、遠軽~野付牛間は石北線に編入された。同時に、名寄本線は幹線鉄道としての役目を石北線に譲ることとなった。
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして他の3線(天北線、池北線、標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題がなくなったとして追加廃止承認された。国鉄分割民営化後、比較的乗降客の多い名寄駅~下川駅、紋別駅~遠軽駅間を第三セクター化の上で部分存続させる案が浮上したが、結局1989年に全線廃止された。
名寄線
1919年10月20日 【開業】名寄線名寄~下川(16.5km) 【駅新設】上名寄、下川
1920年10月25日 【延伸開業】下川~上興部(22.4km) 【駅新設】一ノ橋、上興部
1921年3月25日 【開業】名寄東線中湧別~興部(54.1km) 【駅新設】沼ノ上、小向、元紋別、紋別、渚滑、沙留、興部 【線名改称】名寄線→名寄西線
1921年10月5日 【延伸開業・全通】上興部~興部(28.9km) 【駅新設】瀬戸牛、中興部、宇津 【区間統合】名寄東線を名寄西線に編入→名寄線
1923年11月5日 【線名改称】名寄線→名寄本線 【支線開業】渚滑線
湧別線
1915年11月1日 【延伸開業】湧別軽便線(軌間762mm)(下生田原~)遠軽~社名淵(4.5km) 【駅新設】遠軽、社名淵
1916年11月7日 【改軌】遠軽~社名淵 762mm→1067mm
1916年11月21日 【延伸開業・全通】社名淵~中湧別~下湧別(16.6km) 【駅新設】上湧別、中湧別、下湧別
1922年9月2日 【線名改称】湧別軽便線→湧別線(軽便鉄道法廃止により)
両線統合後
1932年10月1日 【区間統合】湧別線遠軽~下湧別間を名寄本線に編入。名寄本線(名寄~遠軽・中湧別~下湧別)
1934年2月5日 【駅名改称】社名淵→開盛
1935年9月15日 【支線開業】興浜南線
1935年10月20日 【支線開業】湧網西線
1944年11月1日 【支線休止】興浜南線
1945年12月5日 【支線復活】興浜南線
1947年2月11日 【仮乗降場新設】豊野
1947年9月10日 【仮乗降場新設】旭
1947年9月21日 【仮乗降場新設】中名寄
1947年12月25日 【仮乗降場新設】二ノ橋
1950年1月15日 【仮乗降場→駅】中名寄、二ノ橋、豊野
1954年11月10日 【駅名改称】下湧別→湧別
1955年12月1日 【仮乗降場新設】一区中通
1955年12月25日 【仮乗降場新設】一本松、厚生病院前、四号線
1956年3月20日 【駅名改称】瀬戸牛→西興部
1956年4月30日 【仮乗降場新設】幸成
1956年5月1日 【仮乗降場新設】弘道
1956年9月1日 【仮乗降場新設】秋里(*1)、富丘
1956年9月20日 【仮乗降場→駅】旭
1956年10月30日 【仮乗降場新設】矢文、岐阜橋
1957年8月1日 【仮乗降場新設】川西
1957年11月1日 【仮乗降場新設】北興
1957年12月3日 【仮乗降場新設】班渓
1959年4月20日 【仮乗降場新設】六興
1959年11月1日 【駅新設】潮見町 【仮乗降場→駅】矢文、岐阜橋、北興、川西、共進(←一区中通)、北遠軽(←学田(*2))
1966年10月1日 【仮乗降場廃止】厚生病院前 【仮乗降場新設】北湧(厚生病院仮乗降場の代替)
1978年12月1日 【貨物営業廃止】中湧別~湧別
1985年4月1日 【支線廃止】渚滑線
1985年7月15日 【支線廃止】興浜南線
1985年8月2日 第2次特定地方交通線として廃止承認
1986年11月1日 札幌直通の急行「紋別」廃止。優等列車消滅。この他、旭川直通で石北本線回りの急行「大雪」(線内は普通列車)も廃止
1987年3月20日 【支線廃止】湧網線
1987年4月1日 【承継】日本国有鉄道→北海道旅客鉄道 【貨物営業廃止】名寄~遠軽 【仮乗降場→駅】幸成、六興、旭ヶ丘、富丘、一本松、弘道、北湧、四号線 【仮乗降場→臨時駅】班渓
1987年12月1日 【臨時駅→駅】班渓
1989年5月1日 【路線廃止】全線。バス転換(*3)
(*1) 後に移転し旭丘仮乗降場(改称時期不明)となった後、旭ヶ丘仮乗降場と改称(1980年頃?)
(*2) 学田仮乗降場の設置時期は不明
(*3) 転換先のバス会社は名士バス(名寄~紋別)、北紋バス(興部~遠軽)、北海道北見バス(紋別~遠軽。名寄本線廃止当時は北見バス)。
駅一覧名寄駅 - 中名寄駅 - 上名寄駅 - 矢文駅 - 岐阜橋駅 - 下川駅 - 二ノ橋駅 - 幸成駅 - 一ノ橋駅 - 上興部駅 - 西興部駅 - 六興駅 - 中興部駅 - 班渓駅 - 宇津駅 - 北興駅 - 興部駅 - 旭ヶ丘駅 - 豊野駅 - 沙留駅 - 富丘駅 - 渚滑駅 - 潮見町駅 - 紋別駅 - 元紋別駅 - 一本松駅 - 小向駅 - 弘道駅 - 沼ノ上駅 - 旭駅 - 川西駅 - 中湧別駅 - 北湧駅 - 上湧別駅 - 共進駅 - 開盛駅 - 北遠軽駅 - 遠軽駅
支線:中湧別駅 - 四号線駅 - 湧別駅
接続路線
名寄駅:宗谷本線、深名線
興部駅:興浜南線 - 1985年7月15日廃止
渚滑駅:渚滑線 - 1985年4月1日廃止
中湧別駅:湧網線 - 1987年3月20日廃止
名古屋市電 Encyclopedia
名古屋市電(なごやしでん)は、名古屋市交通局が運営していた路面電車である。
概要
京都電気鉄道(のち京都市に買収)に次いで日本で2番目の電気鉄道、名古屋電気鉄道をその嚆矢とする。同社は市内路線の他に「郡部線」と呼ばれる郊外鉄道線も建設。しかし1911年、高額の運賃に市民の不満が爆発し電車焼き討ち事件に発展。これを機に名古屋市でも市内電車の買収に動き、1922年名古屋市電が誕生した。なお、買収に先じて名古屋電気鉄道は郡部線を新設会社・名古屋鉄道(初代。現在の名古屋鉄道の前身)へ譲渡。市交通局と名鉄はルーツを同じくする。
市営後も路線を拡充。連接車2600形、無音電車2000形や新機軸の800形など個性ある電車が運転された。また、路線でも当時はローカルムード満点の田園地帯を単線で走る下之一色線があり、同線では通票を使用し行き違い可能な停留所で交換して運行。虫害対策のため殺虫剤を散布する専用車が存在し、地下鉄東山線開業前には第三軌条を臨時に敷設して同線車両の試運転も行われた。
1960年代半ばから電力料金や設備維持費が増加し、経営を逼迫。また自動車の増加に伴い定時運行が困難となったため、地下鉄網を整備する代わりに市電を撤去する事となった。1974年、惜しまれながら市電は全廃。現在は日進工場の一角に「レトロでんしゃ館」があり、引退した電車3両が保存展示されている。(最寄駅・鶴舞線赤池駅)
沿革
1898年5月6日 名古屋電気鉄道が笹島-県庁前間を開業。
1922年8月1日 名古屋市が名古屋電気鉄道の軌道事業を買収。
(買収線区) 名古屋駅-千種間、志摩町-押切町間、赤塚-門前町間、熱田駅-築港間、浄心-船方間、西裏-覚王山間、明道橋-平田町間、東新町-大曽根間、名古屋駅-那古野間、栄町-東築地間。計42.5km
1936年5月24日 中村電気軌道を買収。明治橋-中村公園間
1937年3月1日 新三河鉄道(今池-大久手間、千早-八事間)、築地電気軌道(築地口-下之一色間)を買収。下之一色電車軌道(尾頭橋-下之一色間)を買収し下之一色線とする。
1954年2月28日 下之一色線で日本最初のワンマン運転を実施。
1961年5月15日 地下鉄東山線建設のため、覚王山-星ヶ丘間運休。復旧せず事実上の廃止。以降、市電の部分廃止相次ぐ。
1974年3月31日 市電全面廃止。
(最終営業区間)矢田町四丁目-大久手-市立大学病院-大江町-昭和町間、大久手-安田車庫前間、金山橋-沢上町-市立大学病院間
関連項目
豊橋鉄道モ3100形電車…名古屋市電では1400形、全面廃止時まで活躍していた。
豊橋鉄道モ3700形電車…名古屋市電では1200形
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